公式確認から54年を経て、1日午後に熊本県水俣市で行われる水俣病犠牲者慰霊式。

 鹿児島県出水(いずみ)市の未認定患者、松嶋角義(すみよし)さん(63)は、13年前に亡くなった祖母キクさんの無念の思いも胸に式に出席する。キクさんは認定患者だったが、それを知らなかった松嶋さんは1995年の政治決着時の救済申請が認められず、15年間救済を待ちわびてきた。この日は、祖母の名を慰霊の碑に奉納することで気持ちに区切りをつけ、再び救済を申請する。

 松嶋さんは半農半漁の家に生まれ、毎日、不知火海の魚を食べた。中学生の頃から、めまいやふらつきを感じ、就寝中に足がつることが多かった。高校を出てマグロ漁船に乗ったりタクシーの運転手をしたりしたが、体力が持たず職を転々とした。

 「水俣病かもしれない」。95年の政治決着では同じような症状があった両親、2人のきょうだいとともに救済を申請した。だが、自分だけが対象から外された。

 「一緒に暮らし、同じものを食べたのに、なぜ」。思い当たるのは、家族のうち松嶋さんだけが、申請書類に「家族に患者はいない」と記したことだった。キクさんは認定患者だったが、当時、県外にいた松嶋さんだけには知らされていなかった。自分が救済対象から外れて初めてキクさんが患者だと知った。「なぜ教えてくれなかったのか」という憤りと、「心配をかけたくなかったのでは」という気持ちのはざまで苦しんだ。

 所属する未認定患者団体「水俣病出水の会」(出水市)の役員として、救済を求めて国や県などに協力を求め続け、同じような被害者たちを「あきらめないで」と励ましてきた。そうした努力が実って被害者救済法が成立、今年4月には法に基づいた具体的な救済策も閣議決定され、2度目の政治決着が実現した。約1万1000人が対象となった95年決着よりも症状の範囲が広がり、今回は3万人を超えるとの見通しもある。

 2度目の政治決着の見通しがついた頃。同会の尾上利夫会長から、キクさんの名簿を奉納してはどうかと声を掛けられた。

 奉納は本人や家族が希望した場合のみ行われる。3月までに死亡した患者は1698人だが、式典会場にある慰霊の碑に奉納された名簿は336人に過ぎない。氏名は非公表にもかかわらず数が少ないのは、「どんな形で知られるかわからない」と、今も水俣病への偏見を恐れる人が多いからだ。救済策がまとまった今年の慰霊式では、キクさんも含め、例年より多い27人の名簿が奉納される予定だ。

 キクさんは13年前、101歳で亡くなった。か細い手足をさすって痛みに耐えていた姿を忘れることができない。「慰霊式には首相も参列する。花を手向けてもらえば祖母も慰められるだろう。救済の実現を喜んでくれるはずだ」

 慰霊式に向かうこの日朝、キクさんの位牌(いはい)に手を合わせた。「こんな思いをする人が二度と出ないような救済を実現してほしい」

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