ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。


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 7
 
 昼間でも陽の光が届きにくい、
 1階の狭い洋間の備え付けデスクの蛍光ランプに灯を点しながら、
 中島の手紙を読み終えると、定村は返事を書いた。
 
 
 前略。
 中島さんの封書の切手に刻印された日付を見て思ったのですが、 
 早いものです、僕が京都に着いて、かれこれ、一ヶ月が過ぎました。
 京都も寒いはずです。
 

 中島さんと四条大橋で出会ったのが偶然なら、
 僕が今この部屋で暮らすのも同じようなものです。
 会社はともかく、実家を離れていたとはいえ、
 両親に一言の断りもせず、東京を飛び出した。

 
 ビジネスホテルで1週間が経った頃、
 今住むアパートに落ち着くようになりました。
 ここは僕が1年間を過ごしたロンドンのように、
 これまでの日本の常識や概念を覆すような、
 保証人なし、敷金礼金なし、デポジット1万円の物件です。
 

 築40年どころか、下手をすると戦前戦中をやり過ごした木造物件を、
 洋間の約6畳と専用のキッチンとトイレに改造、
 シャワーは共同で1回、5分の利用で百円、10分で2百円。
 これで家賃は月3万5千円は京都の中心では相場通りなのかもしれません。   
 
                     
 バブルの真っ最中のご時世に、
 京都祇園の近くの古い旅館を親から相続したオーナーが、
 旅館業に何の魅力も興味も感じなかった彼が機転を利かせ、外人向けのアパートを思いたったようです。
 
 
 僕はまだ一度もオーナーにお会いにしていないのですが、
 京都を訪れる外国人観光客が多いのに目を付けたオーナーは、
 アンテナを張っているといえば、張っているのでしょう。
 彼らの中に京都に居着く者がいることを見越して、
 和風な旅館からから洋風に改装し、
 留学生を中心としたアパートとして、リニューアルしたのが数年前。
 

 フリーペーパーを見た僕の電話を取った管理人も兼ねるアイリッシュのトムの英断によって、外人だらけの唐人ハウスで、
 僕は歴代只一人の日本人して煙たがられるやら重宝がられるやら、
 判断がつかない日々を送っています。
 ところで今日、仕事が遅番だったので、
 休みのトムを誘って、京都の紅葉を観ようと、
 南禅寺に出向く予定が彼の風邪で中止になりました。
 
 
 中島さんと駅で別れた直後、京都タワーの場所を確認しようと、
 本屋でガイドブックを手に入れました。 
 あまりに拍子抜けして、ここではその話は省かせて頂きます。
 春の花見と並んで、京の紅葉は一生に一度は見るべき絶景、
 ガイドブックにはそんなキャッチコピーが付いていますが、 
 彩りといい雰囲気といい、
 にわかに洗脳されそうな雰囲気は持っています。

 
 トムといえば、今年で二度目の秋の京都を迎えるのですが、
 春の桜の美しには驚嘆しつつも、
 正直なところ紅葉までは京都ナイズされていなかったようなです。
 日本人の僕にしても、それまで紅葉を意識しなかったのですから、
 それも致し方ないのかもしれません。
 
 
 話を僕の部屋に移します。 
 急な引っ越しだったこともあって、
 余り物の部屋を宛がわれた僕のねぐらは陽当たりが悪く、
 旅館時代の忘れ形見のような年代物のクーラーがあるだけで、
 ストーブやヒーターの洒落た文明の機器がないものですから、
 足下から冷えて、男のくせにこんなに冷え性だったかと、
 27歳にして実感しました。

 師走を前にして、この10年来使うことのなかった電気コタツでも買おうかと真剣に悩んでいる昨今です。
 

 僕のことはこれくらいにして、
 中島さん、お見合いをされるそうですね。 
 経験がない僕が言うのも何ですが、
 元より、両親や親族は一度も見合いを勧めてはくれませんでした。
 

 ある意味で中島さんが羨ましくもあります。
 見合いというのは、日本人の英知が詰まった素晴らしい、 
 制度というか、しきたりというか、文化だと思います。
 
 
 僕が好きな太宰と三島は時代柄でしょうか、
 偶然にも見合い結婚です。
 表面的には反目しあう二人が、
 三島のほうが一方的に太宰を意識しているのでしょうが、
 自己愛に生きた似た者同士の二人の大家が、
 お見合いにどれほどの価値を抱いたいたのかは、
 その後の彼らの言動を見ると、今一つはっきり核心が持てないのです。

 
 若くして、尊い命を落とした兄が生前の最期を過ごした京都で、 
 先日、思いがけずも、15年ぶりに中島さんと再会を果たせたのも、きっと、今は天国で暮らす、兄の導きでしょう。
 

 初めてお酒を飲み交わしたその席で僕のほうからお話しするべきでしたが、
 この春から、僕はとある女性と東京の郊外で暮らしていました。
 彼女とは小学校から大学まで同級生で実家も近く、
 歩いていける距離に長年過ごしながら、
 不思議といえば不思議なのですが、
 互いに大学時代の現実逃避のヨーロッパ旅行で、
 パリのオペラ座近くで、僕と彼女は運命的に巡り逢いました。
 

 僕はそのまま、ドーバー海峡を渡って兄が憧れた英国はロンドンで1年後を過ごしたのですが、
 彼女は大学卒業後の目標である学芸員の勉強を兼ねて、
 ヨーロッパ各地の美術館巡りの後、そのまま帰国の予定のところ、
 ロンドンまで飛んで来てくれました。
 
 
 1年後、帰国すると、僕は彼女と本格的に交際を始めました。 
 彼女は大学を卒業し、学芸員として、社会人として新たな生活の一歩を踏み出す一方、
 1年間の留学の結果、僕はもう1年の大学生活が残っていました。
 より正確を記するならば、与えられた1年の猶予の大学生活で就職を決めて、
 社会に出なければならない。
 

 当時、それほどのプレッシャーを感じていた訳でもないのですが、
 今から思えば、当時の僕はもうすでに若年寄りのような、
 老成した人間になっていたと思います。
 

 意識するにしないにせよ、心の片隅のどこかで、
 恐らく彼女が望んでいるであろう結婚をどこかに意識せざるを得なかった自分がいました。
 
 
 大学に入学して5年目の秋も深まる頃、
 僕は先日まで勤めていた会社に就職を決めました。
 

 高校時代に親友でった僕の兄さんを失った中島さんが、
 心の張りや目標を失しながらも受験勉強に打ち込み大学に進学し、
 本来進むべき道だった音楽の道から逸れて、 
 本意でなかった教師の道へ進まれたように、
 翌年、僕はごくごくありふれた、サラリーマンとしての生活に足を踏み入れたのです。

 
 中学校に入った年の夏休みに、導いてくれるはずの兄を失くしてからというもの、
 僕は心のコンパスをなくして航海する船のようでした。
 右へ行くか左へ行くか、決断を迫られるような場合に決まって、
 どこか頭の隅に住み続けている、木霊する兄の声を僕は待っていたのですが、
 兄は一度として、僕に応えてくれようとはしませんでした。
 アドバイスの欠片も見せてはくれませんでいした。
 
 
 もし、兄が生きていてくれたならば、と。
 兄の応えを待ちつづけた、
 世間的には二十歳を越えたいい大人の迷える子羊である僕は、
 最も忌み嫌っていたはずの、
 スーツに身を包み、満員電車で通勤する男に成り下がっていた。
 社会人になった僕は彼女との交際をずるずると引き延ばして、
 数年が過ぎました。
 

 週末にはデートというよりは、体を触れ合わせる、
 愛欲だけで結びついていたのです。
 今年になって、そんな僕と彼女の関係にも転機が訪れました。
 彼女の申し出で、二人の両親の許可も得て、郊外の町で同居を始めました。
 

 あらたまったことの嫌いな僕は、 
 敢えて、婚約や結納を交わした訳ではありせんが、
 暗に結婚を前提にしていると、誰もがそう捉えていましたが、
 僕らの新しい生活が始まって半年が過ぎた頃、
 僕が衝動的に東京を飛び出したのは、
 パリのオペラ座で二人が愛し合う前の、彼女の出来事が原因でした。
 

 長々と自分の事ばかり書いてしまいました。
 これからお見合いをされる中島さんに申し訳ありません。
 僕の話しなど忘れて下さい。 
 この手紙を破り捨てて下さい。
 是非、そうして下さい。
 中島さんに良縁あることを願っています。
 
 親友の弟、定村英一郎。
 

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 6
 
 1週間後、定村の元に中島の手紙が届いた。
 
 
 前略。
 その節は、弟くんに大変お世話になりました。
 今世間で流行りのサッカー風に言うと、
 ホームタウンの東京でも会うことのなかった二人が、
 千年の時を隔てたかのように巡り巡って、
 京の五条から四条大橋に移り、15年ぶりに再会しました。
 
 
 すっかり上気してしまった僕は、
 思い出しても恥ずかしいのですが、
 楽しいはずの酒会の席で、とんだ失態をしでかしたようです。
 弟くんにタクシーで旅館まで送ったもらった上に、
 翌日、京都駅まで見送りに来て貰って、まことに恐縮している次第です。
 

 話は変わって、本日は弟くんに一つ相談があります。 
 それというのも、これから僕の身に起こる予告めいたことですが、
 僕も三十を過ぎたいい大人です。
 親の世代ならば、結婚して家庭を持ち、
 子供の一人や二人がいても可笑しくない年です。
 

 大人に成りきれない男が情けないのはもちろんのことですが、
 女にも、マスコミにも責任に一端があると想います。
 戦後のすさまじい社会構造の変化はともかく、
 戦争に負けて、物の豊かさにかまけるばかりで、
 多くの日本人が人が生きる本質を、  
 どこかに忘れて来たような気がしてならないのです。
 

 モラトリアムが横行する日本一婚期の遅い東京で、
 教員というある種の閉鎖された社会の中で、
 僕の身近にいる女性の筆頭は同居する母と三十路前のOLの妹です。
 母などは僕よりずっと妹の結婚に気に掛けながらも、
 これまでにも都合3度の見合いがすべては御破産になりました。
 

 三十を過ぎた未婚の男がこういう風に母親のことを取り上げると、
 君は僕のことをマザコンだと想ってしまうでしょう。
 他人から指摘されるまでもなく、
 内心、自分でもそうではないかと、感づいています。

 
 職業柄、僕の周りの若い女性に限定しますと、
 まずはいの一番に女性教員が挙げられます。
 つぎに学校の事務職の女性でしょうか。
 

 弟くんもご存じのように、昔から巷で言われているのが、
 もはや教職員の黴の生えた伝統とでも言うのでしょうか、
 同僚で、男と言わず女と言わず、持てない者の互助会組織の如く、 
手っ取り早く職場で済ませる人が多いのも事実です。

 
 僕の知っている者にも、そういう手合いは何人かいます。
 教員も世間並みの人間で、そう馬鹿の集団でもありませんから、 
  男女の自然の営みというやつに、当然のように気づく訳です。  
 
 
 そして、知らぬふりを通すのですが。
 上司である校長や教頭が、ふと出しぬけに指摘したりもする、
 何とも摩訶不思議な世界です。
 

 学校という世間から閉ざされた社会は、
 先生という仮面を付けた、若い男女の交流というか、
 世間体には、清き交際とでも言えばいいのでしょうか、
 それが、サカリがついた犬猫の存在に思えてならない。
 

 ただ単に先に生まれたから先生と言われるのではなく、
 未来の日本を背負って立つ少年少女を指導する、
 本来の教師の行いからはほど遠い、邪道にも思えます。
 支離滅裂な文章になってしまいましたが、
 今夜は決して酔っている訳ではありません。
 

 完全なる素面です。
 中学校勤務で必要に迫られて買い求めた文豪という名のワープロで、
 勢いのまま、文章を走らせています。
 

 
 そうです。
 そうなんです。
 弟くんなら、僕の気持をわかっていただけるでしょう。
 音楽だけに限らず、生まれながらの文人の定村と違って、
 文才に乏しい僕が、ありったけの語彙を振り絞り、
 必死の思いで言葉を紡いでいるのですから。
 

 繰り返しになりますが、三十の大台を越えた大人として、
 物分かりの良い両親はともかく、親戚連中もうるさいことですし、 
 僕はそろそろ身を固めたいと思います。

 
 依って、この週末、大安の土曜日に、
 縁あって、僕は生まれての見合いをすることに相成りました。
 これは祖父が亡くなる、お盆前から決まっていたことですが、
 祖父の死で延期になっていました。
 場所は弟くんもご存じの某ホテルです。
 
 
 京の雅さとはかけ離れた、東京屋という名の炉端に、
 どこからとも集った観光客、サラリーマン、OL、
 学生らで溢れる中、店員に通された座敷といい、
 今日は今日で、僕のことばかりで相済みませんが、
 また、何かありましたら、ご連絡します。
 
 
 弟くん、水の慣れない京都で、くれぐれも体に気をつけて。
 僕の拙い文章を最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
 この辺で、失礼します。
 定村の親友、中島より。
 
 
 
「中島さんはまだ独身だったのか」

 手紙を読み終えて、定村はぽつりと独り言を呟いた。
 
 
 そういえば、1週間前の京都の街で、中島と過ごした夜、
 彼の口から発せられた言葉で、定村に印象に残ってといえば、

「僕は最愛の人、定村を失って、それこそ、何もやることがありませんでした。
 残念ながら、僕は定村ほど好きになった人がいません」
 という衝撃的な言葉だった。
 
 
 中学1年当時、同級生の女子がこぞって回し読みしてい少女マンガに描かれた美男子、
 女の園の宝塚の男役が醸し出していそうな、
 男色の趣向が、兄にあったとは想像すらできないので、
 純に友として人間として、定村が兄を愛するように、
 中島さんも兄を愛してくれていたのだろう。
 
 
 京都の一夜の中島さんの積もる話は、
 二人に共通する兄の思い出話し以外では、
 少々退屈だったおじいさんの話くらいのもので、
 意図的にか偶然か、彼は中学校の教員として仕事や、 
 自身の日常や私生活にはほとんど触れずじまいだった。
 
 とはいえ、
 もうすでに呂律が回らなくなっていた中島さんが何気なく喋った、
『明日の午後1時の新幹線で』
 予告とも言える、京都駅の出発時間。
 

 おごっていただいた昨晩のお礼を兼ねて、
 定村は時間前に新幹線のプラットフォームに出向いた。
 
 
 そこには、そろそろ中年期に差し掛かった小腹の出かかった、
 河原町通りの炉端の席での酩酊したスクールジャージの中島の姿はなく、
 制服姿で2列で整列する中学生の男女を前に、
 上着とベルトで小腹を上手い具合にかくし、
 威厳を保つかのように、糊の効いた白いワイシャツに紺のネクタイを締めたグレーのスーツを着込んだ教師の顔だった。
     
 
 定村は中島に近寄り、そっと耳元で呟いた。

「昨夜はご馳走様でした。
 おかげで、久しぶりに楽しい夜が過ごせました」
「どう致しまして。
 たいしたお構いもできず。
 東京に戻りましたら、教えてもらった住所にご連絡します。
 それでは、弟くん、ご機嫌よう」

 中島は軽く視線を落として、生徒の方に目を向けた。
 

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 5
 
 中島は語り続けた。

「定村と血を分けた弟くんだからこそ言える。
 定村となら、僕はどんな苦労も厭わなかった。
 定村となら、地獄の底まで付いていけた。
 定村となら、僕はこの人生の荒波を耐えて生き抜けた。
 しかし、最愛の人、定村を失って、僕は何もできなかった。
 弟くんは、少女マンガの台詞のように想うかもしれません。
 残念ながら、僕は定村ほど好きになった人がいません。

 
 不器用なのか、純粋なのか、
 喪失感を埋める術を知らなかった僕は、
 給料欲しさのサラリーマンのように、
 ただ無気力に大学に通うことしたできなかった。
 無遅刻無欠席で教職まで取って、
 あえて僕は高校時代に最も嫌っていた教師になった。
 そして今、僕は担任の中学2年生の修学旅行の引率で京都に来ています。
 

 こうして、弟くんに会えたというのに、
 悲しいかな、明日、僕は東京に戻らなければなりません。
 これも、好きな音楽をあきらめ、
 安定した地方公務員である教員に安住の地を求めた、 
 因果というものでしょうか」
 
 
 兄の死後から現在に至るまでを、
 本来兄と歩むべきだった道を歩めず、後悔の念に囚われたままの心情を、
 中島さんはざっと掻い摘んで話した。
 

「話が長くなってしまって、申し訳ありません」

 中島は断りを入れた。
 
 
「そんなこと、気にしないでください。 
 15年ぶりに再会ですから、積もる話しがあっって当然です。
 こんどは、どうか僕の話しを聞いてください。
 

 先程、中島さんは中学の修学旅行の引率だと言われましたが、
 僕も中学2年の修学旅行で京都に来ていますが、
 当時のことは、朧気ながらにしか覚えていません。
 同級生4、5人とアーケードを歩いたとか、その程度のことです。

 
 僕にとって京都を代表する名所は有名な寺社などでなく、
 大阪の通天閣と並び称される京都タワーですが、
 こうして京都に住んでいながら、どこにあるか解らずじまいです。
 人は言うでしょう。
 

『そんなこと、容易いことだ。
 京都タワーはどこにあるのですか? と、人に尋ねればいい。
 それが嫌なら、京都案内のガイドブックを見ればいい』とね。
 

 今すぐに、通りで人に尋くなり、
 コンビニに行って、買うなり、立ち読みでもして、
 京都タワーの場所を確かめてみようと思うのですが、
 小学校の低学年の子供でも、出来そうなことが、
 成人して妙な知恵を付けた僕には、簡単なようで難しい。
 
 
 洋の東西を問わず、人はよく言ったものです。
 歳月は人を待たず、と。
 これはローリング・ストーンズの隠れた名曲、
『TIME WAITS FOR NO ONE』からの引用です。
 

 ミック・テイラーの長いソロのエンディングで締めるこの曲で、
 彼のストーンズの最期を暗示している見方もあります。
 ブライアン・ジョーンズの後釜になったミック・テイラーは非常に優れたギタリストです。 
 

 彼が在籍していた当時のストーンズのアルバムをよく聴けばわかりますが、
 ブライアン贔屓の僕にしても、この時代のアルバムは名盤揃いです。
 先輩ギタリストのキース・リチャーズは腕前ではかなわないミック・テイラーにリード・ギターを任せ、リズムに専任することで、
 この時代のストーンズ・サウンドを確立させたのですから。
 

 ミック・テイラーは自慢のギターでストーンズで自分の居場所を確保できたもののストーンズの顔であるもう一人のミック、それからキース。
 この二人との人間関係を上手く保てず、前述のギター・ソロを置き土産に、栄光のローリング・ストーンズから去ってしまった」
 
 
「これは定村の受け売りですが、
 ストーンズとビートルズを比較する場合、 
 曲そのものの普遍性にはビートルズに分があるかもしれませんが、
 バンドサウンドとでもいうのでしょうか、
 曲の練り方においては数段ストーンズに分があると。
 

 それが証拠にストーンズが他人のカバーをやると、
 ある意味、オリジナル以上に光るのに対して、
 他人がストーンズの曲をやると今一つなのをみても、
 ストーンズというバンドの特色がはっきりとする。

 
『TIME』といえばもう一曲、弟くんもご存じのように
『TIME IS ON MY SIDE』は彼らのオリジナルではないのですが、
 ストーンズファンのみならず、
 ロックファンなら誰もが知っている、ブライアン在籍時のストーンズを代表するナンバーで、
 すっかりストーンズ・サウンドになっているのはさすがです」

 
「中島さんが今例に出された、TIMEの2曲と、
 ブライアンが命名したと言われる、 
 ローリング・ストーンズというバンド名を絡めて、僕なりに整理してみました。
 

 時はわたしの見方であり、
 時は人を変え、人は時に流され、時は振り向く者を拒みもすると。
 

 これを僕に当てはめてみると、どうなのでしょうか。
 僕が初めて京都を訪れた中学2年生の修学旅行から、
 随分と時間が経っています。
 もう15年近くが過ぎ去っているのですが、
 平成の時代の中学生も、修学旅行といえば京都なのですか?」
 
 
「弟くん、いい質問です。
 芸がないといえば芸がないとそれまでですが、
 天皇陛下が変わられて、
 64年も続いた昭和から平成に元号に変わろうが、
 東京の公立中学では京都を含めた関西が今も主流ですね。
 

一教員としては、狭くて広い日本を若いうちに経験するためにも、 
 北海道や九州まで足を伸ばして、 
 コンクリート・ジャングルの狭苦しい東京の日常生活では味わえない、
 経験できないことを、若い感性に染みこませてあげたいのですが、
 両親が負担する費用の問題もあって、 
 僕が勤める公立中学では、せいぜい関西止まりです。
 

 日本の首都だ。
 日本の政治経済の中心だと東京人が威張り腐ってみても、
 東京は京都の歴史や文化にはとてもかないません。
 ヨーロッパが新大陸のアメリカを見下すように、
 京都から見れば東京は江戸の世以前から文化の不毛な武骨な東国の田舎に過ぎず、
 江戸から東の京と名前を変えたからといって、
 たった四百年やそこらの歴史では、真の都というには恐れ多い。 
 
 
 京の都人から眺めれば、所詮東京というのは、
 日本中から田舎者を寄せ集めた大きな田舎に過ぎないでしょう。
 いつまで経っても東京は、秀吉から追いやられた家康が関東平野に臨む湿地帯を埋め立てた、江戸のなごりに過ぎません。
 

 三代過ぎたら東京人なんて、笑い話にもなりません。
 江戸の範疇に入らないのは承知で、
 中野区弥生町の弥生人によせ、武蔵の国の村人にせよ、
 タヌキじゃありませんが、
 せめて、家康の前から江戸住みですよと、言えないようでは、
 洒落にもなりません」
 
 
 東京から京都に移って日の浅い定村は、
 中島の語る歴史感をそんなものかと聞き流した。
 
 
「ところで、弟くん、もう一つ、僕の話しを聞いて下さい。
 身内の話しで恐縮するのですが、
 残念なことに、僕が大好きだったおじいさんが先月、亡くなりました。
 老衰でした。
 
 昭和天皇と同じ年に生まれたということだけがおじいさん自慢で、 
 凡夫の自分が、尊敬する陛下より長い生きしたことが、
 晩年はそうとう心苦しかったようです。
 

 それまでは、医者いらず、薬いらずで、
 無駄に健康保険に入っているほど、驚くほど健康なおいじさんでしたが、
 スープの冷めない距離に住む、孫の僕の目を通しても、
 残念なことにここ数年ではっきり弱っていく姿が確認できました。
 僕はおじいさんとの別れ日が近いことを悟りました。
 

 家族もそうですが、
 それ以上におじいさんがそのことを誰より知っていたと思います。
 もちろん、本人も家族の誰一人、年に不足はありません。
 いつ死んでも本望なのかもしれません。
 
 
 それでも、遅かれ早かれ訪れるはずのおじいさんの死が僕は怖かった。
 というのも、僕が小学生の頃、おばあさんが脳溢血で突然死んでから、
 ごく近い肉親の死に触れる機会がなかった。
 以来、おじいさんは気ままま一人暮らしです。
 
 
 今年に入ってから、おじいさんはめっきり体が弱り、
 それ以上にボケが酷かった。
 それでも、自分と家族だけはどうにか認識することができました。
 おじいさんは現在の記憶が次第に薄れ、過去の自分にしがみついた。
 
 
 ボケの症状は日によって、良かったり悪かったりの繰り返しで、
 3ヶ月もすると、子供の頃の記憶だけしか残っていません。
 家族への認識も疎らになった。
 あれを妄想とでいうのでしょうね。
 自分が誰で、自宅か、病院か、施設か、
 今、どこにいるのか、わからないようでした。
 

 生きる屍のようになってなお、
 おじいさんの癇癪とわがままだけは人並み以上。
 ますますひどくなる一方で、子供染みたことを言い出す始末。
 
 
 あれが食べたい。これが食べたい。
 あれをしてくれ、これをしれくれと。
 家からあれを持って来てくれ。 
 嫁がいじめる、あの看護婦がいじめる、
 そう言われる人は誰よりおじいさんを思ってくれる人でした。

 
 春先からお盆前にかけて、病院に入っては出ての繰り返しで、
 夏の終わりに、再び病院に入りました。
 九十二歳の大往生。
この前の日曜日に四十九日に終えたばかりです。
 

 今頃、おじいさんは天国に行って、
 先に逝ったおばあさんや唯一の心残りで後悔の念が絶えなかった、
 南方で戦死した長男、僕の父の兄に当たるのですが、
 三人だけの親子水入らずで、積もる話しに話しの花を咲かせていることでしょう。
 僕のおじいさんの話しはこれくらいにします。

 
 話しは変わって、
 中学に入ったばかりの少年に過ぎなかった君が、
 りっぱに成人した姿を僕に示してくれて、嬉しかった。
 僕の親友の定村が、心の中で永遠に生き続ける定村が、 
 僕のイメージの中でいつまでも高校生で有り続ける定村が、
 目の前に君となって、天国から舞い降りて来たようでした。
 
 
 改めて、弟くん。
 君に感謝します。
 当時から思っていましたが、 
 口には出さずにいました。
 親しい仲とはいえ礼儀あり。
 今夜はありのままの僕の心根を言わせて下さい。
 弟くん、君はまるで定村の写し鏡です」
 
 
 中島に言われるまでもなく、子供時分から事あるごとに、
 親戚からとは言わずまったくの赤の他人からも、
 隣近所の人から教師に至るまで、良くも悪くも、
 定村は実に兄に似ていると言われて育ってきた。
 

 学年が4つ離れているとはいえ、
 定村兄弟はコピー機で摺り合わせたかのように、
 父や母には似ていなくても、二人切りの兄弟は実に似ていた。
 多少の性格と音楽的な素養の違いを除いて、
 顔が似ているというだけでなく、姿形まで似ていたのである。
 
 
 自分が兄が似ているということが、 
 双子のように瓜二つであることがだということが、
 そう言われることが、
 嫌だというより、心の底から嬉しかった。
 
 
 今、中島さんが言われたように、
 中学1年生の夏休み、兄を亡くした直後には、
 兄に似ていると言われる度に、
 より一層の悲しみが込み上げてしまい、
 自分をどこか遠くに押しやってしまいたくなることも多々あった。
 
 
 しかし、年を重ねることに、兄を知る人が減り、
 人々の中で兄の思い出の量が減っていくにつれて、
 そう言われることがなくなってしまい、
 言葉に表せぬ寂しさを味わっていた。

 
 そんなことも遠い過去の出来事となってしまった今日この頃、
 何かの使者であるかのように、兄の親友であった目の前に中島が、
 彼の言葉を借りるならば、今宵今夜の、京の五条ならぬ、
 四条大橋に、現代の弁慶として、牛若の前に現れたのである。
 
 
「弟くん、乾杯しましょう。
 時を忘れて飲み明かしましょう。
 一度でいいから、生きて、定村と酒を飲み交わしたかった。
 彼とステージに立ちたかった。
 神が与えた彼の天分を昇華させてあげたかった」
 
 
 そう言ったなり、中島さんは泡にまみれたビールを一息で飲み干した
 

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 4
 
 京の街に漆黒の闇が訪れた頃、最後のレッスンが終わり、
 英会話教室の仕事を終えて、数名の外国人講師と連れ立ち、
 定村はビルのエレベーターに乗り込んだ。

 
 地上に舞い降りた彼の注意力がもう少し劣っていたら、
 かなりの確率で、その男の姿を見誤っていたであろう。
 数時間前に四条大橋で見た中島さんはグレーのスーツから一転、 
 紺色に黄色いラインの入った、スクール・ジャージに身を包んでいた。
 

 定村は軽く会釈した。
 
「15年の歳月を挟んでも、親友の定村と少しも変わることなく、
 弟くんは時間には正確ですね。 
 これなど、定村家の伝統。
 両親の教育の賜。
 
 それ以上に、君に多大なる影響を与えた、
 今は亡き兄である定村から受け継いだものでしょう。
 
 こんな格好に驚かれたことでしょう。
 今、僕は中学の教師で修学旅行の引率で京都に来ています。
 橋の上は冷えて来ました、立ち話もなんです。
 僕は夕食を済ませましたが、小腹が空いて来ました。
 仕事帰りに、弟くんも何か食べるでしょう。
 東京にあるも炉端の店で構いませんか」
 

 中島にそういう言われて、四条大橋を渡り、
 四条通りから河原町通りに入った。
 二人は京の街に奇妙な東京屋という看板を掲げる炉端の暖簾を潜った。
 

「いらっしゃいませ」

 若い男の店員の挨拶に誘われて、
 二人は中島が予約した奥の座敷に通された。
 
 
「弟くん、お先にどうぞ。
 君が今夜のお客様ですから」 

 中島の言葉に促されるようにして、
 靴を脱いだまま、揃えることもせず、
 奥の壁側に場所を取って、座布団の上に腰を下ろした。
 東京も京都の違いなく、注文もなしにお通しが通された。
 中島が頼んだ生ビールの中ジョッキ2杯と2、3の品が運ばれて、 
 二人は15年ぶりの再会に乾杯の音頭を取った。
 互いにジョッキをカチンと合わせて、冷えたビールを口元に運んだ。
 

「美味い。
 そして、お疲れ様でした」 

 中島の言葉に、定村はこくりと頷き、ため息をついた。

「本当に疲れているようですね」 
「中島さんに指摘されて、今、初めて気づきました。
 京都に着いてまだ一月もたたず、何だかんだとばたばたして、
 知らず知らず疲れが溜まっていたようです」
「少しは京都に慣れましたか?」

 定村はかぶりを振った。
 
「そうですか。
 無理しないことです。
 僕も東京人の端くれでしょうか。
 たまの旅だというのに、土地の食べ物に合わせればいいのに、
 関西の薄味がどうにも苦手です。
 

 都人が住まう京の上品な味付けは、好き嫌いを通り越して、
 江戸の庶民の僕の口にはどうにも合わない。
 こればかりはどうしようもない。
 関ヶ原の合戦以来、維新の明治から大正デモクラシーを通り過ごし、昭和から戦後になって、東京がますます日本の中心だと思い上がった意識が抜けきらないのが東京人。
 
 
 四条大橋で別れた後、暇に任せて、八坂神社に参り、
 祇園をぶらついて、もう一度四条大橋に舞い戻り、
 弟くんと出会う前に偶然発見して気に入った高瀬川沿いの細道を歩いた。
 

 東京生まれの育ちの僕がどうしてか、
 長州や薩摩に代表される尊王攘夷派に成りきって、
 対する幕府の犬どもの新撰組が目の前に現れるやいなや、
 親の敵を討つまでもなく、叩き斬って高瀬川に投げ入れやる。
 そんな妄想にかられて、幕末気分を味わと、
 より狭い外人観光客で賑わう先斗町の路地に入り、
 歌舞練場を眺めて、河原町通りをぶらぶらしている間にこの店を見つけました。
 
 
 さっきの繰り返しになりますが、僕は中学の教師になって早10年。
 君と出会った高校時代にはとても考えらなかったのですが、
 僕は高校から大学に進んで、卒業後まっすぐ教師の道を選びました。
 よく考えたら、あの暑い夏の日から、僕たちは会っていない。
 

 敢えて避けていた訳でもないのに、一度も弟くんに会うことはなかった。
 歩いても行けそうな距離に住んでいながら、
 一駅挟んだだけの所に住んでいながら、偶然、街で出会うこともなければ、
 同じ電車に乗り合わせることもなく。

 
 僕もそうですか、弟くんにしても、
 どこか気まずいところがあったと想います。
 それで、僕たち二人は連絡も互いの家を訪ねることもしなかった。
 目に見えない力が作用して磁力となって、反作用したのでしょう。
 

 長い年月を掛けても、東京で会えなかった二人が、
 偶然にせよ、必然にせよ、こうして京都で巡り会えた。
 長い長い空白の時でした。
 でも、一瞬のうちに、何事もなかったかのように、 
 解消することができた。

 
 今から思うと、
 僕は定村のいない現実に向き合うのが怖かった。
 今も時々考えることがありますが、
 ほとんど空想に過ぎないのですが、
 どうか退屈しのぎに、僕の与太話しでも聞いて下さい。
 
 
 まだ名前すらなかった僕らのバンドですが、
 とりあえずの目標だった高校の文化祭でのステージを目の前にして、
 その肝心要のギターを弾いて歌うメインの定村がいなくなったのですから、
 誰がどう考えても空中分解します。
 例えるならば、エースで四番の一人二役の大黒柱を失った高校野球のようなものです。
 
 
 僕が想うに、定村が生きていたとして、
 僕ら以外のメンバーとは高校までの付き合いだったでしょう。
 定村の死がそれを見事に物語っています。
 早い話、定村が生きてさえいてくれたら、
 僕はそれで良かったのですから。

 
 もし、定村が生きていたら、
 定村も僕もあのまま音楽を続けていたでしょう。
 とりあえず、大学には進学したでしょうが、
 音楽が目的ですから、大学なんてどこだっていい訳です。
 
 
 弟くんもとっくにご存じのように、凡庸な人間に過ぎない僕には、
 神が一握りの人間に与える天才と呼ばれるような音楽の才能なんて持ち合わせてはいません。
 それでも、ロックと呼ばれる音楽は天才的な才能に僕のような凡夫がくっ付いてこそ、上手くいくものです。
 それが証拠にビートルズであれ、ローリング・ストーンズであれ、
 才能のある人間は2人で充分です。
 
 
 もし仮に、3人の才能が一つのバンドに集まれば、
 確実に不幸を呼ぶ。
 それは歴史が証明しています。
 ストーンズのブライアンのように若死にするか、
 クリームのように早々と解散するしかなかった。
 

 弟くん、覚えていますか?
 これから、秋の深まりを見せる紅葉が映える京都と違って、
 定村と君と、僕らバンドのメンバーともう一人を含めた6人で、
 湖畔のバンガローに行った夏の日を」
 
 
 中島に言われるまでもなく、定村は一度たりとも、
 あの日のことを忘れたことなどなかった。
 実際、あの夏の日々が、兄と過ごした最期の時、
 生きた兄の姿を見た最期の一時だったのだから。
 
 
「僕にとっては定村と過ごした日々はかけがいのない時でした。
 あの時、あの暑い夏休みの一日に、僕らの同級生が謎の死を遂げた。
 中沢という、痩せた背の高い男でした。 
 バンドメンバーではなかった中沢は僕の中学時代からの同級生で、
 親しかったのも僕だけでした。
 それから、中沢の死と重なるように失踪した定村を心配して一度、
 僕は君の家に伺いました。
 
 
 そうです。
 そうでした。
 ここ京都での定村の訃報を知らせてくれたのも、
 弟くん、君でしたね。
 

 けれど、僕は定村の葬儀に出ることが出来ませんでした。
 定村の遺体が東京の自宅に戻ってきたその夜、
 原因不明の熱病に犯され、3日間寝込んでしまった。
 
 
 あの夏の夜の湖畔の出来事を弟くんは覚えているでしょうか。
 僕の中学時代からの同級生の中沢から突如誘われて、
 僕がバンド仲間に連絡し、親友の定村の弟であるまだ中学に入学したての君を含めた我々は互いに電車に乗り合わせて、
 バンガローのある避暑地へと向かった。
 

 それぞれが調達してきた食料品であり合わせの夕食を囲んで、
 夏の陽が沈むまで湖畔でのんびりしていた、ちょうどその頃。 
 もう陽は沈んでいたのかも知れなかった。
 

  僕のあやふやな記憶は、僕の彷徨える心と同じくして、
 15年の歳月とともに流れていた。
 
 
 翌朝、中沢の死体が湖の底から発見されると僕らは事情聴取のため地元の警察に連行され、定村兄弟をはじめ、
 僕を含めたバンドのメンバーは各々がそれぞれに相手を組まされ、
 陽暮れ間際になって解放した。
 

 そうです、弟くんはあの時以来の再会です。
 奇遇にも、定村が若い命を落とした京の町で、
 僕らは15年ぶりに再会を果たしたのです。
 
 
 あの夏、親友の定村を失ってからの僕は糸の切れた凧のようでした。
 それこそ、何をやっても実が入らなかった。
 音楽を聴いても右の耳から左への耳へと通り過ごし、
 好きな本も読むことができなかった。 
 高校の授業も半分以上は眠っていたようなものでした。
 

 それでも、僕はどうにか2年生から3年生になることができました。
 無為に過ごした半年を取り戻すべく、最後の1年間、 
 僕は高校生の本分である受験勉強に取り組んだのです。
 その甲斐もあって、僕は浪人もせず希望大学に進むことができた。
 

 とはいえ、大学に入ったら入ったで、燃え尽き症候群とでいうのしょうか、
 僕はまるで生きる目標を見失った。
 そして、こう結論づけた。
 もし、定村が生きていたら、僕は教師にならなかった。
 今、僕の姿はあるのは、仮の姿に違いない。

 
 その思いは十年以上経った今でも変わりはありません。
 そうです。
 僕は親友と運命を供にする定めがあったのです。
  しかし、僕らの契りが一瞬にして砕け散った」
 

 中島さんは目を閉じ下を向いた。
 嗚咽して、どうにか声を絞り出した。
 
 
「弟くん、定村が曲を作っていたのを知っていますか?」
 それは彼の内なる声の叫びのようだった。
 

 
 もちろん、中島に言われる前に、
 兄が曲作りしている様子を、定村は知っていた。 
 カセットデッキを2台用意して、
 エレキ・ギターとベースを重ね、今でいう多重録音のようにして、
 自ら歌を入れ、曲調によってはアコースティック・ギターも加えられた。
 兄の死後、ぽっかりと空いた心の整理を兼ねて、
 定村は両親の許可を得て、兄の部屋を掃除し片付た。
 

 そして、
 そのついでに無数のカセットテープを整理し発見した。
 几帳面だった兄が残した、オリジナルの音源は2本のカセットに纏められて、
 その数、ざっと20曲。
 まだ荒削りだったとはいえ、ロックからバラードから、
 ヘビーな曲から、若さに似合わぬ、引き出しの広いレパートリーがいまも耳に残っている。
 

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 3
 
 京都での生活も3週間が過ぎた頃、
 その日、定村は仕事が遅番で昼過ぎまで部屋でのんびり過ごし、
 四条河原町の事務所に向かって四条大橋を歩いていると、
 ある男性が急に声を掛けてきた。
 
「失礼ですが、間違っていたら御免なさい。
 もしかして、あなたは定村の弟くんではありませんか?」
 

 その人の顔を穴の開くほど見つめ、定村は小さく頷いた。
 何も変わってはいなかった。
 
 
「やはり、そうですか。
弟くんですよね。
奇遇です。
こんな所で、弟くんと出会うなんて。
僕ですよ。
君の兄さんの生涯の友、中島です」

 
 そう言われる前に、定村は目の前の人物に気づいていた。
 15年ぶりに出会ったこの人が何を隠そう、
 兄の親友であった、中島であることに。
 
 
「弟くん。
 立ち話もなんですから、そこいらで軽くお茶でもどうですか?」
 

 15年間の空白がどこか遠くへ消えたように、
 中島は高校時代に舞い戻って、中学生の定村に対峙した。
 それでも、時の流れは隠せないもので、
 当時は見上げるほどだった中島が定村より数センチ小さくなっていたのである。
 
 
「済みませんが。
 これから、仕事です」
 定村は正直に応えた。
「東男の弟くんが、昼下がりの京の都でこれから仕事ですか?」
 
 中島は小首を傾げた。
 

「はい。そうです。
 東京から京都に来たばかりなのですが、
 幸先良く仕事が見つかりました。
 僕はこの近くの英会話スクールで事務をやっています」
 
 
「そうですか。
 何か特別な事情がお有りのようですね。
 構いません。
 それなら、僕は弟くんの仕事が終わるまでお待ちましょう。
 日本が誇る、
 千二百年の歴史を有する国際都市の京都とはいえ、
 日付が変わる頃には英会話スクールも終わることでしょう」
 
 中島はそう呟いた。
 

「夜の9時に最後のレッスンが終わります。
 それから、後片付けをしてそれから10分程度で自由になります。 
 それで、中島さんがよろしかったら」

 ありのままに、定村応えた。

 
 中島は腕を伸ばし、
 上着をずらすような仕草で左手首の腕時計を確認した。

「ここでお会いしたのも何かの縁。
 今宵今夜の午後9時、八百年の時を超えて、
 江戸から参った弁慶は義兄弟の定村の弟君を、
 五条の橋から場所替えした、ここ四条大橋でお待ち致します」
 
 
 自ら名乗るかの如く、
 中島演ずる弁慶は四条大橋を渡った南座で演じられる歌舞伎の舞台から抜け出したきた役者にでもなりきって、 
 見栄を張り、決まり文句を真似て、時代がかった台詞を吐いた。
 かつての親友の弟に了解を求めるまでもなく、
 振り返りもせず、再会の舞台から立ち去った。
 

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 2
 
 ビートルは逢坂の関を越え、陽暮れ前の京都に着いた。
 定村が上洛するのはお盆休みにゆりと一緒に訪ねて以来、
 中学の修学旅行を含めて今回で都合3度目。
 

 ただ暑かった二人揃った夏の京都とはうって変わり、
 彼を待っていたのは、少々肌寒い秋の古都であり、 
 当てのない一人旅という現実だった。

 
 万葉の旅人ならば、深まりつつ秋に、
 歌の一つも詠んでいたであろうが、 
 音楽小説に通ずる心芽を持った定村であっても、
 歌心に乏しく見えるものも見えていえなかった。

 
 京都駅周辺で車を流し、目に付いたビジネスホテルまで進ませた。
 そのままそこで1週間を過ごした。
 週契約したのは少しでも、宿泊料金を節約するためである。
 寺社仏閣を始めとすると、京都観光もそろそろ飽きてきた。

 
 早いもので、11月となり、今年も2ヶ月を切った。
 彼はこのまま京都に居着く心づもりだった。
 ホテル代とは別に駐車代がばかにならず、
 不動産でも回ろうかと思いはじめた。
 

 東京とは一味違った京都独自のルールに戸惑いながらも、
 とりあえず、当座の入居費用を抑えたかった。
 車も所有していることから駐車場も必要だった。

 
 定村が京の四条河原町を歩いていると、
 若い白人の男から手渡されフリーペーパーを何気なく受け取った。
 ホテルの部屋でコンビニ弁当を部屋で食べながら、
 それを読んでいくうち、ある情報が彼の目をとらえた。
 

 翌朝、記された番号にホテルから定村がダイヤルを回すと、
「今からここに来れますか?」
 若い男の西洋訛りのある日本語で返ってきた。
「すぐに行きたいのですが、場所を教えて下さい」
 定村は相手に応えた。
 
 
「そうでしたね。           
 いくらあなたが日本人でも、ここの場所を知らなければ、
 来たくても来れませんからね。
 祇園をご存じでしょう。
 ここは祇園の近くです。
 八坂神社を背景に四条通りを真っ直ぐ進んでください。
 古めかしいホテルの角を左に曲がって左に曲がって」
 
 
「祇園の近くですね。
 八坂神社を背景に四条通りを真っ直ぐ進んで、
 ホテルの角を左に曲がって左に曲がって」
聞き返した定村に、

「どれくらいかかりますか?」
 男が言った。
「30分くらいで、着けると思います」
 定村は腕時計を見ながら応えた。
「そうですか。今、2時です。
 道に迷ったら、電話して下さい」
 男が言った。
「わかりました」
 定村の応えに男が念を押した。
 

「僕は3時にはここを出ますから、遅れないで下さい」
「わたしは定村と言います。
 あなたは?」
「僕はトムです。
 お待ちしています」
 
 
 そこが定村の居場所となった。
 トムの仲間と気ままに京都でフラットシェアをやりながら、
 彼の紹介で英会話スクールの事務や通訳の真似事を始めたのである。
 

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 1 
 
 秋、定村英一郎と水野ゆりは離れ離れになった。
 二人の別れの要因となった松井孝介の芝居をそれぞれ別々に観に行き、
 幕が下りる前に席を離れた定村がそれきり、
 ゆりの前に姿を現さなかったからである。

                   
 ゆりが近場の山頂から姿を消して以来、
 いつものように出社する定村の愛車のダッシュボードには、
 松井が主する劇団の招待券がペアのチケットがチラシと一緒に封に収められていた。
 
 
 使われなかったゆりのチケットを受付に預けたまま、
 今出て来たばかりの劇場を振り返ることもなく、
 定村はコインパーキングに急いだ。
 

 いつもなら音楽を友にする彼が今夜に限って、
 フォルクスワーゲン・ビートルの後部から流れるエンジン音に耳を傾けて漆黒の暗闇を走り、東京都と隣県の狭間のホテルにチェックイン。
 ゆりが姿を消した東京郊外の二人の家に戻ることなく、
 その夜、定村はそこに一泊した。
 

 翌日、そのまま、西に向かって走り続けた。
 高速道とはいえ、時速80キロのスピードで減速車線に張り付まま、 
 言葉を交わす相手もなく、行く当てもなく、ビートルは無機質な音を奏で続けた。
 
 
 果てることのない孤独なドライブは、景色を見渡す心の余裕も与えず、ザ・フーのサウンドに浸らせ続けた。
『わたしを見て、
 わたしを感じて、
 わたしに触って』
 5年前の春の日の、ゆりの大学卒業式当日。
 彼女に聴かせた思いでの曲をリピートして繰り返し聴きながら、
 定村にアイディアが閃いた。
 

 いっそのこと、このまま、兄さんが亡くなった京都に行ってみようか。
 ある夏の日々を思い出していた。
 

 中学1年の夏休みで、
 直前に入ったサッカー部の練習も一息ついて、
 暇を持てあましてだしたちょうどその頃。 
 当時、高校2年生だった兄を含めたバンドメンバーの4人が湖畔のバンガローに誘われた。
 おまけと言っては何だが、定村も彼らに同行した。
 
 
 湖で事件で起きた。
 バンバローの到着した当日、全員で食事の支度をして、
 湖の畔の木製のベンチを囲むようにして、
 わいわいガヤガヤと楽しげに夕飯を平らげ、
 みんなで後片付けを済ませた直後、
 仲間を誘った張本人の同級生の中沢さんが湖に飛び込んだ。
 
 
 翌早朝、レスキュー隊の捜索で湖底より中沢さんの遺体が引き上げられた。
 担架に横たわったた中沢さんの最期の姿は高校生としては、
 躍動感に欠けるきらいがあったとはいえ
 ほんの半日前まで、それなりの生命力を持った生前の面影もなかった。
 言葉を発することもなく、頬が落ちた青白かった顔がより一層こけ、
 ブリーフから濡れて浮き出した異常なほど程長い生殖器を、
 隊員が人目に付かぬように毛布を掛けて隠されているのが印象的だった。
 

 結局、彼は17歳の若さで、帰らぬ人となった。
 定村と兄と仲間は、現地で元気な息子の姿を舞っていた常軌を逸した母親からこの世の物とも想えない罵声を浴び、
 警察に連れられ、取り調べを受けた。
 解放されて、来た道を戻るように電車で各々の自宅に戻った直後、
 定村の兄が失踪した。

 
 兄さんが僕の前から姿を消して、
 もう十数年にわたって僕の頭の隅に張り付いたままで、
 忘れようにも忘れられず、
 今日のこの日まで、僕の心を悩まし続けているのですが、
 忘れもしない、あの夏の暑い日、
 兄さんが亡くなってからというもの、
 ある種のトラウマとともなっているのですが、
 一つ、兄さんに伺ってもいいですか。
 

 湖で死んだ中沢さんの後を追って京都まで行ったのでしょうか。
 そして、結果的に命を落としたのではないかと、
 僕は考えていました。

 
 申し遅れましたが、兄さんが家を離れて、
 旅先から僕宛てに便りをくれた頃、
 僕らと一緒に湖畔まで行った親友の中島さんが心配して家に訪ねて来ました。
 兄さんの部屋でレコードを聴きながらの雑談中に、
 中島さんから、同級生の是川網子という訳有りな女の存在を教えてもらいました。
 
 
 すると、どうでしょう。
 中島さんの訪問から数日後、今度はその網子がやって来た。
 

 僕が勝手に抱いたイメージ通りの網子は、
 催促するように厚かましく我が家の2階まで上がり、
 僕の部屋を覗き、兄さんの部屋まで入り込むと、
 兄さんの大切なオーディオ・セットに大層興味を惹かれたようで、 
 柄にもなく彼女はロックには疎いと謙遜し、
 それでも、女の勘なのか、
 兄さんが大事にしていたレコード棚からストーンズの、 
『ブラック・アンド・ブルー』をさっと抜き取った。
 
 
 その後、網子から手紙が来ました。
 何でも、彼女は朧気ながらストーンズの名前を知っていた程度で、
 彼女の記述が本当ならば、見開きのアルバムジャケットの中央にでんと写っていたミック・ジャガーも彼女の姉さんから教えてもらっとそうです。
 
 
 そんな網子もストーンズを聴くうちに、
 ミックが切なく歌うバラード、『メモリー・モーテル』がとても気に入ったようで、
 自宅の骨董品のようなステレオセットの木枠のスピーカーに耳を当てて聴き入ったそうです。
 

 そんなこんなで、兄さんも許可も得ずに、
 是川網子という風変わりな女の気迫に押されて、
 嫌々ながらも、僕が貸してしまったストーンズのブラック・アンド・ブルーは、
 いつまでも待っても戻って来る気配もなく、
 今日に至ります。
 
 
 この際だから、謝らせて下さい。
 兄さんから譲り受けた、レコード・コレクションのうち、
 兄さんが最も愛した、ローリング・ストーンズの、
『ブラック・アンド・ブルー』は、
数あるストーンズのアルバムの中で唯一の欠番となっている次第です。
 

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 42 
 
 定村は残り1年となった大学生活を一人切りで送ることになった。
 1年間を過ごしたロンドンからこの春、東京に戻って来て、
 逆カルチャーショックに陥らなかったのはゆりの存在が大きかった。
 

 それでも、時としてロンドンの街を懐かしく想った。
 ジェフさんはどうしているだろう。
 相変わらず独り者で几帳面に料理、洗濯、掃除をこなし、
 小粋なシャツにネクタイ姿でリトル・アイランドに現れているだろうか。
 テリーさんはどうだろう。
 レコードショップのオーナーと従業員として、
 二人は上手くやっているだろうか。
 とはいえ、日本に帰国して1度も、彼らに便りすらしていない。

 
 今は夏時間で、日本と8時間の時差があるから、お昼過ぎで、 
 ジェフさんは一人、馴染みのイタ飯屋で白髪交じりのおばさんに定食を注文し、
 テーブルの料理を食べ尽くして、
 カプチーノを飲み干していることだろう。
 
 
 ぼんやりとこんな予感が閃いた。
 遠い先まではわからないが、近い将来の5年先、10年先に、
 若き日の貴重な時を過ごしたロンドンの地を踏むことはあるだろうか。
 実際のところ、兄が残してくれた大量のレコードを聴いて、
 ストーンズやフーのビデオを観ていれば、
 もう一度ロンドンを訪れなくても、
 それでもう用が足りた気分の定村であった。
 

 秋の就職活動最盛期、いまだ、就職を決めることができなかった。
 気を揉む両親やゆりの手前もあって、
 定村はスーツに身を包み、ビジネスバッグを持って、
 自宅から大学の学生課に寄り、会社を往復する日々が続いた。
 それでも、少しばかりかのこだわりとプライドを持つ彼は今や制服と化した紺のリクルートスーツを着用せず、
 グレーのトラッド・スーツをそれなりに着こなした。

 
 学生課の嫌みな主任の顔を見るのも見飽きた午後、 
 電車で都心に出ると、
 サラリーマンで賑わう表通りの一角から裏道へ、
 ビルの地下にある映画館の中に定村は吸い込まれるように入った。
 

 右耳にシルバーのピアスをした、バンドマンらしき若い男から手渡された半間を、
 無造作にスーツのパンツに右ポケットに突っ込んで、背もたれのないシートに腰を下ろした。
 ガラス製のテーブルに置かれた映画のパンフレットを見ることもなく、
 ファスナーを開け、筆記用具、地図が詰められた黒いバッグに突っ込んだ。

 
 立ち上がるなり、自動販売機の挿入口に小銭と投げ入れた。
 紙コップがセットされ、コーヒーが注入される短い間、
 側の壁に貼られたポスターに目をやった。
 

 これから目の前で展開されるであろう映像を想い、
 彼は機械の中で醸し出されたコーヒーに手を伸ばした。
 頭は空っぽだった。
 何ひとつ考えることができなかった。
 夢想家と現実家の両面を持った彼の内面が臓器を這うように頭脳に伝わった。

 
 未来に何が待っているだろう。
 自分の将来をイメージできなくとも、
 バブル経済に沸くこの日本で男一人食べることぐらい、
 どうにでもなる。
 

 まして、地方出身者の学生と違って、
 東京生まれの東京育ち、実家住まいの恵まれた人間で、
 共働きの両親は健在で、兄が亡くなった今では一人っ子も同然。
 どうして、就職なんかに焦る必要がある。
 のんびり構えていれば、
 そのうちに良い話が舞い込んで来るに違いない。

 
 5分もすると、小さな劇場から吐き出された観客が一人、二人、
 彼の目の前に姿を現した。
 入れ替わるようにして、階段伝いに2階に上がり重たいドアを開けると、
 ポップコーンの匂いが鼻につく。
 

 固いシートに腰を降ろし、背凭れに背中を付け、
 隣の空いたシートを倒して黒いバッグの乗せ、
 中からパンフレットを取り出すと同時に、黒い革靴から重くなった足を引き抜いた。
 
 
 パンフレットを両太腿の上に乗せ、目に近付けると、
 白々しい館内に両親が若かりし頃、
 二人が出会いデートを重ねて時代に流行ったであろう、
 どこかで聴き覚えのある映画音楽が流れてきた。
 
 
 見上げると、スクリーンの両脇の上端の古くて見栄えのしない骨董品のスピーカーから、
 モノクロ映画全盛期にハリウッドで活躍した女優が若かりし頃の美貌が失せ、
 私生活か映画の中の演技なのか区別がつかないままに、 
 額の皺に化粧を擦り込むように、
 溝となった傷にレコード針が吸い込まれるかの如くアナログな音が鳴った。
 
 
 照明が落ちた。
 スクリーンに写し出されたのはベルリンの街並だった。
 定村は妙に懐かしかった。
 ロンドンから深夜バスで向かったオランダのアムスデルダムの中央駅から鉄道で西ドイツに入り、深夜、ハノヴァーで電車を乗り換え、東ベルリンとの壁に囲まれた街を訪れて7ヶ月あまり。
 

この日の映画はベルリン天使の詩は定村にとって、
ナスターシャ・キンスキーが出演し、
ライ・クーダーのつま弾くギターが物語を悲しく奏でた、
パリ・テキサス以来のヴィム・ベンダース監督作品である。
 

 長いエンディングロール、スクリーンの幕が下りた。
 世界的な巨匠に失礼かもしれないが、斜に構えて陰に籠っているようで、
 今一つピンとこなかった。
 

 アートに浸ったベンダースの映画を観るくらいなら、 
 日本人の誰も知る、東京の下町の風情に富んだ、
 帝釈天で産湯を使った、葛飾柴又が生んだ、
 渥美清の寅さんでも観るほうが、
 まな板の鯉の就職活動中の学生でなくとも、
 明日への活力になりはしなかっただろうか。
 
 
 映画のシンボルとしてベルリンの街に舞い降り来たのが、
 守護天使だろうが、何だろうが、
 高校を卒業して大学に入るまでの春休みに、
 解らないまでも懸命に読んだ、
 ゲーテのファウストを連想させる、
 アドルフ・ヒトラーばりの悪魔だろうが、
 定村にとって、どうでもよかったのだから。
 

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 41 
 
 ゆりは手紙を読みながら、卒業式当日、
 キャンパス近くの路地で待っていた定村のことを想っていた。 
 同級生と一緒に大学を卒業できなかった彼は、
 キャンパスに来ることを妙に拒んで、
 車のドライバーズ・シートを倒し仰向けになって目を閉じていた。

                   
 何度、フロントガラスを叩いても、とんとん、
  キツツキのようにフロントガラスを叩き続けても、 
 彼は気づかない。
 最後の手段として、
 ゆりが運転席のドアのノブを握り強く引っ張った。
 彼は眼を開け、体を起こし、ロックを解除して、ドアを開けた。

 
 寝ぼけ眼の彼を上から覗き込むように、
『お目覚めはいかかですか?」
 条件反射のように、顔を見るなり、彼はこう言った。
『ゆり、卒業おめでとう』
 間髪入れず、
『どうもありがとう』
 これで、一通りの儀礼を終えた。
 

 自らが望み手に入れた学芸員という職業に就けた喜びで緊張感に胸を膨らませて、
 ゆりは新しい生活をスタートさせた。
 多少なりとも仕事に慣れ、これなら、少しはやっていけそう。
 どこか余裕が芽生える一方で、
 心にぽっかりと隙間風が吹くような、何とも知れない胸騒ぎを感じた。どうなるのかしら。
 
 
 想えば、1年前は彼に会うことすらままならなかった。
 実家を離れ、恵美子のアパートに同居して、
 学芸員になるために過ごした1年だった。
 会おうと想えば、今は毎日だって彼に会える。
 

 だって、二人とも実家住まいで、
 歩いて行ける距離に住んでいるのだから。
 けれど、会えるのは彼女の休みの前日の夜と、
 翌日の休日に限られた。
 美術館という芸術を取り扱うため特殊な職場なため、
 出勤日と休みが複雑で、学生で時間に余裕のある彼がスケジュールに合わせてくれるのだ。
 

 彼だって、馬鹿じゃないから、この秋には就職を決め、
 一年遅れとはいえ、来春には社会に旅立ってくれるだろう。

 
 この時すでに、ゆりは定村との結婚を望んでいた。
 二人から結婚のけの字も出ない段階で、
 彼のほうは来年の大学卒業を前にまだ親がかり、
 秋にはこれからの長い人生を左右する就職を控える身分で、
 将来の見通しもまったくといっていいほど立たない状態。
 彼女はこの春から職に就いたばかりながら、
 女性が男性に求める結婚条件で彼よりはるかに上回る人間など掃いて捨てるほどにも拘わらず、何故か、ゆりは定村に固執した。

 
 長男である兄を失い、実質的には一人っ子となった定村、
 対するゆりは正真正銘の一人娘で、
 年齢からいって、二十歳を過ぎた若者が口にするには少々重くて、
 それぞれがそれぞれに 互いに言葉にすることを避けてはいた。
 

 とはいえ、ただのキャリアウーマンになることに飽きたらず、
 かといっても、専業主婦にも収まりきれない自分を、 
 ゆりははっきり認識していた。
 
 
 1年後は無理でも、3年後をメドに、
 結婚というスタートラインに立ち、
 彼と二人、これから先の人生を供に生きていく覚悟を、
 ゆりは心に誓った。
 

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 40 
 
 長沼恵美子は無事に大学を4年間で卒業することに成功した。
 華やいだ東京の生活に未練を残しつつも、
 実家がある信州のお寺に彼女は戻った。
 
 
 地元の名士でもある僧侶の父親のコネもあって、
 この春から、母校の中学校の国語講師になった。
 何が幸いするかわからないが、恵美子は教職課程を取っていたのだ。
 

 抜けているようであっても、実は要領良しで、
 教育実習で今勤める母校の教壇にも立っていた。
 計画や予定を順序立ててこなすことが苦手であっても、 
 ポイントを摘むセンスは持ちあわせていた。

 
 彼女の手に余る、教職を取っていたこともあって、
 一般科目にまで手が回らず、単位不足に陥って、
 大学卒業のメドが立たず、県の教員採用試験でさえ受験していなかった。
 本格的に教師になるつもりなどなかったというよりも寧ろ、
 それどころではなかった。

 
 いくら4年間の大学生活を過ごした花の東京を離れたといっても、
 都会暮らしの楽しさと気楽さを骨の髄まで知ってしまった恵美子の感性は、
 田舎の新鮮な空気を友に一生、この地で教師をしていこうという腹づもりもなかった。
 
 
 ただ、地元大学や短大の選択肢も考えられた中、
 親に無理を言って東京の大学に進学させてもらった手前、
 就職の当てもない東京で、これ以上学生生活の延長でふらふらと遊んで暮らす訳にもいかず、実家に戻って来た。
 

 だからといって、家を継ぐ気のない、勘当同然の兄・真一を見限って、
 婿取りを前提とした花嫁修業をするつもりもなく、
 自分の食い扶持くらい稼がなければいけないという、
 心構えもプライドも備わっていた。
 
 
 5月の連休も過ぎると、恵美子もそれなりに生活のリズムを掴んだ。
 学校側や先輩教師の薦めもあって、今年は一つ、
 採用試験を受けてみようという心づもりが芽生え始めた頃、
 陸上部の副部長として、中学生と一緒に汗を流し帰宅した彼女の元に一通の手紙が届いた。
 
 
「前略。
 恵美子さんと最後にお会いしたのは、3月の卒業式でした。
 ありふれたスーツ姿のわたしと違って、
 和服姿のあなたに、声を掛けるのもためらうほどでした。
 東京の一般家庭に育ったわたしと違って、
 あなたは信州の由緒あるお寺のお嬢さんですもの。
 

 覚えているかしら、卒業の10日ほど前。
 1年間お世話になったあなたのアパートを引き払う前日、
 缶ビール片手に近所のスーパーで買ったお刺身に舌鼓を打ちながら、
 わたしに打ち明けてくれましたね。
 

『卒業のメドが立ったので、実家に戻って先生の修行をするわ』と。
 
 
 あの時、わたしは口にこそ出さなかったけど、
 あなたらしいと思った。
 それから卒業式の当日まで、あなたと言葉を交わす機会はなかった。
 

 晴れの卒業の当日、
 大学のキャンパスであなたと別れて2ヶ月あまり、
 信州に戻ってから、どのように過ごしていますか?
 気にはなっていたのですが、
 自分の新しい生活に追われるばかりで、
 電話も、手紙の一通も出すことができませんでした。
 
 
 わたしの生活ですか。
 高校時代の3年間、大学に入ってこれまた3年間、
 昨年の春、あなたのアパートで暮らすようになるまでの延長上に、 
 毎日、実家から最寄りの駅まで歩いています。
 

 違っているのは、学生やサラリーマンが都心へ向うのとは反対に、
 がらがらに空いた貸し切り状態の電車に乗って、
 美術館まで車中、 
 この時ばかりと、バッグから資料を取り出し、
 わたしは美術の予習復習の場所にしています。
 
 御存知かもしれませんが、
 あなたのアパートにお世話になる前、
 訪れたパリで偶然会い、長かった1年間の遠距離恋愛を経た同級生の彼が、
 この春帰国して、それ以来、交際しています。
 

 卒業まで1年残っているので、それまでは少し我慢が続くでしょうが、
 会う気になれば、いつでも会える境遇に、 
 それだけで幸せを噛みしめている今日この頃です。
 
 
 惚気て相済みませんが、
 あなたも、今では中学校の国語の先生なのですね。
 教室で教科書を広げ、声を出して読み上げる、
 恵美子さんの姿が浮かんで来そうです。
 また、お便りします。
 
 水野ゆり。
 
 
 正直、水野さんの手紙が嬉しかった。
 飛びついて、封を切るのに、手が震えた。
 

 東京を離れて、2ヶ月足らずで、
 染まりたくもなかった、田舎暮らしに、
 もう腰の辺りまで染まってしまいそうで、
 わたしは東京の話題に心底飢えています。
 
 
 東京と信州との違いはあっても、
 あなたと同じように、実家に戻って、新しい生活を始めました。
 自からが望んで縁を切ったという訳ではないにしろ、
 急がしさにかまけて、大学時代の、東京時代の友人知人とは誰一人として、
 連絡することができませんでした。
 
 
 彼との再会を果たしてお幸せなあなたに、
 東京生まれの東京育ち、東京暮らしか知らないあなたに、
 田舎で生まれ、田舎で育った、このわたしの悲哀が想像できるでしょうか。
 

 海外旅行のように、田舎はたまに行くにはいい所。
 ガイドブックのコピーのままに、決まり文句であるからのように、
 旅行客は非日常な空間に浸って、
 空気が美味しいとか、澄んでいるとか、
 どうでもいいような、訳のわからない感想を述べるでしょう。

 
 ご存じなように、ここ信州は夏は涼しく、冬は雪が降る。
 それが目当てで、遊びに来る人達には、まさに絶好のロケーション。
 温泉に浸かり、スキーをして、山に登る。
 別荘を持ったお金持ちにはいい場所です。
 
 
 でも、この土地しか知ないないで一生を終える人
 もしくは、東京からの出戻りのわたしにとって、
 この人生が一生続くことをあなたは想像できますか。

 
 わたしは電車通勤のあなたと違って、
 良い思い出というより、もう見飽きてしまった過去の情景となってしまった、
 中学校への道のりを、
 10年前と同じように家から歩いて通い、母校の教壇に立っています。
 
 
 幸せ気分に浸っているあなたに、愚痴ばかりこぼして御免なさい。
 夢見るうら若い乙女が住むような、
 可愛らしい小綺麗なマンションとは言い難い、
 雑踏のような下町のアパートで、
 1年間という、短くて長いような、
 貴重な大学時代の一時をわたしと供に暮らしたあなたならきっと、 
 わかってくれますよね。
 許して下さい。
 
 
 秀才のあなたとは違って、先生方のお情けにすがって、
 ぎりぎりで卒業にありつけたふしだらなわたしが、
 講師の身分とはいえ、中学生に国語を教えるなんて、
 人が知ったら目を回すに違いありません。
 あなたなら、爆笑するでしょう。
 

 信じてもらえないでしょうが、
 わたしがいくら出来の悪い学生でもあっても、
 田舎では、これでも東京帰りの端くれですから、
 少しは箔が付くというものです。

  
 正直に言うと、
 あのアパートであなたと暮らした過ごした1年間が、
 つい昨日の事のようにも、もう何年も前に過ぎ去ってしまった遠い思い出のようにも感じてしまうこの頃です。
 

 こうしている間にも、父のお経が聴こえてきます。
 また、お便りくださいね。
 何にもない所だけど。
 一度、遊びに来てくれると嬉しいな。
             
 追伸、水野さんの彼には正直きづいていました。
 鈍感なわたしでも、頻繁な航空便は目の毒です。
 彼もキャンパスで時間を共有した同級生ですね。
 お幸せに。
 
 長沼恵美子。
 

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