くも膜下出血を発症。結果、ワレンベルグ症候群。
後遺症としては、声帯麻痺、半身の温痛覚異常。
声帯麻痺、半分声帯が動いてないらしいが、普通に会話できる。退院後、風邪引いて声嗄れしたとき、耳鼻咽喉科に行って発覚。丁度良いところで止まっているらしい。
温痛覚異常、冬はポカポカ、夏はヒリヒリ。灼熱感。たまにイライラするものの、他に集中しているときは、気にならない。寝ているときは感じない。
他に、指先の痺れ感、眩暈、と言うよりゆらぎ感。
外見からは分らない。公共交通機関ではお年寄りに席を譲るし。
身は、社会復帰と言うか社会に適用できると思われる。
心、こころは、脳卒中、生還、リハビリの経緯にとらわれたままかも。
社会で生きるのだと言う、自覚と言うか、立ち向かうこころと言うか、志しというか。壁にぶつかると、帰着先が突然死しかけて、生還して、リハビリして今に至るでは、社会では生きれないのではと感じる。
その壁自体が、倒れる前の自分にとっては、壁ですらないかもと思うと、葛藤は高まる。
休息が続き、引籠るのではと危機感もある。
日常生活は送れている。起こった事を考えると、それは強運なことだったと思う。老後の生活にはまだ早い。
やるべきことがあるので、生かされた的な発想もあるかも知れないが、全く無事に九死に一生を得た人ならそのような思想にもなるだろうが、多少なりとも後遺症が残ったり、リハビリ病院の悲壮感を知っていれば、そこまでの使命感の高揚はないのかも。
葛藤少なく、やりたいことをやる。
倒れる前の自分にとっても高い壁かもしれないが、今の自分にとって、社会で生きることそのものが挑戦になっているならば、志す価値はある。