潰瘍性大腸炎食事録

主に私の潰瘍性大腸炎と、家内の突発性難聴と卵巣腫瘍と、息子の全前脳胞症と三尖弁閉鎖と腸の形成異常(鎖肛、回転異常など)と外耳道閉鎖などの形成異常についてお伝えしていきます。


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家内の誕生日の翌日、潰瘍性大腸炎と診断されました。
その後の経過日記を書いていこうと思います。

難病の潰瘍性大腸炎 は、ウィキペディアによればこんな病気です。

言葉を借りると、

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主に直腸から発症し連続して全大腸に広がっていく。
腸管粘膜の粘膜上皮に限局した炎症。

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という症状ようです。

病気の発生理由は、ストレス性な物が強いとのことでが、明確な理由は不明のようです。


追って、始まりの経過を書いていきますね。
振り返ってみると、自分の中で何かが壊れたと思う瞬間がこの1月から数回ありました。
それが自分なりのストレスで、トリガーになったのかなと思っています。


●2012年1月12日

11日は私が休みだったのですが、仕事でお願いしていたという認識の仕事を同僚がやり損ねていました。
しかし、他部署に謝りに回ったのは私だったのです。
直属の上司も不在で、上司の上司に報告し、対応を練り、他部署の上司の上司にお詫びに行って、対応策を依頼してきました。
それを、同僚が傍観していたことが、自分の中では仕方ないことと理解しながら、許せなかったのだと思います。
それまでいろいろ頼られてきて、自発的に仕事ができるように期待していたのですが、結局はおんぶされたままという失望感が自分の中で大きかったのだと思います。


●2012年1月14日

新年会でした。
私は新横浜から三島まで新幹線通勤をしています。

ここでお話ししておきますが、我が家は重度の身体障害児を抱えています。
その内容はおいおいお話ししていくにしても、あまり遅い時間まで家内1人で診ることは負担が大きい事を分かっていました。

でも、家内から、飲んできていいとお許しが出たので、21時49分三島発のこだまに合わせて飲みました。最後までいられて有意義でしたが、ある程度酔っていました。
その帰りの新幹線で、なんと、東京まで寝過してしまったのです。
家内は、私が帰ってくる時間を見越して、障害のある子供とお風呂に入り、帰ってくるころに出るように見計らっていると思います。つまり、冬のお風呂の中で待っていたのです。

東京からは在来線で帰るしかなく、山の手で目黒から乗り換えて帰ってきました。
家内と連絡が繋がらず、その時、かなり絶望してしまいました。

武蔵小杉で、東横線に飛び込めは、この苦労からは解放される?
本当に頭をよぎりました。リセットしたいと思ったのです。

家内は濡れた髪のまま、子供寝かせつけていました。忘れられない格好です。
負担をかけてしまったということ、当然ですが家内の憤りが収まらないことが次の日まで続きました。
私も自分を責め続けていました。


●2012年1月16日

1本の電話で青ざめました。
取引先から、在庫がないと電話がかかってきたのです。
3月までぎりぎり在庫が持つはずだったのですが、1本大きな出荷予定を織り込んでいませんでした。
しかも、この数字は、私が管理しており、今年初めて動かす数字でしたので、周りを巻き込みたいと思いつつも、乗ってくれない周りに失望しつつ、自分で抱えている状態でした。
そこに、その電話です。

また、他部署、他社、顧客への謝り行脚です。
同時に対応策を練ります。
しかし、どうやっても顧客に迷惑がかかり、対応策には大きなコストがかかってしまいます。
そこで、同僚に相談したのですが、結局、ぽかんとしたままでした。
他部署に謝り行く時、「よろしくね」と言われて、振り返ってそのぽかんとした表情を見て、このままじゃ自分の心理状態はまずいぞ。と確信しました。

最終的に、担当の違う別の同僚の意見を取り入れ対応が決まりましたが、それまでの紆余曲折に、普段からの失望が絶望に変わることを実感しました。

そう、確かに甘えなのです。
人に期待している時点で。
でも、もう少し、成長を期待していただけに、自分の中で、裏切られたという気持ちだけが強くなり続けました。


そして、1月16日の夜から下痢がはじまり、体調が悪化し始めたのです。
このころは、まだ、風邪かな。程度でした。
お腹にきたな。と思っていました。





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