これ、本当に深刻な問題。

原発からの自主避難。

 

どれほどの悲壮な覚悟で避難しなければならなかったのか。

その後の生活が、

どれほど精神的にも経済的にも苦しいものだったのか。

 

政府の対応のまずさも含め、私だったら、

子どもたちへのレクチャーの機会を作っていただきに、

学校に直談判に行くと思う。

 

子どもたちには、

人の心の痛みの分からない人間には育って欲しくない。

考える生きた材料にしてもらいたい。

 

ただし、子どもは現代社会や親のありようの鏡であるので、

簡単に心が改まるものでもないことも承知しているが。

 

本当に根深い問題。


だが、熊本の子どもたちには希望がある。

なぜなら、全ての5年生が

芦北青少年の家に集団宿泊をする機会があり、

水俣病について学ぶから。

 

昨日の、子どもの学校の学習発表会でも、

5年生たちが水俣で学んだことを熱く語り、

病気になった方々への差別への怒りを表現していた。

 

そこから一歩進めて、

水俣病と原発事故の構造は全く同じだと言うと、

ピンときてもらえるように思う。

 

「汚い」

「うつる」

「賠償金がもらえていいね」

などなど、全く同じ。

 

会社や政府が、

長い間責任を認めなかったこと...も同じ。


しかも原発事故の場合は、

その被害の範囲と程度が水俣病の比ではなく、

これから被害は途方も無いものになっていくのは明らかだし、

事故の収束の目処など全く立たない。

 

やり場のない汚染水の問題、

全くの欺瞞であり意味のない除染によりたまりにたまり、

これからも恒久的に出続ける

黒々としたフレコンバッグの山、また山。

 

そして、本来ならば放射線管理区域で、

厳重に保管すべきこうしたものが、

田んぼのすぐ横とか、

生活圏内に野晒しで放置されているのだ。

 

しかも、フレコンバッグの劣化は早く、

もって2、3年。

詰め替えが必要らしいが、

そんな作業、小まめにするとも思えないし、

被爆しながらの途方も無い作業を、

いったい誰がやるのか?


とにかく、突き詰めて考えれば、

事故の処理1つとっても、

全く出口の見えない問題。

 

そして、故郷を失った人々は、

何年経とうがただでさえ傷心の日々を過ごしているのに、

心無い人間により、またこの仕打ち…。

特に、子どもの心には、一生の傷が残るだろう…。


我が子には、

人の心の痛みがわかる人間になってほしいから、

大人と会話するような話を、毎日している。

 

私も小学校時代はいじめられ過ぎ、

音も息も出さない子どもだったから、

弱い者の気持ちが死ぬほど、死ぬほど、分かる。

 

今の仕事にも、

そんな経験が生きているのかな…とも思う。

 

子どもたちにおかしな動きがあったら、

絶対に絶対に放ってはおかない、おけないから。

 

そう思うと、どんな嫌な経験も、

ずっと後で何らかの形で生きてくることも分かるが、

それは歳を重ねたからこそ実感できること。

 

だから、辛いことがあっだからと言って、

間違っても死を選んだりしてはいけない。

子どもには、そんな話もしている。

 

-------------------

【念のため、この件についての新聞記事を転載しておく。

(時間が経つと、ニュースへのリンクは無効になるため)】

<横浜・原発避難いじめ>両親「対応すべてが遅い」学校側に

毎日新聞 11/23(水) 21:50配信

原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年男子生徒がいじめを受け不登校になった問題で、生徒の40代の両親が23日、報道陣の取材に初めて応じた。事態を1年以上も放置した小学校や市教育委員会の対応に「すべてが遅い。訴えを聞いてもらえず、不信感ばかりが募った」と怒りをぶつけた。【水戸健一】

両親は「子どもは教育を受ける権利を侵害された。友達と楽しい時間を過ごすこともできず悔しい」と訴えた。いじめを受けていた当時の様子について「自殺しても仕方のない内容で、子どもはボロボロになった」と明かした。一方で「『死んだら何も言えない。助けてくれる大人が必ずいる』との子どもの言葉を伝えたい」と子の思いを代弁した。

同級生から「(原発事故の)賠償金があるだろ」と金銭を要求され始めたのは2014年5月。父親はいじめ防止対策推進法の条文を調べ、約150万円に上る金銭授受は「重大事態」にあたるとして「法律に基づいて対応してほしい」と学校に訴えた。しかし、学校は重大とは受け止めなかった。逆に「生徒が率先して金を払っている」という前提で話をされたこともあるといい、父親は「八方ふさがり。無力感しかなかった」と悔しさをにじませた。

「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだから、つらいけど、ぼくはいきるときめた」。公表された生徒の手記は小学6年だった15年7月、母親の目の前で書いたという。当時すでに不登校となっており、母親は「(ショックで)言葉が出なかった。最悪の事態を考え、常に一緒にいるようにした」と振り返った。机にあったノートをちぎり、気持ちをぶつけたため文字が乱れたという。

両親によると生徒は原発事故後に性格や考え方に変化が表れた。「親に甘える普通の子だったのに、耐えるようになった。転入後もいろいろなことを言えなかったのだろう」と推し量る。自主避難した子どもたちへの学校の配慮は転入直後こそあったが、4年生以降はなくなったという。母親は「災害に遭った子どもの心理を調べたことがないのか、と担任に尋ねたら『全くしていない』と答えた」と肩を落とす。

市教委は今もいじめの詳細を公表していない。母親は「被害者、加害者側の子の特定を避ける配慮でなく、問題を隠匿しようとする学校、市教委の自己保身にしか見えない」と言った。生徒は現在フリースクールに通い、休日には「自転車に乗りたい」などと話すようになったという。

両親は我が子の言葉を紹介した。「自分と同じようにいじめを受けている人たちには、苦しくても生きてほしい、と話している」

ジャーナリストの安田浩一さんの話 子供は大人社会に敏感に反応する。最近でも福島県内で保守系の団体が原発事故に伴う自主避難者を「プロ避難民」などと糾弾する街頭宣伝をした。行政から正当な補償を受けている弱者や公害の被害者が攻撃の対象となる事例は珍しくない。それが子供の社会にも影を落としているとすれば、由々しき事態だ。

◇いじめを巡る経過

2011年 3月 東日本大震災が発生

8月 生徒が横浜市の市立小に転校、名前に菌をつけて呼ばれるいじめが始まる

2012年 6月 10月まで不登校に

2014年 5月 「(原発事故の)賠償金があるだろ」と遊興費に金銭を要求される。再び不登校に

6月 校長が金銭のやり取りを市教委に報告

7月 保護者が神奈川県警に相談

2015年12月 保護者が市教委にいじめ防止対策推進法に基づいた調査を申し入れ

2016年11月 市教委の第三者委員会が報告書をまとめる

※第三者委員会報告書などに基づく



◇避難者「社会の無理解を感じる」

原発事故の自主避難者は全国に数万人いるとされるが、国も福島県も定義せず正確な人数は不明だ。各地の避難者たちは今回のいじめ問題を我が事と受け止めている。「大人社会に存在する弱者への攻撃」が影響しているとの指摘もある。

「子どもの命を守るために避難したのに、いじめで自殺なんかされたら救われない」

福島県の中通り地域から東京都内に自主避難している女性(43)はこぼした。

原発事故の2日前に妊娠が分かり、関東地方を転々と避難する中で長男を出産。福島への帰還を巡って夫と対立が深まり、2014年夏に離婚した。現在は都営住宅に住む。自主避難の場合、東電による賠償は1世帯あたり最高でも150万円程度。17年3月には住宅提供が打ち切られるため、生活への不安は強まるばかりだ。

女性は「原発避難に対する社会の無理解を感じる。特に自主避難は明かしても良いことがないので、周囲に言えない人が多い。5年半が過ぎても事故は終わっていないし、避難を続けざるを得ないことをもっと知ってほしい」と訴えた。

2人の娘を連れ福島県郡山市から新潟市に母子避難している磯貝潤子さん(42)も「ショックだった。自分だけが我慢すればいいと思っていたのに、子どもまで嫌な思いをするようでは、何のために避難したか考えてしまう」と、今回の問題に心を痛めている。「子どもが嫌なことを言われたら、間違ったことはしていないと相手に言うしかない。腹は決まっているけど、全て自己責任にされることに抵抗がある」と複雑な心境を明かした。【日野行介】

 

AD