29.可能性を絞る
テーマ:給料が上がるサラリーマン「人には無限の可能性がある」と言われます。
その通りです。私が、総理大臣になる可能性が「絶対にない。」と誰も言い切れません。「それは難しいよ。」と言うことができても、私が、「1パーセントも可能性がないか?」と問えば、「絶対無理」とは誰にも言えません。
唯一、「絶対に無理だ。」と言えるのは、私です。
私自身は、総理大臣になれるとは思っていませんし、なりたいとも思っていません。だから、可能性が0パーセントであることを知っています。
なぜ、こんな話をしているかと言えば、「人には無限の可能性がある。」という言葉は、美しいですが、使う人と使い方、そして使い相手とタイミングを間違えたら、単なる無責任な発言になってしまうからです。
ハローワークで職をさがしている人に、「今は辛いだろうけど、そのうちいいことがあるよ。」とか「人生は何度でもやり直しができる」と言ったら、激怒されたという話があります。話している方は、相手のためを思っているのですが、失意のどん底にいる人にとっては、何の慰めにもなりません。
しかも、励ましている本人が失業していないまでも、今の仕事にやりがいを感じていなかったり、十分な評価を得てない立場なら、説得力すらもありません。
ハローワークで仕事をさがしている人に、できることがあるとしたら、仕事を紹介してあげることです。または、仕事を見つける方法を教えることです。
安易な慰めは、傷口を広げることになることがあります。それが、「無限の可能性がある。」という言葉だと思います。
人の可能性とは、生れ落ちた瞬間は無限かもしれません。しかし、人生の時間を過ごすうちに有限になっていくのです。
私は、小学生のころ地元のソフトボールチームに入っていました。よくある話ですが「天才」と言われて、市内のベストナインにも選ばれました。当時の夢はプロ野球選手になること。自分の可能性を信じて疑いませんでした。その後、中学でもレギュラーでしたが、上には上がいるものです。高校に進学するとき、甲子園出場経験のある高校を選びませんでした。この段階で、プロ野球選手への可能性を自ら閉じたのです。
ここで、「がんばれば甲子園に行ける。」とか「プロ野球で大金を稼げる」と言われても、本人が目指していないのですから、やる気にもなりません。
「人には無限の可能性がある。」は真実ですが、人は自らの可能性を閉じながら生きていることも真実です。
人の可能性は有限です。自分のできることは自分でわかっているはずです。だからこそ、できると思ったことは、必ずできるということでもあります。
私は、「本気になったら何でもできる」と豪語することよりも、可能性を絞りながら生きることが尊いと思っています。
自らの可能性を有限だと認め、有限の可能性を大きくしていく。
だから、「人には無限の可能性がある」ではなく、「有限の可能性を広げることができるのはその人だけ」と言いたいと思います。
古代の偉大な哲学者は、人生において最も難しいことは「自分を知ること」、最も簡単なのは「他人に忠告すること」と言っています。
私の可能性は私にしかわかりません。あなたの可能性はあなたにしかわかりません。
他人に、慰めの言葉をおくるよりも、自らの可能性を広げる生き方ができれば、人を勇気付けることができると思います。






