今回は、清水寺の中の建物について、紹介していきます。

清水寺には、仁王門から入る人がほとんどだと思います。

そのまま入りましょう。

そして、入ってすぐのところに、西門があります。

ここからの京都市内の眺めは、とても素晴らしいです。


ここからの夕日の眺めはとくに見事であり、清水十景のひとつに数えられている。この西門も西方浄土への往生を願う日想観の行(ぎょう)に使われたとも考えられる。(清水寺 古寺をゆく 小学館)」


西方浄土は極楽のことで、阿弥陀仏浄土でもあります。



「浄土教」

如来や菩薩の住む浄土への往生を願う信仰。薬師・弥勒・観音・釈迦などの浄土も知られていたが、特に阿弥陀如来(仏)の〔西方〕

極楽浄土(阿弥陀浄土)への信仰が厚かった。10世紀以降に発達した。日本史用語集 山川出版)


ここにあるように、「浄土」というのは、一つだけではなくて、たくさんの浄土があります。


中でも、一番有名なのが、阿弥陀仏がいる「極楽(浄土)」でしょう。

この浄土は西にあると言われています。


清水寺の本尊である観音菩薩は、南の「補陀落(ふだらく)」という浄土にいると言われています。


平安時代の人々は、死んだからこの極楽浄土(西)から、阿弥陀仏が迎えに来てくれるというとことを広く信じていました。


絶大な権力を握った藤原道長も、その一人です。

道長も、この阿弥陀仏を篤く信じていました。


道長は、宇治の平等院鳳凰堂でなくなりましたが、その死の間際、自分の指と阿弥陀如来の指と糸で結んでいたといいます。


「必ず、自分を極楽浄土に連れて行って欲しい」という強い願いがあったのでしょう。

道長だけではなくて、平安時代の多くの人々は、阿弥陀仏や極楽を信じていた。



先ほどの説明文に出てきた「日想観の行(ぎょう)」とは、「大辞林」によると、このようなものです。










「 西門」


〘仏〙 西に沈む太陽を見て,その丸い形を心に留める修行法。極楽浄土を見る修行の一部で,観無量寿経に記される。日想。



仏教の僧侶や信者が、この西門から夕日を見て、極楽浄土を想像していたのだと思います。


ここで、話がガラリと変わって、カンボジアのアンコールワットの話になります。

カンボジアには、アンコール時代に建てられた寺院が数多くあり、そられは、「アンコール遺跡群」と呼ばれています。

アンコールワットは、その中でも最大で一番有名な寺院です。


このアンコールワットには、ある特徴があります。

他の多くの寺院は、東向きに建てられているのですが、どういうわけか、このアンコールワットは、西向きに建てられています。



この理由をカンボジア人のガイドに聞くと、「さいほうじょうど(西方浄土)と同じ考えです」と言っていました。


ヒンドゥー教では、ヴィシュヌ神が西にいると考えられているそうです。

これは、アンコールワットを建てたスールヤヴァルマン2世が、「自分は、ヴィシュヌ神の生まれ変わりで、死んだら西のヴィシュヌ神の世界に行く」と考えて、西向きに造ったということです。



これは、このガイドの話ですから、どこまで確かなものかは分かりません。

ですが、アンコール時代のプリヤ・カン寺院でも、次のような配置が見られます。



「プリヤ・カン寺院の配置を見るとそれがよくわかる。中央にローケーシュアラ(観音菩薩)を安置し、北にシヴァ神、西にヴィシュヌ神、南に祖先の霊を祀っていた。(アンコールからのメッセージ 山川出版社」



「東西南北のそれぞれの方角に神が住む世界がある」というのは、古代インドの考え方ですから、アンコールワットが西向きである理由と清水寺の西門には、はるか深いところでつながっているかもしれない。


ちなみに、京都では、他の寺が5時ごろに拝観が終わりますけど、清水寺は遅くまで開いています。

私が、外国人を案内するときは、清水寺を最後にして、西門から京都市内と夕方を見ながら、平安時代の日本人が西方浄土に行くことを望んでいたことや日想観の行の話をします。




千体石仏群




西門を出て、本堂に向かう途中の道を右に曲がると、「千体石仏群」というものがあります。

これは、以下のようなものです。



「町ごとにまつるお地蔵さんも取り除きを命じられ、石仏の多くは鴨川などの打ち捨てられたが、それにそのびない人々が清水寺に運んだ。それを寺がまつりなおしのが成就院参道の石仏群である(清水寺 古寺をゆく 小学館)」



清水寺のHPには、このように説明しています。



「成就院参道の右手には、地蔵菩薩、観音菩薩、阿弥陀如来、大日如来、釈迦如来など、様々な石仏が立ち並んでいます。その一部は、かつて京都の各町内にお祀りされていた「お地蔵さん」。明治の廃仏毀釈の際に、捨てるに忍びないと、地蔵信仰の篤い京都市民から寺に運び込まれたものです。(清水寺HP)」




廃仏毀(はいぶつきしゃく)」という言葉を初めて聞いた方も多いのではないでしょうか?


明治時代に入ってすぐに、「神仏分離令」が出されて、神道と仏教、神社と仏教寺院とがはっきり分けられました。
分けただけではなくて、日本人は仏教を弾圧し、多くのお寺や仏像を破
壊していました。


廃仏毀釈



仏教を排斥する行動や政策。神仏分離令を機に廃物運動が激化し、全国的に寺院・仏像などの破壊、藩による寺領の没収が続出。その様子は「開化の入口」などに描かれている。一方、真宗大谷派を中心に仏教擁護の一揆(護法一揆)も三河・越前などで起きた。

(日本史用語集 山川出版)


戦国時代には、キリシタンが仏教寺院を破壊したことがありましたが、このように、日本人が仏像や寺院を破壊した歴史もあります。


このときに大打撃を受けたのが、奈良の興福寺で、現在では国宝となっている五重塔が25円で売りに出されたということは、以前の記事でかきました。


この明治に起きた「廃仏毀釈」のときに、街にあったお地蔵さんも壊されるか捨てられることになりました。

でも、愛着があるお地蔵さんを守りたいと思う人も多くいて、そんな人たちがお地蔵さんを清水寺に運んで来ました。


そうして守られたお地蔵さんが、「千体石仏群」として、清水寺にあります。

これらからは、廃仏毀釈の時代を生きた庶民の「お地蔵さんを守りたい」という願いがみてとれます。


このことは、こちらの記事でも、書いています。

アメリカ人が見た明治日本と日本人~人力車と清水寺~


今回は、ここまでになります。



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