もうコピライターはいらない?~宣伝会議刊 『ブレーン』2月号の記事に考えたこと~ | What happened is all good

もうコピライターはいらない?~宣伝会議刊 『ブレーン』2月号の記事に考えたこと~

宣伝会議刊の2月号の『ブレーン』の編集者の菅付雅信さんと元広告批評編集長の河尻亨一さんの対論、”もうコピーライターはいらない?~これからのコピーライターのあり方~”を僕は非常に興味深く読んだ。

ブレーン 2011年 02月号 [雑誌] 宣伝会議

$What happened is all good ! ~新しい価値を創造する、ある広告プランナーの呟き~

僕自身もほんの短い間ではあったけれど、コピーを実際に書いていた時期があった...。けれど、僕自身コピーライターとしての力量がさほどでもなかったせいもあり、今ではコピーライターではなくコミュニケーションそのものあり方を考えるプランナーへと転進した。それは身をもって体験したことでもあるのだけれど、もはや広告表現を作ってゆくうえにおいても、広告コミュニケーション全体を構築してゆく上においても、もういわゆるコピーという限られた領域やここで盛んに議論されている”広告のパーツとして言葉の枝葉を整え、アジャストしてゆく”というコピーライターというのは、やはりもうほとんど需要もニーズもなくて、クリエイティブ全体やコミュニケーション全体、もしくはプロモーション全体の中でコピーの役割を考えられるコピーライターというのが必要とされているように思うのである...。

とにかくWebというインタラクティブなコミュニケーションの興隆によって、今やSNSやCGMといったソーシャル・コミュニケーションが、プロモーションにおいてもコミュニケーションにおいても重要な役割を果たしている。マーケティングにおける主権が、生活者に委譲された以上は表現者の表現を一方的に伝えることよりも、いかにその商品やサービスへの愛情を生活者自身に語ってもらうことのほうが重要であることは間違いない...。

そもそも”ソーシャル”の本来的な意味とは”社会的な”という意味である。つまり広告に携わるべき人間はもはや表現の一部や言葉の枝葉のみをうまく繋ぎ合わせる求められることがその使命ではないと僕は思う。

いみじくも、この2月号の『ブレーン』には、ソフトバンクの2012の新卒採用に関するポスターが”UP TO WORKS゛のコーナーで取り上げられていてCDはシンガタの佐々木宏さんなのだが、そのコピーというのは”「結局、人は何がしたいのだろう?」と問い続けよう”と”会社じゃなく日本を変えるぐらいの人になれよ!”だった...。

これはソフトバンクの新卒採用対象者のみに向けられただけのものではなく、広告に携わる人間の゛気概゛として持ち続けてなければならないものではないだろうか?

゛社会人゛はそもそも゛会社人間゛である前に、社会に何らかの価値をもって貢献できる人間である。その価値が会社の収益に対して貢献し報酬を得るわけであって、価値を創出できなければそもそも゛社会人゛とは言えない...。更に、゛ソーシャル゛=”社会的”なコミュニケーションにおける商品やサービスと生活者の人々とのエンゲージメントが求められる中で、マーケティングソリューションにおけるその手法や技術はもとより、社会がどんな風向きにあるのか?ということに興味がもてなければ、クリエイティブメイクやプロモーションプランニングなどにおいて、大切なお客様であるクライアントに対して、的確なソリューションの提供などできる筈がないと思うのである...。

政治や経済および社会というのは直接的に仕事につながるものではないと思われるかもしれない。けれど、政治や経済、社会についてこのブログに記すのは、そもそも゛社会人゛として、また゛社会的なコミュニケーション゛を構築してゆく上において、今のこの日本にどんな風が吹いていて、それをどう感じるかをまとめて整理するにはとても大切なことだと考えているし、ひいてはそのことが十分に仕事に生きてくるものであると、僕の中では強い実感を持っている...。

コピーライターのみならず、アートディレクターであろうが、デザイナーであろうがAEであろうがプランナーであろうが、広告に携わる者およびマーケティングというものに携わる者すべてが、今、吹いている社会における風とは一体何なのか?そこに対する関心を傾けることが出来ないならば、その資質なんて何もないと、そう思うのである...。