現代の闇
テーマ:ブログどうも、木全です。
寒いね。
渇いてるね。
湿度、まったくありません。
いえ、湿度計は壊れていませんよ?
「孤独死」と聞くと、どうも高齢者を思いがちだが、現代はそうではないのですよね。
立川でみつかった母子。
どうやら、母親はくも膜下出血で命を落としたそうです。
子どもは衰弱死なのだろうか。
なんとも、悲劇である。
しかも、死後1~2ヵ月だとか。
母子の家庭環境はわからないが、お母さんは働いていなかったのかな。
子どもも幼稚園に通っていなかったんだろうか。
家族や親しくする友人はいなかったのだろうか。
子どもがひとりとなれば、空腹や恐怖で泣き叫んだかもしれない。
その声は、誰にも届かなかったのか。
私も町内会に属していますが、掃除当番やらなんやらで結構面倒だったりします。
しかし、顔をだしていればどこに誰が住んでいるのか、どういう家族構成なのかわかります。
会えば、挨拶や簡単な会話ぐらいは交わします。
でも、多くのマンションやアパート、いや一戸建てにおいても、
もはや近所づきあいというものが皆無に等しくなっているのではないだろうか。
「隣に誰が住んでいるのかわからない」
コワイ、という思いもあるかもしれませんね。
特に女性の一人暮らしは、そういう傾向があることでしょう。
けど、そういう場合だって、助けを求める先があれば心もちが違うでしょう。
顔を見れば挨拶を交わす、名前くらいは知っている。
いざとなれば、助けを求められる。
こういう時代だからこそ、必要なんじゃないだろうか。
特に地震など災害が起きれば、頼る人はご近所さんになってしまう。
そういうことも含めて、やっぱり地域コミュニティは大事なんだと思います。
この世で一番残酷なことは、「無関心」。
あからさまに首をつっこむ必要はありませんが、困っていそうだったら声をかける、
泣き声が聞こえたら、誰かに相談してみる。
そういう心遣い、大切なんじゃないかな。
「逆切れされて、刺されたら怖い」
そう思っちゃうよね。
でも、いまはいろんな組織があるんだから。
行政だとかNGOだとか、話をもっていく先なんてスマホですぐに調べられるだろう。
自分の事ばかり考えてたら、やさしさなんて生まれない。
やさしさがなければ、仕事におけるアイデアも企画もサービスも製品も利益も生まれない。
自分だけをみていたら、なにひとつ生み出せやしない。
だから、閉塞感漂っているんじゃないのかな。
それじゃ、いけないよね?
少なくとも、自分の身近にいる人、自分が関わる人たちには、
やさしさを伝えていきたい。愛を届けたい。
無関心ではいたくない。
つくづくそう思う、この頃なのであります。
ps 明日から、旅に出ますw 火曜日までさようなら~~~





















