自己責任論は正社員も公務員も貧困・過労死へ突き落とす | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 一昨日1万7079、昨日1万3653と、2日連続で1万件を超えるアクセス数を記録しました。貧困問題を改善するために、「自己責任論批判」は、とても大切なことだと思っています。そこで、多くの方が関心を寄せてくださっているこの機会に、過去に紹介した湯浅誠さんの「自己責任論批判」を2つ再掲します。ぜひ一昨日のエントリーとあわせてお読みいただければ幸いです。


 まず、8月9日に掲載したエントリー「自己責任回路・がんばり地獄を脱する反貧困スパイラルへ(湯浅誠氏「貧困も過労死もない社会へ」)」 の中からです。


 こうした社会(※貧困と過労死が深刻化する日本社会)になってしまったのは、「自己責任論」が一番大きかったと思います。昔からホームレスも母子世帯も「自己責任」にされてきましたが、ここ十数年、労働者全体にわたって「自己責任論」が強化されてきました。それは社会保障費削減などによりセーフティーネットの穴が広がって、結果としてその穴に落ちる人が増えていく。穴が広がれば穴に落ちる人が増えるのは当たり前なのに、でも穴が広がったということには目が向かないように、「自己責任論」でごまかされてきた。ちゃんとしていれば貧困にはならない、がんばれば貧困にはならなかった、頼れる家族や友人がいたはずだ、とにかくあなたの注意力や努力が足りない、ぼやっとしていたのがいけないなどという「自己責任論」の話で全部流されてきたわけです。その結果、貧困がどんどん広がっていったのです。


 去年の今ぐらいまでは、テレビの討論番組に出ても、私の向かい側に、「自己責任論」をぶつ人がいて、「ちゃんとやっていれば貧困にはならない」とか、個別の事例が出てきたら、なぜこの人はこんなことをやったんだというふうに聞いてくるわけですね。こちらは、そんなこと言ってもこういう状況なんだということで反論して、そうこうしているうちに番組は終わってしまう。貧困の現実をどう改善していくのかという先の話には行けなかったのです。それが去年の秋以降、派遣切りなどであれだけ大量の労働者が、会社の都合だけで、生活のことは一切考えられず、あとはどうなろうとかまわずに捨てられるんだということが、ようやく一般のメディアにのるようになって、貧困問題を解決するにはどうするんだという話がようやくできるようになったわけです。


 貧困問題をどうしていくかという「問い」に対しても、「自己責任論」というのは、非常に便利な理屈だてです。その「問い」を貧困当事者の自分の中に閉じ込める効果がある。貧困当事者が「自分が悪いんだ」と思ってくれれば、企業や社会からどんなにひどい扱いを受けても、「自分の能力や努力が足らないからこんな扱いを受けるんだ」と自分自身に返ってくるだけで、自分の外=社会には出て来ないのです。結果的に起こるのは、食べていけなくなればなるほど自分を責める、困窮すればするほど「こんなになってしまう自分はなんてダメな奴なんだ」と思う人が増えていく。こうした「自己責任回路」が社会的にできあがっている。この貧困当事者の「自己責任回路」は、日本において様々な運動が低調であることの大きな原因としてあると私は思っています。また、「自己責任回路」は、11年連続で3万人を超える異常な数の自殺が起こり続けている原因だろうとも考えています。


 「もやい」に相談に来る人たちを見ていても、ほぼ例外がなく、貧困状態におちいったのは、みんな自分が悪いと思っています。それは結局、「自己責任論」という尺度を、自分の中に内面化しているからだと思います。


 逆に言うと、「自己責任論」じゃない価値観というのを、今までの人生の中で、学校でも家庭でも職場でもテレビや新聞でもほとんど見聞きしたことがないんだと思うのです。


 食べられなくなった人も、ちょっと前までは食べていかれていたわけです。食べていかれていたときは、自分が食べていけるのは、自分がそれなりに努力しているからだ、まじめにやっている結果だと思っているわけです。そのときに、食べていけない人に対して、あいつら食べていけないのは、あいつらがちゃんとやっていないからだと思っていたわけです。ですから、いざ自分が食えなくなると、会社が悪いとか社会が悪いとか、そう思えないわけです。少し前までは、ちゃんとやってれば食べていけるはずだと自分も思っていたわけですから。結局、自分が食えなくなっているのは、自分の努力が足りなかったからだという考えが出発点にならざるをえない。相談に来て初めて私たちの考えや仲間の考えと接することで、「自己責任論」じゃない考え方もあるんだということを知るわけです。


 そうすると、現実には社会に問題がたくさんあるのだけれど、貧困当事者が「自己責任論」に縛られているので、声をあげられない。社会的に貧困問題が可視化されないということになっていくわけです。


 【★ぜひ全文もお読みください→「自己責任回路・がんばり地獄を脱する反貧困スパイラルへ(湯浅誠氏「貧困も過労死もない社会へ」)


 2つ目は、昨年の11月24日に掲載した「貧困か?過労死か?「ノーと言えない労働者」つくる自己責任論が全労働者を貧困スパイラルに陥れる」 から、自己責任論批判の部分を以下再掲します。


 労働市場から排除された人は、それで終わるわけではない。どんな劣悪な労働でもやるという、「ノーと言えない労働者」になって労働市場に戻ってくる。こうして労働市場は「ノーと言えない労働者」であふれてくる。そうすると、雇う側は、日給5千円で働く人間がいるのに、なんで日給1万円の人間を雇わなくちゃいけないんだ、バカらしいという話になる。労働市場は急激に崩れていく。


 貧困は、労働市場が壊れて、社会保障がない“すべり台社会”の日本において広がっていく。しかし、貧困はそこで終わらないで、労働市場で排除された人たちが、ブーメランのように労働市場に「ノーと言えない労働者」として戻ってきて、さらに労働市場を壊す役割を担わされる。つまり貧困は、労働市場が壊れてきた結果であると同時に、労働市場を壊す原因でもある。これを私は「貧困化スパイラル」と呼んでいる。


 フリーターや野宿者をほおっておいたら、労働市場にワーキングプアになってもどってきた。ワーキングプアがこれだけいるのだから、みんなきつくなってもしょうがないよねという話になって、みんなの労働条件がどんどん切り下げられる。そういう事態に現になっている。


 さらに日本が深刻なのは、労働市場の外で暮らしていける社会保障が制度的にないだけでなく、イデオロギー的にもないことだ。フランスの若者が「自分たちの労働力は安売りしない」「劣化した雇用では働かない」と主張し雇用制度の改悪を押し返したが、日本の若者が同じことを言ったらどうなるか。日本中から、袋だたきにあう状況だ。「ふざけんじゃねぇ働け」「甘えるんじゃねぇ」と、たたく人は、若者の甘えた根性をたたきおなしてやってるんだ、自分はいいことやってるんだみたいな気分になっている。しかし、結果的には「ノーと言えない労働者」を増やしていることにつながり、じつは自分自身の足元を掘り崩していることになる。


 人間には2種類ある。そこそこまじめで、そこそこいい加減なところもあって生きていけてる人と、生きていけない人の2種類だ。日本社会で、生きていけない側になると、途端に「あなたが生きていけないのはこのせいなんだ」と言われてしまう。「あなたのここが悪いから生きていけなくてもしょうがない」と言われる。これが「自己責任論」だ。


 椅子取りゲームに例えると、8脚の椅子に対して、10人では必ず2人は座れないわけだが、このときに何に注目するかがポイントになる。座れなかった2人の問題にだけ注目すると、いくらでも問題は指摘できる。座れた8人と2人はそんなに違わない場合でも、2人に注目すれば、座れなかったという結果があるから、結果から見れば何か問題を指摘できることになる。例えば、2人は、ちゃんと音楽を聴いていなかったとか、日々の鍛錬が足りなかったとか、太り過ぎてたとか、いくらでも問題を指摘でき、それは一つひとつあたっていたりする。完璧な人間はいないからだ。しかし、椅子の数の方に注目すれば必ず2人は座れないわけで、2人の問題ではなく、椅子の数の問題になる。貧困の問題はつねにこの2つの見方の綱引きだ。貧困を社会の問題とするか、自己責任の問題とするか。これまでの日本は、自己責任論の方が強かったが、この間、ようやく社会の問題の方へ、引っ張り込めてきた。もっと綱を引っ張らなければいけない。


 貧困の問題に取り組むのは、「可哀想な誰かを助けてあげよう」というレベルの話ではない。これまで見てきたように、貧困の問題は、労働市場全体にかかわる問題であり、すべての働く仲間の状況につながる問題だ。あらゆる職場の状況が、弱い人が切り捨てられやすくなってきている中で、どうやって全体でささえられるか。それぞれの職場の状況を改善するということと、貧困問題を改善していくということは、同じコインの裏表の関係にある。大事なのは、この問題意識を持った上で、いろんな問題に取り組めるかどうかだ。貧困問題は、すべての働く人の利益に直結する問題だ。すべての働く人が、自分の雇用・労働条件と、家族や仲間の雇用・労働条件を改善するために、貧困問題の改善に取り組む必要がある。


 【★ぜひ全文もお読みください→「貧困か?過労死か?「ノーと言えない労働者」つくる自己責任論が全労働者を貧困スパイラルに陥れる」


【★それでもなお「派遣村バッシング」にとりつかれている方は、ぜひこのエントリーをお読みください→「公務員バッシング、正社員バッシング、派遣村バッシングがもたらす底なしの貧困スパイラル」


(byノックオン)