ちょっと気分転換の意味もこめて、今回の記事は、前回の記事で出てきた京都の清水寺の案内をしたいと思います。




「清水寺は、何で建てられたか?」



ということを考えたときに、欠かせないのが、「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」という人物です。

758811の平安時代に生きた人で、このような人物になります。




「弖流為」は、「アテルイ」です。

 蝦夷(現在の東北地方)にいた族長で、京都から送られた坂上田村麻呂と戦いました。





797年、征夷大将軍となる。802年、蝦夷の族長阿弖流為を降伏させた。同年に胆沢城、翌年に志波城を築き、蝦夷経営の拠点を大きく前進させた(日本史用語集 山川出版)」





この「征夷大将軍」という役職ですが、811年に一度なくなっています。

でも1184年に復活しました。



そして、1192年に源頼朝がこの「征夷大将軍(将軍)」なってから、19世紀の徳川慶喜まで続くことになります。

現在、日本人や外国人がイメージする武家のトップ(棟梁)の意味での「将軍」は、1192年以降の「将軍」になります。





坂上田村麻呂のときの「征夷大将軍」は、「蝦夷を征伐する将軍」という意味になります。

足利義満や徳川家康などの「将軍」とは同じ漢字ですが、別物になります。







この「征夷大将軍」の坂上田村麻呂と清水寺の関係は、このようなものになります。




延鎮は「えんちん」、行叡居士は「ぎょうきこじ」です。





「その開山は778年(宝亀9)。大和・小島寺の僧延鎮が観音の夢告を受け、山城国音羽山中の金色水の源に至った。その滝下で修行する行叡居士と出会った延鎮は、授けられた霊木で観音像を彫ってまつり修行を重ねた。2年後、延鎮とめぐりあった坂上田村麻呂が観音に帰依し、音羽の滝のほとりに仏堂を建立。(清水寺 古寺をゆく 小学館)」





さらに、本尊の十一面千手観音菩薩を本堂に安置して、今日の清水寺が始まるとされています。



引用が多くなってしまいますが、清水寺のHPの次の文を見てください。




「夏の暑い日に鹿を求め音羽山に上がってこられました。そしてひと筋の水の流れを見つけ、そのあまりの美しさに、水源を求めて歩みを進めるうちに草庵にたどり着き、賢心と出会いました。

坂上田村麻呂公は賢心に鹿狩りに上山した旨を話すと、観音霊地での殺生を戒められ、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の教えを諭されました。


深く感銘を受けた坂上田村麻呂公は、この賢心が説かれた清滝の霊験、観世音菩薩の功徳を妻室に語り聴かせ、共々深く仏法に帰依(きえ)されました。そして後日、自らの邸宅を仏殿(ぶつでん)に寄進し、十一面千手観世音菩薩を御本尊として安置されました。(清水寺HP)





「清水寺 古寺をゆく」という本と「清水寺のHP」では、坂上田村麻呂が征夷大将軍として阿弖流為と戦ったことが書いてありません。

ウィキペディアには、これが書いてあります。





後に征夷大将軍となり、東国の蝦夷平定を命じられた田村麻呂は、若武者と老僧(観音の使者である毘沙門天地蔵菩薩の化身)の加勢を得て戦いに勝利し、無事に都に帰ることができた。



延暦17年(798)、田村麻呂は延鎮(もとの賢心)と協力して本堂を大規模に改築し、観音像の脇侍として地蔵菩薩と毘沙門天の像を造り、ともに祀った(ウィキペディア)




「観音菩薩が味方してくれたおかげで、戦いに勝つことができた」だから、その感謝の気持ちを表すために、「本堂を大規模に改築し」たということでしょう。


これが、現在の清水寺の姿になっています。


「清水寺 古寺をゆく」と「清水寺のHP」とでは、この記述がなかったということは、「清水寺と戦いを結びつけたくなかったのかな?」と、思ってしまいます。

仏教の教えと人が殺し合う戦いは、合いませんから。



でも、戦いの勝利を仏に祈ることは、よくありました。

「日本仏法の最初の官寺」である四天王寺も同じです。




「聖徳太子が物部守屋との戦いで四天王寺に祈り、勝利を得たので創建したという。(日本史用語集 山川出版)」




現在の清水寺の建物は、一度焼失したものを、家光が1633年に再建させたものがほとんどです。

ですが、坂上田村麻呂が建てたときと同じつくりになっているそうです。



京都にある寺で、平安時代の前からある寺はとても少ないそうです。

清水寺は、その当時のたたずまいを残している貴重なお寺ともいえます。






ここで、話がちょっと、それます。

新しく建物ができあがることを「落成」といいます。

これが、私には不思議でした。




「何で、新築した建物に『崩れ落ちる』の『落』という漢字を使うのか?縁起が悪いのではないか?」

「三年坂」を縁起が悪いと「産寧坂」にした日本人なのに、この「落」という字は気にならなかったのか?



調べてみると、これには、次のような意味があるようです。




昔の中国では、鐘を新しくつくると、その鐘がよく鳴るように、動物を殺してその血を鐘に塗る習慣があったそうです。

この習慣を「落」といいました。

現在の日本の「落成」という言葉も、この中国の「落」という習慣に基づいたものだそうです。




ということで、今回は、清水寺全体の紹介で終わってしまいました。

次回は、中の建物について、紹介していきます。




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