心の風景

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 ようこそ「心の風景」へ。管理人の荻野誠人です。当ブログでは、心のあり方や生き方などを自分なりに考えた文章を載せていきたいと思います。同好の方と交流できればうれしいです。

 ごくのんびりと更新していくつもりですので、気長にお付き合いくだされば
幸いです。お返事も、できるだけ早くしようと努力いたしますが、内容によってはかなり時間がかかることがありますので、何とぞお許しを。

 ブログの文章は、最近書かれたものが中心に読まれる傾向がありますが、古くても出来ればお読みいただきたいものもあります。以下は2012年以前の文章で、私の考えのもとになっているものです。古い順です。よろしかったら、どうぞ。

 自分は知り尽くせない自分を好きになれない人へ失敗の勧め推敲は自分の心を見直す機会「暗い性格」の復権人生に定められた目的はない正論の攻撃目の前の人ありのままと努力私が人を批判できなくなったわけ人を嫌う不幸お互い様で生きる恋人ロボットの登場他人の感動時には逃げてもいい


 グルっぽ「心を大切に」を開設しました。心を大切にする人の集いになれば・・・と思っています。ブログと違ってかなりくだけた内容です。よろしかったら、一度のぞいてやってください。現在、ブログの更新よりもグルっぽの更新の方が頻繁になっています。
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(2012・7・14)






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この文章、幸いにも運慶展最終日の26日に間に合いました。今は午前中の方が混んでいるようです。行くなら夕方ですかね。

 

さて、この文章、本来は、絵や彫刻の写真を添えて、感想などを述べるべきなのですが、会場は撮影禁止なのでそれが出来ません。苦肉の策で、著作権のない画像やアマゾンさんから拝借した画像を使いました。

 

<北斎展>

 

日本で最も優れた画家は誰かというと、日本では意見がなかなかまとまらないでしょうが、欧米ではどうやらそれは葛飾北斎だと思われているようですね。

 

北斎とジャポニスム』展は、北斎の絵とそれに影響を受けた絵画や工芸品を並べて展示するという企画です。この文章では北斎についてのみ述べますが、欧米の芸術家達の創造力も見どころであることは言うまでもありません。

 

私、絵はよく分らない人間で、学生時代はヨーロッパの画家の展覧会に足を運ぶこともありましたが、結局感動することも、お気に入りの画家に出会うこともありませんでした。社会人になってずいぶん経ってから、北斎や広重の風景画に親しみや面白みを感じた程度です。

 

そんな私でもこの展覧会は取っつきやすいものでした。作品自体の価値は分からなくても、比べられた両者が似ていることは容易に分かるからです。

 

北斎漫画 北斎漫画
 
Amazon

上差し「北斎漫画」。様々なポーズが模倣されました。

 

芸術家は優れていればいるほど、影響力は大きいと言えます。多くの欧米の芸術家に影響を与えたことから北斎の偉大さも実感できます。有名な人だけでも、ドガ、モネ、ゴーガン、ゴッホ、セザンヌ、ロダン、ガレ・・・。北斎の影響は以前から知っていましたが、絵画のみならず、陶磁器やガラス工芸品にまで、こんなにも広範囲に及んでいたとは思いませんでした。

 

上差し「神奈川沖浪裏」。彫刻や音楽にまで影響を与えました。

 

北斎の取り上げた素材も表現技法も、欧米を大いに驚かせたようです。例えば北斎は動植物を好んで主題にしましたが、あちらにはそういう傾向は余りなかったとのこと。また、技法のほんの一例を挙げますと、北斎は木の間越しの風景をよく描きましたが、それは遠近法に縛られた欧米では考えられなかった構図だそうです。

 

上差し東海道程ヶ谷」。木の間越しの風景。

 

比べられた作品を見ていると、北斎の新しさや自由さとともに、それまでの欧米の美術がいかに制約の多いものであったか、ということも感じられます。

 

上差し凱風快晴」。「連作」という形式も模倣されました。

 

欧米に影響を与えた画家は北斎だけではありません。ゴッホが広重の絵を模写したことは中学の社会科の教科書に載るほど有名です。しかし、北斎ほど広範囲の素材を手がけた人はいなかったそうで、そこから浮世絵の代表者と目されるようになったのです。まさに何でもござれの天才でした。

 

 <運慶展>

 

運慶は小学校の社会科の教科書にも出てくるほどの存在です。日本一の彫刻家は誰かと言いますと、やはり運慶が有力候補になるのでしょう。

 

この『運慶』展は、運慶の父親や息子・弟子なども含めた「慶派」といわれる仏師たちの作品を集めた展覧会です。運慶展を見るのは3度目ですが、最も大規模なものでした。

 

残念ながら、実物を撮影して紹介することは出来ませんが、ホームページがとてもよく出来ていますので、そちらをご覧ください。ただいつまであるか分りません。

 

上差し大日如来坐像。運慶のデビュー作。

 

私はなぜか絵画よりは、まだ彫刻の方に反応します。ただ彫刻の中でも、如来像のような悟りすましたものよりは、怒りの形相で武器を持ち、怪物を踏みつけている四天王立像のようなものの方が、分りやすく、親しみを覚えます。中でも一番迫力があるのは増長天ですかね。

 

上差し四天王立像のうち多聞天像。

 

彫刻がまるで生きているよう、という賞賛の言葉をよく聞きます。それこそが慶派の最も優れたところでしょう。ただ、例えば八大童子立像を見ると、「こんなに眼光の鋭い子供が実際にいるのか」という思いもわきます。生きているというのは、本物の人間ではなく、本物の仏という意味に解釈してもいいかもしれません。

 

その一方、実在の人物を造形しようとした、無着・世親菩薩立像は、まさに本物の人間のようでした。激怒や号泣のような激しい表情よりも、無着・世親像のような微妙な表情の方が表現が難しいのではないでしょうか。哀しみをうちに秘めたような無着の表情は、ほんのわずかな彫刻刀のずれで跡形もなく消え失せてしまうのでしょう。

 

上差し無著菩薩立像。

 

運慶の息子湛慶の子犬の像があったのには実に驚きました。注文を受けて作ったものでしょうけど、当時の人たちの自由で優しい心を感じることが出来ました。

 

最後の十二神将は初見ですが、面白かったです。一応神なのですが、十二支の動物を象徴しているからか、おどけた顔、威張っている顔、退屈そうな顔といった、威厳とは無縁のいかにも人間くさい表情をしているものがありました。こういった特徴は、他の特に人間の像にも見られます。

 

上差し大威徳明王座像。運慶晩年の作。

 

彫刻を浮世絵と一緒に当時のヨーロッパに持って行ったら、北斎に劣らぬ衝撃を与えたかもと夢想します。「“神”をこんなに自由に表現している!」と。

 

運慶が活躍していたのは西暦1200年頃で、ルネサンス前です。教会の権威がまだまだ強かったヨーロッパでは運慶のような人は現れようがなかったでしょう。

 

日本は自由な心の国なんだなあ、とつくづく思いました。

 

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巨匠北斎と運慶の注目の展覧会。前編では、主に会場やその周辺の様子について述べ、絵と彫刻そのものは、後編に譲ります。文章を分割したのは、投稿を急いだためですが、それは運慶展今月26日までだからです。

 

 

北斎も運慶もファンなので、それが同時に上野で見られるなんて、またとない幸運です。それに美術鑑賞は本当に久しぶりです。両展とも一気に見てしまえ、と虚弱な自分にとってはいささか無謀な「挑戦」を試みました。平日で、いい天気でした。

 

『北斎とジャポニスム』展は、JR上野駅公園口から目と鼻の先、国立西洋美術館でやっています。ここはたぶん高校生の時以来で、記憶は全くありません。

 

上差しこの建物、世界文化遺産だそうです。

 

着いたのは、午前10時半ごろ。待たずに入れましたが、最初の展示室がやや狭かったこともあり、ラッシュアワーの駅のホーム状態。初めての経験で、驚きました。その後、部屋が広くなり、混雑は幾分緩和されましたが。

 

この展覧会、見るものが非常に多かったです。そして後編に書きますが、北斎の絵と影響を受けた作品を並べて展示するという、私のような絵画音痴にも楽しめる企画でした。

 

上差し余りにも有名な作品。著作権フリーです。

 

それはいいのですが、見るのに時間もかかり、歩く距離も長く、大勢いたお年寄りにはつらいものがあったのでしょう。座れるところはみんな満員でした。

 

私は歩くよりも立っている方がつらいたちです。他のお客さんよりもじっくり鑑賞したからか、かなり足腰にきました。これは予想通りでしたが。

 

 

12時近くに北斎展を見終えたあとは、上野駅公園口近くの売店でパンを買い、そばのパラソルの下でテーブルに向かって食べました。枯れ葉がしきりに落ちてきて、雀がびっくりするほど近くに寄ってきました。食事の出来る所は館内も含めてあちこちにありますけれども、天気がよくて暖かければお弁当という手もあるでしょう。

 

元気を取り戻して、次の『運慶』展へ。こちらは東京国立博物館でやっています。上野駅公園口から10分くらいで、初めての訪問です。

 

たどり着いた入場券売り場には無情にも「40分待ち」の表示が・・・。しかし、ここまで来て諦めるわけにはいきません。なお、待ち時間の情報はホームページに発表されています。

 

入り口から会場の平成館というところまでは少し歩きます。広い敷地でした。みごとなイチョウが鮮やかに色づいていました。これは意外な収穫です。

 

 

平成館前には長蛇の列。野外で待つ人のために日傘が提供されました。見ると、やはりこちらも定年後の人達が目立ちました。あと和服の女性。

 

上差し左が平成館。日傘には「東博」の文字が。

 

私は待つのが苦手なのですが、40分なんて文庫本でも読んでいたらあっという間でした。と言っても、これでまた脚力が消耗したかもしれませんが。

 

入場は1時半ごろ。会場内はやはり混雑。混み具合は北斎展と同じくらいでしたが、こちらは入場規制した結果です。この違いは、運慶の作品の方が、見る機会が少ないからかとも思いました。

 

これも後編に改めて書きますが、なぜか私は絵よりも彫刻の方が性に合っているのです。感じるものはけっこう多かったです。

 

上差し写真のないのが淋しいので、アマゾンさんから拝借。無著菩薩立像です。

 

運慶展は、北斎展に比べますと、出展数はかなり少ないのですが、像の背面まで見られるように展示してあるものも多く、詳しく見ようとすると、やはり時間はかかります。

 

こちらも座れるところはお年寄りを中心にすべて寿司詰め状態。無理もありません。杖をついている人もいましたが、きつかっただろうと思います。

 

私も人のことは言えません。運慶展の最後の方では、大げさに言えば、腰から下がしびれたように。今思うと、最後の十二神将はもっとじっくり見るべきでした。歩いていると、たまに床の模様が揺れて、ひょっとしたら、またまた担架で運ばれるんじゃないかと肝を冷やしました。おまけに人混みは苦手なのです。HSPでもありますし・・・。

 

会場を後にしたのは2時半ごろ。帰りの電車で寝てしまいました。こうして私の充実した平和な一日は終わりました。

 

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 行ってきました、新江ノ島水族館

 

 

 江ノ島を間近に見る湘南海岸にあります。今回はそこにいるクラゲを紹介します。

 

上差し水族館からの眺め。左の黒いのは江ノ島です。

 

もちろんクラゲ以外にも多くの魚がいますし、イルカやアシカのショーもやっています。そちらも十分時間を使って見ました。3時間以上水族館で過ごしました。 

 

 

ですがクラゲには長年特に力を注いでいるようです。そして私はクラゲが好きですので、ちょうど相性がいいというわけで・・・。

 

 

私に限らずクラゲが好きな人は多いと思います。あのユーモラスで可愛らしい(可愛くないのもいますが)姿や、のんびり、ゆったりした振る舞いに「なごむ」「いやされる」のでしょうね。

 

 

写真は「クラゲファンタジーホール」という円形の展示室で撮りました。文字通り幻想的な雰囲気で、クラゲが美しく見えます。水族館側の演出の勝利でしょう。海中だったらこんな風には見えないのでは。

 

 上差しクラゲファンタジーホールの正面です。一番大きな水槽で、高さ250㎝くらいはあると思います。

 

 

 ここで独りソファーにでも腰掛けて、ぼんやりと眺めていたいものです。ちょうど雲を見るように。さぞリラックス出来ることでしょう。

 

 

 ブログに載せようと思って撮っていたわけではなかったので、クラゲの種類の名前をメモしませんでした。私もボケーッとしていたようで。今ごろ「しまった」と思っても後の祭り。(^o^;)

 

上差しこのマッシュルームみたいなのが一番面白かったです。

 

腕が悪いのか、カメラが悪いのか、ちょこまかと動くやつの写真はみんなピンボケに。紹介できないクラゲもいます。おまけに、いつスイッチを押してしまったのか、写真に無粋な日付まで・・・。

 

 

このホールでは定刻にプロジェクションマッピング(壁に映像を映す技術)も楽しめます。海でのクラゲの生態などが紹介されます。じかに見たのは初めてでした。

 

 

クラゲの仲間には、なんと人類永遠の夢、不老不死のベニクラゲがいます。若返りを繰り返す驚くべき存在です。この水族館にも「クラゲサイエンス」という別のところにいるようなのですが、まぬけなことに、そちらは余り詳しく見ず、後でその存在を知る始末。 (>_<)  しっかり 「予習」してから出かけるべきでした。

 

 

その不老不死も、永遠に夢を見ているようなクラゲには、いかにも似つかわしいのではないでしょうか・・・

 

 

 

 

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初めて担架の上から見たのは、青空でした。

 

私は、来期の町内会班長として、防災訓練に出るよう要請されました。地域への恩返しの気持ちもあって、班長はまじめに務めるつもりでした。そこで、それまで町内会の行事と関わりはなかったのですが、進んで参加することにしました。

 

会場は、地区センターという公共の施設の一角にある運動場で、数百人が集まり、町内会ごとに整列しました。顔見知りは誰もいません。その日は暑くて、日差しも強く、自然と汗が流れました。

 

訓練前に、運営側や来賓の挨拶が始まりました。しばらくすると、急に胸の中が絞られるようになり、かすかな吐き気がわいてきました。一度も経験したことのない事態です。おさまるかと思ったのですが、逆にひどくなっていき、「こりゃ、もうだめだ」と判断して、隣に立っていたお年寄りの男性に声をかけました。この人はそれまで新参者の私に色々と話しかけてくれていたのです。

 

騒ぎになってしまいました。すぐにテントの中に連れて行かれ、椅子が用意されました。男女数人に囲まれ、水を飲むようにペットボトルが渡され、冷たい布か何かが首の後ろにあてがわれました。いつの間にか椅子が何脚か並べられ、寝かされることに。自分で額にもペットボトルのようなものを押しあてました。なぜ気分が悪くなってしまったのかは最後までよく分かりませんでした。

 

消防署の人が容態を聞きに来ました。熱中症ではないようでしたが、「救急車」という単語が出たときはさすがに慌てました。

 

「吐いてしまえば楽になるんですが・・・」と余計なことを口走ったため、すぐさまビニール袋が口元に持ってこられましたが、吐き気はそこまでひどくはなっていませんでした。

 

冷房の効いている地区センターの建物に移そうという話が出て、「担架で運ぼう」という声が上がりました。私はびっくりしました。「そんな・・・。かっこ悪い」。実際、歩いて行けたと思います。

 

しかし、すでに2本の長い金属の棒に毛布を巻いたような担架が手際よく準備されていました。ここでごねたら、せっかくの厚意を無にすることになって、かえって迷惑だと思い、お世話になることに・・・。

 

何人で運んでくれたのか正確には分かりませんが、背が高いのではみ出た頭が揺れないようにずっと支えてくれた人がいました。小学生くらいの男の子の「だいじょうぶ?」という甲高い声がずっとついてきます。揺れる青空と強い日射しを眺めながら、「ああ、とうとうこんな日が来てしまったんだなあ」などと思っていました。

 

地区センターの建物に入ると、3人がけのソファーが二つ合わされて、そこに担架が横たえられました。そのとき長い棒が抜かれたようです。

 

男の子も含めて皆さんは会場に戻りましたが、一人だけ、気分が悪くなったとき隣に立っていた男性がずっと付き添って穏やかに話しかけてくれました。2、30分くらい経った頃、体を起こしてみますと、幸い吐き気は治まっています。そのあと男性の郷里のことなどを話題にして時を過ごしました。ちょうど私がある程度知っていた県でしたので、話は途切れませんでした。

 

しばらくすると、訓練は終わったらしく、町内会の防災担当の女性が参加者に振る舞われた豚汁を持ってきてくれましたので、恐縮してちょうだいすることに。その後、町内会の副会長さんたちも様子を見に来てくれました。何度もお礼とお詫びを言って頭を下げてから、帰宅。翌日には防災担当の女性が、私の体調を気遣って電話をくれました。

 

こうして訓練には全く参加出来ませんでしたが、人情には大いに触れることが出来ました。これはますます、恩返ししなければ、という思いがわいてきています。

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来年度町内会で班長をすることになりました。人に接してボランティア活動をするのは、久しぶりです。

 

それをきっかけに遠い高校時代のボランティアを思い出し、当時と今の気持ちを書き留めておきたくなりました。記憶がとても曖昧で、不正確なところや推測したところが多く、おまけに長いですけれど、よかったらおつきあいください。

 

ある日新聞で見かけた地元の福祉施設A園のことがちょっと気になり、学校にお願いして、駅前で街頭募金をやりました。別にA園と関わりがあったわけではなく、ほとんど思いつきと言ってもいいくらいでした。「何かしてあげたい」といった気持ちも多少働いたでしょうが。

 

学校はボランティア活動に熱心で、私も障害者施設の慰問などに参加したことがありました。ですが、一生徒がいきなり、学校とは何のゆかりもない施設のための街頭募金などを申し出てきて、面食らったかもしれません。

 

今思い出すと、学校の全面的な協力があったからこそ、実現した企画でした。「せっかくの生徒の自発的な行動だから、助けてやろう」ということで骨折ってくれたのでしょう。他にも色々と仕事があったでしょうに。でも当時そんなことには、全く思いが及びませんでした。

 

街頭募金を公共の場で好き勝手にやれるはずはなく、許可は学校がとってくれ、場所や日時も決めてくれたのではないかと思います。私自身が交渉した覚えが全くありませんので。

 

何度か先生たちと打ち合わせを重ねました。ごく簡単に思えた街頭募金の準備が実はずいぶんと大変で、大ごとになっているのを知っていくうちに、さすがに脳天気だった私も、自分はとんでもないことを提案してしまったんではないかと、怖くなってきました。

 

他の生徒に内緒でやったことではありません。学校は募金のことを公表し、校長先生が朝礼で募金のことに触れてくれたと思います。私も日取りが決まってから全校生徒の前でしゃべったことは覚えています。

 

さて当日私は街頭に立ちましたが、一番肝腎のその日の記憶がほとんどありません。かろうじて場所は思い出せますが、どの時間帯で何時間ぐらいやったのか、私一人だったのか、協力者がいたのか、いくら集まったのかさえもろくに覚えていません。のぼりやパネルの用意もなく、たぶん「A園のために、募金、お願いします」などと呼びかけたのだと思います。初めての経験で、私のことですから、さぞかし緊張したでしょう。

 

はっきり覚えていることが一つだけあります。近くにキリスト教系の女学校があったのですが、そこの白人の修道女さん二人が通りかかって笑顔で励ましてくれたのです。

 

さて、募金が何とか済み、集まったお金を持って、社会福祉のための寄付を預かる善意銀行という所へ一人で行きました。ここも学校が紹介してくれたはずです。

 

善意銀行の男性が「Bさん(A園の責任者)、喜ぶよ」と言ってくれました。やがてそのBさんから自宅にお礼状が届きました。今後も協力してほしいという意味の言葉を覚えています。

 

でも、それっきりになってしまいました。

 

その理由は、やはり怖くなってしまったことではないかと思います。後先考えずに提案したことが、多くの人を動かし、学校中に知れ渡り、学外の世界とも一人で接触する・・・そういったことに対する責任感や緊張感といったものが私には重すぎたのだと思います。注目されてますます張り切るといった性格ではありませんでした。その後も様々なボランティア活動には参加しましたが、自分が一から始めることは二度とありませんでした。

 

学んだこともありました。一旦人を巻き込んで始めたことは最後までやり遂げる責任が生じること、それが大変であること、だから安易にものごとを始めるものではないことなどが胸に刻まれたのではないかと思います。大人になるためのいい経験ではあったのでしょう。

 

これを書いていて初めて気付いたのですが、学校は、A園はうちとは関係ないからと私の提案を断ることも出来たでしょう。失礼ですが、ひょっとしたら負担に感じた先生もいたかもしれません。でも何の不自由も感じさせずに、無事募金を終えるところまでもっていってくれた学校を、遅まきながらありがたく思います。

 

いい学校でした。

 

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