小木曽クリニック院長のオフィシャルブログ「キレイの達人」

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今年最後の忘年会は、毎年顧客代表の一人として招待されている税理士法人コスモスグループの忘年会。社員の家族も参加しているので、人数が多くてアットホームな雰囲気です。
今年も歌のリクエストを頂き、昨年色々な出来事のために練習不足で歌えなかったPucciniの歌劇TurandotからNessun Dorma(誰も寝てはならぬ)を熱唱?!。今年は3000~4000回は十分に歌い込んで万全を期したつもりだったのですが、途中でflat(半音下がり)してしまってがっくり!最後のVinceroの盛り上がりも今一で不完全燃焼でした(´_`。)

 

 

 

歌い終わって今一冴えない表情

 

小木曽クリニック賞をゲットした方と記念撮影

 

コスモスグループ総帥の野田賢次郎氏と

 

 

 

 

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同級生が2年前に高校の同窓会会長になった縁で、依頼されて本部役員幹事を仰せつかっています。(地元での幹事会には余り参加出来なくて申し訳ないのですが、、、)
今年度会報の「卒業生インタビュー」記事に誰か推薦して欲しいとのことで、4歳上の元亀田総合病院副院長で千葉徳洲会病院院長の加納宣康先生の推薦文を書いたところ、昨日会報が送られて来ました。加納先生は在野の医師でありながら1994年に米国外科学会からInternational Guest Scholarを、2014年には日本臨床外科学会賞などを受賞されており、今後も健康に注意されて益々のご活躍を祈念します。

 

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    4年間ハードに酷使して来たノートパソコンを買い替えることになり、25年振りにMacBookに変更!!
    25年前大学で研究生活を送っていた頃は、Mac(Macintosh)の全盛時代で、Mac初のノートパソコンの最上級モデルPowerBook170を必死でバイトして65万円!(定価75万円)で購入したものです。ノートといっても厚さ3㎝重量3㎏もあり、CPU 25MHZ、HDはたったの 120MB でしたが、当時はこれで色々な論文を書き上げました。
    その後は長い間Windowsのノートパソコンを数多く使って来ましたが、今回久し振りに最新のMacBook12を購入することに。。理由は何といっても群を抜く薄さと軽さとsleekで斬新なデザイン!そしてBoot Camp(例のBillyではなく)という付属ソフトでWindows 10で使おうという訳です。これからその作業ですが、事務の廣瀬君も中々苦戦していて、しばらくかかりそう。。...


    やっと設定完了、これからBoot Campを使ってWindows 10 proをインストールするのが中々大変そう。
    事務の廣瀬君が今四苦八苦しています。






    4年間使って来たAsusと比べても、薄さの違いが一目瞭然。しかもUSBやSD cardなどのインターフェイスは一切なく、あるのはUSB-Cだけで非常にシンプル。


    因みにこれが、25年前の1991年にMacから発売された初のノートパソコン。当時の最新のデザインとスペックが詰まっていた、懐かしい勇姿!

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先月の母の他界後気分が冴えないので、今夜は気分転換にサロンコンサートに出席。
当院が昨年から移転したビルのオーナー丹羽氏が趣味で知り合いの方を80名ほど招待して開くプライベートコンサートです。8Fが全フロア小コンサート会場になっており置いてあるピアノはお馴染みのSteinway &Sons。
今回はクラリネット奏者Rolf Weber氏 とピアニスト都築一恵氏ご夫妻の演奏で、曲目はモーツァルトの「魔笛」に始まり僕の好きなプッチーニの「トスカ幻想曲」、ヴェルディの「椿姫幻想曲」など”クラシックの夕べ”を存分に満喫しました。
丹羽さんは現在は引退してニュージーランドで暮らしておられ、ザルツブルグ音楽祭や世界中のコンサートを回っておられるそうで悠々自適とは正にこのこと!


招待されたお礼に演奏後にブーケの花束をプレゼントして、オーナーと一緒に記念撮影。




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    本日はご多用の中、亡き母 小木曽矢枝子(本名 小木曽八重子)の告別式に沢山の方々のご参列と心温まるお悔やみを賜り誠に有難うございました。
    また会場には多くのご供花とお供物、多数の弔電を頂き重ねてお礼申し上げます。
    母は大正13年3月生まれで来月92歳直前でした。戦前戦後の激動の時代を生き、花嫁修業を兼ねて服飾デザイナーを夢見て戦前に田舎から単身上京しましたが、戦況の悪化で戻って来て結婚しました。夫を56歳で失った後は色々と苦労が多かったと思いますが、常に努力の人で「世の為人の為に」が口癖でした。若い頃は婦人会活動に専心し、地域の多くの人々からいつも頼りにされ慕われておりました。手芸や縫い物が得意で家族にも色々な物を作ってくれましたが、特にライフワークとなった飾りマッチ箱は総数8000個を数え、多くの人に差しあげたり施設に寄付したりしたことで、昨年10月に中日新聞の東濃版に大きく載せて頂きました。
    晩年の母は、数々の病気との戦いでした。全身麻酔の手術4回、入退院8回と正に満身創痍でしたが、持ち前の努力で全て克服して生還してくれました。そんな中で始めた京都妙心寺の写経は、母のもう一つのライフワークとなり昨年12月に倒れる直前に5000巻を書き上げて妙心寺から表彰を受けました。
    昨年12月に左内頚動脈完全閉塞で緊急入院し、現代医学の最先端の脳血管内カテーテル治療を何度も試みましたが、残念ながら回復しませんでした。2月1日午前、安らかに眠るように息を引き取りました。
    多くの人から慕われ家族の皆から尊敬されて、本当に充実した幸せな人生であったと思います。
    生前母と親しくお付き合いして頂いた地域の皆様、仲良くして頂いたお友達の皆様、そして本日ここにご参列の皆様、今まで母が大変にお世話になりました。母は亡くなりましたが、その魂と思い出は私達家族の心の中に永遠に生き続けることでしょう。これからも皆で力を合わせて母の遺志をついで行きたいと存じます。

    どうか今後とも、今まで以上のお付き合いとご指導を宜しくお願い致します。

    最後に、皆様 母小木曽八重子が今まで本当にお世話になりました。心から感謝申し上げます。



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