東福門院女官 | Celtic Woman -Songs From The Heart-
東福門院については結構有名なので知っているのですが、その女官についてはよく分かりません。

権大納言局、高倉局、肥後局、対馬局、出羽局………などという女官名は分かっているが、その後の経緯などが結構分かっていない女性たちが多いのです。

この中で割りと経緯が判明している方といえば肥後局ぐらいです。
肥後局といっても女官名で、本名を梅子と言います。また、大河内具泰の娘で、後に神尾守勝に嫁いでいます。
神尾守勝は阿茶局の孫で、阿茶局は東福門院の入内に従い、従一位民部卿局と後水尾天皇に賜りました。
その後、守勝とは一女をもうけました。
しかし、寛永7年(1630年)5月5日に28歳の若さで急逝し、覚性院妙純と号されます。

これくらい動向のはっきりした方は良いのですが、他は出自がわかるくらいです。

民部卿局………………飯田直政女、阿茶局、徳川家康側室
権大納言局……………橋本秀宗女
高倉局…………………鷲尾隆量女
右衛門佐局……………水無瀬氏?、秩父重国女
対馬局…………………浅井定政女
出羽局…………………浅井清忠女
綾小路局………………西洞院時直女、後に石井家を設立、名は行子
真巌宗見………………千宗旦室、女官名は不詳、真巌宗見は戒名
筑後……………………不詳、婢の一人が御所に放火しようとし、逮捕されている

調べていってもあまり見つかりませんでした。
情報の載っている本もあまりないので、困っています。

東福門院は中宮で、将軍の息女………

出生にはいろいろ謎があるそうです。
それについては下の本をご購入なさってはどうでしょうか。
養源院の華 東福門院和子/柿花 仄
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