輪廻転生

在日コリアン3世Hyang Suのつれづれ日記、そして
私のもつ難病(多発性硬化症)について。
※ブログアドレスの【kj4rainbow】は、
KはKorea、JはJapan、rainbowは虹。2002年日韓共催サッカーワールドカップからとりました。


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今日、鏡で自分の髪の毛の分け目を見て愕然とした。

しばし立ち直れなかったくらい。

薄い・・・うすい・・・地肌が見えている!


人から見れば大したことないのかもしれない。

でも家族や身近な人からは、ちょっと分け目が目立つねって言われた。


日々髪を洗うたびにごそっと抜けるし、

起きると枕にたくさん髪がついている。

部屋にもたくさん落ちてるから、掃除機がけが欠かせないし、

枕カバーをしょっちゅう取り替えるはめになる。


と言っても抗がん剤のような抜け方とは全く違って、

多分気にするほどの量ではない。

でも本人にとっては毎日のことだから、へこむんだな。

気にすることないはのかもしれない。

気にすればするほどむしろ良くないのかもしれない。

でもちょっとへこむ。


ほぼ薬の副作用で間違いないと思う。

主治医も言っていた。

ステロイド剤を服用しているから、様々な副作用は覚悟だし

再発してしまった病気を治すには仕方のないこと。

薬がもう少し減る、あるいはなくなれば、抜け毛も止まるのかな~?

でもまだ31歳。女にとって髪はたいせつなんです。

抜け毛予防とか、スカルプケアとか、色々試してみてるけど

このまま生えてこなかったらどうしようって泣きそうになる。


それでも少しでも食い止めようと思って、一ヶ月前にばっさりと切った。

20センチくらい。

でも今日の分け目見て、もうショートにしようかなと思っちゃったよ。

夏に向けてショートもいいかもしれない!

そう、前向きに。


でも、頑張って伸ばした髪を切るのはやっぱりさびしかった。

また伸びるけどね。

ショートどうでしょう。

何年もショートにしたことないぞ。

いつかまたしたいとは思っていたけど。

う~ん、やっぱりどうしよう。でもすでに今ボブくらいの短さだから、

やるなら今だな!


いつやるの?今でしょ!

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ちょっと暗めの日記。

手が、ふるえる。
気がする。
気のせいかもしれないけど、病気のせいかもしれない。
薬の副作用のせい、かもしれない。
治すために飲んでるのに、薬ってのは厄介でその何倍(何十倍、何百倍)もの副作用を持っている。

箸でものを掴むとか、カップを手にして何かを飲むとかいうとき、手が震える。
筋力が落ちたのかな?とも思うけど、大した重いもんでもないし。

そして脳の病気だからか、炎症が起きた場合頭痛がくる。
それに伴って首や肩の痛みも。
でも生活してると首や肩って普通に痛いときあるよね。
だから病気なのかただの肩こりとかなのかわからない。
前回も今回もそれでギリギリまで気づかなかった。

だから次は絶対に見落とさないようにしたい。
でも日々肩こりや首の痛みに怯えて暮らすのはたいへんだ。
しかも私は人より少し首が細長く(よく言われる)頭は人並み、まぁ小さい方ではないため首が疲れることが多い。
パソコンを見ていない現在ですら首や肩の痛みがある。
だからビクビクしてしまう。
もちろんそんな時は早めに受診しなきゃね。

再発を恐れて生きるのはたいへんだけど、これもまた仕方ないし、起こらないように、起こったらなるべく早く病院に行くしかないのだ。
何より、気にしすぎず気にしながら。
おおー、哲学的(?)

病気に負けたくない、というより仲良く仲良くね。
って出来るか!




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入院中。

もちろん本当の病気(多発性硬化症)が辛かった。

頭痛と高熱、意識がもうろうとしたし、最初のうちはご飯も食べられなかった。


が、それよりも記憶に残るほどつらかったことがある。

それをどうしても書いておかなければ!

もうだんだん記憶が薄れてきてしまっているんだけど、

なんとか書き残したメモを見ながら思い出しいってみようと思う。


それは、みずぼうそう。


え?子どもの罹る病気でしょう?と思う方が多いと思うけど

大人ももちろんかかります!

そして大人になってからのは、、、辛い。ほんとうにしんどい。


まず、多発性硬化症が再発し入院したのち、すぐに「パルス療法」という

ステロイド剤を大量に点滴で投与するという治療を受けた。

これは前回もそれでぐんと症状が良くなったし、効き目があるとわかっているので

今回もパルスを丸3日、点滴した。


そして症状はすごく良くなった。

けいれんからの圧倒的な回復力を見せ、その週の週末にお見舞いに来てくれた

人たちと笑って過ごせるくらい元気になり、食欲も戻った。

一週間ほどお風呂にも入っていなくて気持ち悪くて、髪を洗いたかったので

先生に聞いてみたらOKが出たので、介助付きでシャワーまで浴びた。


そして入院から10日後の11/28(水)

なんとなくもう元気になったのだとなめてかかっていた。

母にどうしても外に出たいと頼み、本来は棟内フリー(病棟内のみ自由に出歩き可。

院内フリーになれば病院内を自由に歩ける。介助付き、見守り歩行、など色々ある。)

なのに先生に頼んで、母の付き添いがあれば、という条件付きで病院の下まで

行ってしまった。

併設されたセブンイレブンを一周し、一歩だけ外にも出て空気を吸い込んだ。

丸っきり10日間、外に出られないというのは

思っている以上に辛いのだ。

その後もっと辛いことが待っているとも知らずに。


ふと、左腕にぽつぽつと赤い斑点が2,3個あることに気が付いた。


11/29(木)

発疹は体中に広がっていた。

熱も出てくる。熱い。

みずぼうそうではないかと皮膚科の先生に診断された。

でも私は11歳の時に確かにみずぼうそうには罹っている。

自分の記憶にもあるし、母子手帳にも書いてある。


病棟内で感染が広がってはいけないので、私は隔離されてしまった。

もちろん普通の病室で、要は個室になっただけなんだけど

トイレにも(もちろんお風呂にも)行けない。

今まではテレビが置いてあるデイルームに行けば、お見舞いに来てくれた人と

話すこともできた。

狭いながらも病棟内を歩いて、少しの運動をすることも出来た。

でもそれすら出来ない。

何よりも面会謝絶。

私の部屋に入る人は全員、

ガスマスクみたいなマスクとゴム手袋をして入らなければならなくなってしまった。


11/30(金)

それまでずっとお世話になっていた研修医の先生がいた。

M先生だ。

おそらく私よりも若く、ジーパン履いて、いかにも研修医然の男の先生。

徳島出身のなまりが好きだった。

何よりもいつも懇親丁寧で、たぶんそれは研修医だから何でも必死だったんだろうけど

患者にとってそれが一番安心する。

その先生が、今日で研修が最後なんだと挨拶に来てくれた。

私は意識がもう熱でもうろうとしていて、よく覚えていないけど

マスクも手袋もしていなかった気がする。

体中に広がったみずぼうそうを見て(診て)くれた。

そして「必ず治るよ」と笑ってくれた。

それがどれだけほっとしたか。

どんな薬よりも効きそうな。

結局もうその先生には会えずに、きちんとお礼も言えなかったけど

嬉しかったな。


そして熱はぐんぐん上がって、おそらく39℃台をキープしていたと思う。

耳の中、耳の裏、頭の皮膚、口の中はほっぺたの裏側すべてにびっしりと

そして喉にまでみずぼうそうが出来ていた。

もう激痛の比ではない。


12/1,2(土、日)の2日間が一番つらかった。

父と母が来てくれて、部屋に入ってきてくれたけど(厳重装備で)

何も話せなかったし、たぶん姿を見て二人の方が傷ついたかもしれない。

一応嫁入り前の娘として、本当にひどい顔だったから。

顔全体に、ニキビの王様が君臨した感じ。

おまけに塗っている薬のせいで真っ白。

夜中に見たら、自分でも悲鳴あげると思う。


夜は夜で熱で眠れず、しかも熱のせいか虫歯がうずき出して、ずっきんずっきん痛い。

痛み止めを出してもらっても、痛みで眠れない。

痛くてわんわん泣いたなんて初めてかもしれない。

氷枕を夜中に何度も持ってきてもらった。

それでも持ってくるそばから、本当に本当に氷枕が「しゅわー」って音を立てて

溶けていくの!本当!!!


ご飯は一口も食べられなかった。

喉が痛いから水すら飲めない。

でも看護師さんたちに、お願いだから水だけは飲まないと脱水になるからと言われた。

それでも飲めなくて、仕方なく点滴で栄養を入れる。

やっと口に出来たのはウィダーインゼリーだった。

何日も何も食べられずに初めてそれを飲めたとき、涙でそうだった。


そうして飲んだりするようになれば今度はトイレに行きたくなる。

が、トイレも部屋でするしかない。

これは…きつかった。

おまるみたいな簡易トイレを置いてもらって、そこで用を足す。

最初は緊張して出るもんも出なくて。

だってカーテンの向こう側には皆歩いてるし、窓側は空が広がってるし。

それでもまだ小はいいけど、大は…悲しい気持ちになるよ。

こんな経験は初めてだし、

しかもその都度看護師さんを呼んで捨ててもらわなければならない。

もちろん向こうは仕事で慣れてるとは言え、恥ずかしいし情けなくて。


いろんな事をして頂きました。

薬も自分で届かない部分は塗ってもらうしかないしね。

おしりも塗ってもらったさ。

あと恥ずかしいことと痛いことは、出産を残すのみじゃないだろうか。


12/3,4になり、熱が37℃台まで下がりようやくラクになってきた。

ご飯も食べられるように。

そのご飯の美味しかったこと。



結局、皮膚科や感染症科の先生たちの言うとおり1週間で完治し、

大部屋に戻れたわけだけれど。

壮絶ない1週間だった。

はっきり言って元の病気より辛かったし、あの苦しみは忘れられない。

大人になってからのみずぼうそう(やその他のちいさいうちに罹っておくべき病気)は

怖い!ということを学んだ。

きっちり予防接種を受けるか、小さいうちにもらっておくこと。


その時のひどい顔を記念に写メを撮っておいたんだけど、

さすがにここに載せる勇気はない。

(というか不快感100%なので)

その代わり(?)ご飯が喉を通った時の嬉しかった写真。


ひゃんすの難病nikki


隔離部屋で、1週間一人でずっと過ごした。


毎日窓からの空を独り占めできることだけが唯一の救いだったかな。



ひゃんすの難病nikki

毎日晴れていて良かった。


それにしてもほんとうにつらかったよ。

結局、そのパルスという治療でステロイドを大量投入したので

一時的に免疫力がガクっと低下し、潜在していたみずぼうそうウィルスが

暴れ出してしまったらしい。

一度なっていればなることはほとんどないけど、稀にあるんだそうな。

大人になってみずぼうそうで泣くなんて思ってもみなかったけど、

この多発性硬化症という病気は(いや、これだけに限らず)

他にいろんな病気を併発させる可能性もあるから、怖い。



長くなりましたが、お付き合い頂きありがとうございます。

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2013年2月4日

今日は朝から眼科の検診と、MRIをこなしてきた。


まず眼科の方は、もうすっかり見え方もよくなり

(まだ日記に書いてないけれど、免疫力低下の影響で

ぶどう膜炎に入院中感染した)、医師からももうOKとのことで

無事目薬も終了。


ひとつの診療の科が終わるとほっとする。

(今、神経内科と眼科と婦人科にかかっていたもので)

クリアーしていかないとね。

ちなみに歯医者にもしばらく行ってないから、定期検診行きたいんだけど。


次は急いでMRIへ。

そのときに入口付近を通ったら、入院時の研修医の先生に偶然会った。

この先生とは、家の近所でも退院後に遭遇したし、縁があるみたい(笑)

いつも少し挙動不審めで、でも真面目でやさしくて、真剣なので

良い先生。きっと良い先生になる。


目のことで退院が延びるってなったとき、退院を待ちわびていた私のところに、

ものすごく申し訳なさそうに来るもんだから

なにか悪い検査の結果でも出たのかと思ってひやひやしたくらい。

「すいませんっ、、、退院延びてしまいました・・・」って

申し訳なさそうに話すから、可愛いわ。


今日もすっとすれ違ってから、慌ててくるっと振り返った。

元気になったのを喜んでくれるのはわたしもうれしいものだ。



MRIはすっかりお手の物で、今日は開始30秒くらいで眠りに堕ちた。

(前回書いたけど、耳栓してても突き抜けるような工事音が鳴ってます)

そして終わるまで完全に爆睡。

技師に起こされて目覚めるという。

なんならよだれくらい垂らしてたんじゃないだろうか。

夢も見て、ちょっと笑ったしなー!


そしてその後は近くにある美味しいうどん屋さんでお昼を食べて、

駅前まで散歩して、美味しいケーキ屋さんでお茶をして。

実は入院中に出来た友達と、今日外来が一緒だったので

待ち合わせしてそのコースをたどってきた。


良い天気で楽しい、検査日和。

こんなに楽しいなら通院も悪くないね、ってその子と笑い合った。




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明日、厚生労働省の難病指定が新しくとりまとめされる。

現在ある130の疾患に加えて、新しく疾患が加わるのか、

制度や対策がどのように変わっていくのか、気になるところだ。


そもそも私自身もまだどのような種類の難病があって、国がどのように

対策しているか、よく知らないでいる。

難病情報センターhttp://www.nanbyou.or.jp/ のHPをよく読んで学んでいこうと思う。


忘れないうちに書いておきたいのは、入院した翌日のこと。


11/19(月)

病棟に運ばれてから翌朝、自分がどこにいるかもよくわからないまま

寝ていたのかもわからないまま、目が覚めた。

多分、主治医の先生が診にきてくれて起こされたんだと思う。


「大丈夫?あなたのお名前は?ここがどこだかわかりますか?」

神経内科では脳の病気のため、この質問を必ずされる。
(2年前のときはちょっとびっくりしたけど)

「○○病院の神経内科です」

ちゃんと答えたはずだと思う。


「昨日何があったか覚えてるかな?入院したんだよ」と先生に言われ、

私はうんうん、わかってる、と思いながらそれを話そうとした。


そしたら―――――



言葉が出ない。


口は動くけど、ろれつが回らないというか言葉が思い浮かばないというか。

話そうと思っても言葉が出てこなくて詰まる。


えっ?えっ?!と焦って、パニックになる。


でも私は大丈夫だよということを伝えたくて、今度は身振り手振りを加える。

けれどそれすら上手くできなくて余計に焦る。

「うーうー」としか言えなくて、ただひたすら怖かった。


そこからは記憶がない。


そしてここからはのちに色んな人
(病棟で仲良くなった患者さんや看護師さんや母親)の話をつなぎ合わせたもの。



私は痙攣(けいれん)を起こしたらしい。

手足が震えて、暴れて、病棟の看護師さんたちが総出で(10人くらい?)

私を取り押さえた。

暴れまわる私をようやく抑えつけて、先生が「気道確保!」と言った。

まず呼吸困難になるのが危険なので、気道を確保する。

そして痙攣を起こした場合、それを抑えないと、後々麻痺が残ってしまう。

なので私は、両手両足をベッドに縛り付けられたらしい。


その話を聞いた時、愕然とした。

もちろんそれは私がかなり元気になって、その時同じ病室だった

目の前のベッドのおばさんから聞いたし、抑えてくれた看護師さんも

のちに笑って話してくれたから、大ごとではないんだと思う。



ただその時、先生から電話をもらった母の気持ちを考えると胸が痛む。

どれだけ心配しただろうな。

母はちょうど会社に行く途中で、地元の駅に着いたときだったらしい。

しかしたまたま具合が悪くなり、少し休憩しようと思ってコーヒーでも飲もうと思ったらしい。

その時、先生から電話があり、「娘さんの容体が急変したので今すぐ来て下さい」

と、言われたそうだ。

母はタクシーですぐに駆け付けた。

もし具合が悪くならなくて、電車に乗っていたら、急行で先の駅まで行っていたかもしれない。


いきなり両手足を縛られている私を見て母がびっくりしないように

先生が事前に説明したとはいえ、やっぱりかなりショックだったようだ。

そりゃそうだ。

でも母が「ヒャン、オモニ(お母さん)来たからね。もう大丈夫だからね。」

と声をかけてくれたのは、もうろうとしていた中でも何となく覚えている。


それが一日目の私。


二日目や三日目も、その周辺は

ご飯を食べたのかも、どこにいたのかも、あまり覚えてない。

集中治療室にいたとか、車椅子のおばあちゃんやおじいちゃんたちと

ごはんを食べたような気もするけど、後から聞いた話ばかり。


ここから40日の入院生活が始まった。



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