最悪の町内会デビュー | 心の風景

心の風景

心のあり方や生き方をテーマとしたエッセイなどを載せていきます。同好の方と交流できればうれしいです。

 

初めて担架の上から見たのは、青空でした。

 

私は、来期の町内会班長として、防災訓練に出るよう要請されました。地域への恩返しの気持ちもあって、班長はまじめに務めるつもりでした。そこで、それまで町内会の行事と関わりはなかったのですが、進んで参加することにしました。

 

会場は、地区センターという公共の施設の一角にある運動場で、数百人が集まり、町内会ごとに整列しました。顔見知りは誰もいません。その日は暑くて、日差しも強く、自然と汗が流れました。

 

訓練前に、運営側や来賓の挨拶が始まりました。しばらくすると、急に胸の中が絞られるようになり、かすかな吐き気がわいてきました。一度も経験したことのない事態です。おさまるかと思ったのですが、逆にひどくなっていき、「こりゃ、もうだめだ」と判断して、隣に立っていたお年寄りの男性に声をかけました。この人はそれまで新参者の私に色々と話しかけてくれていたのです。

 

騒ぎになってしまいました。すぐにテントの中に連れて行かれ、椅子が用意されました。男女数人に囲まれ、水を飲むようにペットボトルが渡され、冷たい布か何かが首の後ろにあてがわれました。いつの間にか椅子が何脚か並べられ、寝かされることに。自分で額にもペットボトルのようなものを押しあてました。なぜ気分が悪くなってしまったのかは最後までよく分かりませんでした。

 

消防署の人が容態を聞きに来ました。熱中症ではないようでしたが、「救急車」という単語が出たときはさすがに慌てました。

 

「吐いてしまえば楽になるんですが・・・」と余計なことを口走ったため、すぐさまビニール袋が口元に持ってこられましたが、吐き気はそこまでひどくはなっていませんでした。

 

冷房の効いている地区センターの建物に移そうという話が出て、「担架で運ぼう」という声が上がりました。私はびっくりしました。「そんな・・・。かっこ悪い」。実際、歩いて行けたと思います。

 

しかし、すでに2本の長い金属の棒に毛布を巻いたような担架が手際よく準備されていました。ここでごねたら、せっかくの厚意を無にすることになって、かえって迷惑だと思い、お世話になることに・・・。

 

何人で運んでくれたのか正確には分かりませんが、背が高いのではみ出た頭が揺れないようにずっと支えてくれた人がいました。小学生くらいの男の子の「だいじょうぶ?」という甲高い声がずっとついてきます。揺れる青空と強い日射しを眺めながら、「ああ、とうとうこんな日が来てしまったんだなあ」などと思っていました。

 

地区センターの建物に入ると、3人がけのソファーが二つ合わされて、そこに担架が横たえられました。そのとき長い棒が抜かれたようです。

 

男の子も含めて皆さんは会場に戻りましたが、一人だけ、気分が悪くなったとき隣に立っていた男性がずっと付き添って穏やかに話しかけてくれました。2、30分くらい経った頃、体を起こしてみますと、幸い吐き気は治まっています。そのあと男性の郷里のことなどを話題にして時を過ごしました。ちょうど私がある程度知っていた県でしたので、話は途切れませんでした。

 

しばらくすると、訓練は終わったらしく、町内会の防災担当の女性が参加者に振る舞われた豚汁を持ってきてくれましたので、恐縮してちょうだいすることに。その後、町内会の副会長さんたちも様子を見に来てくれました。何度もお礼とお詫びを言って頭を下げてから、帰宅。翌日には防災担当の女性が、私の体調を気遣って電話をくれました。

 

こうして訓練には全く参加出来ませんでしたが、人情には大いに触れることが出来ました。これはますます、恩返ししなければ、という思いがわいてきています。