大神山神社の秘伝【7】
テーマ:大神山神社の秘伝この動きに、相見家は肝を冷やしたはずです。
ところが恐らくこの頃、出雲大社の御祭神がスサノヲ命から大国主命に代わっているのです。
またスサノヲ命降臨地の名称が、鳥上の峰から船通山に代わったのも同時期のようです。
つまり、天皇一族による大国主命に対する扱いに、変化が生じているのです。
相見家が、この変化を察知していたかどうかは分かりません。
たとえ察知していても、生半可なことで警戒を緩めることはなかったと考えられます。
明治・大正・戦前と、天皇は「神」であり、「神国日本」の民はその臣であるとの教育がなされてきました。
その教育の中で、大国主命は天皇家の祖たる高天原一族の忠実な臣であり、排除される存在などではありません。
戦後、天皇は人間宣言をし、「神」ではなくなりました。
もはや血脈狩りなど考えられません。
それでもなお、相見家は警戒を解かず、現宮司まで一子相伝の秘密を維持していたのです。
しかし、従来の古事記解釈とは全く異なった発想による私の「古事記外伝―イズモ・クロニクル―」出版を見て、2000年に及ぶ警戒を解いたのです。
現在の我々から見れば「何でそんなに警戒するの?」といった類のことですが、当事者にとっては生死を賭けた一大事だったのです。
恐らく、祖に近い子孫は、「全ての男子が見付け出されては殺される現場」を見ているのだと思います。
では、なぜそのようなことが行われたのか?
これは私の推測ですが、「国譲り」は、古事記に記されているような「話し合い」と「代表者の戦い」程度で実現したのではなかったのでしょう。
見せしめの虐殺・出雲部族内の裏切り・あちこちでの戦闘・反対勢力の徹底抹殺などがあったと考えられます。
最も恐れたのが出雲再興でしょう。
ですからその中心となる家系は、抹消しなければならなかったのでしょう。
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