八日以前、明治四十年(1907)に金沢城宮守((いもり)堀側石垣が崩れた「明治の大崩壊」の原因が人災だったことが明らかになった。
 当時の寺内正毅(てらうちまさたけ)陸相にあてた禀議書(りんぎしょ)によると、同城に駐留していた第九師団が何らかの原因で崩してしまった可能性が高いという。[北国新聞]


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