私が母のお腹に宿ったのは、両親が結婚してすぐ!の頃でした。
若かりし母は、思ったそうです。「今はまだほしくないのに~」。(これを私にバラしたのは父です
)
大人の私からみれば、”ま、さもありなん”という感じです。無理ないよね、と。
結婚してしばらくは、楽しく新婚生活を過ごしたいだろうし、すぐにつわりとお付き合いではね・・・って。
でもきっと、お腹にいた胎児の私にとってはショックだったのでしょうね。
なぜか、そのショックは今でも感じられるような氣がします。
生まれる時、私はへその緒を首に巻き、羊水を飲んでいたそうです。
生まれてすぐに保育器に入れられました。
ペシミストで悲劇的に語ることが好きだった父は、「もうこの子はまともに育たないのでは」と思った、と後に語っていましたが、母は「まあ保育器に入れてくれたのはサービスよねー。知り合いの病院だったから」だって。
なんて楽観的なんだ。
でもねー
ひょっとして、私、お腹で感じた母の氣持ちから、”私はいらない子”と信じていたのでしょう。
だから、胎児当時の知恵を総動員して、一番大切な母にできる最大のことをしようとしたのではないか。
つまり、必死に”無事に生まれない”ための努力をしていたのではないか と、今にして感じるのです。
当時使える材料は、へその緒と羊水くらいしかなかったでしょうからね。
(努力の甲斐なく)無事生まれた私は、きっと無力感と共にいたのでは。
自分ができる最高のこと、と信じていたことを、成し遂げられなかったわけですから。
これは、無事に生まれたというとても有難いことに対する失礼な物の言い方だと思います。ただ、当時の私は、こう感じていたのだろうということを、今の私が知っているのです。
ただの想像に過ぎない、といえばそうです。
ただ、小さい頃から感じていた”私がいてごめんね”とでもいうような、根拠のない申し訳なさの説明にはなるのです。
ずっと不思議でした。
両親はずっととても私を大切に育ててくれてきたのに、どうしてこんな”根拠のない申し訳なさ”がいつもまとわりつくのかなと。
ま、この氣持ちのおかげで、”今のままの自分ではいけない。成長しなくっちゃ”と、向上心に火がついたのも事実です。コーチになったのも、この氣持ちがエンジンになったことは確か。そして、無力感や愛されていない感を味わう人の氣持ちもよーくわかる。意味がありました。
実際、はじめてこの氣持ちの動きに気付いたときは、生まれた頃の自分をものすごく誇りに思いました。
限られた中で、ベストを尽くしてよく頑張った!と。
やり方はいいものではなかったけれど、大切な人にできる最高のことをしようとした、その心意気には感じ入った。
今はわかるのですが、”根拠のない申し訳なさ”は、きっと無意識のうちに信じた”私はいらない子”という思い込みが、その大元だったのでしょう。
母としては少しの間感じただけだった氣持ちを、ひょっとしたらあっという間に変わっていただろうその氣持ちを、私自身が、後生大事に”変わらぬ私への想い”として、採用してきたのです。
このところ、色々なことがあってこの氣持ちがクローズアップされてきました。
あらためて、私、良く頑張ってきた。
いらない子、と想う氣持ちと、そんなこと想わないで~と願う氣持ちとの狭間でヨロヨロしながら、よくここまできた。
人間、色々な氣持ちを抱く。抱くものはいだく。たとえば、お腹に宿った子を”まだ欲しくないのに”なんて氣持ちも抱く。
”こんなこと思っちゃいけない”と自分で突っ込みいれたくなるような想いも 抱く。
抱いた氣持ちに文句言っても、それは無理な話。抱いた自分を責める必要もないでしょう。
抱いたことをただ観ていれば、そのうち氣持ちは変わる。
諸行無常。
思うことは思う。
そしていつか変わる。
ただ、それだけのことなのですね。
大切なことは、どんな想いを採用し、どの行動を選ぶか。
子どもは、いろんな想いを親である私たちにぶつけてきますね。
ぶつけてくれるのは、ある意味有難いこと。
表現してくれれば、そこから自然と変わるのも早くなる。
とはいえ、これまで、ぶつけられた想いにオタオタしていた私もいます。
”あまりにもひどいこと言っている!”と怒っていたこともよくありました。
抱く想いを責めたこともありました。
でも、抱くものは抱く。そして変わる。それを知って待っていれば、本来子どもたちが持っているバランス感覚に基づいて、彼ら自身が”愛”に基づいてきちんと調整していくものなのでしょう。
その姿もたくさん目撃してきたなぁ。
調整のための土台になるのは、まわりにいる大人の支えかな。
デンとして揺るがない(ように見える)大人の存在。
母としての自分は、本当にたくさん失敗してきた。でも変わる、子どもも自分も。
どんどん変わる私たちを、だからこそしっかり観て生きたい、と改めて想う今日この頃です。
そして、コーチとしての自分が、クライアントさんのどんな想いを聴いても、揺らがずに受けとめることができるのは、胎児の頃からの自分がサポートしているような氣がするのです。
無駄なことは一切なく、全て必要で、自分がこの世に生まれ出た意味・役割を果たすことができるための、プレゼントなのだと、改めて思います。
プレゼントは、甘いのもあるけど時にはほろ苦いね。
ま、そんなこともあるさ。
斉藤 知江子
今日書いたことは、私個人の体験と想いです。もしもこの記事で、つらい想いをなさった方がいらっしゃったとしたら、どうぞお許しください。