『桜』と『戒』と『律』 | 「灯りと温もり」の雑記帳

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平成29年元日に、ブログタイトルを「アメカジおやじの雑記帳」から「『灯りと温もり』の雑記帳」に変えました。


昨日、理化学研究所の笹井芳樹副センター長の会見が開かれ、私は『ニコニコ動画』で中継を観ていました。
3時間以上に及んだ会見のほとんどが質疑応答に充てられたけど、先ずは「おつかれさまでした」と申し上げます。

笠井さんの立場、認識、責任などに関する会見であっても、『STAP細胞』は ご自身だけの問題ではないから、質問の何もかもに詳らかな応答は出来ないし、巧みに秘匿する部分があるのは仕方が無い事だと想う。

笹井さんの応答では専門用語が解らない箇所も多く、また論理の組み立てには解り易い部分と、詳細に語れない部分を意識的に難解にしていた部分とがあり、食い下がる記者を進行役が躱していた場面も一部に在ったと想うけど、会見の全体を通して考えれば、「よく応えていた」と想います。

それにしても会場の記者からの質問は、小保方さんの時と同様に情緒的・感情的なものも多いと、改めて感じましたし、テレビ局の記者の中には番組で使う映像を作る目的で、「舌鋒鋭く追求する」姿を演じたとしか想えない質問をする者も居て、嫌悪感を覚えました。

正鵠を射た質問者も居たけど、所属組織に「仕事してます」のアピールに過ぎない質問者も居た。
まあ、暫くは専門家の意見を借りて、笹井さんの言葉の “粗探し” 番組が続くのだろうが、せめて視聴者が事の本質を理解する助けになる番組にしてくれればと期待しま・・・せん。

講演で来日したハーバード大学のバカンティ教授が、小保方さんに「ボストンに戻っておいで」と言ったそうだけど、巨大なビジネスに繋がるかも知れない『STAP細胞』だから、バカンティ教授以外でも、複数の組織が彼女を誘おうと名乗りを上げても不思議ではない。
純粋に手を差し伸べる人か、伴に開発に携わりたいと願う組織か、彼女を利用するだけの集団かは判らないけど・・・

「正直」「潔さ」「真摯」、どれも日本人が大切にしている美徳だけど、そればかりで小保方さんを責め立てて、日本から放逐してしまうのなら、日本が再生医療で更に優位に立てる可能性が ひとつ潰えるかも知れない。
小保方さんが論文の取り下げを明確に拒否したのは、生き馬の目を抜く再生医療の世界の厳しさを米国で しっかり学習し、“きれいごと” だけでは足を掬われるのを知っているからでしょう。

小保方さんへの相応のペナルティは、理研の『律』に則って速やかに与えるべきだけど、処遇は現実的に怜悧に対応して欲しい。
「STAP細胞が在るのか無いのか?」で思考を停止させて、彼女の持つ可能性を『丁半博打』にしたり、彼女を曝し者にし続ける愚は避けて欲しいものです。

日本の科学界や日本国民が、それでも小保方さんを赦せないのなら、彼女は海外に出て花を開かせたら好いのではないでしょうか。
日本人技術者が、日本企業の機密研究データを韓国企業に流した事件では、高度な技術や技術者の海外流出に歯止めを掛けなければ・・・と騒いだ多くの日本国民だけど、研究者・小保方晴子と、彼女が蓄積した『STAP細胞』のデータの両方を、易々と海外に引き渡しても平気なのだろうか?





話は替わりますが、関西人には馴染みの『大阪造幣局・桜の通り抜け』が本日で終了するので、今年の関西の桜は「これで見納め」ですね。

今春は、3月の中頃から「今年は何処で桜を見ようか?」と考えていて、第一候補は『王子公園周辺』で、王子公園を散歩しながら桜を楽しみ、往きか帰りに『王子動物園』に立ち寄るコース。
第二候補は『祇園界隈』で、四条通から鴨川の堤、八坂神社、円山公園、知恩院、清水寺などを散歩しながら桜を愛でる・・・というもの。
第三候補は『奈良公園周辺』で、奈良公園を中心に若草山、東大寺、春日大社、興福寺、猿沢池、ならまち などを散策しつつ桜に見入る・・・ってところです。

3月末の某日に目的地を『奈良公園周辺』に決めて『近鉄奈良駅』に向かったのですが、二駅手前の『西大寺駅』に着く頃には気が変わってしまい、そこから橿原線に乗り換えて『西の京駅』で下車しました。 ご大層な言い方ですが、気まぐれに行き先が変わるのが散歩の醍醐味です。 

  

西の京駅からは『薬師寺』と『唐招提寺』に行けます。
ご存知の方も多いと想いますが、薬師寺も唐招提寺も “桜の名所” ではなく、「境内には桜の樹も在る」と謂う程度のものです。
奈良には「日本一」と称される『吉野千本桜』が在りますが、あのような壮観さとは質も規模も違うけれど、境内や周辺を散策しながら見つける少数の桜の樹も好いものです。

先ずは駅前に在る薬師寺から・・・。
薬師寺では平成21年から国宝の『東塔』を解体修理中で、現在はシートに覆われていて拝観できません。
修理完了は平成31年の予定です。 東塔は1300年前の薬師寺建立当時から唯一残っていた建造物で、フェノロサに「日本一美しい塔だ」と称賛されました。

「東塔が見られへんのに、拝観料は割り引いてくれへんの!?」・・・などと、大阪のオバさまのような毒を吐くことも無く、800円を納めて境内へ。

薬師寺には多くの仏像が在りますが、中でも金堂に安置されている『薬師如来像』『日光菩薩像』『月光菩薩像』の “国宝・薬師三尊像” が有名ですね。
ここの僧侶は拝観者に「薬師如来は お医者さんで、日光菩薩は日勤の看護師さん、月光菩薩は夜勤の看護師さんです」と解り易く? 説明しているようです。

  

薬師寺の宗派は『法相宗』で、特別な信徒も居らず墓も無いから “檀家制度” も無く、仏教の根本的な教義『唯識所変』を純粋に説く宗派だと聞きます。
『写経講座』のようなものが、今は多くの寺院で見られますが、薬師寺でも『写経』を推奨していて、境内や売店などで “写経” の文字をよく見掛けます。

仏教の根本原理を、より強く説いているであろう薬師寺だけど、一般の信者が写経に拠って精神を洗い清めて高めを目差し、善悪や正邪が解って自律できる人で在りたいとする、言わば『人の道』を希求する信者の希望に応えているのだろうと想います。

短いお経である『般若心経』だって二百六十六文字ですが、信徒の皆さんは、それを百万回も読誦し、一万回も写経して、仏教の何かを理解する助けになると考えているのですね。
悟りへの道を求める僧侶とは違う一般信徒ならば、写経のような “気休め” 的な行為でもいいのでしょう。
この感想は仏教に疎い私の 誤解かも知れませんが・・・。

  

同じ法相宗である『興福寺』の多川俊映 師が『唯識十章』と謂う著書で、意識や煩悩、我執などを解説して、読者が唯識所変を理解する助けにしているそうですが、その際に・・・
 「手をうてば 鯉は餌と聞き 鳥は逃げ 女中は茶と聞く 猿沢池」
・・・と謂う短歌を引用しているそうです。

私なら、百万回の読誦と一万回の写経をするよりも、このような書物を精読して、この和歌から読み取れる “意識” と “理解” の多様や、その意味を薬師寺や興福寺の僧から解説を仰ぐ事に興味を抱きます。 これは仏者になろうとか、ましてや悟りの境地へ・・・などと大それたものではなく、仏教教義の眼目や核心に僅かでも触れたいとの想いですが、敬虔な仏教者からすれば「興味本位の軽薄な了見」でしょうね。

無論、多川俊映 師が上の短歌に拠って云わんとされている真理を、写経を進める中で理解できたなら、他人に説明されて理解するよりも遥かに意義深い価値ある経験ですね。
それは『独覚』とは質も次元も違うけど、素晴らしい事だと想います。

  

ところで、薬師寺の西側に在る『大池』から眺める薬師寺は、三笠山(若草山)を背景にした絶景として知られています。
『西塔』の前の桜を眺めてから境内を一巡した後に、時間をかけて大池を一周しました。 左下のパンフに使われているように、写真の撮影場所としても有名ですが、一眼レフの望遠レンズでないと、好い写真は撮れません。

当日の私はコンパクトカメラしか持って行かなかったので、右下の情けない写真になりました。 右下の写真の右側には、工事中の『東塔』が在るのですが、シートを被っていて絵にならないので、撮る際にフレームから外しました。

  




薬師寺を出てから次に向かったのが『唐招提寺』です。
唐招提寺が鑑真和上を開基とするのは日本でも広く知られています。
併せて、遣唐使と共に渡唐した日本からの留学僧の熱心な招聘に応じて、鑑真が既に高僧の身でありながらも渡日された話も日本人は知っています。

鑑真が航海を暴風雨などで5度も失敗し、尚かつ盲目の身となったにも拘らず、6度目(753年)でようやく渡日を果たした艱難辛苦も有名なエピソードですが、5年ほど前に、奈良国立博物館の学芸部長が「鑑真は、渡日した時には目が見えていた」との見解を示されましたが、どうなのだろう?

 

私は、「唐招提寺の僧侶の方々が結婚されているか否か?」にとても興味がありますが、それは鑑真が渡日した目的に関わる事だからです。
仏教は、鑑真が渡日を果たすより200年も前に日本に伝来し、皇族や貴族に信仰されていたし、既に『東大寺』には巨大な『毘盧遮那仏』が造立されていましたが、当時の奈良には様々な『教典』は在ったものの、肝心要の『戒律』が存在していなかったそうです。

戒律が不在の日本に於いては当然、『授戒制度』が機能していなかった。
留学僧の話から実情を知った鑑真は、戒律を伝える為に命懸けで渡日を果たしたから、その事に孝謙天皇は大層お慶びになられたそうだし、東大寺での日本初の授戒の儀式は孝謙天皇の父・聖武上皇も参加された盛大なものだったそうな。 
蛇足ですが、この時代の『留学僧』は、「りゅうがくそう」ではなく、「るがくそう」と云うのだと、亡くなった谷沢永一さんが仰っていた。

  

ところが、その後に天台宗の開祖である最澄が、鑑真が我が身を顧みず日本に伝えた『戒律』を廃止した上で、独自の『戒律』を造り上げ、言わば「ゆるゆるの “日本仏教”」にしてしまった。
その最澄が開いた比叡山延暦寺が、日本の仏教界で最高の権威を誇ったのだから、皮肉な話です。
今も比叡山の座主が僧侶の頂点とされているのではないでしょうか?
不案内な私の認識ですけど・・・。

鑑真和上が命懸けで日本に伝えた『戒律』を、最澄に骨抜きにされてしまったワケだから、せめて鑑真が開いた唐招提寺の僧だけでも、鑑真が伝えた『戒律』を今も厳格に守っているだろうか?・・・との疑問を抱いているのです。 

以下の事も私の認識間違いがあるやも知れませんが・・・、正しい仏教で定められた『戒』と『律』でも、修行や精神の内面に関わる部分は、我々には窺い知れません。

だから、日本の僧侶に顕著な “経済活動” や “結婚” などが傍目にも、『律』に反しているのが分かり易いので、唐招提寺の僧は「結婚しているか?」と考えたのですが、これは決して批判ではありません。 日本の仏教界の実情を知りたいだけです。

唐招提寺や薬師寺、東大寺、興福寺、清水寺、知恩院、などの大きな寺院では世襲が無さそうだし、町の寺院とは事情が違うかも知れませんが、たとえば京都の祇園の高級店で酒を呑んでいるのは僧侶が多いとか、僧侶が何かを経営している話もよく聞きますし、町の寺院では「子が寺を継ぐ」なんて話は当たり前にありますからね。
日本の僧侶の世界は何だか医師と似てますねえ。 開業医院のオーナー医師と総合病院の勤務医のように。



奈良時代に始まっていた “神仏習合” を説明し解釈するものとして『本地垂迹説』が考え出されたことや、鑑真の渡日を慶ばれた孝謙天皇と、日本初の授戒の儀式に参加された聖武上皇の御姿を想像すれば、日本人の宗教観の基が解る気がする。
私は仏教であれキリスト教であれ、今の日本人は『宗教』と云うよりも『高貴な “倫理観” や “道徳心”』と捉えているのだと想います。
本人が意識していても、いなくても・・・。

  

現代の日本人は初詣にも出掛けるし、クリスマスも祝う(?)し、宗教儀式に六曜を持ち込みます。
日本のキリスト教会だって、日本人信徒の求めに応じて、お盆の時期に慰霊祭を行なう処も在るのだから、日本に於いては「お盆を気にするキリスト教信徒」と「それを受け入れる教会」が存在し得るワケです。
それはきっと、日本人の都合や恣意的解釈が宗教側を懐柔する程に、日本人の感性には『本地垂迹説』の考え方が強固に染み付いているのでしょう。 それを「日本人の知恵」と評価する人も居る。

私が普段 感じている事ですが・・・、日本人は自覚の有無に係わらず、『生まれながらにして 神道を奉じる民族』だと、神職に就かれている方々は解っていらっしゃると想う。
私は教会や寺院に伺うと、「ようこそ、いらっしゃい」と迎えてくれている気がするのですが、神社は「お帰りなさい」と云っている気がします。
私の眼に、神職の方々の姿が泰然として映るのは、その為だと想う。

これらの種々の感想や疑問は、仏教や神道に無知な私の頓珍漢な考えに依るものだったら、実に恥ずかしいし、敬虔な信徒の方々にも失礼で、申し訳ないことですが・・・。




ところで、薬師寺で『写経』を広く推奨されたのが、15年ほど前に亡くなった高田 好胤 管長で、元々は『金堂』などの再建のための資金捻出が目的だったそうな。

特別な信者も墓も無い『法相宗』の薬師寺だから当然、檀家が無いワケで、そこで高田管長(当時)が考え出した方策が『写経勧進』だったとのこと。
写経をして奉納することで信徒の心に安らぎが生まれるのなら、浄化された精神でありたいと願う日本人には受け入れ易いでしょう。
普通に寄付や お布施を募るよりも、遥かに好いと想います。

高田管長は大阪出身の気さくな人で、テレビ出演や講演などで全国的にも有名でしたが、私が若い頃(十代の頃から?)から関西のワイドショー的なテレビ番組では、特に お馴染みの名物管長でした。
今だと、瀬戸内寂聴さんをテレビで見かける程の頻度かな?・・・。

唐招提寺を出てから『垂仁天皇陵』を半周し、『尼ケ辻駅』から乗車して帰途に着きました。

桜が満開の奈良公演周辺の散策も捨て難いものでしたが、そこまで足を延ばす時間が無かったので、奈良の鹿たちを見るのは若葉が映える頃に・・・。