何故、核爆弾が落とされた事を「日本」と「日本国民」が反省しないといけないのか、私は納得できません | いけばな光風流家元 内藤正風のブログ

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今日は朝から、光風流本部いけばな教室で、お盆のお花の教室をしている、光風流家元 内藤正風です。

本日8月6日は広島に原爆が落とされた日です。
この原爆で亡くなられた多数の皆さんに、心よりの哀悼の誠をささげるものであります。

原爆ドーム
(ウイキペディアより転載)



さて、今日も朝から特集番組や追悼式典の番組など放送されています。
そういう中で、私はここ数年とても大きな違和感を感じている事があります。
それは何かと言うと
原爆を落とされ沢山の一般市民が亡くなったのに、私たちは何故この事を反省をしないといけないのでしょうか。

戦争に突入した、ということに反省は必要だと思います。
その戦争で、戦闘員と非戦闘員を問わず、多くの人の命が失われたという事に反省は必要だと思います。

しかし戦争をしていたから、その戦争を早く終結させるために、十五万人もの一般市民を殺したという事が正当化され、それだけではなくて、その爆弾が落とされたことに日本や日本国民が反省をしなければならないというのは、私はどうしても納得がゆきません。


広島に投下された原爆によって巨大なキノコ雲が生じた(米軍機撮影)。
キノコ雲の下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾。
(ウイキペディアより転載)


爆弾っていうのは、落とした方ではなくて落とされた方が反省しないといけないのですか?
それが国際的な考え方なのですか?
だったら、もし北朝鮮がアメリカに爆弾を落としたら、落とされたアメリカが反省するのですか?
違いますよね!

世界的に見ておかしい事なのに、日本だけは何故、核爆弾が落とされたことを反省しないといけないのでしょうか。

広島の近くには呉という場所があります。
呉は軍港としてとても大きく重要な場所でした。
この軍港が木っ端みじんにされ、そこに居た人たちが皆亡くなったというのとは違うのです。
何故ならば、軍港は軍事施設です。軍事施設に居る人は軍に関わりのある人と断じられても仕方ないと思います。
軍事施設を攻撃され軍関係者を攻撃されたのなら、戦争だから仕方ないと思います。

しかし広島は、単なる町です。
軍の施設ではありません。
そこにいる人は一般市民です。
それもその当時の日本は、戦闘員になれるような人は学生までが動員や召集されて戦地に赴いており、街に居るのは女、子供、老人が大半だったのです。

こういう人たちを中心に構成された十五万人を殺したというのは、正しい事なのでしょうか。
仮に、その結果戦争が早く終結したとしても、この十五万人の殺戮は正しい事なのでしょうか。
そしてこの十五万人が殺されたことを、日本が反省しないといけない事なのでしょうか。

いつも私は8月6日には大きな違和感を感じながら、この日を過ごしています。
そしていくら考えても納得はできません。
何故、核爆弾が落とされたことを「日本」と「日本国民」が反省しないといけないのか。


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