日仏合同ゼミを終えて | 内的自己対話-川の畔のささめごと

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日曜日を週の始まりと考えれば、先週のことになり、週の終わりと考えれば、今週のことになるが、五日木曜日丸一日と六日金曜日の昼まで、法政大学哲学科の二年生から四年生までの学部生十九名とストラスブール大学日本学科修士一・二年生十三名との合同ゼミに、ストラスブール側の担当責任者として参加した。

木曜日は、午前午後とも、ストラスブール大学の最も古く由緒ある建物の中の、学会や博士論文の公開審査等でしか使わない立派な部屋で行われた。

午前中二時間は、私の講演(約四十五分)、それに対して予め準備された法政大学の学生の一グループからの代表質問、そしてそれらへの私からの回答。講演内容については、このブログの「自己認識の方法としての異文化理解」というタイトルの一連の記事で紹介済みなので、ここには繰り返さない。代表質問は、それぞれに大切な論点を捉えていて、その一つ一つに対して、十分とはとても言えないが、私の方でもできるだけ丁寧な回答を試みた。特に、問題にアプローチする際の方法的意識の大切さを強調した。

こちらとして反省すべき点は、ストラスブール大学の学生たちには予め講演内容を知らせていなかった(それでなくても彼らは自分たちの発表準備で精一杯で、かつこのゼミへの参加は評価対象外でもあったので、敢えてそうした)ので、彼らからの発言は一つだけにとどまり、積極的な参加がなかったことである。これはカリキュラム上の問題と彼らの日本語能力の問題とも結び付いていて、簡単には改善できないのだが、来年度は前期に口頭発表能力訓練のためだけの演習を行うことで対処することが、午前のプログラム直後の昼食の席での法政側の引率のA先生とストラスブール側の同僚たちとの話し合いで決まり、早速その方向でカリキュラム再編成に入った。

同日午後は、年度初めに選定し、法政側・ストラスブール側それぞれ演習で予め読んでおいた高橋哲哉『靖国問題』についてのパワーポイントを使っての学生たちの発表。ストラスブール側が二グループ、法政側が一グループの計三グループがまず続けて発表してから、五つのグループに分かれて、ディスカッション。

ゼミ終了後は、チャーターされたバスで、カイゼルスベルグというシュバイツァーが生まれた村にあるレストランで参加者全員の会食。

宿泊先であるCEEJAに着いたのはもう午後十時近かったが、そこから午後のグループ・ディスカッションの内容について各グループの代表者からの簡単な報告があり、それ以降は若干のアルコールを混じえての懇親会。旅の疲れもあるし、少しずつ皆自室に寝に帰っていったが、最後まで残っていた数人に私が「そろそろお開きにしましょうか」と言ったときには、午前零時半を過ぎていた。

翌日金曜日午前中は、朝八時から、前日午後に引き続いて『靖国問題』についての発表。前日同様まず学生たちの発表。ストラスブール側二グループ、法政側一グループ。その後は、六つのグループに分かれてのディスカッション。昨日よりは全体として皆打ち解けていたこともあり、それぞれのグループでかなりよく話し合っていた。その後の各グループの報告のときも、どちらの学生たちからもなかなかいい発言があり、時間切れで議論を打ち切ったのが残念なほどであった。

この一日半のプログラム全体として、『靖国問題』の読解を通じて、感情の問題、文化・宗教・政治の関係の問題、国と国との和解の問題等、靖国神社を巡ってどれだけ大きくかつ深い問題が問われているかについて、学生たちがいくらかでも自覚できただけでも収穫のあったゼミであると私は思う。

ただ、時間の制約から、『靖国問題』に欠落している歴史認識について議論する時間がなかったのは残念であった。それについては、小島毅『増補靖国史観 日本思想を読みなおす』(ちくま学芸文庫、二〇一四年)をまず手がかりとして(私自身はこの人の饒舌体を好まないが)、同書でも紹介されている子安宣邦『国家と祭祀 国家神道の現在』(青土社、二〇〇四年)へと進めば、より深い問題理解が得られることだろう。

午前のプログラムが済んだ後は、チャーター・バスでストラスブール市内に移動。バスを下車したところでストラスブール大の学生たちは解散。法政の学生たちはカテドラル近くのレストランで昼食。昼食後、カテドラルの前で、A先生と、これから市内観光する学生たちとに別れを告げて帰宅。

明日月曜日帰国する皆さんの道中の安全を祈る。