三河西郡領主(三河吉田藩分家)・竹谷松平氏の屋敷跡から江戸時代初期(17世紀初め)の瓦片が大量に発見された。
 当時は有力な武家や寺院などしか瓦を使わなかったが、竹谷松平家は石高は五千石ながら「交代寄合」という名家であった。[東海日日新聞・中日新聞]


● 交代寄合(こうたいよりあい) ●
 江戸幕府の職名。三千石以上の無役の旗本のうち参勤交代をする寄合(上級直参)。老中支配。石高は微少ながら大名並みの待遇を受けた。最も早い例は三河西郡領主・松平清昌(三河吉田藩主・松平忠清の弟)。(『国史大辞典』吉川弘文館 参照)