パンが主食の国には、その国独特の、パンに塗って食べるもの があります。
たとえば、イタリアでは、ご存知NUTELLA!!!
(なぬ?NUTELLAをご存知じゃない? そういう不幸な方は、
こちらの過去記事参照→ 病みつきになるNUTELLA!ドラえもん版も登場
)
そしてイタリアではあまりポピュラーでないのが、アメリカなんかのピーナッツバター。
スキッピーとか、子供の頃大好きでした。
で、南米は何かというと、
こちら↓
ちょいブレましたが、
DULCE DE LECHE。(牛乳の甘いやつ、とでも訳しときましょうか)
いわゆる、牛乳をお砂糖と一緒にぐっと煮詰めたものなんでしょうね、
日本のキャラメルキャンディーがトロトロになった感じです。
これを南米では、パンに塗ったり、ケーキにはさんだり、とあちこちで使います。
これは南米中どこへ行ってもありましたし、
機内食(写真)にも出てきましたから、かなりポピュラーなんだと思います。
やたら甘いもん好きのイタリア人にも人気でした。
やっぱり私はNUTELLA党かな。
2011-03-20
2011-01-17
2011-01-12
ブラジルではあまり見かけなかったのですが、
アルゼンチンやウルグアイに入ると、路上でのポンコツ車の多さに目を惹かれます。
そのポンコツ度も、半端じゃないのです。
普通、クラッシックカーというと
少なくとも、イタリアのマニアは、綺麗に調整して
当時の状態に戻すだけでなく、ピカピカに磨いていますが、
ここのは、ポンコツのまま使うのがステイタスなのか なんなのか・・・・
サルタでも、多かったポンコツ車。
やっぱり きちんと整備もされてないようで、見ていると発車にかなり手間取るのもありました。
↓これはよいとしよう・・・ (モンテビデオ。近くで見たらかなりポンコツ)
↓でもこれなんか・・・動くの?(運転席を覗くと、盗難防止用のハンドル固定装置があった・・・)
↓これもかなりの年代もの
やたらと新車に買い替える日本やイタリアの風潮もなんですし、
古くなったものを大切に使い回すことはいいことだけれど、
環境には 決してよくないと思うなぁ・・・。
アルゼンチンのサルタに別れを告げて、ウルグァイのモンテビデオです。
見ざる、聞かざる、言わざる・・・
日光東照宮でも有名な三猿は、日本人にとってもなじみ深いですよね。
なんで、南米日記に三猿なんだ?
というのは、ウルグァイのホテルのロビーに
アンティークのアクセサリーや小物が展示販売されていたのですが、
その中で小さな七宝焼きの飾りのついた置物みたいなものがあり、
その金のモチーフが、三猿ならぬ
四猿だったんです。
ええっ?
股間を抑えてる4匹目の猿がいるなんて・・・
しかも、これは立派なアンティークの飾り物。冗談で作れるようなしろものではありません。
ということで、ちょっと調べてみました。(またまた日本のサイト)
すると、4匹目を加えた 四猿というのはあるのだそうです。
ほとんどのサイトでは単に「姦淫をするな」という意味の説明をとっていました。
でも・・・
そんな単純軽薄な意味なのかなぁ。
だって、子孫を残すことは、生き物にとって不可欠なことだろうに・・・
と 更にさがすと、
論語の顔淵第12の冒頭に
『非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動』
という文章があるそうで、
「礼の規則からはずれたものに目を向けてはいけない、
礼の規則からはずれたものに耳を傾けてはいけない、
礼の規則からはずれた発言をしてはいけない、
礼の規則からはずれた動作をしてはいけない」
という意味に訳されるのだそうです。
ということで 股間を抑える4匹目の猿の意味は
「礼の規則にはずれた動作はしない」
ということのようです。
何もせずに他人に頼っていてはいけない!
と、先日の記事に書いた、謎の木について、ちょっと検索してみたら
見つけました!!
さすが日本のサイトはすばらしい・・・・・
・・・というか、日本人ってスゴイ。
検索はもっぱら日本サイトです。断然情報が多い。
マニアレベルの情報でいっぱい!
イタリアサイトなんてお話になりませんが、
その他の国のサイトに比べても、
日本サイトには画像が多いので、こういうものを探すのにはとても便利なのです。
その名も
アケボノキワタ
なんと日本の宮崎県や沖縄にもあるのです、あの木。
↓このページに画像も載っていました。
みやざきの植物散策 10月の花
この驚くべき『灯台もと暗し』状態の発覚で、
どうやら私のブログは南日本の方にはウケナイらしい、と判明・・・
そりゃそうですよね、
今書いている南米ブログも、南日本に住んでいる人にしてみれば、
『なんでわざわざ南米に言って、ここと同じもの食べたり、見たりしなきゃいけないの?』
ってな感じかもしれません。
この花もあれば、美味しいフルーツだってある・・・お魚もお肉も豊富にある・・・
すばらしい景色だってある・・・
いないのは 南米人だけです。
まぁ、冗談は置いておいても
日本って、実に気候や地域のバラエティに富んだ国ですよね。
日本万歳。
ふふふ、あの写真 結構難しかったみたいですね。
正解の出ないクイズを出すほど楽しいことはありません。
実は、あの記事のある写真の中に、ヒントがあったのですよ。
さて、あの物体の拡大写真は・・・
↓これ!
なんだか まだ 『ビスケット?』 『スナック菓子?』 とか言って食べ物方面を考えた人がいませんか?
私もたまには 食べ物から関心が遠ざかることもあるのです。
このサボテンは、中南米では あちこちに天然で生えている木。
調べてみると、日本では「弁慶柱」と呼ばれる種類のようで、
巨大に育ち、中の繊維はかなり硬いのだそうです。
上の写真は数メートルのもの。
標高の高い岩山には、これといった野生の大きな樹木はあまり見られません。
ある意味では貴重な木材とも言えるのかもしれません。
あちこちで 建物の内装とかに 板 として使われているのを見ましたよ。
サルタのフリーの日は結局
1.お隣のフフイ州のウマワカ渓谷ツァー組
2.標高4000mの塩原へレンタカーで行く組
3.サルタ居残り組
と別れることになりました。
朝7時にホテルに迎えに来てくれたマイクロバスには、
もうすでに他のホテルに宿泊中の10人くらいのアルゼンチン観光客(ブエノスアイレスから)が乗っていました。
サルタの天気は、滞在3日間あまりよくなかったので、
前日旅行会社で
「雨が降ったらどうなるんですか。」
と訊いたら
「降りませんよ。」
と笑って断言されたのに、翌日はやっぱり曇天。
それがサルタ州を出てウマワカ渓谷に入ったころには
辺りがみるみる晴れていきました。
この地域は滅多に雨が降らないのだそうです。
ここでちょっとした雨が降ると、大事件なのだそうです。
ここは2003年にユネスコの世界遺産に指定されたのですが、
見どころは、何といっても 色とりどりの岩山。
赤・青・緑・・・とびっくりするくらい色んな色の岩山が混ざって存在しているのです。
ツァーは、マイクロバスの運ちゃんが、マイクで説明しながらの往復580KMというもので、
途中の村々を見学・休憩しながら行くのですが、
道は舗装されていたし、苦痛は感じませんでした。
↑これは一見集落のように見えますが、墓地のようでした。
↓プルママルカという集落。
↑村はこの山の背景で観光スポットになったのか、お土産物屋さんが多く、かなり観光地化していました。
↓道中の景色
あまりに素晴らしい景色に、朝から写真をバンバン撮りまくったのは、迂闊でした。
この手の岩肌の色って、夕方の方が鮮明なのです。
そんなことは知らない私たちは、帰り路には、なんとカメラのバッテリーが無くなってしまったのです・・・・
同僚たちのも次々となくなり始め、
夕刻の 本当のすばらしい山々の色は、脳裏に焼き付けるしかないのでした。
本当に、すごい色なんですよ。写真では表現できてません。
↓彼らの民族衣装の作られるこの織物の色も、
やっぱり彼らが生まれてから毎日見続ける山々の色が基本になっているような気がしました。
↓ここは絶景。考古学博物館のあるティルカラという町の近く。
インカの遺跡プカラ がちょっとだけ復元され、見晴らしも良いことから、観光客をよんでいる場所。
さて、折り返し地点のウマワカは、なんと標高3000mの町なのです。
サルタが標高1200mなので道中1800mも上ったことになりますが、
途中大した坂道やピンカーブがあることもなく、きっと徐々に登って行ったせいか、
気分が悪くなることもありませんでした。
ただ、ちょっとした階段などを早足で上ると、息が切れましたっけ・・・。
そのせいか、ここではコカの葉っぱを売っているのです。
バスの運ちゃんも、ず~~っとコカの葉っぱを噛んでいました。
↓この右のおばあちゃんは、しつこく同僚に付きまとって、
最後には右の女性の同僚に一袋売りつけたようです。
ちなみに私は試していないので その効果は知りませんが、
同僚いわく、なんの効果も感じない、とのこと。
なお、左の男性の同僚は コカのお茶を飲んで、えらく気に入ってました。
アルゼンチンでは、普通のティーバッグのお茶のフレーバーでコカがあるんです。
世界遺産になってからの現象なのかもしれませんが、
立ち寄った村は何処もかなり観光地化されていて、お土産屋さんや物売りの商人達が多く、
どのお店も小奇麗でした。
そういう意味では、ちょっと物足りない気もしましたが、
へき地は苦手、という人でも簡単にギャップなく観光できる場所です。
ウマワカで降りる前には、バスの運ちゃんに
『物売りは相手にしないように。癖になるから。それと物乞いの子供にも何もあげないように。
子供は、本来なら学校に行っている時間だから、行っていない子は、おかしい。』
との注意を受けたけれど、
運ちゃんの連れて行ってくれたレストランで皆で昼食をとり、
運ちゃんの連れて行ってくれたお店を見て・・・その後やっと自由時間になったところを見ると、
まずは、そっちの方にお金を落として欲しかったんだろう、と睨んでいます。
きっとマージンが入ったんだろうと・・・。
↓帽子売りのお姉さん(ウマワカ)
↓訳のわからない飴を売っていた少女。写真撮ってもいい?と訊いたら、隣で日向ぼっこしてたお姉ちゃんの方はダメ、と答えたけれど、お店番をしてたこっちの妹(?)の方は、照れくさそうに笑ってくれた。
↓サルタのエンパナーダは『焼き』だったけれど、この辺りのは『揚げ』だった。
マイクロバスで同乗したアルゼンチン観光客の人たちも、みな気さくで楽しい道中となりました。
帰りがけには、
その内の一カップルが、途中の道をちょっと入ったところにあるレジデンスで降りて行きました。
その場所の周りの山が、ちょっと驚くくらいの彩りだったのですが、
前述の通り、誠に残念なことに、カメラのバッテリーが・・・・
でも今でもあの色は脳裏に焼き付いています。
サルタに戻ったのは、夜の8時。まさに13時間の観光でした。
サルタでは、やっぱり一日曇っていたそうで、居残り組がホテルのロビーで退屈そうにダベっていました。
標高4000mのアンデスの塩の原へ4駆のレンタカー2台で行った組は
9時半ごろに 疲れきって戻ってきました。
すばらしい景色だったとのことですが、100回ピンカーブというものもあり、
なんせ4000mですから、気分が悪くなった人もいて、一人は病院へ行ったそうです・・・。
(4000mの高地にも町があり、病院があったそうです)
長い記事になりましたが、最後に一問!
↓これはこのツァー中に飽きるほど見たもあるものの拡大写真なのですが、
さて、これは一体何でしょう?
サルタの並木はオレンジ。まるでスペインです。
サルタからは毎日近辺への色々なツァーが出ているのです。
サルタでは、ラッキーなことに丸一日フリーという日があるとわかっていたので
事前に色々調べたところ
1.標高4000mの高さまで行ける「雲の電車」ツァー(アンデス山脈をチリ国境へ)
2.ユネスコ世界遺産に指定されたフマワカ渓谷バスツァー(色とりどりの山の連なる谷をボリビア国境方面へ)
3.南米のグランドキャニオンと呼ばれる地域のワインの産地バスツァー(サルタ州内の大自然へ)
などなど、魅力的な地域が広がっているのです。
どのツァーも、早朝に出て夜に戻る、という丸一日ツァー
でもフリーは たったの一日。
やっぱり「雲の電車」かなぁ・・・名前が魅力的!と思っていたのですが、
出発直前に、ある日本人の方のサイトで
「雲の電車ツァー」は車両の改修作業のためかなんかで
今のところ無期延期で再開していない、という情報を得ました。
残念ですが、1番は選択肢から除外。
一人で行くのもなんだし、ブラジル滞在の頃から
同僚に
「ね、フリーの日、ツァーに行かない?」
と聞いて回るも、
所詮はイタリア人たち、
彼らに、前もって細かい予定を立てるという習性はないのです。
ま、行ってみて決めるか・・・
と妥協しないとやっていけない私です。
↑サルタのある玄関。このようなタイルがまるで地中海様式。やはりスペインの影響ですね。
↓サルタでもガーデニングの習慣はあるみたいです。
さて、サルタ行きの飛行機の中でやっと誰かがガイドブックを読んだらしく、
「雲の電車という、素敵な名前の電車で4000mのアンデス山脈へ登って
野生のリャマと触れ合うツァーというのがある!」
と盛り上がり出し、結構皆がそれに惹き寄せられていたので、
(飛行機の中ではベルト着用サインが消えると共に歩き回って
友達の席の近くにダベりに行くのがイタリア人の礼儀です・・・。)
「それ、今無いらしいよ・・・ こっちのユネスコ世界遺産の方に・・・」
と自分の座席から周囲をはばかる小声でいう私の忠告も聞いてか聞かずか
もうほとんど、その幻のツァーへの想いは相乗効果でつのるばかり・・・
あ~ぁ・・・ なんてロス。でも人生を日本人の倍楽しんでるわ、この人達。
あの盛り上がり様は もうツァーに行ったも同然。
果たして サルタに着くと 日本の方のサイトにある通り
雲の電車は、運行が止まっていて、再開していない とのこと。
あれだけ盛り上がってたのに、
それほどガッカリしないイタリア人同僚達は、すぐに
「何か、他にもあるって さっき言ってたよねぇ・・・」
と私の方へ寄ってくる・・・
なんや、聞こえてたんやん・・・
ったく・・・。
~ 続く ~
サルタに着いたのは夜だったので、ホテルで一息ついたら早速夕食に出ました。
ホテルから歩いて3分くらいの場所に
感じのいいお店(やっぱり民族調)を見つけたので入りました。
注文したものを待っている間に↓これが出てきました。
↓イタリアで言う、ブルスケッタもどき。
普通のパンと、すでにオイルでトーストしたパンがあり、それに生トマトベースの具をのせて食べます。
特に手前の具は、アルファルファやらいろんな野菜が入っていて、
辛味も少なめ(にんにくはたっぷり)、気に入りました。
お腹がすいていた私たちは、待っている間にこの具でパンを平らげてしまったのでした・・・。
さて↓これは、とうもろこしの皮(?)に
トウモロコシの粉やミンチ肉、ゆで卵のコマ切り等が混ざったものを包んで蒸した
北アルゼンチンの郷土料理Tamales(タマレス)です。
これは、
『ポレンタ(イタリアのトウモロコシ粉料理)よりも美味しい!』
とイタリア人に評判でした。
そりゃそうでしょう、トウモロコシの原産地は、まさに南米、アンデス山脈なのだから・・・。
それがヨーロッパに伝わったのは、15~16世紀のコロンブス時代でしょ。
彼らはもう4000年もの間、主食として食べてるんだから・・・。
きっとこの料理も、もともとあったものを、
植民時代にヨーロッパ人が自分たちの舌に合わせて改良したんじゃないの?
もとはと言えば、
トマトだって、アンデス原産。
( → ピッツァ。トマトソース。)
ジャガイモだって、中南米では1万年前から食べられているアンデス原産の食べ物。
( → ニョッキ。)
唐辛子だって、南米原産です。
( → アーリオ・オーリオ&ペペロンチーノのスパゲッティ。辛いソーセージ。)
これらすべての食材は、大陸発見後の15~16世紀にヨーロッパにもたらされたものです。
ということは、
南米なしでは今のイタリア料理はあり得なかった!!
と言えますよね。
普段からイタリア料理は世界一美味しく、世界一バラエティーに富んでいる、
と豪語しているイタリア人ですが、
コロンブスがいなかったら 今でも貴方達は
オリーブオイルかバターで和えただけのパスタ
を食べてるんだよ。
・・・と言いたいのを抑えて、
ひたすら食べたのが、↓これ、ロクロ。
ここは内陸なので やっぱり肉料理がメインのよう。
ロクロは、カボチャベースの煮込みスープで、
お豆、チョリソ(ピリ辛腸詰めソーセージ)、その他やわらかい牛肉(腸肉も!)等が入っています。
お好みで、↓青ネギとソースを自分でかけて食べます。
このソース、何?とお店の人にきくと
『色つけのためのトウモロコシベースのソース』
という不思議な回答でした。
色つけだけのためにかけるソース??
スープ自体がカボチャベースなので、もうすでに黄色っぽい。
でも確かに味らしい味はなかったソースなので、その用途が今でも謎です。
ロクロは 冬の食べ物という感でしたが、
その夜のサルタは、結構肌寒くて、ホテルにも暖房がかかっているくらいでしたから
全部たいらげてお腹いっぱいになりました。
これで 現地のワイン(これもなかなかオツ!)を飲んで
一人あたり4米ドル(400円?)くらいだったかな・・・。
さて、アルゼンチンはサルタです。
ブエノスアイレスからの便しかないので、
サンパウロからいったんブエノスアイレスに下がり、
そこからアルゼンチンの北西に位置するサルタに向かいます。
標高1200mのアンデス山脈に接する町なので、
ブエノスアイレスからの飛行機に乗る人も、なんだかみなアンデス系の人種。
サルタは、サルタ州の州都なのですが
植民時代の雰囲気も残る、かわいらしい街です。
特に気に入ったのが、ホテル・サルタ。
町のど真ん中の広場の角にあります。
インターナショナルなアメリカ様式の4つ星と違って、
植民地時代の雰囲気満点のホテルでした。
(サンパウロの 似非4つ星ホテルからなので、余計に愛着を感じてしまったのかもしれませんが・・・)
ロビー。民族調の皮の椅子や、壁のタイル、窓枠やガラスの色、など細部が独特。
各階にソファーなどのあるラウンジがあり、その奥に 階によっては本を読んだり書き物をしたり、団らんしたりもできる大きなテーブルのあるお部屋、インターネット通信のできるお部屋も自由に使えます。
(記事内最後の写真はそのお部屋に飾ってあったもの。)
部屋によっても違うのかもしれませんが、私の泊まったお部屋はまぁまぁ広く、
良かったのは、部屋の扉をはいると、寝室に入る扉とバスルームに入る扉とが分かれていて、
寝室からバスルームの音はもちろん、廊下の音も一切聞こえないことです。
寝室には、引出しのある民族調の木の家具が置かれていたのも、好印象でした。
風調も万全でした。必要はなかったけれどエアコンもありました。
使わなかったけれど、プールやSPAもあるようでしたよ。
↓ホテル内の螺旋階段。もちろんエレベーターもあります。
↑ブレましたが、ホテル外観。
↓これはホテル内にあった昔のホテルの写真。広場の中心から撮ったものでしょう。
何が違うって、並木が小さいことと、
ホテル前の道に自動車が走ってないこと。
写真でもわかるとおり、古くからある建物ですが
メンテナンスも行き届いていて、
快適に滞在できるホテルです。
調べてみると、あんなど真ん中にある風格のあるホテルなのに、
日本語サイトはもちろん、他国のサイトでもあまりきちんと紹介されていません。
旅行会社のルートにあまり乗っていないのかな・・・
ホテルのサイトも、スペイン語だけです。
これだけの条件も揃っているホテルなのに、お値段も高くないみたいです。
なんだか ますます好印象。
お勧めです。