前回に続いて、清水寺の中の建物について、紹介していきます。


○本堂



「メイン・ホール(本堂)は最も古い建築物で、大半の参拝者たちは山の斜面で休憩をとりますが、ほかの人たちがっちりした木材と絶壁にかかった足場に支えられた広い舞台(懸崖造)で休みます。(シドモア日本紀行 講談社学術文庫)」



明治のはじめに、シドモアというアメリカ人の女性が清水寺を訪れました。これは、そのときの感想です。


シドモアという女性については、こちら

の記事をご覧ください。


アメリカ人が見た明治の日本と日本人~清水の祭り~


シドモアが訪れた清水寺と現在の清水寺とでは、建物自体はほとんど変わっていないでしょう。

清水寺の本堂の造りが特徴的なのは、この舞台の舞台造り(建築学的には懸造り)であることです。
清水寺がこのような造り方になったのも、理由があります。


「舞台造りの建物には観音堂が多い。観音が南海にある補陀落山に住むとされることから、観音信仰のお堂が補陀落山に見立てた山の中腹に建てられることが多かったためである。

                       (清水寺 古寺をゆく 小学館)」


前回、西門のところで、「浄土教」についての話をしました。



「浄土教」


「如来や菩薩の住む浄土への往生を願う信仰。薬師・弥勒・観音・釈迦などの浄土も知られていたが、特に阿弥陀如来(仏)の〔西方〕極楽浄土(阿弥陀浄土)への信仰が厚かった。10世紀以降に発達した(日本史用語集 山川出版)」



今の日本では、西にあるとされる極楽浄土が有名ですが、このように、東西南北のそれぞれに浄土があります。

南にあるとされるのが、この「補陀落(ふだらく)浄土」です。
この補陀落山に、観音菩薩が住むと考えられていました。


つまり、補陀落浄土は、高い崖の上にあるとされていたのです。


清水寺の本尊が観音菩薩ですから、あえて懸造りにして、「崖の上にある補陀落浄土」をイメージしたのでしょう。




これが、その崖になります。


私がこの懸造りを下から眺めたときに、「ポタラ宮殿」を思い出しました。ポタラ宮殿とは、チベットのラサにあるダライラマが住んでいた宮殿です。


ちなみに、ラサとは、「仏陀の地(地名の世界地図 文春新書)」という意味になります。


さらに、ダライラマとは、大いなる知恵という意味で、観音菩薩の生まれ変わりと考えられています。

この「ポタラ」は、サンスクリット語で。日本語にすると、「補陀落」になります。

 「仏教では西方の阿弥陀浄土と同様、南方にも浄土があるとされ、補陀落 (補陀洛、普陀落、普陀洛とも書く)と呼ばれた。その原語は、チベット・ラサのポタラ宮の名の由来に共通する、古代サンスクリット語の「ポータラカ」である。補陀落は華厳経によれば、観自在菩薩(観音

菩薩)の浄土である(ウィキペディア)」


つまり、「ポタラ=補陀落」となります。

ダライラマ(観音菩薩)が住む場所ということで、「ポタラ(補陀落)」という名前になったのでしょう。

だから、崖の上にある補陀落浄土をイメージして、「垂直のヴェルサイユ」と呼ばれるような特徴的な造りになったではないかと、推測します。

下から見たら、清水寺もポタラ宮殿もよく似ています。


チベットのポタラ宮

清水寺のように、補陀落浄土をイメージして建物をつくって、そこへお参りに行くのならいいでのすが、中には、船に乗って直接補陀落へ行こうとしたこともありました。

これを、「補陀落渡海(ふだらくとかい)」と言います。



「補陀落渡海(ふだらくとかい)は、日本の中世において行われた、捨身行の形態である。(ウィキペディア)」



文字どおり「捨て身の」行で、これをやると必ず死ぬことになります。
中世の日本人には、この補陀落浄土が本当にあると信じて、船に乗ってそこに向こうとする人たちが出てきました。

一度、船に乗って補陀落を目指して出航したら、もう、戻ってこられません。

 「場合によってはさらに108の石を身体に巻き付けて、行者の生還を防止する(ウィキペディア)」ということでしたから、念のいったものです。

この行者は、船に乗って、補陀落を目指したまま命を絶ちます。

 この「補陀落渡海」では、生きたまま補陀落に行こうと考えたのではなく、そうして、死ぬことで、補陀落浄土に往生しようと(行こう)と考えたのだと思います。

 この補陀落渡海は、何度も行われていたようです。



「紀伊和歌山県那智勝浦最も有名なものは紀伊(和歌山県)の那智勝浦における補陀落渡海で、『熊野年代記』によると、868年から1722年の間に20回実施されたという。この他、足摺岬、室戸岬、那珂湊などでも補陀落渡海が行われたとの記録がある(ウィキペディア)」


こんな「補陀落渡海」をしなくても、清水寺に行けば、補陀落に行けるのに、と思ってしまいますが。


○清水の舞台



「かつて嫉妬深い夫たちは妻をこの舞台から投げ落とすために利用しました。ぎざぎざの岩場へ一五〇フィート〔45メートル〕も落下し、生き

残った妻は不倫行為の無罪が証明され、死んだ人は有罪でした!?」



 シドモアがこのように書いているということは、日本人の誰かが教えたということでしょう。こういう言い伝えが清水寺の舞台にあったとは知りませんでした。


不倫とは別で、この清水の舞台から飛び下りた日本人は、多くいました。



「清水の舞台から飛び下りて、補陀落浄土への旅立ちを願う人たちは、平安時代から存在したと言われる。もちろん自殺でなどではなく、観音信仰に根差した人たちである。江戸時代の当たり狂言でも舞台からの飛び落ちが演じられ、観音様への心願をたてて飛び下りる人が続

出したという。 (京都なるほど事典 清水さとし)」



ここで飛び降れば、例え死んだとしても、そのまま補陀落浄土に行くことができる(往生)と伝えられていました。

 これは、先ほどの「補陀落渡海」と同じ考えでしょう。

 「補陀落渡海」も「清水寺の舞台から飛び降りること」も、観音菩薩がいる補陀落浄土に行くために行ったことです。

ここで飛び降りることが禁止されたのが、1882年のことです。

 京都市は明治15年(1882年)に「飛び下り禁止令」を出しています。
この禁止令も、明治の「文明開化」の一つとして出されたようです。

 それにしても、清水寺の舞台から飛び下りることは、法律で禁止しなければいけないほど、魅力的だったのでしょうか?


以下は、余談になります。


この「清水の舞台から飛び降りる」という言葉が好きだったのが、友だちの韓国人でした。

「韓国人には、こういう必死の決意をもって事を行う機会が、人生にたくさんありますから」という理由だそうです。

さらに余談になりますが、韓国人の日本語発音には、親しみを感じます。


「つ」が「ちゅ」、「ず」が「じゅ」に聞こえます。

だから、「清水」が「きよみじゅ」になります。

韓国人の友だちと清水寺に行ったのは、暑い夏の日でした。


「今日は、あちゅいですね」

と、彼が言います。

「そう?京都では、これが普通だよ」、
と、私が言うと、
「え?そうなんですか?これが、ふちゅうですか!」
と、驚いていました。


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