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2009-12-03 05:18:19

29.可能性を絞る

テーマ:給料が上がるサラリーマン

「人には無限の可能性がある」と言われます。

その通りです。私が、総理大臣になる可能性が「絶対にない。」と誰も言い切れません。「それは難しいよ。」と言うことができても、私が、「1パーセントも可能性がないか?」と問えば、「絶対無理」とは誰にも言えません。


唯一、「絶対に無理だ。」と言えるのは、私です。

私自身は、総理大臣になれるとは思っていませんし、なりたいとも思っていません。だから、可能性が0パーセントであることを知っています。


なぜ、こんな話をしているかと言えば、「人には無限の可能性がある。」という言葉は、美しいですが、使う人と使い方、そして使い相手とタイミングを間違えたら、単なる無責任な発言になってしまうからです。


ハローワークで職をさがしている人に、「今は辛いだろうけど、そのうちいいことがあるよ。」とか「人生は何度でもやり直しができる」と言ったら、激怒されたという話があります。話している方は、相手のためを思っているのですが、失意のどん底にいる人にとっては、何の慰めにもなりません。


しかも、励ましている本人が失業していないまでも、今の仕事にやりがいを感じていなかったり、十分な評価を得てない立場なら、説得力すらもありません。

ハローワークで仕事をさがしている人に、できることがあるとしたら、仕事を紹介してあげることです。または、仕事を見つける方法を教えることです。

安易な慰めは、傷口を広げることになることがあります。それが、「無限の可能性がある。」という言葉だと思います。


人の可能性とは、生れ落ちた瞬間は無限かもしれません。しかし、人生の時間を過ごすうちに有限になっていくのです。


私は、小学生のころ地元のソフトボールチームに入っていました。よくある話ですが「天才」と言われて、市内のベストナインにも選ばれました。当時の夢はプロ野球選手になること。自分の可能性を信じて疑いませんでした。その後、中学でもレギュラーでしたが、上には上がいるものです。高校に進学するとき、甲子園出場経験のある高校を選びませんでした。この段階で、プロ野球選手への可能性を自ら閉じたのです。


ここで、「がんばれば甲子園に行ける。」とか「プロ野球で大金を稼げる」と言われても、本人が目指していないのですから、やる気にもなりません。

「人には無限の可能性がある。」は真実ですが、人は自らの可能性を閉じながら生きていることも真実です。


人の可能性は有限です。自分のできることは自分でわかっているはずです。だからこそ、できると思ったことは、必ずできるということでもあります。

私は、「本気になったら何でもできる」と豪語することよりも、可能性を絞りながら生きることが尊いと思っています。


自らの可能性を有限だと認め、有限の可能性を大きくしていく。

だから、「人には無限の可能性がある」ではなく、「有限の可能性を広げることができるのはその人だけ」と言いたいと思います。


古代の偉大な哲学者は、人生において最も難しいことは「自分を知ること」、最も簡単なのは「他人に忠告すること」と言っています。

私の可能性は私にしかわかりません。あなたの可能性はあなたにしかわかりません。

他人に、慰めの言葉をおくるよりも、自らの可能性を広げる生き方ができれば、人を勇気付けることができると思います。

2009-12-02 05:38:46

28.学ぶということ

テーマ:給料が上がるサラリーマン

教えられたいと思われる人になるためには、自らが学び続ける必要があるとお話しました。


学ぶとは、目的を実現するための知識とスキルを習得することだと定義すれば、学びは、「何のために学ぶのかを知る」ことから始まります。

では、具体的にどう学ぶのか。


学ぶの語源は、まねるからきていると言われるように、まずは、優秀な手本をまねるということです。


その際、重要なのは優秀な師匠に学ぶということです。

学びは、優秀な師匠を見つけることで、大きく前進します。

師匠を見つけ、師匠をまねる。

すると、師匠のように上手くできないという壁にぶつかります。

理由は猿真似をしているからです。


例えば、上司が営業している場面を見て、「このときはこうすればいいのか」とわかることがあります。しかし、この「わかった」という感覚が危険なのです。実際にやってみて、上司と同じ結果を出すことができて初めて「わかった」ということになるのです。

わかったつもりなのに、上司と同じことができない。

そして、上司の動きをさらに細かく観察して、まねるようになります。すると、またしても上手くいかないことにぶつかります。そして、さらに詳細に上司を観察する。

このサイクルを繰り返していけば、あることに気がつきます。


上司と自分との違いです。

上司をまねながらも、自分の場合は違う方法でうまくいくことがあるということに気づきます。

これが個性と呼ばれるものです。


学ぶとは、師匠を徹底的にまねることから生み出される個性の発見だと言えるのです。

徹底的にまねる場合に、重要なのは猿真似にならないことです。猿真似とは、猿が人の真似をするように、考えもなく、むやみに他人のまねをすることを言います。


単に型をまねるだけでなく、「なぜ?」という意味を考えながら、師匠を観察することがまねるということだと思います。

そして、自らの個性に磨きをかければ、いつの日か、師匠と呼ばれるときが来るのだと思います。

2009-12-01 05:53:20

27.教えるということ

テーマ:給料が上がるサラリーマン

中学受験の進学塾を経営している友人がいます。とても厳しい授業で有名ですが、入塾希望者は後を絶ちません。

学校の先生が見たら驚くようなスパルタ授業ですが、塾をやめる子供もほとんどいません。


受験前になると、学校に登校する前に早朝6時から勉強をして、学校から戻ったら、深夜まで授業は続きます。

「中学受験に合格する」という目標を講師と生徒が共有しているので、「教える」という場が設定されています。このような場では、教えれば教えるほど、教えられる側は知識を吸収していきます。


もちろん、彼は受験に勝つテクニックだけを教えているのではありません。自ら学ぶことの大切さを教えています。

「何のために受験勉強をするのか」という目的をそれぞれの生徒が持ち、希望校に合格するという目標に向かっているのです。


一方で、学校で同じようなことができにくいのは、生徒の目的や目標がバラバラだからです。もしくは、目的、目標自体を持っていない子供もいます。だから、平気で宿題を忘れるし、ひどい場合はやらずに学校に来ることもできてしまいます。宿題をやってくる子供でも、「宿題だから」以上の目的がない場合もあります。


会社というのは、ほとんどの場合、学校と同じ構造になっています。すべての社員が目標をもっているとは限りません。


経験のある上司から見れば、簡単なことができない部下を「教えたい」と思います。しかし、部下の目的が、上司が教えたい内容以外にあれば、教えているはずのことが説教になってしまいます。また、上司を信頼していないために、教えられたくないと思っていれば、やはり教えることはできません。


教えるとは、教えられたいと思っている人にのみ、有効なのです。

ここで、「教える」ということについて考えてみたいと思います。


教えるとは、ノウハウ、ドウハウを伝えることだけではありません。ノウハウ、ドウハウは、教えられる側が「何のために」を理解して初めて有効に機能するのです。

だから、「教える」とは、学ぶ意味を見つけ出す支援をすることだと思います。


一生懸命に教えているつもりでも、部下が進歩しないと思ったら、部下の目的を聞く必要があります。そして、何を目的にして、何を教えられたいのかを相互に理解したうえで、「教える」ことが重要です。


そして、さらに重要なのは、教える側にある人間が、教えられたいと思う人間であるかどうかということです。

「あなたに教えられたくない。」と思われてしまえば、どんなに素晴らしい教えでも、右から左に流れてしまいます。

そのために、教える側にある人は、常に自らが学び続けることが重要だと思います。

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