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2013-02-16 13:45:14

【お知らせ】新しいホームページを開設しました!

テーマ:お知らせ

こんにちは、古事記おじさんです。

この度、新しいホームページを開設しましたのでお知らせいたします。

【古事記おじさんの 日本のはじまり探し】
古事記おじさんの 日本のはじまり探し-www.kojinazo.net

↓↓おじさんより、ご挨拶です!↓↓



新しいホームページでは、今までのブログの記事をまとめて、より分かりやすく充実した内容にしたいと考えています。

また、それに伴い今後は、新しいホームページでブログを更新していきます。

このブログの更新は今回が最後となりますが、古事記おじさんの今までの歩みとして、このまま残しておきたいと思います。

引き続き【アメーバなう】にて新しいホームページの更新情報等をお知らせしていきますので、フォローをしていただけたら幸いです。

今後とも、古事記おじさんをよろしくお願いいたします。
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2013-02-15 14:55:57

「古事記」は『独立宣言』だった!?【5】

テーマ:古事記入門マニュアル

話を元に戻しましょう。

大国『唐』から見れば取るに足らない僻地でも、そこに住む弱小途上国間では民族の存亡をかけた策略と争いが展開されていました。

660年の『百済』滅亡後、日本は『百済』の残党から求められ、「日本・百済残党連合軍」対「新羅・唐連合軍」の戦いをすることになりました。

これが白村江の戦い(663年・天智2年)ですが、稚拙な戦略により大敗します。
当時も今も、敗戦国は領土を取られるのが当然ですが、日の出の勢いの『唐』は「極東の僻地の海を越えた島」などどうでもよかったのでしょう、要求しませんでした。

この敗戦により、600年代中頃の日本に「国防・外交と、それを可能にする政治体制」が必要だとの意識が生じたはずです。
つまり『唐』や『新羅』から『国』として認められたいとの意識です。

今の社会で、誰かが「ここは俺の国だ」と言っても『国』としては認められません。
国際社会から『独立国』として認められる必要があるのですが、以下の条件があります。

1:『国土』があること
2:『国民』がいること
3:国内の法律つまり『国内法』があること
4:外国が認めた法律つまり『国際法』があること
5:自国を守る『軍隊』があること

600年代の『独立国』の条件は、現代よりはずっと単純だったと思います。
周辺諸国からの攻撃を跳ね返す力を持てばよかっただけでしょう。
とは言っても大陸部は地続きですから、どこかに線引きをして国境を作り、常に他国の侵入や攻撃を防げる状態にしておかなければなりません。

これを維持し続けることができる地域が『独立国』で、その地域のトップが他地域のトップから皇帝・王・天皇として認められるのです。

つづく・・・


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2013-02-05 18:26:25

「古事記」は『独立宣言』だった!?【4】

テーマ:「古事記」は『独立宣言』だった!?

前回「500年代後半から600年代前半の海外環境を見る必要がある」と述べました。

その時期を中国に当てはめれば、589年に中国を統一した 『隋』と、618年に取って代わった『唐』の時代です。ですから『随』『唐』が、周辺に影響を及ぼしていたのです。

最も影響を受けていたのが、陸続きの朝鮮半島です。

ではその頃の朝鮮半島はどのような状態だったのでしょう?

朝鮮半島は、中国と国境を接する北部に
『高句麗』(紀元前37~紀元668)、
半島の南東部に『新羅』(紀元前57?~935)、
南西部に『百済』(紀元前18?~660)
が位置する三国の時代でした。

それぞれの存続年をご覧になればお分かりのように、『高句麗』『百済』は600年代の似たような時期に滅亡しています。他方『新羅』は935年まで存続しています。

『高句麗』『百済』は唐に滅ぼされたのです。
そのとき『新羅』は、唐と同盟を結んで唐軍とともに戦いました。

その結果、『高句麗』『百済』は崩壊し、両国の領土は『唐』の支配下となりました。ところが後に、『新羅』が『唐』を追い出して朝鮮半島をほぼ統一し、935年まで存続したのです。

ちょっと脇道にそれます。
実は『新羅』と中国の『秦』に関する面白い説があります。

「新羅の前身である辰韓は秦韓とも呼ばれ、中国の秦の人が建てた国だから、新羅は中国民族が建てた国」というもので、主に中国の古文書の記述によるものです。

朝鮮半島は、『唐』から見れば極東の僻地にある途上地域で、さして魅力はなく「適当にあしらっておけばいい程度の地域」だったと思われます。

ところが今は状況が違います。
いつか米・中の軍事バランスに変化が生じた時、中国は

1:『新羅』=中国民族の国
2:『新羅』=『韓国』
3:『韓国』=中国の領土

との論法で、南北朝鮮を併合する動きに出るかもしれません。

・・・つづく


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2013-01-25 18:10:23

「古事記」は『独立宣言』だった!?【3】

テーマ:「古事記」は『独立宣言』だった!?

では、古事記が編纂された頃の国際環境を考えてみましょう。

その時期ですが、古事記の『序』に歴史編纂を発案したのは天武天皇であると記されており、天武天皇の即位期間673年~686年、つまり600年代後半ということになります。

行動を起こそうと言い出したのがその頃ですが、行動を起こさなければならない環境はそれ以前に生じ、徐々に深刻になっていたと思われます。
ですから500年代後半から600年代前半の海外環境を見る必要があります。

海外環境といっても、当時この国に影響を及ぼしていたのは主に朝鮮半島と中国大陸なのですが、余談として大陸の遙か西では570年にマホメットが生まれ、610年頃にイスラム教が成立しています。
今もなお続くキリスト教とイスラム教の対立の芽がこの頃生じていたのです。

話を元に戻しましょう。

まずその頃の中国大陸は、いったいどのような状況だったのでしょうか?
『秦』からの流れをざっと述べます。

紀元前256~206年の、50年間の『秦』による統一支配のあと、紀元220年までの426年間は『前漢・後漢』の時代となります。

その後200年代後半まで『魏』『呉』『蜀』の三国に分裂するのですがそれでは収まらず、589年に『隋』により統一されるまでの約300年間は小国乱立の紛争状態でした。

『漢』の統率力が失われ始めたのは220年よりずっと前のはずですから、中国大陸各地での戦乱状態は400年近い期間だったと考えられます。
ですから『随』の統一は、中国大陸での歴史的偉業だったのです。

『隋』が統一に費やしたエネルギーは膨大なものだったのでしょう、わずか29年後の618年には『唐』に取って代わられ、628年には『唐』の国内統一が終了し
ます。

『唐』時代も、統一までの10年はぎくしゃくしたと思われます。
しかし基本的には『随』が苦労して作ったものをそっくり頂いたのですから、907年までの289年間君臨しました。

・・・つづく

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2013-01-15 18:55:43

「古事記」は『独立宣言』だった!?【2】

テーマ:「古事記」は『独立宣言』だった!?
日本の古代を考えるときに「古事記」「日本書紀」と並んで出てくるのが「魏志倭人伝」です。

これは「魏志倭人伝」という書物があるのではなく、「魏書」の中の「倭人」について書かれた部分のことです。

そこに「倭人」の風俗や住む所への行程が書かれているのですが、それらに関しては全て聞き書きです。

しかし239年に、倭国の女王卑弥呼に魏の明帝から「親魏倭王」の金印が与えられたこと、更に247年に狗奴国との戦に際し詔書を出したなどの記述は、魏国の史実でしょう。実際に魏の国内で経験したことは史実と受け止められますが、聞き書き部分は????です。

ところがこれまでの日本の古代史研究の世界では、この「魏書」の記述を「全て史実を記すもの」と受け止めています。それだけではなく、「倭国」を日本列島にある国と確信しているようです。

ですから、「倭国=日本」だから「邪馬台国は日本にあった」を前提とした古代史となっています。

とはいっても「邪馬台国」の場所が不明で、北九州説と畿内説で争ってきました。
双方とも古墳や住居跡、さらには古くからの地名などを根拠として、外野からみれば我田引水とも思える主張を展開しています。
ただ、どちらも決め手がなく、決着はついていません。

そのような中に何年か前から、斬新な解釈方法で山陰(=古代出雲)説までも現れています。
主張者が、知的遊びではなく学説と表明したため、学界から公開質問が出されました。
ですが彼が解答しなかったことにより、学界では無視することにしたそうです。

21世紀になっても論争の続く「邪馬台国・卑弥呼」ですが、「古事記」にはそれに関する記述は全くありません。(日本書紀にもありません)
12年秋に、「書かれていないのは藤原不比等の陰謀」との主張が現れました。
この主張も、「魏書の内容は史実である」ことが前提となっています。

従来からの学界も最近の新説も、日本から遠く離れた地で書かれた「魏書」の内容を史実とし、日本で書かれた書物の内容を「陰謀」「偽書」と実に軽く扱っています。

私は、自国の書物を否定して、どこまで信用して良いのか分からない古代中国の書物を肯定する姿勢に疑問を感じます。その最大の理由は、古代中国内陸部に存在した国が、遙か東の海中にある小国(彼らからみれば)の正確な情報を必要としていたのかと考えるからです。

…つづく


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