TOKYO WOODができるまで

こんにちは小嶋です。


今日は、午前中時間ができたので、最近よく質問を頂く『TOKYO WOOD』についてお話ししたいと思います。


何故『TOKYO WOOD普及協会』を立ち上げたのですか?


きっかけは、国土交通省が平成22年度に行った『長期優良住宅先導事業』という国が行ったコンペでした。


正直、あまり馴染みのない名称で、価値の割には認知されていない事業ですが、建築屋にとって『オリンピックの金メダル』に等しい獲りたくてしょうがない勲章です。


ことの発端は、福田元首相が座長を勤めていた自由民主党政務調査会・住宅土地調査会がまとめた、『200年住宅ビジョン』(19.5)でした。その後福田さんが首相になり、『200年住宅ビジョン』を政策に含めたところから本格的に色々な政策作りがはじまりました。

ただ、最近は『200年住宅』という言葉をあまり使わなくなってしまいましたが、その時、色々な政策の中で出てきたのが『超長期住宅先導的モデル事業』でした。


長寿命な家をどのようにして作るか、民間からアイディアを募り、採択された住宅には補助金として200万円/棟を支給するという、いわば国が主催した住宅コンペでした。そして、平成20年に2回公募され、5年間の継続事業として始まりました。


平成21年からは『長期優良住宅先導事業』と名称を変え募集をしましたが、5年継続はされず2年で公募は終了致しました。理由として、2年の公募でほぼ先導的提案が出尽くした事が上げられている事と、応募できる建築会社と出来ない建築会社の力量に余りにも差があり、高性能な住宅普及拡大には至らないと判断された事が原因でした。


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弊社も、第一回、第二回と落選し、第三回目にしてやっとの思いで受賞する事ができたくらい難関中の難関のコンペでした。コンペの趣旨は、如何に住宅の寿命を延ばし、価値ある住宅を建築する事ができるか、民間からアイディアを出せというものでした。


正直、7万社あるといわれている建築会社の中で、このコンペに参加できる力量を持った会社は数百社しかいませんし、実際に受賞した会社は一握りしかいませんでした。


社内から選抜されたメンバー(松野部長・高井部長・中野室長・山口室長・矢内課長代理・前田係長・塩田主任)によって日夜打ち合わせを重ね、要約提案書をまとめ上げ採択されました。


その提案書の一文に、地元の木(多摩産材)を構造材に使用し、構造材を測定し強度の根拠を示すと記載した事から、秋川木材共同組合と本格的な取引が開始されました。


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長期優良住宅先導事業を受賞したの後、『多摩ブルーグリーン賞』経営部門4年連続受賞(優秀賞受賞時、あきるの市長からお祝いの電報を頂きました。)し、その後の国策のコンペは全て採択されています



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(当時の多摩信用金庫北府中支店、田嶋支店長に優秀賞の表彰状と賞金50万円を頂きました。)



その後、国が考えた事は、先導事業に採択された建築会社をトップランランナー工務店として、先導事業に応募できないレベルの工務店を指導できる団体を作り、同時に国産材を普及拡大させるという事業でした。それが、『地域型住宅ブランド化事業』でした。


この、『地域型住宅ブランド化事業』は、弊社単独では申し込みできない為、東京の木を普及させると銘打った団体、『東京の木家造り協議会』に加盟していたこともあり、この団体と共に事業提案をしようと考えたのですが…



中々上手くいきませんね、あろう事か否決されてしまいました。

今でも鮮明に覚えていますが、事の経緯を説明すると…


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(この時の憤りをFM東京に出演時に沖倉理事長が語っています。)



平成22年の冬に地域型住宅ブランド化事業を開始するとの知らせを受け、弊社単独ではなく地域団体でしか応募できないと聞き、地域団体で採択を目指す為に、弊社が加盟していた『東京の木家造り協議会』に、同年12月地域型住宅ブランド化事業への参加を提案させて頂きました。



翌年の2月に、参加の是非を会員約60社に通達し投票が行われたのですが、投票参加27票(実際に投票現場に来たのは、20社だけ)賛成15反対16(内4票は東京都、賛成2反対2)で、『国土交通省 地域型住宅ブランド化事業』への参加は否決されてしまいました…



国の国産材普及拡大事業に、東京都が事務局をしている『東京の木家造り協議会』が反対する異例の事態となりました。

(しかも、賛成表を投じるはずの方が遅刻して否決でした(笑)もし、仮に間に合っていれば、最後は理事長判断となり賛成表が上回ったと思います。でも、反対派と同じ道を進むのは困難を極めたと思いますので、結果として残念ではありましたが、今では良かったと思っています。)



この時、家造り協議会のH理事長は、『心から残念だ、国の事業参加を拒むような団体は存在意義が無い、今も大した活動をしていないのだから解散すべき、私はこの役を降りる』と閉会の挨拶で語り、有名無実化されたこの団体の理事長を辞任することになりました。H理事長は、何度も何度も私が説明にお邪魔した時、心から多摩産材のブランド化について話し合った方なので、今でも感謝させて頂いています。



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そして、反対派のI氏は、東京の木(多摩産材)普及する事は、その場限りの建築屋が原木の価格破壊を招き東京の林業全体の崩壊を招くと語りました。


正直、補助金や助成金に頼る事業は何時まで経っても自立できないと、当時は思いましたが、今思えばIさんの気持ちも理解できるので、もう少し説明する努力をしていればと反省しています。


この日の夜、賛成派のメンバーが、否決された悔しさと、怒りに震えたメンバー(一番恐かったのは、中嶋社長(笑))ならば熱い思いを持っている俺達だけでやろうと、立川のファミリーレストランに集まり、新たな団体を作る事になりました。(この時集まったのは、沖倉喜彦・中嶋博幸・三上克俊・和久先生・品川社長・三橋社長・小嶋智明・高井 毅でした。)


しかも偶然に同じレストランに反対された方々が集まっていて喜びの声が聞こえてきてしまい(笑)


敗北した男達は結構強いですね、皆の意思を確認し前進する気持ちがあると判断したので、後は私達が道を作るだけでした。名称は、多摩産材普及拡大から更に前進した日本一のブランドとする為に、沖倉さんと、中嶋さんが先駆けて結成していた『TOKYO WOOD』としました。


そして確固たる団体とする為、一般社団法人への手続きを弊社で行い、ホームページを作成 致しました。(初めて社団法人を作ったので大変でした、ホームページで調べながら会社に寝泊りした事を鮮明に覚えています。)


そして、平成  2012年4月(平成24年)一般社団法人TOKYO WOOD普及協会と改め、プレスリリースを行い本格的に活動を開始しました。


◇役員
□理事長 沖倉喜彦 ㈲沖倉製材所 代表取締役
□専務理事 小嶋智明 ㈱小嶋工務店 代表取締役
□事務局長 池田 栄 ㈱小嶋工務店リフォーム事業部 専務取締役
□監査 多摩信用金庫
□理事 中嶋博幸 ㈲中嶋材木店 代表取締役
□理事 高井 毅 ㈱小嶋産業

□相談役 三上克俊
事務局: 株式会社小嶋工務店

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(長年の思いを語る、沖倉理事長、相談役の三上先生)



同年、『国土交通省 地域型住宅ブランド化事業』に目出度く採択され、『国土交通省 長期優良住宅先導事業』に続き多摩産材普及拡大の為の一歩を記し、『東京都主幹 多摩産材普及拡大事業』にも弊社の提案が選定され、東京都と共にモデルハウスを立川にモデルハウスをオープン致しました。


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(東京都 多摩産材普及拡大事業選定モデルハウス)


2013年(平成25年) 国土交通省 地域型住宅ブランド化事業 2年連続で採択

2014年(平成26年) 国土交通省 地域型住宅ブランド化事業 3年連続で採択

2015年(平成27年) 国土交通省 地域型住宅グリーン化事業 4年連続で採択

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最終的に、『地域型住宅ブランド化事業』は、建材屋やコンサル会社の儲けの対象にしかならず、ゆるゆるの『長期優良住宅先導事業』とは雲泥の差のある何処の建築会社にでもできる事業となってしまった事が残念でした。その後『地域型住宅グリーン化』事業と名称を変更しても、事業に対する厳しさ、レベルは低いものでした。


ならば、自分たちで高みを目指すっと次への挑戦に乗り出しました。


多摩産材から『TOKYO WOOD』への挑戦!



地元の木を使い家を建てる、この第一歩を記し、弊社で建築する建物は全て、『品質の根拠』を記された木材しか使わないと宣言しました。品質の根拠といえば、耐震等級や省エネ等級といった、長期優良住宅の性能表示が一般的ですが、弊社の場合、長期優良住宅はもちろんの事、使用する構造材の一本一本の性能を測定(グレーディング)し、弊社の定めた基準を下回る構造材は使わないという厳しい基準を設けました。



さむい 小嶋工務店


では、この測定(グレーディング)は何を意味しているのか…


住宅業界に携わる方に聞いても中々答えてくれず、最後は、『耐震等級が優れていれば一戸建てぐらいには意味無いよ』と言う方が大半でした、そこで、皆様には弊社が何を測定して、何故測定するのかお伝えしようと思います。


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TOKYO WOOD普及協会が測定(グレーディング)しているのは、ヤング係数(E)と含水率(SD)の2種類です。まずは、ヤング係数(E)についてですが、この8年、500棟近くの建物に使用する構造材を測定してきましたが、樹種や産地によって構造材の強度はバラツキがあるという事をまず理解してください。


私達は、そのバラツキの範囲がどの程度なのか、人工乾燥と天然乾燥とではどれだけ強度さが出るのかを検証致しました。


油分の少ない檜は、檜じゃない、だから防蟻材を塗布しなくてはいけなくなり、強度も弱くなってしまう。木の反りや歪ばかりに目がいき、本来の木材の一番大切なものを失ってしまった。


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人間でも力の強い人もいれば弱い人もいるように、木にも強い弱いがあるのです、よく『紀州の檜だから最高品質』だとか、昔から言われていますが、これはあくまでも確率の話(良い木である確率が高いと言われている)で、確固たる証明は何もないのです。


また、予断ですが、原木の流通はホンとにいい加減な世界で、製材された場所により産地の刻印を押す事ができるのが現状なのです、例えば、長野や岐阜、埼玉の市場で出物が少ないと東京の市場に購入しにきて、○○の木ですと、いい加減な販売をしているのが現状なのです。

(また怒られるかな(汗))


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よく、多摩木材センターの市場に、他県のトラックが止まっていて、安い曲がり木(安い原木)を買っていくのを市場で見ていますので、間違いありません…


話がそれました(笑)、ですから昔のように産地で木材を購入する事にあまり意味はないのです、それよりも自分の家で使用する木材、一本一本の強度、水分量、油分量を知る事こそが本当に大切な事だと思ってください。


まずは、それが何を意味するかを理解しておく必要があります。木材の強度を測定するとき破壊してしまっては使い物にならないので、非破壊で強度を測定しなければなりません。そのために測定機(グレーディングマシーン)にてヤング係数を調べます。ヤング係数とは、木材に力を加えると一定の所までひずみと力が比例関係になります。 このときの関係式が σ = E × ε (σ:力 ε:ひずみ)で、Eは比例定数みたいなものとなります。

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このEと実際に破壊して測定した強度にも関係があります。


したがって、Eさえ推定できれば強度も推定できるのです。木材の場合、強度にはバラツキがあるため、無欠点材による材料強度をそのまま利用できません。


許容応力度は材料強度に安全係数をかけたものです。長期許容応力度は構造部材が破壊しないことで、短期許容応力度は地震や台風などの荷重・外力に対し変形しないための強度です。おおまかにいって、製材の場合、短期許容応力度は実大材の平均的強度の20~25%、長期許容応力度ははさらにその1/2くらいになります。 (参考文献:林野庁HP)


天然乾燥のTOKYO WOODを求めて…


TOKYO WOODを社団法人化した頃、沖倉理事長に天然乾燥で家を造りたいと相談した事がありました、当時は低温乾燥の多摩産材を構造材にして強度測定をし、根拠ある建物としていましたが、更にもう一段私の理想に近づける為にお願いした事がありました。


『社長、それは無理だよ、値段も高くなるし、置き場もないから』



沖倉理事長も天然乾燥を好きだと理解していても挑戦できない現実…



何処に原因があるのか、本音を聞きだすのに更に数年の時が必要でした、お会いする都度に天然乾燥の話をし、何としても実現したいと話したがついに実現できず、そしてあの震災がおきてしまいました。



沖倉理事長に、人間何時死ぬか解らない、生きてる内にベストを作りたいと弊社の私の部屋でお願いすると、沖倉理事長は腕を組み悩み続けていました、沖倉理事長は秋川木材共同組合を背負っている責任者の手前、中々決断できずに私の部屋で時間だけが過ぎていきました。


弊社の高井部長も痺れを切らし、『出来ないなら他でやりますから』と言葉を思わず出してしまうほどでしたが、その言葉を聞いて、中嶋社長の顔が見る見ると赤くなり...


机をバンっと叩き『俺がやる』と…


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(熱い男、中嶋社長)


今だから話せますが、正直、同席していた高井は、中嶋社長の余りの恐さに顔面蒼白で、本気でびびっていました(笑)。


私は、心の中で『よしこれでまた理想に近づいた』とガッツポーズを作りました。


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そして数ヵ月後、待ちに待った『天然乾燥の多摩産材』が完成しました。第一棟目は私の消防団の先輩宅に納品され、先輩から『なんか凄い、いい香りがするぞ』っと喜んで頂き最高の笑顔を頂きました。


その後開催された『TOKYO WOODバスツアー』に参加して頂いたお客様には、必ず香を利いて頂き、性能の根拠と、香を楽しんで頂くようになりました。


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(中嶋材木店での天然乾燥材のストックヤード)


木の強度を測定し根拠を示し、そして五感で良さを感じて頂く…


私の理想の構造材が完成しました!


天然乾燥により油分が残り、強度も増していました。そして天然乾燥の弱点である割れや膨らみを、『一面背割れ』から『四面背割れ』にする事で解消する事も出来ました。背割れについては、弊社の松野建設部長が2年間試験をし、10年20年後も柱の反りや膨らみを押さえるために必ず必要だと、沖倉理事長と何度も打合せを重ね実現させたものでした。


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でも、正直、まだその時は、不満に思う事が二つだけあり…


まだあるんですかと沖倉さんの声が聞こえてきそうですが、他の建築会社やハウスメーカーが絶対に出来ないレベルに行き着くには、もう一つ二つ工夫が必要だと思っていました。


中嶋社長には恐くて言えませんでしたが、機嫌のいい時を見つけながら、少しずつ話そうと密かに思っていました。


そんな時、テレビ東京『ガイアの夜明け』のGデレクターから、取材させて欲しいと電話があり、最初はまた詐欺っぽい電話かと思い、お会いするまで信じていなかったのですが(笑)、翌日、お会いすると、今日から撮影しますので宜しくお願いしますと言われ、床屋も行けずダイエットする時間も無く、画面のみすぼらしい姿となってしまいました。



Gデレクターとの最初の打ち合わせの中でで『現在のTOKYO WOODの不満点はありますか?』と聞かれ、つい、名称が未だに『多摩産材』となっており、『TOKYO WOODになっていない事です!』と言ってしまいました…

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聞き方が上手な事もあるのですが、何年経っても変わらない苛立ちと焦りもあり、ついしゃべってしまった瞬間、Gデレクターの眼がが光輝き、『沖倉さんにその事を話してください、そのシーンを撮影したい』と…


まずいな、また怒らないかなと心配で車を運転して着いたシーンが、『小金井市にある小嶋工務店、小嶋社長46歳です』と車から降りてくるシーンでした、よく見ると、どうやって沖倉さんに話そうか悩んでいる顔だと思います(笑)


沖倉さんや中嶋さんにとって、何十年も慣れ親しんだ『多摩産材』の名称、組合のトップである沖倉理事長にしてみれば、名称変更は組合員の合意も取らなければいけない大変な事、でも、これから日本一のブランドにしていく為には、何としても変えて欲しい…


そんな思いを持ちながらも、意を決して…


『沖倉理事長、多摩産材の名称をTOKYO WOODにしたいと思いますが、如何でしょうか』と、バスツアーや新しいカタログの打合せの合間に尋ねてみました。


すると、『やろう!! 直ぐマシーンの設定変えるから』っと…


あれ…


名前変えるの嫌なんじゃないんですか?



『そんな事ないよ、小嶋社長だけだよ俺達を裏切らないでいてくれたのは、そっちが命賭けてやるなら俺達も答える』っと、



不思議なものです、お互いがそうしたいと思っていてもすれ違う事もある、そんな事がテレビ撮影という中で、どんどん加速して一つになっていく、帰りの車の中、あまりの嬉しさにで少し涙ぐんでしまい、Gデレクターにありがとうございましたとお伝えしました。



テレビ的には、沖倉さんが拒否をし熱い戦いを期待していたみたいですが、あっさり名称変更がきまってしまったので、このシーンは没になってしまいました(笑)


その夜、会社で図面を作っていると、沖倉理事長から『できたよ、写真送ったから見てよ』っと、メッセージが届きました。



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早速、明日のS様の材料で印字したいのですが、いいですかっと!

いや、感無量でしたね嬉しくて泣いてしまいました(笑)


その翌日、上棟を控えていたS様に印字変更の許可を頂き、初めて『TOKYO WOOD』の印字が刻印されました。


印字の変更ができましたので、今日は沖倉製材に行きますとGデレクターに伝えると、全て撮影しますと言われ、会社を出る所から、沖倉製材所に向かい打合せしている所の全てを撮影してもらいました。

そのシーンが、沖倉理事長と、固い握手を交わしている姿となり放映されました。


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約8年余り費やしましたが、ようやく私たちが目指している事が少しずつ形になって行きました。


テレビの撮影を重ねていく内に、私の中で一つの罪悪感?思いが湧き上がり、このまま撮影が進んでしまうと、まるで沖倉さんと私が『TOKYO WOOD』をこさえてきたように写るのではという思いが募り、ある業者さんとの撮影の最中、中嶋社長にメッセージを送り、話があるから来て頂けないかと送ってみました。


TOKYO WOOD普及協会を結成する時も、天然乾燥を導入する時も、中嶋社長が居てくれたからこそ勢いが増し皆が自信を持って挑戦できた。中嶋社長を外して撮影が進む事だけは絶対にしたくないと、Gデレクターに相談してみました。すると、登場人物を3人にする事は出来ない、お2人で大丈夫ですと言われてしまい…


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しょうがないかなと割り切ろうと何度も思ったのですが、どうしても中嶋社長を外して進む事が辛くなり、Gデレクターに、今日、中嶋社長とTOKYO WOODのグレーディングで撥ねられた木で階段を造る打ち合わせをしますが、如何でしょうかと伝えると、面白いので撮影しますという事になりました。


何の打ち合わせもせず、何の為に呼ばれたかも知らないで弊社に御越しいただいたので、画面の中で中々決断できない、考え込んだ中嶋社長となっていますが、直ぐに私の気持ちを理解してくれて、『TOKYO WOODの階段』をこさえ始めてくれました。


撥ねられる木が増えれば増えるほど、私達が性能を追求すればする程、製材所は困窮してしまう。自分たちの拘りのせいで、御迷惑をかけてしまう、普通のBtoBの取引なら、買うのだから後はそちらで考えてくださいよと大半の元請会社は言うのでしょうし、生き残りをかけるのならそれが当たり前だと思う世の中ですが、私はそれは少し違うのではといつも思います。


一時しのぎの飛びついた事業ならまだしも、私達の目指しているいい家は『一生快適な家』です、永続的に地元に根付き、何世代もこさえた家を守り続ける団体であるということが大きなテーマとなっているのだから、お互いが永続的に続く努力をしなければいけないと考えています。



ですから、弊社の拘りによってはねられた木材は弊社が全て使い切る努力をしなければ、確固たる信頼関係は築けないと思いました。そこで、沖倉さんと中嶋さんに、撥ねられた木材の仕様について話し合い、現在では、床材、階段材、枠材、建具、胴ぶち等のあらゆる箇所にしようできるようになりました。



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10月1日から始まった『ガイアの夜明け』の撮影も、一ヶ月で18回、朝から晩まで撮影は続き、10月31日に最後の撮影を無事終了致しました。放送前日11月3日の夜中にGデレクターから完成しましたよっとメッセージが入り、どんな内容で放送されるのか、正直その日の記憶は今もありません(笑)


そして、無事放送を終えると…まずいですね、思い出すとまた涙が溢れてきます。まず、沖倉理事長から連絡があり『小嶋社長の思いが実を結んだんだよ、本当にありがとう、これからも一緒にがんばろう』と…そして、中嶋社長から、『ありがとうございました』と…涙があふれて止まらず、正直いい年した男が、電話でボロボロ涙を流していました。次々にお祝い?の電話が入り、その晩は涙が出続け、多分、画面の中よりも痩せたんじゃないかと思いましたね(笑)


翌朝、会社に出社してしばらくすると…


社長お電話ですっと言われ、小嶋ですっと電話に出ると、過去弊社で建築して頂いた御入居者のU様から、30年目にお宅で建築したものですが、誇りに思います、良くぞこの厳しい時代を信念を持って続けてくれたとお褒めの言葉を頂き、その後も一日に22本のお電話を頂きました。そして、お昼ご飯を買いにセブンイレブンに行く途中にも、御近所の奥様から『社長テレビ見たよっがんばってね』と言われ、夕方、いなげやさんに夕飯の買い物に行くと、知らないお父さんから『地元にこんな取組みをしている会社がある事を知らなかった』と握手を求められました。



その後も、同級生からお前は同級生の誇りだと言われ、テレビって凄いんだなと改めて感じてしまいました。でもまだ挑戦は終わりじゃない…


もっと喜んで頂き、地元の会社として常に必要とされる会社になりたいと思います。


つづく…


TOKYO WOODができるまで②~TOKYO WOODはどこへ向かうのか~

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