湯浅誠さん「年末年始のみの対応には限界、通年の低所得者向け住宅政策と寄り添い型支援が必要」
テーマ:ワーキングプア・貧困問題2月27日、日本大学で行われた貧困研究会の定例研究会に参加しました。報告者は、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんで、テーマは「日本の貧困対策にいま必要なこと」。この間の内閣府参与としての湯浅さんの奮闘は、NNNドキュメントやNHKスペシャルでも描かれ、直近の内閣府参与辞職については湯浅さん自身が、「内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後」 を発表しているところです。(NHKスペシャルでは、ワンストップの会のことを一切取り上げなかった点が不満でしたが)
このすくらむブログの過去エントリーでは、『内閣府参与の湯浅誠さん「ワンストップ・サービス・デイは一歩前進だが壁は厚い」』 、『湯浅誠さん「厚労省の貧困・困窮者支援チームやナショナルミニマム研究会は政権内野党」』 と、年末の貧困対策問題について取り上げてきました。今回、年末対策の総括となった湯浅さんの話の概要を以下紹介します。(by文責ノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty ※前述の2つの過去エントリーと重なる話は削りました)
実効あるワンストップ・サービスや、年末年始の生活や居住場所の確保など、貧困・困窮者支援の強化をめざしましたが、様々な要因があり自治体は消極的でした。
最初に取り組んだ11月30日のワンストップ・サービス・デイは、広報が決定的に足りませんでした。たとえば、東京都は土日を除くと、広報できたのは3日間しかありませんでした。ぎりぎりになるまで発表しようとせず、広報しない。そんな状態で当日を迎えておいて、「ワンストップ・サービスの利用者が少なかったから、やる意味がない」と自治体が言うわけです。ほとんど広報できていないのですから、利用者が少なくて当然の結果なのに、マッチポンプのようなことになっていました。
12月21日の2回目のワンストップ・サービス・デイでは、ある県では県知事が地方議会で、「ハローワークに来る人は求職活動しているのに、そんなところで生活保護の相談をやると、求職意欲がなくなる。だから、やめてくれ」と発言しました。そのため、その県では自治体の職員はハローワークに派遣されなかったということも起こりました。地方分権、地域主権の流れの中で、実施を決めるのはあくまで自治体です。今回の取り組みの中で、一番印象に残ったのは、国が自治体にお願いすることしかできず、国というのは、こんなに力がないところなのかと感じたことでした。
こうして、ワンストップ・サービス・デイの広報、周知に自治体が消極的だったので、利用者数は目標に届きませんでした。ただ、利用者からは第2のセーフティーネットなどの制度を知ることができたと好評でした。
それで、結局いまどういうところに落ち着いているかというと、厚生労働省が2月19日に、「生活福祉・就労支援協議会の設置について」という文書を都道府県と中核市に出しました。これは何かというと、国がやってくれと旗振りをいくらしても自治体は動かないから、ついては各都道府県にある労働局単位で、「生活福祉・就労支援協議会」をつくってくださいというお願いです。ハローワークの人たちや、福祉事務所の人たちなどを含めて、協議会をつくって、ここで協議して、どうやっていくかを決めてくださいというお願いです。ようするに都道府県単位にお願いして、国はもう旗振りしないということを決めたわけです。この協議会はやってもやらなくてもよく、ワンストップ・サービスもやってもやらなくても結構という組み方になっていますので、実際はこれで止まると思います。もともと自治体単位でワンストップ・サービス的な取り組みをやっていたところは除いて、多くのところでは、ワンストップ・サービスはもう行われないと思います。
東京都の「公設派遣村」については、いろいろなことがありましたが、ひとことで言うと、「ハード面は良くなったがソフト面は悪くなった」ということです。日比谷公園の「年越し派遣村」のときは、テント生活でとても寒かったですが、「公設派遣村」は立派な建物でしたからハード面ではとても良くなりました。
ですが、ソフト面では悪くなってしまいました。もちろん「年越し派遣村」のときも現場は毎日大混乱でしたが、それでも、みんなが何とかしようということで集まって、多くのボランティアの人の協力もある中で、もちろん手が回らないこととか、至らない点とか多々ありましたが、なんとなくそのバタバタぶりというか、大変ぶりというか、スムーズにはいかないけれど、みんなが何とかしようとしているということが、やっぱり当事者の人たちにも伝わっていたと思うのです。当事者にも、その場で運営側の大変さが直接見えているということもありましたので、当事者の人たちも運営に協力してくれたり、様々な問題が起こっても当事者の人たちも解決に当たってくれました。それこそ本当の意味での“助け合い”“支え合い”が機能していたのだと思います。
ところが、「公設派遣村」の場合、今の日本社会では行政がやることになると、ひとことで言うと「年越し派遣村」では感じられた“助け合い”“支え合い”というような“あたたか味”のようなものがないように思います。行政が実施するとなると民間は一切排除されるというような悲劇もあって、行政が完全に自分たちだけで実施する。現場で至らない点が出てきても、縦割り行政の壁があったり、杓子定規だったりで物事がなかなか改善されない。それで、当事者の不安が不満に、不満が不信に変わっていくという経緯をたどってしまうような問題もありました。そういうソフト面では、「年越し派遣村」のときよりも悪くなったと思います。
こうした年末年始対策だけでは限界があるので、通年対応に課題があるわけです。たとえば、東京のオリンピックセンターでの「公設派遣村」は12月28日スタートだったわけですが、広報したがらないため、12月21日の段階で申し込みは4件しかありませんでした。ほとんどの人が知らないので、申し込む人もいないという状況でした。私も騒いで1週間前になってやっと広報に力が入り出して、その途端に860人になった。不十分な広報だけで、情報が届いていない人もたくさんいる中で、これだけの人が集まってしまうのはやはり異常な状況が広がっているのだと思います。膨大な人たちが家のない状態で、年末年始を迎えているということ自体が異常なのです。逆に言うと、通年対応に課題にあるのです。通年対応できちんとやっていれば、年末年始にこんなことにはならないのです。
行政の通年対応で、もっとも大切なことは、低所得者向け住宅政策の確立です。通常の生活保護の位置づけに関わるのですが、生活保護というのは、世間一般では仕事と対立するものと考えられています。仕事のできない人が受けるのが生活保護で、仕事のできる人は生活保護を受けないと世間一般に理解されています。ですから、生活保護を受ける人というのは、仕事ができない人だ、あるいは仕事をやる気のない人だと思われてしまっています。
しかし、ここで見落とされている大きな問題が、住居の問題なのです。現実の問題として考えていただきたいのですが、人が仕事につこうと思うと、日雇いの仕事など非常に劣悪な労働条件の仕事を除いて、住居がないとまともな仕事にはつけません。履歴書に書く住所がないとまともな仕事にはつけないのが現実です。それでは住居を失ってしまった人がどういう制度をいま使って、住居に入ることができるでしょうか? これが現実には、生活保護を使って住居に入るしかないケースがほとんどになっているのです。
まず住居に入るためには家賃が必要です。それから敷金・礼金が必要です。保証人も必要です。不動産手数料も必要です。このハードルをどうやって越えるかということです。お金のない人が入れるシェルターは無いわけですから、多くの人は結果的に生活保護を使うしかないのが今の日本社会の現実です。なので、住居に入りたいだけの人に、生活保護しかありませんよと言わざるを得ないのが現場の支援活動の現状なのです。「俺は、住居さえあれば、仕事はいくらでも見つけてみせるんだ」と言う人に対しても、実際どうやって住居に入るの?と言って生活保護を受けてもらうしかないのが現場です。
そこをなんとかしようと、第2のセーフティーネットとして住宅手当ができたのですが、要件が煩雑で審査期間も長くて給付条件も厳しくあまり現実には使えない状況なのです。私は「公設派遣村」で300人ほど聞き取りをしましたが、思ったより住宅手当を希望する人が多かったという印象を持っています。つまり、それは生活保護を受けたくないという裏返しでもあるのですが。聞き取った300人ぐらいのうち、50~60人は「生活保護はイヤだから住宅手当を希望したい」と言っていました。しかし、現実には住宅手当ではどうしよもないため生活保護に切り替えざるを得ず、実際に住宅手当を申請した人は十数人になりました。このように、住居を失った人のセーフティーネットとして、現実には、生活保護しか機能していないという日本社会の構造を世間一般に理解してもらう必要があるのです。生活保護と仕事という対立関係だけで見るのではなくて、住居というファクターを入れることの重要性は強調しておきたいと思います。
それから、当事者の声から政策を生み出していく、失業者向け寄り添い型支援、伴走型支援制度が必要です。生活困窮者のセーフティーネットの諸制度は“温泉旅館の増改築”のような複雑な状況で、“この廊下の先は何があるかよくわからない”ような現実があります。そういう意味では、当事者と諸制度の距離はますます広がっているのが実際です。そうした距離をなくしていくために、求職者に寄り添い、きめ細かなサービスを行う仕事を、きちんと生涯にわたって安定してできる職業として確立し、若者たちの雇用の受け皿にすべきだと思っています。
《以下、質疑応答。「内閣府参与の自己採点は?」「ぶっちゃけやってみてどうだった?」への湯浅さんの答えです》
内閣府参与での取り組みについては、ワンストップ・サービスは結局骨抜きになってしまって、年末対策も先ほど述べたように、ハードは良くなったけれどソフトは悪くなったということで、力及ばずで40点ぐらいだと自分では評価しています。そして、内閣府参与としてのもろもろは、人生最大のストレスでした。これまでの運動というのはストレスはありませんでした。つまり、これまでの運動は、このことをやろうという人たちが集まってきていますから、基本的なところの共有はすでにあるわけです。たとえば、反貧困ネットワークだったら、貧困問題をなんとかしたいという人たちが集まっているわけですから、ストレスはないわけです。ところが、霞が関や地方自治体などはそうではないわけですね。だから、つらかったです。
《最後に私が「公設派遣村、ホームレスバッシングや自己責任論との綱引きの到達は?」と質問。以下、湯浅さんの答えです》
自己責任論との綱引きは、「年越し派遣村」のときよりも巻き返されたというのが実感です。自己責任論の側は、もともと「年越し派遣村」のときから、おもしろくないというのがあって、巻き返しを狙っていただろうとも思いますが、やはり「公設派遣村」をめぐってマスコミなどでバッシングされるなど、自己責任論の巻き返しがあり、当事者が悪役にされたという面も強かったと思います。私は、「派遣村の限界」でもあると言っています。つまり、「年越し派遣村」のときでもそうですし、毎年そうなのですが、ホームレス支援の団体は炊き出しや越年対策を何十年もやってきているわけです。山谷などは30年という単位でずっと取り組み続けているわけです。だけど、マスコミ含めて世間はそこには一切注目しないのです。やはり、「派遣切りされた人たちは可哀想だから何か手当すべきだ」、加えて、「その手当をする人たちも偉い」ということになるわけです。つまり、「派遣切りされた人たちは求職意欲があるので救済すべき人たちである」、一方、「ホームレスは求職意欲がないから救済すべきでない人たちである」という線引きを世間が持っているわけです。その世間の区分をそのまま延長していくと、「年越し派遣村」でも「公設派遣村」でもバッシングされましたが、「なんだホームレスが混じっているじゃないか。とんでもない」という言い方がされるし、そこで何か問題が起こると、「ほら見ろやっぱりこいつらそういう奴らなんだ」という話にされてしまう。ワンストップ・サービスに対して、「ホームレスが来るのならやらないからな」と言った自治体首長がいましたが、そういう人を首長にしてしまっているのが私たちの社会なのです。なので、今回の「公設派遣村バッシング」「ホームレスバッシング」も、私たちの限界、私たちの社会の限界があらわれていると思っています。こうした限界をなくすため、社会的な運動を発展させていく必要があります。







1 ■無題
そういう貧困の方が多い中、公務員の給料が低いものでも年収300万円というのは問題ではないでしょうか?本当に問題だと思っているのなら、全公務員の給料を最低でも5割減らしてそうした方への救済へあてましょうよ!!