2016年09月02日

河上忠晶高弟 ~「道体大意」(11)~

テーマ:【 河上風 】 関連

 本日も「河上風」です。 河上忠晶高弟が著された「道体大意」が昭和18年の黒住教の機関誌「日新」に載っていましたので、これまで紹介してきましたが今回で一区切りとなります。 但し、原文そのままの転載ではなくて、私なりに河上高弟が述べられている本質はできるだけ変えないように心掛け、表現と言葉づかいを一部読みやすく変えています。 ご了承下さい。  

 

 (十一)  工商の人も、忠孝の二字を第一として、心に留めることは信(まこと)の一字というのは同じ事です。 さて、銘々の天職とするところ、その種類はとても多いものでそれを一々申し上げることはとても言い難いことです。 

 

 高貴の御方をはじめ、四民(士農工商)にいたるまで、衣食住より諸々の調度まで、何一つ工商の手のかかっていないものが無いのだから、それらが一品かけても、とても迷惑してしまいます。 ですから上下とも工商の力に頼りながら今日を過ごすことが出来るのですから、これらに携わる方々は重い天職といえましょう。

 

 物の値段を安くして不自由がなく、人がくつろげるようにと思って、職を勤めていくことです。 すべて高利を貧らぬように心得るのが工商にとって第一の志であります。

 

 布は尺にてはかり、酒や油などは升にてはかり、薬の種類や糸綿などの種類は秤にてかけるので、少しの不足も無ければ、余分も無い。 実に正直な器です。 ですから、俗にいう言葉に秤を正直棒というそうです。 さて、そのかけ方もいろいろあって、例えば芋一貫目かける時、錘(おもり)の緒一貫目の星(目印)の上に間違いなく当たっているのを確認し、棹(さお) は上がり下りが無いよう真っ直ぐにするのが、正直棒の本式です。

 

 もし、錘の緒を、九百七八十目位のところにあつめる時は、正直棒は正直に見えても、二三十目などの足りない分は人の目で無いようにしてしまうので、正直棒の本意ではありません。 また、一匁(もんめ)につき参厘か五厘相場を上げておいて、正直棒の扱いだけ緒の狂いも無く、棹も真っ直ぐにして見せても、相場で騙しているので、これも正直棒の本意ではありません。

 

 しかしながら、正直棒の尻のぴんとはねる様に掛ける売り手は、掛けかた(量り方)よしとして買う人の気受けはよいように思われますが、先に述べたように目が相場にてだましていれば、神様の気受けは必ず悪いもの。 皆の衆、よく心して下さい。

 

 これを芋売りの話と関係ないとばかりに聞き流しては何の役にも立ちません。 器の秤はさて置き、それぞれの胸に所持する正直棒が万事のことにおいて上がり下がりなく、錘の緒も掛ける斥目の星の上に間違いなく当たるようにとの事なのです。

 

 器の正直棒をどれほど行儀よく見せても、心の正直棒にゆがみがあっては、わずか厘千里の違いでも、末は大なる汚れも出来てしまいます。

 

「向ひくる人の心ははかるとも 神の見る目をいかがかくさん」

浮世をわたるには、知恵才覚を用いなければ渡れないか知れないけれど、心の正直棒の上がり下がりを兼用していては、却って身代の痩の基となることがあるものです。

 

 これも工商に限ったことではなく、廣きにわたる訓なのです。  

 

(了)

河上忠晶(11)

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