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2017-07-19 00:07:31

初公開!司馬遼太郎が歩きたかった龍馬の板屋への道

テーマ:龍馬と志士らの街道

[国境付近には斬首された土佐人の墓が]

以前、司馬遼太郎が「竜馬がゆく」で述べた、坂本龍馬が高知県仁淀川町から愛媛県久万高原町へと抜けた松山街道(土佐街道)の内、土佐で最後の番所「橘番所」跡付近の街道を記事で紹介したが、県境から愛媛県側の街道について紹介したい。尚、「松山街道」とは、土佐から松山藩中心部へと抜ける街道の総称。「土佐街道」も同様に何種類も存在する。

 

4年ほど前、なぜ司馬遼太郎がこの街道に注目し、愛媛県側に実際に龍馬の滞在伝承のある旅籠(板屋→下の写真)跡が発見されたのか、ということについては解説したが、再度述べたい。

 

司馬は昭和中期、「竜馬がゆく」執筆にあたり、那須信吾が脱藩後に兄に宛てた書簡に記していた脱藩ルートを、龍馬の脱藩の道と推察し、高知県教育委員会に対して、そのルート沿いにある龍馬の滞在伝承地を調べるよう依頼した。しかし高知県側では伝承を採集することができなかった。

 

唯一判明したのが、土佐から伊予に入って最初の集落「岩川」(久万高原町中津岩川)にあった旅籠・板屋での止宿伝承だった。「竜馬がゆく」連載時、板屋跡には龍馬が使用した湯呑や盆が残っており、愛媛新聞も取材に訪れたという。

 

板の間が多かった板屋の当時の主人は亀井六蔵源茲平、久万山郷随一の豪商で、造り酒屋、うどん店、紺屋その他の店屋も営み、米、塩、魚、農具等も取り扱っていた。先祖には豊臣秀吉から文禄元年、琉球国を与えられ、徳川時代は鹿野藩主だった亀井茲矩や、その子で石見・津和野藩主だった政矩がいる。

 

現在残っている家屋は板屋だった建物のみで、六蔵の娘が分家してこの地の亀井家を継いでいる。しかし家自体は空き家で、住宅地図にも掲載されていない。その西の亀井家墓所を挟んだ西の家屋も空き家だが、ここは造り酒屋だった建物(上の写真)。しかし亀井家直系(本家)子孫が県外に移って以降、人手に渡った。

 

以前も述べたように、龍馬は宇和島等、短期脱藩を繰り返していたので、この岩川行きも他藩の情勢を探るためだったのかも知れない。若しくは、宇和島のケースとは違い、岩川は脱藩ではなく、藩に届けた正式な御庭番的密偵行為だったのか。東京空襲で「福岡家御用日記」が焼失されて以降、それを確認する術はないが。

 

松山街道上り口は板屋跡のやや南東にある(三枚目写真)が、辿ったとしてもすぐ畑の柵で通行不可となり、道も消滅する。故に国境まで達する街道が残るルートの登山口を解説する。国道33号のバス停「岩川」から歩けない距離ではない。高知方面から向かう場合、そのバス停西の谷を越えると入口に「民泊・天辺」の看板のあるY字路があるので、その狭い道路を上がる。天辺側にある富田神社は後述する同名神社を下ろしてきたもの。天辺を過ぎて以降、適当な路肩に駐車する。

 

すぐ三差路に至るが、ここを西に行った、最初に現れる家屋が板屋跡。松山街道へは逆の南東へ進む。左上に二軒の小屋が現れるが、恐らく松山街道上に建てられているものと思われる。そのため、前述のように柵が設けられているのである。

 

二軒の小屋を過ぎると右手に林道が分岐しているが、これが街道である。林道に入るとすぐ左手に四国電力の鉄塔巡視路が分かれるが、これは街道をそのまま利用している。

そこからほどなくして、なぜか巡視路道標が本道ではない左手の道に建てられている。山手を見ると巨大岩盤が見えているが、この岩盤沿いは「岩川地四国(ミニ四国霊場)」(4枚目写真)の参拝道。

 

その参拝道は帰路辿ることにし、急勾配の本道をそのまま辿る。

最初の鉄塔下が伊予と土佐との国境だが、峠らしくない。街道の最高所は557m峰南東の鉄塔下である。街道は地形図(柳井川)には、橘からその最高所付近までは描かれているが、そこから愛媛側の登山口までは描かれていない。

 

県境の東の谷(上の地図とその上の写真)には前述の富田神社の元の社が未だ鎮座している。名称は神社だが、これは墓に祠を被せたもの。祭神は土佐市宇佐の行商人・吉田富太郎。富太郎は弘化4年、愛媛県旧美川村の庄屋の分家の未亡人、船田以恵に結婚を申し込んだが、本家庄屋の船田氏が身分不相応としてこれを許さなかったため、富太郎は逆上して以恵とそこの家人を殺害してしまう。

しかし富太郎は逃走中に捕縛され、両国200人余りの見物人のいる中、現在の神社が建つ地で斬首されたのである。

 

街道は最高所を越えると巡視路ではなくなるため、道がやや荒れてくる。途中、折れた木が倒れ掛かっている所に石仏が祭られている(下の写真)。「七社神社」と刻字された手水鉢があることから、かつてその北にその名の祠があったのかも知れない。

植林帯が途絶えると街道はヤブに覆われ、通行不可になる。

 

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2017-07-09 22:34:29

廃線跡随一の景勝滝と無名激流滝群(魚梁瀬森林鉄道)

テーマ:鉄道廃線跡と鉄道関連物

[水谷不動の滝とフォトジェニックな滝]

過去何度も触れた、鉄道廃線跡として国内初の国定文化財となった高知県中芸地方の魚梁瀬森林鉄道(二系統の本線のみの遺構)。森林鉄道としては四国一で日本屈指の総路線営業距離を誇る。戦前からこの本支線沿い随一の景勝地だったのが、北川村小島の「水谷不動の滝」。廃線跡橋梁から遊歩道があり、三つの滝が連続する。水量が多く、轟音を轟かせている。昔は修験の修行場で、仏堂や石仏が祭られてあり、’90年代までは磨崖仏も視認できた模様。

 

このやや東方にも谷があり、沢が奈半利川に注ぎ込んでいる。この谷は規模が小さくて浅く、長靴で沢登りができそうな(実際は岸を登って行ける)位だが、ここには不動の滝とは全く異なる雰囲気の無名の滝が懸かっている。まるで激流が川床の岩盤を無数に断ち割ったように大小の滝を形成しており、当方はその様から「百割滝」と名付けた(上の写真と下の地図)。若しくは「百裂滝」でもいい。アータタタッ。以前紹介した三嶺登山口近くの百間滝(百神の滝)ほどではないが、フォトジェニックな滝と言える。

 

滝の手前には影集落があり、廃線跡の国道493号と集落を、国定文化財の小島影橋(小島橋)が結んでいる。ここで一旦廃線跡は国道と分かれるのである。この橋梁は国定文化財の廃線跡橋梁の中では最大。昭和7年に竣工したもので、全長143m、幅員は2.2m、中央部の両側に待避所が設けられている。国道側はトラス橋で、集落側はプレートガーダー橋。橋脚に歴史を感じる。

 

廃線跡は橋を渡ると、集落東の山際を北上し、集落を抜けると右にカーブして奈半利川沿いを東進している。いずれも狭いアスファルト道路だが、当時の擁壁が残る等、雰囲気はある。

カーブが終わった地点には現在、鹿除けネットが張られているため、車での通行は不可。故にその前に駐車し、ネットをくぐって徒歩で進む。最初は切通しになっており、廃線跡の風情がある。

 

水谷渓谷を橋(橋台は鉄道時代のもの)で渡ると舗装が終わり、滝の案内板が建っており、ここから300mの遊歩道が整備されている。この広場がかつて滝観光者のための駐車場だったが、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線開業時に製作された「沿線市町村ガイド」には、「車の移行ができない」と記されている。

 

「水谷不動尊」の扁額の鳥居をくぐると不動堂らしきものがある。この下の渓谷は堰が設けられている。最初の三の滝(丸淵滝・落差15m)には気づかず、二段になって落ちる二の滝(大タビ滝・落差24m)横に出る。轟音が唸り、滝壺(下段の)はどす黒く神秘的。滝壺に下りて行く道もある。

不動明王の磨崖仏がある筈の滝左手の岩盤を凝視して見るが、風化とシダや苔で全く視認できない。

 

二の滝上段の滝壺上に水谷不動尊の石仏が祭られている。石仏は平成に建立されたかのように新しいが、かつては祠が建てられていた。旧石仏は過去の豪雨で流されたのだろう。

祠の中に祭られていた頃、石仏に悪さをした者がいたらしいが、その者は急に身体に変調を来し、ここから一歩も動けなくなったという。

明確な道はないが、この石仏の下から上段の滝壺(上の写真)に行ける。

 

遊歩道の終点には、座るとズボンが泥だらけになるベンチが設けられており、一の滝(赤タビ滝・落差18m・上の写真と下の地図)の滝見台となっている。滝壺は広く、形がいい。旧案内板には滝の幅が6mと記されていたと思うが、瀑布は三条になって落下している。残念ながら滝壺に下りて行く道はない。

 

尚、この遊歩道、道に倒れ掛かった木を潜り抜ける箇所が複数ある。対岸にも石仏が祭られているのだが、水量が多いため、渡渉できない。

遊歩道入口まで戻ると廃線跡の東進を再開するが、ここからは未舗装となるため、更に廃線跡の風情が出てくる。

木の間越しに見える奈半利川は雨が続く梅雨にも拘わらず、川面は湖のように青味がかっている。

 

次の橋に来るとそこを流れる沢の上流を見てほしい。木々の間に滝が見えているのが分かる。踏み跡は不明瞭だが、ルートは左岸(西岸)にある。

踏み跡(殆ど見えないほど)の終点には倒木が折り重なって行く手を阻んでいるが、それを乗り越え、岸の岩場を適当に登る。すぐ百割滝が現れる。

 

写真では左側のメインの滝しか分からないかも知れないが、右側上流にも無数の大小の滝状激流があり、その眺めは壮観。まさに「滝の宝石箱」()。傾斜が比較的緩いため、何段になって落下しているのか分からず、滝壺は狭く浅い。

廃線跡については、平鍋ダムより先の水没具合を確認したかったが、時間切れで叶わなかった。

 

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2017-07-07 23:57:36

龍馬の脱藩無名伝承を講演・第29回わらじで歩こう坂本龍馬脱藩の道

テーマ:四国の真・坂本龍馬脱藩の道関連

[愛媛各地の脱藩伝承の謎を解く]

今年も愛媛県大洲市河辺町で「第29回わらじで歩こう坂本龍馬脱藩の道」が開催される(→詳細)。河辺町(旧河辺村)は高知県と愛媛県の脱藩の道の内、最も古道が多く残る地区。そんなことから29年前、脱藩の道を歩くウォーキングイベントが開始された。

 

イベントは923日から24日にかけて行われる。23日は前夜祭「龍馬を語る夕べ」で、第一部が当方の講演「脱藩の道の無名伝承地~土佐の龍馬の各滞在所と伊予各地に残る脱藩伝承の謎~」、二部が当方や全国の龍馬ファンがシャモ鍋と酒で龍馬談義を繰り広げる。

 

当方の講演内容については、拙著や当ブログ読者なら想像がつくと思う。伊予の脱藩伝承とは以前も述べた初代脱藩ルート(龍馬が板屋に向かった時のルート)である高知県旧吾川村(仁淀川町)から愛媛県旧柳谷村(久万高原町)へ抜けるルート、二代目の城川ルート、そして文久元年初頭、一時的なプチ脱藩として高知県旧大正町(四万十町)の御留山から旧日吉村(鬼北町)へ抜けて宇和島へと向かった伝承のこと。

 

24日は、当方は参加しないが、二種類の脱藩コースを歩くイベントが開催される。一つは榎ヶ峠から龍馬一行が宿泊した泉ヶ峠まで、脱藩の道を忠実に辿るコース。もう一つは最初、町内に残る屋根付き橋を巡った後、御幸の橋から脱藩の道を泉ヶ峠まで歩くコース。

 

このイベント、両日共参加費が安いのが魅力。前夜祭は講演聴講や酒肴、シャモ鍋込で3,000円。ウォーキングイベントはバス代、弁当代、保険料合わせて驚きの2,000円。いずれも参加人数が限られているため、申し込みはお早目に。

参加者の宿泊費は各自負担となり、各々が直接宿泊施設に申し込むことになるが、チラシには四つの宿泊施設が記載されている。やはり一番のお勧めは拙著でも絶賛した、脱藩の道に一番近い「民宿あまごの里」。あまごとは高知県で言うアメゴのこと。敷地に養殖場があるため、あまごはとれたて。料理はあまご尽くし。骨酒もある。

 

講演の講師はこれまで、歴ドルの美甘子氏や龍馬の手紙の朗読コンサートを行っていた小林綾子氏、村上恒夫氏等、全国区の芸能人や小説家、歴史研究家等が大半だったと思うが、当方はこれまで四国と山口県のマスコミにしか取材を受けたことがない。各著書は登山、歴史、鉄道関係の雑誌で紹介されてはいるが。

 

今回、主催者は講師の人物性よりもその研究内容を重視したものと思われる。去年のテレビアニメ「土佐のむかし話」への制作協力時もそうだったが、脱藩の道について一番詳しいのが当方であるということをネットで認識したのだろう。故に当方は先月から初代脱藩ルートの県境付近の古道踏査を行っている。

 

また、当方は講演料貰ったらハイさよなら、ということはしない。近日中に「河辺町の滝巡り」シリーズ記事を投稿予定で、市界にある展望山の河辺町からの登山ルートも今後、調査予定。

当方は持論を展開するために講演しに行くのではなく、その地域の活性化の一助にならんとするがため、講演に出向くのである。

 

講演するまでにブログで龍馬が板屋に向かったルートの愛媛県側の道を紹介してほしい、と言う方は次の二つのバナーをプリーズクリック。

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