人生流し打ち

野球と酒と昭和プロレスにどっぷりハマっている、リアル全国草野球リーグ(R-47)公式サイトの編集長がつづる日々の戯言。


テーマ:

人間はずっと戦ってきた。


それはたぶん、太古の昔から。


朝寝坊の恐怖と。


寝坊すると、学校や会社や草野球に遅刻してしまう。


太古の昔なら、マンモス狩りや猪鹿狩りなどの


待ち合わせ時間に遅れることになる。


「なにしてんだ、あいつは?」


「マンモスが逃げてしまうではないか」


と友人や同僚を困らせることになる。


そして、それが二度、三度続けば間違いなく


“遅刻魔”のレッテルを貼られてしまい、


その後の社会生活に支障をきたすこととなる。


「あいつはあれだから、遅刻魔だから」


という噂が一度たつと、大切な役割を任せてもらえなくなる。


サラリーマンなら確実に出世にひびく。


ゆくゆくはリストラ対象となるかもしれない。


それぐらい朝寝坊は恐ろしい。



そんなルーズな者たちを救う画期的な発明が


目覚まし時計である。


目覚まし時計の出現は、遅刻魔たちを大いに勇気づけた。


「大丈夫。もう憂うことはない」


あの大音量のけたたましいベル音は、


遅刻魔たちの体をゴム人間のようにしならせ、


ベッドから社会参加への扉の役割を果たすことになった。



しかし、ここで新たな問題が人類の前に立ちはだかる。


二度寝の恐怖である。


ベル音を消した後に不意に訪れる静寂。


そして再び訪れる睡眠への甘い誘惑の前に、


人類、特に遅刻魔たちは無力であった。


決して再び閉じてはならない瞼を閉じる。


蓑虫のように布団と一体化する。


・・・落ちていく快感。


そう、二度寝は恐怖であると同時に快感である。


遅刻の恐怖 と 二度寝の快感。


背反二律であることが、より快感を増幅させた。


やってはいけないことほど、気持ちいいのだ。



いつしか、二度寝は突発的な事象ではなく、


積極的に味わう一つの行為となった。


二度寝フェチ なるものの出現である。


目覚まし時計を複数個設置し、タイマーの時間をずらし、


心ゆくまで二度寝を楽しむ者たち。


文明の利器が一つの文化を創った瞬間である。



そして、そんな二度寝フェチたちを狂喜乱舞させたのが、


携帯電話アラーム機能の一つ、スヌーズの出現である。


スヌーズのおかげで、目覚まし時計は過去の遺物となった。


UWFの出現が昭和プロレスを衰退させたように、


おニャン子クラブのおかげで昭和アイドルたちが輝きを失ったように、


スヌーズは時代の寵児となったのだ。



私も今やスヌーズのへヴィユーザーである。


大切な取材や草野球の前日などは、


携帯電話を握り締め、時間、メロディー、アラーム間隔などを


こと細かに設定していく。


「明日は小鳥のさえずり音で目覚めるとするか」


などとスローライフな気分に浸るのである。


「明日はチェロで優雅に目覚めよう」


などとワンランク上の起床を目論むのである。


さらにスヌーズの素晴らしいところは、何の憂いもなく


二度寝はおろか、三度寝、四度寝も堪能できることである。


スヌーズは確実に「起床の現場」を変えた。


二度寝を「堕落から娯楽へ」と進化させた。


スヌーズよ、ありがとう。



しかしながら、一つの疑問が横たわったままである。


それは 「スヌーズって何語?」 ということである。


スヌーズなんて言葉自体を知らなかったのに、


スヌーズはいつの間にか我々の生活に溶け込んでいた。


英語なのか、フランス語なのか、スペイン語なのか?


ひょっとすると造語であったり、新語であることも考えられる。


毎日のように世話になっていながら、


スヌーズの出生について、私たちは何も知らないのである。



こういう時、ウィキペディアという便利なWeb辞典があるが、


そんな野暮なことはしないでおこう。


正体不明だが、ええ仕事をする謎のマスクマン。


スヌーズはそんな存在でいてほしい。











テーマ:

プロ野球もいよいよ日本シリーズ直前。


敗れたチームはすでに秋季キャンプに突入しており、


FA、トレード、ドラフトなど、ストーブリーグの話題は尽きないが、


この時期になるとスポーツ新聞の片隅に必ず顔出すのが、


「戦力外通告」の5文字である。



まったく1軍経験なく、無名のままグラウンドを去る選手も多いが、


切ないのは「未来の大砲」「10年に一人の逸材」などと騒がれたが、


結局花開かずこの世界を去ることになった選手たちの存在だろう。



あの場面で抑えていれば、あの場面で打っていれば・・・


「たられば」が成立しない厳しい世界であることは重々承知だが、


その一球が選手生命を左右することになったケースは多い。



プレッシャーに負けたのか、弱肉強食の世界に敗れたのか、


理由はどうあれ、一瞬にして「プロ野球選手」という肩書きを奪われる。


「来年は契約しないことになりました」


球団事務所からの冷徹な一本の電話を受けた瞬間に。



そんな「クビを宣告されあ男たち」の切ないドラマは、


毎年、ドキュメンタリー番組としてテレビ放映され、


ルポルタージュとして一冊の本にまとめられる。




人生流し打ち-戦力外


毎年、この番組を観て、活字版も読む。


彼らの中で「野球人の本能」を失っていない者たちは、


最後の敗者復活戦 「合同トライアウト」を受ける。


表の世界で、FAメジャー移籍やドラフト大型新人加入などの


華々しいニュースが飛び交う中、ひっそりと、粛々と。



メジャー挑戦もドラマなら、トライアウトも壮絶なドラマだ。


そっちの方が、心の襞を熱くするのだ。



40歳を超えると、一般社会でも同じようなことが身近に起こる。


会社をリストラされた友人、お店を廃業する知人、職を失った先輩。


戦力外通告は普通にその辺に転がっている。


決して他人事ではない。















テーマ:

まったく興味がないイベントや 理解できない集まりを目にすると


人は異様さを感じ、できるだけ近づかないようにする。


 意味不明なことにのめり込んでいる人 = 恐怖の対象


新興宗教、オタクイベントやプロレス会場なんかも昔はそうだった。



音楽の場合も ヒップホップの人が氷川きよしコンサートに


足繁く通うことはないし(いるかもしれんが…) 逆もまたしかりだ。


しかし、それまでまったく興味がなかったのに、


何かの拍子に体験してしまい そのままズッポリはまることもある。



宝塚、いやタカラヅカ。


今年の初春に取材で観劇して以来、例えばBS番組表などで


「宝塚歌劇アーカイブス」なんて文字を見ると気になるのである。


図書館で演劇本コーナーに行き、宝塚という文字を探したりするのだ。



人生流し打ち-タカラヅカ


かといって 劇場に足を運ぶ訳ではない。


なんかちょっと気になる存在で止まっている。


例えると 牛乳瓶の底のような眼鏡をかけた同級生の女子を


いままでまったく気にもかけてなかったのだが


ふとしたことで 彼女の素顔を見てしまい


決して美人じゃないが意外に愛嬌ある顔であることを知り


それ以来 少し意識してしまう という状態だろう。



マニアの世界というのは同胞の民に囲まれる安堵感と


社会から逸脱しているアナーキー感を同時に味わえるからハマる。


「わからんやつにはわからんのよねえ」


というある種の特権意識が芽生えるのである。



私はそもそも プロレスおたく暦30数年というウンコ野郎なので


マニアな世界にハマる人々の気持ちが痛いほどわかる。


タカラヅカの入口で いこかもどろか思案する 四十路の男。



気色悪いオッサンであることは、間違いない・・・。






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