人間はずっと戦ってきた。
それはたぶん、太古の昔から。
朝寝坊の恐怖と。
寝坊すると、学校や会社や草野球に遅刻してしまう。
太古の昔なら、マンモス狩りや猪鹿狩りなどの
待ち合わせ時間に遅れることになる。
「なにしてんだ、あいつは?」
「マンモスが逃げてしまうではないか」
と友人や同僚を困らせることになる。
そして、それが二度、三度続けば間違いなく
“遅刻魔”のレッテルを貼られてしまい、
その後の社会生活に支障をきたすこととなる。
「あいつはあれだから、遅刻魔だから」
という噂が一度たつと、大切な役割を任せてもらえなくなる。
サラリーマンなら確実に出世にひびく。
ゆくゆくはリストラ対象となるかもしれない。
それぐらい朝寝坊は恐ろしい。
そんなルーズな者たちを救う画期的な発明が
目覚まし時計である。
目覚まし時計の出現は、遅刻魔たちを大いに勇気づけた。
「大丈夫。もう憂うことはない」
あの大音量のけたたましいベル音は、
遅刻魔たちの体をゴム人間のようにしならせ、
ベッドから社会参加への扉の役割を果たすことになった。
しかし、ここで新たな問題が人類の前に立ちはだかる。
二度寝の恐怖である。
ベル音を消した後に不意に訪れる静寂。
そして再び訪れる睡眠への甘い誘惑の前に、
人類、特に遅刻魔たちは無力であった。
決して再び閉じてはならない瞼を閉じる。
蓑虫のように布団と一体化する。
・・・落ちていく快感。
そう、二度寝は恐怖であると同時に快感である。
遅刻の恐怖 と 二度寝の快感。
背反二律であることが、より快感を増幅させた。
やってはいけないことほど、気持ちいいのだ。
いつしか、二度寝は突発的な事象ではなく、
積極的に味わう一つの行為となった。
二度寝フェチ なるものの出現である。
目覚まし時計を複数個設置し、タイマーの時間をずらし、
心ゆくまで二度寝を楽しむ者たち。
文明の利器が一つの文化を創った瞬間である。
そして、そんな二度寝フェチたちを狂喜乱舞させたのが、
携帯電話アラーム機能の一つ、スヌーズの出現である。
スヌーズのおかげで、目覚まし時計は過去の遺物となった。
UWFの出現が昭和プロレスを衰退させたように、
おニャン子クラブのおかげで昭和アイドルたちが輝きを失ったように、
スヌーズは時代の寵児となったのだ。
私も今やスヌーズのへヴィユーザーである。
大切な取材や草野球の前日などは、
携帯電話を握り締め、時間、メロディー、アラーム間隔などを
こと細かに設定していく。
「明日は小鳥のさえずり音で目覚めるとするか」
などとスローライフな気分に浸るのである。
「明日はチェロで優雅に目覚めよう」
などとワンランク上の起床を目論むのである。
さらにスヌーズの素晴らしいところは、何の憂いもなく
二度寝はおろか、三度寝、四度寝も堪能できることである。
スヌーズは確実に「起床の現場」を変えた。
二度寝を「堕落から娯楽へ」と進化させた。
スヌーズよ、ありがとう。
しかしながら、一つの疑問が横たわったままである。
それは 「スヌーズって何語?」 ということである。
スヌーズなんて言葉自体を知らなかったのに、
スヌーズはいつの間にか我々の生活に溶け込んでいた。
英語なのか、フランス語なのか、スペイン語なのか?
ひょっとすると造語であったり、新語であることも考えられる。
毎日のように世話になっていながら、
スヌーズの出生について、私たちは何も知らないのである。
こういう時、ウィキペディアという便利なWeb辞典があるが、
そんな野暮なことはしないでおこう。
正体不明だが、ええ仕事をする謎のマスクマン。
スヌーズはそんな存在でいてほしい。




