35.癒されている場合ではない
テーマ:「このままでは終われない」と思ったら「自分さがし」や「癒し」は、人間にとって必要なことですが、時間の無駄だと思います。
できることなら、自分をさがすことなどなく、他人に癒しを求めずに暮らしていきたいと思います。
そもそも、なぜ、自分を探して、癒されなければならないのかということを考えてみます。
端的に言えば、ぼくの場合は、不安だからです。
不安の原因は、「どうしていいかわからない。」か「本当にこのままでいいのか。」という感情です。会社員をやっていると、自分の思い通りにならないことがあります。やりたくない仕事を命じられることもあります。ならば自分で会社を作ればいいのですが、失敗したときを考えれば一歩が踏み出せません。
こんなとき、ぼくの中では不満を不安が渦巻きます。
「どうすればいいのだろう。」と考え始めれば自分では答えが出せなくなります。そして、自分というものの答えと癒しを他人に求めるのです。
誰に相談しても得られる答えは同じです。
「今のままのあなたでいい。」「自分が本当にやりたいことをやればいい。」
最終的には、誰もが「私はあなたを認めています。だから、あなたはあなたが信じる道を進んでください。」という話をしてくれます。
「応援します。」と言ってくれる人もいますが、それはぼくが何かをやり始めたときの話です。自分を探して癒しを求めている間は、応援のしようがありません。
逆に、「あなたがやっていることは間違っています。考え方も最悪です。あなたは何をやってもダメな奴です。」と言われたとしたら、凹みますが、「今に見ていろ」と行動ができそうです。
自分を探したり、癒しを求めるのは必要なことですが、何度もやることではないと思います。結局のところ、自分がやりたいことは自分にしかわかりません。癒しとは、癒しを必要としない生活をおくるために必要なものです。だから、一度でいいのです。
自分さがしと癒しは、成功本を何冊も読む人が成功しないのと似ています。成功に必要なのは、モチベーションを高めることでなく、自分の分野で成果を出すために実務の知識であり、知識をお金に変える行動です。成功本には、言い方が違うだけで同じことが書かれています。成功しないのは、モチベーションが維持できないことが問題ではなく、成功する能力が足りないことが原因です。
ぼくは前向きな人間ではないので、自分をさがして迷走してきました。
そして気づいたのが、癒されても問題解決にはならないということです。「そのままのあなたでいい。」と言われても、そのままではいけないから悩んでいるのです。だから、癒しは一瞬の麻薬になるだけで、痛みを先送りしているに過ぎないのです。
なぜなら、癒しとはビジネスだからです。冷静になってみれば、癒されている人が癒している人にお金を払っています。
癒されたいと願うのは、ビジネスにおいてお客になることを意味します。何度も何度も癒される人は、癒しをビジネスにしている人から見れば、いいお客なのです。
癒しを休憩だと考えるならば、疲れたら癒されてもいいと思います。
しかし、自分がやりたいことをするためには、やりたいことができる能力を自ら身に付けるしかないのです。仮に、ぼくに能力がないとしたら、どんな人であっても、ぼくにその仕事をさせることはできません。
自分とはなんであるのかの答えは、どんなに迷っても自分で出すしかありません。他人が答えを出してくれることは絶対にないのです。
自分をさがすためのサイクルというものがあります。
「やりたいことがある」→「やってみる」→「できない」→「できる方法を勉強する」→「やってみる」。
最初にづまずくのは「やりたいことが何なのか」ということ。何かがわからなければ、今やっている仕事を一生懸命にやればいいのです。そして、違ったら、次のことを考えればいいのです。立ち止まって考え込む必要はないのです。
疲れてしまったら、休んでも構いません。癒しは休憩ですと話しました。心と体が休まったら、次にやるべきことはわかっているはずです。
人生、癒されたければ癒されればいいと思います。しかし、癒しから得るものはありません。むしろ、癒しはお金と時間を奪われるものだとすら思います。ぼくらはのんびりと癒されている場合ではないと思います。
さがしもとめる自分は、癒しを必要としなくなったときに現れます。






