• 04 May
    • 今時の部屋

       ホテル米久の売却で得た資金を活用し、アセントプラザホテル静岡で4月から、客室と設備の大型改装に着手しました。   第1弾工事は、西館の客室改造です。  昭和の香りに満ちた旧タイプの部屋を「今時の部屋」にモデルチェンジしているのですが、この「今時」というのが非常に難しく、お金がかかり、正直、苦労しています。       従来の部屋は下の写真のような感じでした。 昔のホテルの部屋は白熱燈の黄色掛かったいわゆる「電球色」が主体でした。 どちらかというと部屋は暗め。「休息の場所」的な概念だったと思います。      そして、何より「昭和のビジネスホテル」なのが、このコントロールボックス、デジタル時計パネル、電気スタンドです。      この手の電気スタンドは芯が弱く、10年も経つとグラグラと不安定になるのです。  ベッドヘッドも、これでは簡素過ぎますね。      では「今時」とは何なのか。  いろんな同業他社のホテルを巡り、調査結果をまとめると次のようになりました。    ①部屋はできるだけ明るい。主流はLEDのシーリングライト。色調も電球色から明るい白色系が増えています。  ②寝る際にスマホを操作するので、手元に電源コンセントが必要。できればベッドヘッドはスマホが置ける厚さが欲しい。  ③手元明かりはスタンドでなく、可動式のスポット型。  ④テレビは最低でも32インチ。できれば40インチ。    これら全てを取り入れようとすると、まず電源工事が必要となります。  電源は簡単に動きません。しかもコンセントはできるだけ隠したい。(タコ足は以ての外)  この電源工事の費用が高いのです。      ↑少しモダンになってきました。  操作が面倒なデジタル目覚まし時計は嫌われ、簡易な目覚まし時計に代わるホテルが増えています。    次はテレビです。  画面が大きくなると、従来の位置では近過ぎて不自然です。  となると、壁付けです。  見る位置、すなわちベッドの配置も変わります。  アンテナの位置が変わり、また電源工事となります。  さらに仕上がりをすっきりさせようとすると、配線が天井や壁の中を通るようになります。    もちろん、天井はシーリングライトにしました。  これでだいぶイメージが変わりました。  部屋が明るいのは、気持ちがいいですね。  実感しました。        というわけで、紆余曲折の末、ようやく先頭の写真のようになりました。  でも初めていらっしゃるお客様には「どこを改装したの」「どこが新しいの」と言われるかもしれません。  カーテンとベッドスローを明るい色調に変えると、さらに違うのでしょうが、もう少しお待ち下さい。      今回はあくまで改装第1弾です。  続いてレストラン、大小会議室を改装します。  今月下旬から、東館エレベータを取り替え、新しい客室を7部屋作ります。  全て終わるのは9月くらいになりそうですが、完成が楽しみです。      余談ですが、売却した浜松の「ホテル米久」も現在、全面大改装中です。  こちらは7月下旬の完成予定と聞いています。  どちらも装いを新たに、お客様に喜ばれるホテルに生まれ変わったとしたらこんなに嬉しいことはありません。      (随時、更新します)          

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  • 25 Feb
    • 新天地

       早いもので、静岡に専念したホテル経営のスタートから3ヶ月が経過した。  売却した浜松の「ホテル米久」の引き継ぎ・精算も、ようやく一段落。  新天地に通う毎日が新鮮であり、新たなる出会いを日々楽しんでいる。     ←頼もしいアラフィフ社員たち      アセント静岡には元々、パートを入れて9人の社員がいた。  そこに今回私と行動をともにした経理部長(妻)、総支配人、支配人、料理長が加わり、新体制は13人でスタートした。  新鮮かといえば新鮮だが、そうでないと言えば、そうでない。  何せ、私を含め50歳前後1年(アラフィフ)がそのうち6人。30代以下は22歳の小野さんただ1人。平均年齢は、おそらく45歳を超えているのである。  ここは若さよりも「年の功」で勝負する他あるまい。      しかし、皆、気はとても若い。  理解力、順能力がある。  豪腕のリーダー岩崎総支配人、このたび支配人に昇格した野村さん、そして私の御三家が常にホテル内を徘徊し、(あら捜しではなく)、これまで目の行き届かなかった点を改善している。  正直、「うるさい人達が来た」というのが本音だろう。      ホテル米久の売却益により、改装資金(金)が生まれた。  文字通り、「CHANCE」。  1月に開かれた社員総会で、今年の目標は「C」を「E」に変えろ、と掲げた。  そう「CHANGE」だ。  今まで、変えたくても変えられなかったホテル。  この1年で、ハード(物)、ソフト(人)の両面を変革し、15年戦える基盤を作る。  売却から3ヶ月。止まっていた時間がようやく動き始めた今日この頃である。   ←ホテル窓からの富士山。今が見頃。   26年前、私の社会人生活はこの地で始まった。  そして15年ぶりに戻ってきた。  前職の新聞社の懐かしいビルが、ホテルの窓からくっきりと見えるのも何かの縁である。  寒がりの私にとって、風のない冬の静岡は天国。  この時期くっきり見える富士山も格別で、さすがは家康公が隠居の地に選んだだけのことはある。      今日2月24日は、静岡大、静岡県立大の受験生が多数来館されました。  この日のために、北野天満宮で「受験鉛筆」を仕入れ、受験生と思われる高校生にフロントで手渡しました。  そして、「見せてやれ、底力」とばかり、カロリーメイトを添えました。        本日のフロントは総支配人以下、色気のない、おやじ4人でしたが、真心を込めて受験生たちに気持ちを伝えました。  とりわけ、付き添いのお母様に喜んでいただけたようです。      「ボス清日記」、しばらく休んでいましたが、  わが社の「CHANGE」、少しずつ伝えていきたいと思います。       (随時、掲載します)                

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  • 25 Nov
    • ありがとう、ホテル米久

       清俊企画は11月16日付で、ホテル米久の事業を譲渡しました。 絶好調~絶不調~絶好調。 短いスパンで押し寄せる時代のうねりをまともに浴びた、濃い~濃い~12年8ヶ月でした。 これまで関係各方面の皆様に、たくさんのご利用をいただき、厚くお礼申し上げます。 「米久さん」。私は12年、そう呼ばれてきましたが、その名前はひとまず返上します。 尚、経営陣は変わりますが、スタッフの大半が残り、ホテルは存続します。 今後も変わらぬご愛顧を賜りますよう、お願い申し上げます。   (お別れ会で業者さんやOGたちと)   ホテル米久は規模こそ小さくなっていますが、連日、インバウンドのバスツアーが入り、昨年夏よりの好調を維持しています。 なぜ、このタイミングなのか。 今回の決定は、一言で言うなら「投資的な経営的判断」ということになります。 浜松や日本の将来展望、売却金額、再投資にかかる資金等を判断材料としました。   菅沼家のDNAもあるのでしょうか。 前回このブログで触れたように、私の祖父は45年前、M&Aを実行しました。 「好機には迷わず決断する」。 事業を始める際、私はこれだけは心に決めていました。   これまでご贔屓(ひいき)していただいたお客様、ありがとうございました。 外部コーチをしながら、公私混同気味に開拓した中学・高校のバレーボール関係の皆様、お世話になりました。「バレーボールホテル」とまで呼ばれ、うれしかったです。 同窓会の活動拠点に活用してくれていた浜松北高37回生の皆さん、夏の2次会会場がなくなって、ごめんなさい。 毎年のように夏の勉強合宿に利用していただいた浜北西高の皆さん、連続全国優勝の定宿にしてくれた柏高校吹奏楽部の皆さん、等々、思い出は尽きません。     しばらくは拠点をもうひとつの「アセントプラザホテル静岡」に移し、時代の先読みをしながら、次の勝負期に備えたいと考えます。 I shall return!     マッカーサー元帥の言葉が頭に浮かびます。 あくまで願望ですが、売却先の新会社が、ホテル米久をリニューアル。 今回の資金で、私達が静岡のホテルをリニューアル。 2つのホテルが生まれ変わることになるのなら、こんなにうれしいことはありません。  (12年前、合同で社員の初子の練りを行いました)   (10年前のスタッフと) (右から2人目、初代の小栗支配人を囲んで)    苦楽を共にしてきた社員との別れは、本当に辛いものでした。 創業時から一緒に頑張ってきた社員、メジャーホテルの誘いを蹴ってうちに入社してくれた社員、私自身がスカウトした浜松商高卒社員…。 皆さんと毎日顔を合わせ、苦楽を共にすることが、私の生きがいでした。 中には今回の話を告げた時、そっと涙を流してくれた社員もいました。  そんな中、3人の社員が「静岡に行かせてください」と名乗り出ました。 「目の前の強固な船を断り、小さく不安定な船に乗り続けるというのか」。 嬉しい話ですが、静岡と浜松の距離は70キロもあります。 経営者冥利に尽きるとはこの事です。 彼らの期待にこたえるべく、新たな展開の成功を心に誓いました。   社員とのお別れ会では、フロントのOGたちも来てくれて別れを惜しんでくれました。 花束や記念品までいただき、ありがとうございました。    (雨にも負けず、浜松祭り真っ最中のホテル前で)     2勝1敗。ただし1敗はコールド負け。 振り返れば、そんな12年でした。   事業開始時の平成15年、浜松は浜名湖花博でにぎわいました。 その後も市内のホテルは、ホンダをはじめとする製造業の期間社員が寮代わりに使用するなど、どこも満室状態が続いていました。  同業他社は徐々に増えましたが、それを補って余りある需要があったのです。  市内に2つのイオンが相次いで出店したのもこの頃でした。    そんな矢先、「100年に1度」と言われたリーマンショックが発生しました。  自動車業界を筆頭に、市内の工場は生産を中止。ホテルは一気に閑散となりました。  2、3年が経過。ようやく持ちこたえたかに見えた頃、「1000年1度」の東日本大震災が起きました。  イベントの相次ぐ自粛もあり、ホテルは再び冷え込みました。  「いよいよダメかな」。当時の追い込まれた精神状態は、今でも忘れられません。   それでも、遠い頂を見ながら粘っているうちに、昨夏、偶然かつ幸運にも「インバウンド」というチャンスが巡ってきました。 毎日のように60人を超える(多い時で100人)中国からの旅行団体が来ました。スタッフ一丸となり、文化の違い、バス駐車場の問題等、一つ一つ課題をクリアしていきました。 おもいきってホテル前の廃ビルを壊し、駐車場を拡大したのも、結果的に投資家の目に止まった気がします。  (珍しく男ばかりの昼食会)    事業を通じて、たくさんのスタッフとの出会い、別れがありました。 綱渡りの連続でしたが、社員の頑張りとわずかばかりの幸運に恵まれた結果だと確信しています。   45年前、祖父もきっと、この「社員との別れ」の辛さを味わったに違いありません。  今、その祖父にこう言われている気がします。 「そうか、お前も決断したんだな。よくやった。で、次はどうするんだ」。  「少し待ってよ。あなたも、そうしたでしょう。これからじっくり考えます」。 今の私の正直な心境です。    (「ボス清日記」に長らく、お付き合いいただき、ありがとうございました。来年より、静岡編として再開します)    

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  • 16 Oct
    • 続・祖父の思い出

       パン製造で成功した祖父は、蓄えたお金で浜松市内の土地を次々に買った。 三島町に大きな工場用地を確保。連尺町や砂山町、西塚町などの商業用地を取得した。 昭和30年代の土地の価値は、今ほどではない。 パンの次は土地。名参謀でも付いていたのか、目の付けどころが違うのである。 さらに脱帽するのは、その後の展開だ。   先行の中小企業が成功した市場には、必ず新興の商売相手や大手が現れる。 祖父の時代も例外ではなかった。 静岡県内にも続々とパン工場が増え、ヤマザキ、シキシマといった国内メジャーが進出してきたという。 島田市に中継拠点を置き、静岡市や清水市にまで商圏を拡大した祖父の「キクヤパン」だったが、ライバルに押されるように、業績は右肩下がりを始めた。   そんな低迷期に、祖父は米国のパン工場を視察した。 「わしらは百人以上の職人を抱えて、1日がかりで何百個というパンを作っていたが、向こうはこんな大きな機械で、秒単位にパンが出来上がる。勝負にならないと思ったよ」。 うろ覚えだが、直接そう聞いた。   帰国して間もなく、祖父は決断した。 「やめた!」。 私が尊敬するのは、ここである。 水面下で話が来ていたのか、ヤマザキパンに従業員、工場ごと売り払った。 「創業し、大きくした会社を自らの手でたたむ」。 辛い決断だったに違いないが、祖父は実行した。 昭和40年代前半にM&Aだ。   「俺たちを売るのか」。 何人もの従業員、職人が怒ったという。 ここでどんな修羅場が遭ったのか、全く想像できないが、当時専務だった私の父に後処理を託し、工場を去った。  「俺は完全に人質だったよ」。 父は1年がかりで、何百人もの社員を移籍させたり、退職の世話をした。   結果として、わずかながらの資金、土地が残った。 それが後の菅沼家の事業展開、現在の清俊企画のホテル経営につながっている。 いかにも祖父らしいのが、会社の売却後、すぐに次の1手があったわけではない、 細々とパンの小売店を祖母に任せて、沈黙した。じっくり構想を練り、ようやく5年後、重い腰を上げて次の事業に着手していったのである。   「自分たちだけが逃れて、残された社員はどうだったのか」。 そんな私の疑問に対する一つの答えが、7年前にあった。 売却当時、最若手で、祖父に非常にかわいがられていたという社員が移籍先のヤマザキで定年を迎え、父に挨拶に来た。 「あの頃(売却時)はうらんだりした人もいたけど、僕は社長(祖父)に感謝しています。普通にだったら入れない(大手の)ヤマザキパンに移してもらい、安定した生活を送れました。工場に残った社員はみんな同じ気持ちじゃないでしょうか」。 傍らで聞いていた私も、我がことのように嬉しくなった。    話のついでにもう一つ、祖父は気前が良かった。 大学を一浪していた私に、投資家らしく、こう発破をかけた。 「志望校に合格したら祝儀○万円やるぞ」。 「きっと無理」から出たリープサービスだったと思うが、奇跡的に私は受かった。 私がここぞとばかり、「あの約束覚えてる?」と迫ると、祖父は苦笑いしながらも数日後、祝儀が満額、私の口座に振り込まれていた。  ちなみに、この話は後日、父からの一本の電話で価値の無いものとなった。 「おい、話聞いたぞ。それがなくなるまで仕送りは要らないな」。 賞金は単なる生活費に変わった。  当時を知る人に聞いても、祖父は親分肌で、ポンとお金は弾んで出したという。    リーマンショックで経営が苦しかった頃、私はよく考えた。「祖父だったらどうしただろう」。 「源氏も三代で絶えたというし…」。弱気の虫が何度も頭をよぎった。 幸いにして、苦境が回復してきた今日、ようやく祖父に顔向けできる気がしてきた。  やがていつか、あの世で再会した時、きっと祖父は私に聞くだろう。 「どうだ清彦?商売は面白かっただろう」。 その時、私はこう答えると思う。 「うん、じいじの言ってた通り、毎日が波乱万丈、ダイナミックだったよ。生きてる実感がわいたよ。時々、血の小便が出そうになったけどね」。   (随時、いや、忘れたころ更新します)    

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  • 25 Sep
    • 祖父の思い出

       清俊企画という会社名は、私「清」彦と父「俊」明の2文字をとった名前であることは、容易に想像がつく話だが、「ならば、なぜ息子の名が先か」とよく聞かれる。  ブログのサブタイトルにある通り、私は3代目。  実は祖父の菅沼「清」が、菅沼家全体の事業創業者であり、社名の順番はこれで正しいのである。 ←左から私(珍しい髭面)、祖父、父。  祖父は創業者にふさわしい、強烈な個性の持ち主であった。  私が34歳、享年87歳で他界したと記憶しているが、波乱万丈の人であった。    いい学校を出て、いい会社に就職」。  当たり前のように考えていた小中学校時代の私に、「商売やれ。商売は面白いぞ」と、祖父は会うたびに、口癖のように言った。  今、こうして事業の真っただ中にいる自分は、運命に導かれていたのかもしれない。  幼稚園時代の2年間、諸般の事情で私は祖父母に育てられた。  毎日のように、戦争の話と商売の話を聞かされた。  当時の記憶と後に父に聞いた話を合わせると、次のような事になる。  菓子家で丁稚奉公をしていた祖父は、第二次世界大戦の後半、徴兵によりシベリアに派兵され、終戦を迎えた。  俗にいう「シベリア抑留」に遭い、3年ほど異国の地で強制労働の日々を送った。  (どこまで本当の話か分からないが)祖父は菓子屋にいた経験を買われ、食料係になった。  帰国の際、舞鶴港に迎えに行った祖母から、「やせ細った兵隊ばかりの中、祖父だけがやや太って帰ってきたので恥ずかしかった」と、いかにも祖父らしい武勇伝を聞いた。  「露女(ろすけ)にうまく取り入ったから、飯には困らなかったんだよ」。  祖父が笑って話したのを覚えているが、そんなはずはない。  シベリア抑留は、零下30度を下回る極寒の重労働。  目の前の戦友が一人また一人と死んでいくすさまじい毎日だったに違いない。  笑い飛ばしたのは、精一杯の祖父の強がりだ、と私は思っている。  地獄絵図を見てきた祖父が、帰国後見た日本は、「驚くほど、平和ぼけしていた」という。  祖父のシベリア抑留の間に、日本が一番苦しい時代を乗り越え、復興を遂げていたということなのだろうが、その過程を見てこなかった祖父には、それが許せなかったらしい。  「このままじゃいけない」  祖父はじっとしてはいられなかったようで、その怒りの矛先を商売に向けた。  その時、祖父が目を付けたのが「パン」だった。  どこでヒントを得たのかわからないが、「日本人の主食=米」の時代に、パン屋を始めたのだ。  これが当たった。  その後、学校給食でパンが始まり、仕事が次々に来た。  「パン屋」は「パン工場」に代わり、多いときは200人ほどの社員を養鵜までに成長した。  屋号「菊久屋パン」あるいは「キクヤパン」の名は、幼少期の私の記憶に、はっきりと残っている。  そんな絶頂期の頃、祖父の一人息子だった父に生まれた3番目の子が私だった。  商売をしている家の社長の元、ようやく生まれた待望の男の孫。  名前が「清彦」になった背景が何となく想像できる、というもの。  どれだけ甘やかされて育ったことか。  きっと今日の私の○○な性格に、大きく影響しているのだろう。    でも、私が祖父のすごさに敬服しているのは、この「パンに目を付けた商才」ではない。  むしろ、その後の展開である。  少し長くなるので続きは次回とします。  (随時更新します。次回はできるだけ早くに )  

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  • 12 Aug
    • 50にして天命を知るだろうか

       昨日、50歳の節目の誕生日を迎えました。  孔子いわく「天命を知る」年齢ですが、「私は何をするために生まれてきたのか」、到底、結論には至りません。  正直な心境は、「あっという間に人生3分の2。残り3分の1をどう生きる」です。  偶然にも、今年はいろいろな節目が重なっており、 「波乱万丈の曲がり角」。そんな予感すら感じられます。  今年の誕生日は、バレーボールずくめでした。  昼間はコーチとして、高校生の通い合宿に随行しました。  「今日は自分の誕生日だから、いいプレーを見せてくれ」。  そんな言葉を用意していましたが、試合中、監督の激が飛びまくっていたので、切り出せませんでした。  「おめでとうございます」と強制的に言わせるようで、遠慮しました。  夜は静岡空港で、お客様の出迎え。  台湾・高雄市から高校バレーのチャンピオンチームが、4泊5日の合宿に来てくれました。  「歓迎・○○チーム」のプラカードを掲げ、入国ゲートで一行を待ちました。  ゲートが小さかったので、すぐに気付いていただけました。  礼儀正しく、すがすがしい選手ばかり。  どの高校生も、私よりはるかに流ちょうな英語を話していました。  浜松市の補助事業を活用した「リムジンタクシー」で、ホテルまでスムーズに到着しました。  「静岡空港~浜松」を1人1500円で運ぶこの制度は、大変便利ですね。  気が付いたら、あっという間に終わったバースデーでした。  その間、フェイスブックでたくさんの人から「おめでとうメッセージ」をいただきました。  メールが40通を超え何事かと思いましたが、とてもうれしかったです。  この場を借りて、皆様にお礼申し上げます。  社員の三島さんもしっかり、覚えてくれていたようで朝イチLINEをもらいました。  (知ってるよ。君の誕生日は私の逆の11月8日だからね)    ←同級生のお嬢様姉妹と節目の記念写真  1日たった今日、高校時代の同級生、榎田さんが「野暮用」でホテルを訪れました。  たまたま、二人の娘さんを連れていました。  実はこの姉妹、現役高校時代は、市内でも有名なエースアタッカーでした。  お父さんはそっちのけで、一緒に記念写真に収まりました。  これも何かの縁。不思議な「誕生日プレゼント」かな。  二人とも、すっかり大人になっていました。    一度、このブログで触れましたが、私の節目の誕生日は、日本の新たな国民の休日「山の日」の始まりとなりました。  生まれた後に、「自分の誕生日が休日になる」なんて、気持ちのいい話ですね。  実は今年はもう一つ、私のとって区切りの年です。  私は前職の新聞社に13年勤め、転職しました。  それからこの世界に入り、今年が13年目なのです。  思えば私の人生、13年区切りなのかもしれません。  少し強引な考え方ですが、本格的に学に志した小学5年生から、大学4年まで、「学生」期間が13年。  次の13年は「サラリーマン」。  そして次の13年は、「ビジネスオーナー」=「経営者」です。  そういう意味では、今年は何か大きな転機を迎えることになるのでしょうか。  人生、何が起こるか分かりませんが、そんな新鮮な気持ちで、節目の1年を過ごしてみようかと意を新たした誕生日でした。  (随時、更新します)            

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  • 12 Jul
    • ホテル前駐車場が広がりました

       ホテル米久の駐車場拡張工事が終了し、最大で大型バス5台、乗用車だけなら28台が収容可能となりました。 ビル解体に伴う騒音、砂塵等、ホテル周辺の皆様、1か月半にわたり、ご迷惑をおかけしました。 また乗用車でお越しのお客様も、駐車エリア不足で申し訳ありませんでした。 景観だけでなく、車のすれ違い、大型バスの乗り入れ等、ホテルの機能がアップしました。 これを契機に、夏休みの繁忙期に向け、社員一堂、気合を入れ直していきます。        ↑改装後のホテル前      ↑改装前のホテル前 増えたエリアは55坪。 旋回スペースの関係で乗用車だと8台分ですが、大型バスが4台並べて置けます。 強度のあるアスファルトを敷きました。 バスの運転手と相談しながら、適性な駐車配置を試行錯誤しています。 線引き、進入口の拡幅工事などを来月行い、完成です。   ↑ 夜間4台大型バスが並んだ駐車場 バスの旋回エリアを中央にとったため、乗用車の往来もスムーズになりました。 車の進入口がホテルの敷地の中央部になり、とてもいい形になりました。 直前の古い建物がなくなり、ホテルがとても目立つようになりました。 (外壁の古さまでも目立つので、昼は少し恥ずかしいほど) 風水学的にも、建物の東南(辰巳の方向)の風通しを良くすると、縁起がいいようです。      ↑ 上空から見た駐車場。右半分のアスファルト部分が今回の拡張部分 ただ、梅雨で砂塵が舞いにくい6月を解体時期に選びましたが、騒音とチリで周囲にの皆様には本当にご迷惑をおかけしました。 解体業者によると、「古い建物でコンクリートが柔らかく壊しやすかった」ということでしたが、それでも私の想像以上でした。   ↑解体中の様子 隣接地には、4月に開業したばかりの歯医者さんがありました。 とても温厚な先生で「気になさらないでください」と、駐車場まで一部貸していただきました。 解体による飛来物が落ちた際などは、菓子折りでは私の気持ちが収まらず、「肉体を持ってお詫びします」と患者になることで許しをこいました。( ;∀;)  (元来歯医者嫌いの私にとって)これが良き出会いとなりました。 (お世話になったから持ち上げるわけでなく)最新設備が整っている上に、腕も確かです。  先生も「ビルがなくなって明るくなりました。歯医者の看板も目立つようになりました」と言っていただきました。 今後も「ウイン=ウイン」の関係を築いていきたいと願います。      この場所には元々、地上3階、地下1階、築40年以上のビルが建っていました。 8年前、地主さんからの売却提案にこたえる形で取得しました。 以来、1階部分をくり抜き、駐輪場と倉庫に使っていました。  なぜ、すぐに「解体→駐車場」としなかったのか。 話せば長くなるのですが、ホテル前の国道は「都市計画予定地」になっており、このビルは道路拡張にかかっていたのです。 となると、収用のタイミングで、市の予算によって解体、補償がなされます。 当然、「待つ」という経営判断になります。 ところがこの計画が二転、三転しています。 当初の説明会と順番が代わり、「道路の反対側(市街地側)を優先的に行い、すべて終了し、電線を地中に埋めた後、こちら側に移る」となったのです。 いまだに、計画変更の説明会は開かれていません。 こうなると、収用は10年先か、あるいはそれ以上かもしれません。 一方、ホテルを取り巻く環境がこの1、2年で大きく変わりました。 インバウンドのお客様たちが毎日、大型バスを連ねて、ホテルを利用するようになりました。 ありがたい話なのですが、元々、限りがあった駐車場に、連日の大型バス。 おまけにホテル前は「浜松一」といっていいほど、車通りが激しく、特に朝は高校生の自転車通学まで加わり、混雑します。 市内の公共バス駐車場は1か所しかなく、連日満車に近い状態です。 浜松城の前にとても大きなバス駐車場がありますが、(お役所仕事なのか)夜は閉鎖されてしまいます。  これ以上、待つ訳にいきません。 「いつになか分からない行政の事情で、時運を逃してはいけない」と決断に至りました。 人のフンドシで相撲をとるのは、やめました。 ただ、駐車場を広くしただけでお客様が来るのか。 世の中、そんなに甘くありません。 このメリットを生かし、たゆまぬ営業努力を地道に続けることに尽きると思っています。 結果が見えるのは何年も先の話。 「あの時、おもいきって決断して良かった」 胸を張って言えるような展開を作っていきたいと考えます。 (随時、更新します)   余談:今回の話はもう少し早く書きたかったのですが、パソコンのどこかのボタンを押し間違え、「ウインドウズ10」が勝手にインストールされました。ここまでは問題なかったのですが、アメーバブログがついていけませんでした。文字が返還ができなかったり、画像が貼れなかったり、大変でした。 パソコンを買い替えろというマイクロソフトの戦略にはまったようで悔しいです。

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  • 25 May
    • 震災義援金

       大変遅ればせながら、熊本地震の災害義援金に共鳴し、私ども清俊企画はわずかながらの寄付を行いました。  御協力いただいたお客様、関連業者の皆様、社員。 この場を借りて厚くお礼申しあげます。  もう40日余が経過しましたが、「震度7が2回続く」という特異な地震でした。  被災地の一日も早い復興を願います。    浜松、静岡の2ホテルのフロント、レストランに募金箱を設置しました。  お札で入れてくださるお客様もいました。  メイク業者のお姉さま(おばちゃま)方も、積極的に参加していただきました。  2ホテル合わせて10,541円の浄財が寄せられました。  ホテルの方からの寄付金と合わせ、合計2万円を現金書留で郵送させていただきました。  残念なことに静岡のフロントの募金箱は、途中まで「空」でした。  「強制はできないけれど、まず、自分たちでそういう気持ちにならないと、お客様に呼びかけるのはその次だと思うよ」。つい、お小言を口にしてしまいました。  ただ、あるスタッフが「熊本だから」と、募金口をクマモンにしたアイデアは感心しました。  気持ちが高まるよう、中身が見えるように改善されてました。(やればできる)  東日本大震災の際、恥ずかしながら、わが社は義援金活動には参加できませんでした。  建物の被害こそありませんでしたが、相次ぐ自粛キャンセルで、売り上げが3カ月続けて半減し、人助けをしている余裕がなかったからです。  金額こそ少ないですが、今回は5年前の悔恨もこめ、積極的に動きました。  義援金といえば、もう20年以上も前の話ですが、北海道南西沖地震の際は、新聞社の通信部員として、募金に関わりました。  通信部といっても、社員は私一人。  毎朝、会社を開ける前の7時台から、寄付金持参者の列ができるし、出かけて戻るとまた行列です。  中には「何でいないんだ」と怒る人もいて、大変でした。(何せ1人ですから)  「そちらで数えて」と、募金箱をそのまま持ちこむグループもありました。(お願い、数えてきて)  何度、銀行に1円球、5円玉の山を届けたことか。  今回の新聞社の対応(現金書留のみの受付)を見ていると、時代は変わった気がします。  後輩に聞くと「僕らは社員は仕方ないですが、奥さんはじめ家族がノイローゼになるという言い分がようやく通りました」だとか。(うん、全くその通りだよ)  こうした寄付金活動は、協力する方も大変ですが、集めて現地に届ける作業もそれに増して大変です。  地震も悲しい話でしたが、4月はもう一つ、涙がとまらない事件がありました。  浜松で起きた一家殺人事件。  被害者の一人は、懇意にしていた近隣ホテルの女性支配人でした。  会うたびに、笑顔で対応してくれて、「あの人懐っこい子にもう会えない」と思うと、残念でなりません。  ただただ、御冥福をお祈りします。  (随時、更新します。間隔が空いてしまった事、おわびします)       

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  • 29 Feb
    • コストコ

       浜松への出店が報道され、話題となっている会員制倉庫型店「コストコ」。  岐阜羽島に昨年末、新店舗がオープンしたので、関西出張の帰りに寄ってみました。  「確かに店は面白い、でも、ここで買うのは気分的に面白くない」。  へそ曲がりの性格なのか、私は複雑な気分になりました。  なぜなら…    とにかくにぎわっています。  平日にも関わらず、開店1時間足らずで、駐車場はいっぱいでした。  岐阜羽島は名神インターの目の前ですが、これが浜松の予定地だと、インターからの導線に大渋滞は必至です。  「わざわざ浜松から来たのか」  見知らぬおじさんに声を掛けられ、  「京都の帰りですよ」と反論。  仮に浜松から直行だとしても、意地でもそう答えると思います。(*^_^*)      会員制のため、その場ででも入会しないと入れません。(予習済み)  個人は3,000円、法人は4,000円。  有効期限は1年限り。  個人カードにはその場で撮影する顔写真がはられ、同伴は2人まで?だったかな。  とにかく、敷居が高い。  タイヤ販売から、店が始まるのには驚きました。  米国の車部品メーカーが、出店元だからでしょうか。  入会と同時にタイヤ交換割引券をもらうのですが、4本同時でないと使えません。  そこからのショッピングは、なる程、ざん新。  陳列のスケールに圧倒されます。  電化製品、洋服、フード、雑貨、玩具…  「ディス・イズ・アメリカ」と思わせるようなダイナミックさがあります。  ワインの横に寝巻、リビングの横にカー用品。  ストーリーのない大胆な組み合わせです。  では安いか、と言えば、物によっては近所のドラックストアの方に軍配が上がるものもあります。  一番人気はフードコーナーでした。  ↓クロワッサン販売もこんな感じ。  大量販売専門です。  以前テレビで見た種類のパンがなかったので、店員に尋ねると  「すみません。今日はないようですね。私たちもいつ入荷するか分からないのです」。  何人家族なの?と聞きたくなるくらい、皆さん、ドカン、ドカンと買って行きます。  知人のマニアは、まず冷蔵庫の中を空にしてから買い物。  持ち帰ったら冷凍庫に放り込み、何日もかけて食べ尽くすそうです。  ↑IKEAもそうでしたが、レジの後ろに、格安ジャンクフードが並び、長蛇の列ができていました。  皆さん、お金を払った後の商品を放り出すように置いて離れ、平気で食べていました。  ↓ 私はちょっと怖いなあ。    格安ガソリンを求めが、5プリペードカード(予習済み、この方法でしか買えない)を買いました。  レジを通して、言われた通り、係員に仮の券とプリペードカードとの交換を求めると、  「商品をそこに置いて、私と一緒に向こうの引換コーナーまで来てください」。  客を動かす割には、言い方が機械的だったので、「商品盗られたらどうするんですか?」と私。  すると、「じゃあ、いいです。そこでお待ちください」。  これがまた可愛いくない。  (カチンと来るのは、人間小さいですか (+o+)  商売柄、いつも接客に気を使っている事もあり、どこか納得できない気分です。  でも、店員もマニュアル通りなのでしょう。  きめ細かさではなく、商品と値段、陳列、ダイナミックさで勝負。  おそらく接客は最低限とし、大量に来る客をスムーズに流すことが最優先のオペレーションだと思われます。  コストコ経験者にこの話をすると、「そりゃあ、コストコだからね」。と一蹴されました。  これがスタイル。それが会員制? 慣れるしかないか。  皮肉ではなく、半面教師。  「対照的に、サービス業とは何をお客様に売っているのか」  私たちの日常のヒントが、見えたような気がしました。  買い物が終わり、店を出ようとすると、とどめを刺されました。  「最後の関門」とばかり、出口付近にスタッフが待っており、「すみません、レシート見せてください」。  「えっ?」  レシートと商品をさらっと合わせ、不正がないか、チェックしているのです。  「分かったよ、どうぞ」  脱力感いっぱいになりました。  コストコのアルバイトは時給が水準が高い上、時給の昇格がひん繁にあるようで、人気が高いと聞きます。  店舗付近のアルバイト争奪戦にも、影響を与えるかもしれません。  ガソリン販売では価格破壊が続き、クレームが出ているという新聞記事を見ました。  浜松出店は、想像以上に、各方面に影響が出ると思われます。  もちろん、消費者目線では、楽しみ満載ですよ。  というわけで、私にとっては「面白いけど、面白くない存在」=コストコでした。  ぜひ一度。  視察の価値は十分あります。        (随時、更新します)  

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  • 01 Feb
    • 今年も総力戦から

       早いもので、今年も1カ月が経ちました。  昨年、このブログでふれた「総力戦」が今も続いています。  一つうまくいっても、一つ新たな問題が提起される。  ホテル経営は、楽しいけれど難しい。  あらためて実感させられます。  今年はどんな1年になるでしょうか。  お気づきの方もいると思いますが、総力戦=インバウンドです。  昨年7月から、多くのインバウンド客がホテル米久を利用してくださっています。  浜松は東京と大阪・京都のちょうど真ん中。  大型バスの移動距離等の問題もあり、この地で宿泊すると日程上、好都合が多いようです。  テレビ等で問題点が取り上げられ、マイナスイメージが先行しがちですが、私が見る限り、笑顔で友好的な方がほとんどです。  しいて、言うならば「パワフル」、「ダイナミック」。  大陸文化と島国文化の違いは、日々感じます。  でも、その消費が日本、いや世界を動かしている。  彼ら自身、そのことを自覚しているのか、表情、行動に勢いがありますね。  スタッフも慣れてきました。  質問事項も、ほぼ決まっています。  携帯電話のワイファイ、おいしい料理店、宅配便の出し方。  今では携帯電話で、便利な翻訳アプリもあるので、活用すればかなり通じます。    浅草、なんば、京都…  どこに行っても、たくさんいらっしゃいます。  今はそういう時代、なのでしょう。  むしろ、人口10億を超える消費大国が隣にあるということは、「恵まれている」ことだと思います。  「旅の目的のは、やはり買物なのかな」。  残されたごみを見ると、そういう結論に達します。  旅行最終日の宿泊となると、宅配便用の段ボールが飛ぶように売れます。  チェックアウトした後の部屋にはその分、くつ、服、旅行バッグ…  それまでに使っていた日常品が、山のように置かれている時があります。  ここには書けないような「不思議な残し物」もたくさんあります。      そんな日々の業務の中、私は「同じお金をいただいているお客様同士。差があってはいけない」と考えています。  文化が違うわけですから、現実として、摩擦は生じます。  私たちの共通概念「郷に入れば、郷に従う」。  でもこれは「日本文化」の常識であり、世界標準ではないことを実感させられます。  私たち日本人が海外に行った時、国籍等を理由に差別的な扱いを受けたら、ショックを受けると思います。  芸能人のガクトがフランスで差別を受けフランス語で抗議した、というエピソードは有名です。  「逆の立場だったら、これは許容されるだろうか」。  いつもそんな考え方をするようにしています。    浜松や豊橋では「インバウンド専門ホテル」が現れています。  2年後には静岡空港のターミナルが拡大し、来訪外国人が一層増える事も予想されています。  中国の次にはインドネシア、タイ、ベトナムなど、新たなインバウンドも控えていると聞きます。  日本人の「おもてなし」。  真価が問われるのは、まだまだこれからではないでしょうか。   (随時、更新します)    

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  • 02 Dec
    • 滋賀の紅葉巡り

       娘が滋賀県の大学に進学したこともあり、11月は3度も滋賀県を訪れました。  紅葉を求め、いろいろなお寺を巡りましたが、どこも個性的で、趣がありました。  滋賀と言えば、中央に琵琶湖があり、「行きにくい」「不便」「小さい」などと、どちらかといえば負のイメージ(熊谷君、すみません)がありました。  しかし、訪れる場所ごとに違った顔、発見があり、どやら隠れファンになった気がします。  石山寺です。  寺の名前の由来となった奇岩に圧倒されます。 三重の党と紅葉がマッチし、多くの愛好家がシャッターを切っていました。 でも石山寺と言えば、それ以上に紫式部です。 教養不足の私は、今回初めて知りました。 「めぐりあひて~  雲がくれにし、夜半の月かな」 有名な百人一首のあの歌を作るために、式部はこの寺に何日もこもって、月を拝んだそうです。 大津市内の有名な三井寺です。 どちらかというと、桜の方が有名なようですが、由緒ある壮大な寺でした。 高台から、雄大な琵琶湖を見下ろすことができます。 ↓ 「紅葉のトンネル」とありましたが、少し早かったようです。 湖東三山なるものがあり、中でも随一の紅葉名所、西明寺にも立ち寄りました。 名神高速道路に新設された「湖東三山PA」のスマートインターから車で10分。 紅葉のピークと重なり、平日のも関わらず、大にぎわいでした。 山門と夫婦杉、ケヤキが見事なコラボ。 こけの緑も鮮やかでした。 時期はもう少し早かったのですが、御存じ比叡山延暦寺です。 今回、初めてケーブルカーを利用しましたが、琵琶湖を一望するダイナミックな5分間を味わえます。 今さら、延暦寺については説明を省きますが、あの鐘を鳴らすのはいい気分ですね。 今回、一番、楽しみにしていたのが、琵琶湖北西岸の高島市マキノにあるメタセコイア並木でした。 韓流ドラマ「冬のソナタ」に何度も出てきた、背の高い木です。 ところがリサーチが甘かった。 湖西線は途中から1時間に1本しかなくなるのです。 午後3時に大津を出たのに、電車が途中止まりが2度。 その都度、次の電車を待つ羽目になり、現地に着いた時は、すっかり日が暮れていました。 ↑写真で見るとそれなりですが、正直、「見ただけ」でした。  おまけに訪れたのは11月24日でしたが、今年の紅葉は遅いようです。  「待ってるから、来年出直せよ」  メタセコイアにそう言われたような気がしました。  今回は紅葉の報告に終始しましたが、織田信長ゆかりの安土、信楽焼、忍者で有名な甲賀、サラブレッド育成の地栗東、豊臣秀吉ゆかりの長浜、井伊家の彦根城…。  滋賀県は、魅力あふれる観光地満載です。 (随時、更新します)  

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  • 12 Nov
    • 生稲さん頑張って

       タレントの生稲晃子さんが乳がん摘出、再建などの手術を5回も受けていた事を明かし、連日テレビで報道されています。  実は、ここホテル米久に宿泊した事があり、その際に受けた好印象は今でも忘れられません。  再発の可能性が依然として残るという状況にありながら、懸命に生きる姿に、心からエールを贈ります。  生稲さんといえば、元「おにゃん子クラブ」の会員であり、工藤静香らと「うしろ髪ひかれ隊」を結成して一世を風びしました。  私は「おにゃん子」世代ですが、あまり関心がなく、「国生さゆりや河合その子が、ちょっとかわいい」と思った程度(十分知ってる?)でした。  でも今でいうAKBよりは人気があったと思います。(プロデューサーは同じですね)  もう10年も前の事なので話していいでしょう。  生稲さんは吉本系の劇団一座の一員として、浜松で興業を行った際、歌川大助さんや、なべおさみさんらと一緒にここへ3泊しました。    本人から突然、「ビデオで台詞の勉強をしたいから、デッキを借りられないでしょうか」と依頼がありました。  ミーハーではなく、「責任者として」、私自ら、お部屋にお届けにうかがいました。  「どうぞ」と言われて部屋に入ると、マネジャーの姿もなく、ツーショットに。  舞い上がりそうな気持ちを抑え、ぎこちない動作でデッキを設置した記憶があります。  その際、何度も丁重にお礼を言われ、実に謙虚な方でした。  薄めの化粧でしたが、とてもかわいらしく、話し方も上品でした。  興業の間のオフの日でしたが、午後から別の仕事で東京へ出かけるようでした。  そんな多忙な合間を台詞の勉強に使う努力家ぶりに、また感心させられました。  アイドル時代でなく、その日から、私は一ファンになりました。  記者会見で、涙ながらに「手術の直前に娘と銭湯に行き、いつまでも出たくない気分でした」と語っていた表情、しぐさは、10年前と変わりませんでした。  「でも娘が成人するまでは死ぬわけにはいかない。いただける仕事があれば、入浴でも何でもやりたい。同じ病に苦しむ人の励ましになれば」  優しい言葉で、強い胸の内を語る彼女の姿勢に、あらためて、感銘を受けました。  地方のビジネスホテルですが、時として、思わぬ形で、メディアで拝見するような著名人が宿泊する事があります。  できるだけ、一般の方と同様に接するように心掛けますが、やはりこちらも人間。つい注目してしまいますね。  テレビのイメージ通りの方、(疲れているのか)無愛想な方、いろんな表情がありますが、ホテルで見せる顔はいわば「オフの顔」。  お客様ですから、スタッフにはおもいっきり、わがままで、甘えていいと思います。  それを受け止めるのが、プロの仕事です。  生稲さん、頑張って、仕事と闘病を両立してください。  同世代の一ファンとして、彼女の頑張りを見守っていきたいと思います。  (随時、更新します)  

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  • 29 Sep
    • 加藤さん、子連れで登場

       結婚退職で2年前、ホテルを退職した加藤さんが生後間もない娘さんを連れ、遊びに来ました。  人見知りしない子で、抱かせてもらいました。  「年の差夫婦のスリーショット」に見えるかな、と思ったのは私だけのようです。  言葉を選ばない女子社員に、あっさり言われました。  「どう見ても、おじいちゃんと孫です」。    一山、二山あったとは想像してますが、無事にお母さんになれたんだな、何だかうれしくなってきました。  LINEで突然、「娘の首が座って来たので、こちらに来たい」と申し出があったので、一緒に働いたスタッフが多い日を選んであげました。  というのもこの2年で、わが社は大きく顔触れが変わっているのです。  懐かしいメンバーと出会い、楽しいひと時を過ごしていきました。    加藤さんは、私が経営を始めてから、新卒入社第1号でした。  入社したのは9年前。  彼女は、天下の浜北西高バレーボール部出身です。(ポジションはどこだっけ?)  当時監督をしていた高校時代の大先輩に「一度、練習見に来いよ」と誘われ、訪問したのがきっかけでした。  それは、熱い、いい練習でした。  練習が終わると、突然、先輩が「就職決まってない3年生集合」と部員を集めました。    きょとんとする私を尻目に、  「よし、ホテルで働きたい奴いるかあ」。  2人が挙手しました。  そこで先輩は、くるりと振り返り「そんなわけで、頼むよ」とニヤリ。  そのうちの一人が加藤さんだったのです。  さすがは全国大会に何度も出場した名監督。  してやられました。(今では某商業高校の副校長をしています)  入社した当時は、女性の先輩が多く、文字通り、手とり足とりの指導でした。  不思議と、厳しい先輩に限って、彼女の面倒を見てました。  不器用だけど、絶対服従、そして素直な彼女をほっとけなかったのでしょう。  彼女の在籍した7年間は、リーマンショックあり、大震災あり、ホテルの撤退あり、と会社は苦難の連続でした。  そんな中、彼女は無遅刻無欠勤、わが社を支え続けてくれました。  湖西や駅前の別ホテルへの配置換えした事もありましたが、文句一つ言わず、会社の意向に従ってくれました。  ここホテル米久に戻る辞令を出した時、彼女は大泣きして喜びました。  「苦労させてたんだな」。  その時ばかりは、胸が痛かったです。  経営13年となると、数多くの入社、退職があり、その都度思い出深い、出会い、分かれがあります。  今回のような明るい再会は楽しいですが、時として訃報もあります。  会社を存続し続ける事。  巣立った人たちが、いつでも戻って来られるこの場を守り続ける事。  それが私にできる何よりの恩返しなのだ、と日々言い聞かせています。  (随時更新します)         

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  • 11 Sep
    • 洪水

       3日前、全国に飛び交った浜松の洪水被害が一瞬にして吹き飛ぶような河川の決壊被害が相次ぎ、痛たまれない思いが続いています。  ホテルスタッフ一同、被災地の冥福を祈ります。  同時に、変わらず商売が続けられている幸運に感謝しつつ、身の引き締まる思いで業務に取り組んでいきたいと思います。  昨日の鬼怒川は、「3.11 東日本大震災」の記憶がよみがえるような緊迫した映像の連続でした。  今日11日は、さらに被災地宮城県の渋井川の堤防も決壊しました。  今回の集中豪雨には、ここが日本かと思わせる恐ろしさを感じさせられます。  私たちは建物で商売しています。  東北の被災地を訪れた時にも感じた事ですが、「一瞬にしてこの建物が使用できなくなる事態が起こったらどうなるだろうか」   実際に気仙沼や陸前高田では、津波で1階がくり抜かれたために使えなくなったホテルを見ました。  建物の崩壊。とても他人事とは思えません。  偶然、この夏、家族旅行で鬼怒川を訪れました。  露天風呂施設が流された「鬼怒川プラザホテル」のすぐ近くに宿泊しました。  穏やかだった鬼怒川の変わり果てた姿に、驚いています。    「そちらの様子はいかがですか」  今週末、関ジャニのコンサートが近隣で開催されるからでしょうか。  心配したお客様から、本日も何度か問い合わせがありました。  皆さん、冠水した先日の浜松市街の映像に、鬼怒川の映像がだぶり、気になるところなのでしょう。  おかげさまで浜松は、平静を取り戻しています。  ただ、実際に床上浸水した地区もいくつかあり、気易く「大丈夫です」とは言いにくいのも事実です。  「七夕豪雨の時、みんな冠水した道路をずぶぬれになって自転車を押して高校に行ったよ」  酒の席で、そんな話を聞いたことを思い出しました。  調べると、七夕豪雨は昭和49年、静岡市の出来事でした。  そんなシーンが今回、この浜松で現実のものとして見る事になるとは、思いもよりませんでした。  最近の気象、異常過ぎて怖い。  今回の被害がこれ以上拡大しない事をあらためて祈ります。  (随時、更新します)           

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  • 26 Jun
    • 「総力戦」

       久しぶりの更新です。  ここホテル米久で、7月から、会社を挙げた大型ビジネスが始まろうとしています。  詳細はまだ申し上げられませんが、客室やレストランの一部改装、新たな業者との取引、勤務時間や仮眠時間の変更等…  スタッフの日々のルーティンが、大きく変わることになりそうです。  早朝6時出社の人も出てくるでしょう。  レストランの手伝い、新たなエージェントとの交渉など、心配の種が尽きません。  現在、プロジェクトの最後の詰めに入っていますが、予期せぬ変更が次々に発生します。  昨日も契約の根本に関わる大きな変更がありました。  現場の混乱は必至。今日は正直、気持ちが重い出社でした。  「だから、この話は無理と言ったじゃないですか」  こんな言葉を浴びるのだろう。  自分なりに対処法を思いめぐらせつつ、  「引き受けた以上、想定外の事が起きても約束の間は責任を果たそう」  そんな精神論を振りかざす予定でいました。  私の立場上、それしかありません。  しかし、事務所で待っていた支配人、マネジャーは愚痴や泣きごと一つ言わず、逆にいろいろな知恵を用意していました。  「社長、とにかく今回は総力戦でいきましょう」  実に頼もしい一言が待っていました。  「視界が一度に開ける」。まさにそんな瞬間でした。  受け入れからチェックアウトまで、既に一連のマニュアルが作られていました。  レストラン改造の素案もできていました。  管理職だけでなく、団体窓口の担当者も、日々増大いるはずの事務仕事をバリバリこなしています。  入社2年目の女性スタッフは、3カ国語の団体客用の注意書きを作りました。  みんな、それぞれの持ち場で「自分にできること」を実践してくれています。  さらに、「人手が必要」そう思っていた矢先、ドンピシャのタイミングで、経験者の求職がありました。     うまく回るときは、不思議と外部の業者さんも力になってくれます。  ウイン=ウイン の事もあれば、知恵をくれたり、人を紹介したり、決してお金にならないことも含めて協力していただきました。  ベッド布団業者、リネン業者、メイク会社、間近のコンビニさんまで、知らぬ間に「チーム米久」ができています。  とはいっても、「好事魔多し」。まだまだ想定外のことが発生するはずです。  浮かれることなく、精力的に、時には堅実に、会社の内にも外にもいる頼もしい仲間たちと、この大きな山場を乗り切っていく覚悟です。  (随時、更新します。今回は少し間が空いた事、お許しください)            

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  • 22 Apr
    • 「ソロモンの偽証」と宮部みゆき

       ロードショー「ソロモンの偽証 後編・裁判編」を見ました。  核心の「偽証」の部分が、原作と変わっており、「うーん」と首をかしげてしまいましたが、エンディング間際で2度も涙が出てきたということは、素直に「いい作品」ということなのでしょうか。  いや今回は、宮部みゆきの原作に「力がある」と言うのが正しい表現かもしれません。  実は私、20年来、彼女の大ファンです。      この作品は、執筆から完結まで9年。単行本6冊の大作です。  構想段階から数えると10年を有に超え、彼女の「渾身の作品」と言われています。  読むタイミングを逸していたため、映画化をずっと楽しみにしていました。  そして「前編」が期待にたがわず、いい出来だったのです。  中学生が「友人の死の謎を明らかにするため、裁判を開く」という設定が衝撃的でした。  すっかり魅了された私は、後編の上映までのわずか3週間が待てずに、一足先に原作で続きを読み終えました。  それはそれは、満足のいく、フィナーレでした。  私は評論家ではありませんが、文庫本6冊の中身を「前編後編2本に集約した」というのに無理があったのではないでしょうか。  宮部ファンとしては、「大地の子」や「不毛地帯」のように、10話くらいのドラマにしてでも、厚く、原作に忠実に作品化してほしかった気がします。  ぜひ、原作をお薦めします。    第1話が良かったけれど、しだいに尻つぼみになっていく映画。  けっこうありますよね。  「20世紀少年」が、まさにそのパターンでした。  「スターウォーズ」も何となくそう。  かなり古い作品ですが、「猿の惑星」も3話くらいまでは最高でしたが、その後は…。  小説でも「青春の門」を最後まで読んだ時、そんな思いがしました。  「筑豊編」「自立編」まではいけるのですが、その先は読むスピードが鈍りました。  20年前、宮部みゆき作品との出会いは「火車」でした。  「戸籍乗っ取り」という、ぞっとするような切り口が圧巻でした。  今でも、一番面白い作品だと思っています。  直木賞作品の「理由」は、気が付くと家族全員が別人にすり変わっていた、という設定。  2.26事件当時にタイムスリップする「蒲生邸事件」、念力を使う少女の「クロスファイア」など、題材の選び方と作品制作に伴う取材がすごいと思います。  私の記憶では、超能力といえば、筒井康隆の「七瀬シリーズ」。  取材と言えば、山崎豊子。  などが印象的でしたが、宮部作品は、それに「現代病」とも呼べる社会現象を織り交ぜ、考えさせられる事が多いのです。    そんな私の趣味もあり、ホテル米久のロビーには文庫本「宮部みゆき」コーナーがあります。  「東野圭吾」「山崎豊子」コーナー、漫画本に押されてひっそりしていますが、よろしければぜひ、御一読ください。  (随時、更新します)

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  • 27 Mar
    • 魅せる朝食へ

       「朝食力アップ」を目指し、ホテル米久レストランで、わずかながらのテコ入れをしました。  魅せる演出、スタッフの両面からのチャレンジです。  限りはある予算の中で「目に見える変化」に、こだわってみました。  お客様の反応を見るのが楽しみで、私自身、朝、足を運ぶ回数が増えました。  わずかですが、手ごたえを感じつつあります。  昨年末から手作りパン、カニといった目玉企画を次々に投入してきました。  少しずつ、アンケート評価も上がってきました。  ビジネスホテルの朝食ですから、派手な設備投資はできませんが、「可能な範囲で」演出の機会をうかがっていました。  他ホテルの朝食やランチも何度か視察に行きました。    現在、当ホテルの最前線を動かす岩崎支配人は宴会畑出身。  なかなかのアイデアマンな上、手先がとても器用です。  彼が言うには、おいしく見せる第一歩は、「料理を立体的に置く事」だそうです。  机、イスを新調し、センターテーブルのバイキングレーンを変えてみました。    わずかな違いですが、確かに、バイキングのボリュームが増した気がします。  以前のように、ベタっと、机上に並べるだけの配置と比べ、変化が出てきました。  次にトレーを6つ切りタイプに変えてみました。  最近のトレンディですが、なるほど便利で、見た目もいいですね。  お客様にも、「少量ずつとって並べる」という楽しみが増えたのではないでしょうか。  最後は人の力でしょうか。  この機会に、ホール専属の2人の女性スタッフを配置しました。  1年前、アルバイトの女の子が辞めてしまって以来、ホールは料理人が兼任していましたが、専属スタッフを置くと雰囲気が変わりますね。  「おはようございます」  「ありがとうございます」  「いってらっしゃいませ」  当たり前の言葉ですが、2人ともすごく新鮮な空気を運んでくれています。      少し前の話になりますが、東京ビッグサイトの「厨房機器展示フェア」を訪れ、本物に触れる機会がありました。  器であったり、装置であったり、光であったり。  ベーカリー、パスタ、和食…。  それはそれは大小、さまざまな「非日常空間」がそこにありました。  値段もそれこそ、「1けた違う世界」でしたね。  ←確かに水もこうなると、うなってしまいます。  静岡のとあるホテルの朝食のホームページを開き、弊社の料理長に 「負けない味を出す自信があるか」と聞いたことがあります。  「自信はありますが、料理というものはトータルです。今のうちの雰囲気、器では、かなりハンディがあります」。  確かに、ブルーの食器で統一され、店全体、おしゃれな室内装飾が施されていました。  単独店として、フレンチのランチを出しているわけですから、無理もありません。  昨年、流行るレストラン作りの講習を受けました。  講師の最後に発した言葉が、今でも記憶に残っています。  「これからはアンチエイジングと光の演出です」。  今回はそこまで手が届きませんでしたが、次のチェンジの機会にはこれに「ローカル」を加え、挑戦してみたいと考えています。  もちろん私は「料理」の分野は全くの素人です。  舌も人一倍ダメな方です。  そこは餅は餅屋。  わが社には頼もしいスタッフがいるから安心です。  支配人、料理長に加え、元コックの経歴を持つ上本マネジャーもいます。  フロントからいつでも応援に回る女子社員達も、レストランではすっかり料理長の片腕になっています。  今回、私は「なけなしの」お金を出しただけで、アイデアは全てスタッフの力です。  頼もしい人材に、感謝と誇りを感じています。  (随時、更新します)

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  • 23 Feb
    • つかの間の「バブル」

       うれしいことに、ホテル米久は先週から連日、稼働がアップし、つかの間の「バブル」状態となっている。  大きなイベントがないのにウイークデイが満室続きになるのは、リーマンショック以降、初めてではないだろうか。  残念ながら、これには理由があります。  そして、その後に厳しい現実が待っているのです。   ←フロントコンピューターも満室歓迎  一番の理由は、最寄りの競合&強豪ホテルが改装のため閉館しているからです。  そして、とあるホテルに、そのための改装業者が大挙宿泊しているらしいのです。  2つ合わせ、競合ホテルの約300室が「ふさがっている状態」。  手放しで喜んでいるわけにはいかないのです。  1カ月後には当然、装い新たにそのホテルが復活します。  あまけに、その1週間後、浜松市内にはもう1店、新規ビジネスホテルがオープンします。  それでも3月の浜松は、「がんこ祭り」「全国吹奏楽コンクール」といったビッグイベントが目白押しでにぎわうのですが、問題は4月以降。  これぞ、厳しい現実です。  ←建物が完成し、オープンを待つ新ホテル。お手柔らかに。  ただ、このところ、スタッフの頑張りで、目に見えてネット予約が伸びています。  先日、楽天トラベルの恒例イベントに出席してきましたが、浜松地区の担当者から「伸びてますね。敢闘賞(躍進ホテル)が狙えるのでは」とおほめの言葉をいただきました。  営業トークがかなりあるでしょうが、うれしい話です。    円安と中国の旧正月の影響でしょう。  浜松市内にも外国人客のツアーが連日押し寄せています。  東京や名古屋、福岡と比べ、静岡県西部の景気の立ち直りは遅れていると聞きますが、それでも緩やかながら回復の兆しは感じられます。    やはりホテルは、客が増えると活気づきますね。  特に平日の朝食レストラン。  皆さん、仕事前の短い時間でバイキングをお腹にかきこむからでしょうか。  ピリピリと緊張感が伝わってきます。  食材を切らさぬよう、レストランスタッフも神経を使いますが、充実感が顔に出ています。  さて今年も2カ月が過ぎようとしています。  上記の理由もあって、ここまで順調な数字が出ていますが、油断は禁物。  気を引き締めて、4月に備えなくては。  いや、まず3月の繁忙期を乗り切らないといけませんね。  (随時更新します)  

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  • 27 Jan
    • 漫画コーナー充実

       昨年末からホテル米久、アセント静岡の両店で漫画コーナーを充実させています。  「ウェルカムカフェ」や「選べる枕」に続く、お客様サービスの一環です。  BOOK OFF などを活用し、両店合わせて1000冊に近づいてきました。  「あの漫画の続きが読みたい」といったお客様が一人でも生まれればな、と願います。  ← 黒を貴重にした米久内のコーナー  設置したのは、どちらも元々「喫煙コーナー」のあった場所です。  時代とともに建物内の公共スペースが「分煙型」から、「喫煙は外で」という風潮に変わってきました。  タバコの煙やヤニで黄ばんだ壁の残るデッドスペースが、明るく、有効に生まれ変わったでしょうか。    アセント静岡では、さっそく社員が交代で「おすすめ漫画」を紹介していました。  今月は、羽生支配人がオールドファンに懐かしい「ナイン」と「男の自画像」を勧めてました。  次回担当者のうんちくが今から楽しみです。   ←アセント静岡は白を基調に  主な仕入れは、自称「漫画喫茶通い歴30年」の私が担当しています。  ホテル利用者の多くは、30代~50代の男性。  ここは私たちの世代がセレクトしないと。  経費削減とオールド世代に懐かしい作品を求め、ここ2、3カ月ブックオフに通っています。  40%引きのセールス週間の際は、子供に手伝わってもらい、仕入れのはしごをしました。  もちろん次々に全巻買い、いわゆる大人買いです。  万単位の買い物に、子どもはあ然としていました。  「何驚いているの?お父さんは仕事の仕入れをしているんだよ」とサラリと説明しましたが、この現場を見せたのは、はたして良かったのでしょうか。  とある静岡出張の日、意地になって磐田、掛川、島田、藤枝、焼津と途中のブックオフ全店に立ち寄りました。それも12月24日の事。  どこの店内もクリスマスソングが鳴り響いており、「私は何をやってるのだろう。こんなイブがあっても、時にはいいか」と必死に言い聞かせました。  先日、ショックな事がありました。  高校生の団体がある日に、私が自信を持って並べていたいくつかのシリーズが事務所内に下げられていたのです。  まるで「有害図書」のごとく。  中年男性が好んで読む本に、「多少のドロドロとした恋愛もの」はあるはずです!  先頭切って下げたのが、経理部長(私の妻)だったようで、しぶしぶ引き下がりました。  フロントの女性たちも当然という顔をしてました。(うーむ…)。  追い打ちをかけるように岩崎総支配人に指摘されました。  「社長の趣味は実写版、リアル、ドロドロとした人間関係の題材が多いですね。偏りがあるので、今度は別の仕入れ担当者もつけましょう」  確かにそうかもしれない。  しぶしぶ路線を換え、「ワンピース」や「テニスの王子様」を入れました。  でも、オールド世代がそれ読むかな、といまだ疑問が残ります。 (^O^)/     ←ワンピースを手に喜ぶスタッフ  並べ方一つで、雰囲気が変わりますね。  個人的には図書館のように、固く並べるのはどうかと思ってます。  ↓あえて童話を入れたり、  福助で遊んだり↓  ライトを当てたり、工夫して夢と楽しみのある空間にしたいですね。    ある時、漫画が左から5、4、3、2、1と並んでいました。  違和感の塊でしたが、犯人はとある宇宙人社員でした。  「あれ~、そうでしたっけ。途中から分からなくなっちゃいまして」。  君には負けたよ。  それにしても漫画は奥が深いですね。  ちなみに今の人気は「ハイキュー」「進撃の巨人」「ワンピース」「今日は会社休みます」「七つの大罪」あたりだとか。  ビジネスマンは「島耕作シリーズ」「黄昏流星群」「サラリーマン金太郎」などが好まれるようです。  最新ものはレンタルを活用し、両店1000冊体制に持っていく計画です。  最後に今回の企画にあたり、私の長年の夢を実現させました。  「ゴルゴ13」の全巻陳列です。  私の世代では、この漫画を読んで進路を決めた男が何人もいます。  いまだ続いており、最新は170巻を超えています。  これだけは譲れなかったのです。      (随時、更新します)      

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  • 13 Jan
    • バレーの聖地にて

       新年あけましておめでとうございます。  「最近、更新が少ないですね」という声を聞き、反省しております。  今年は「まめな更新」を心がけます。  正月は、箱根駅伝、大学ラグビーに熱くなりました。  箱根駅伝と言えば、私の母校は優勝経験こそあるものの、ここ何十年は出場すらできていません。  熱くなりきれない自分がいますが、つい見てしまいます。  山登りの5区で大半が決まってしまう最近の傾向は、ちょっといかがなものかと思いますが、青学大の初優勝は新鮮でしたね。  チームを率いた原監督は、セールスマンとして培った「目標達成の喜び」を活動に取り入れ、成功したと聞きました。  また6連覇を達成した帝京大ラグビー部の岩出監督は「一番大切なのは、優勝よりも卒業した後の彼らの人生だ」と語ってました。  参考になる話ばかりです。       さて今年の正月はもう一つ、春の高校バレーの応援に行って来ました。  残念ながらコーチとしてではなく、PTA会長として観客席最前線から、聖隷高校にエールを贈りました。  高校行事でよく会う身近な選手たちが頑張りましたが、結果は惜しくも東亜学園に敗れました。  娘のクラスメートでもある主将の飯田君は大会前に足をねん挫。不本意なラストとなりましたが、大学でもバレーを続けると聞いてますので、その後の活躍が今から楽しみです。  実は、今回の聖隷高校バレー部に、私以上に熱い声援を贈った一人の女性指導者がいました。  彼女は中学の教員で、3年前に全国大会出場を果たし、このチームに3人の選手を送り込んでいたのです。  それはそれは、熱い指導だったと聞きます。 (^O^)/  今は文部科学省出向という立場で東京に赴任しており、教え子たちは「全国に出場し、恩師に会場に応援に来てもらう」という夢をかなえたのでした。  フェイスブックで見た選手、彼女らの顔は本当に幸せそうでした。  一回り大きくなって現場復帰し、次なるホープを育成する姿が、目に浮かんできます。      「春の高校バレー全国大会、略して春高(はるこう)」を見るのは30年ぶりでしたが、ずい分様子が変わっていました。  私の頃の聖地は、代々木体育館。開催は3月で1、2年生だけの大会でした。  今の会場は千駄ヶ谷の東京体育館。1月開催のため、3年生も出場します。      30年前、大学受験に失敗した失意の中、私は予備校に行く準備の最中、ぷらりと春高の決勝を見に行きました。   大林素子率いる地元八王子実践が、全校生徒の大応援団を背に戦っていましたが、当時はまだ無名の古川商業に一方的に破れたのを覚えています。  今ほどのショーアップ(ジャニーズなど論外)はなく、たんたんと試合だけが行われていました。  でも会場は超満員。立ち見でした。  バレーボールは、今よりはるかに人気スポーツだったのです。  今の会場は、とにかく明るい。  鮮やかな電光掲示板。統一された選手のウエア。グッズ販売…。  ジャニーズの力も借り、バレーボール協会が華やかな雰囲気を作り出しています。  選手の「憧れの場所」なのがよく分かります。  甲子園もそうだと思いますが、「応援」という立場は想像以上に大変ですね。  試合開始は午後1時半でしたが、出発は早朝8時半。貴校は8時を回りました。  試合直前しか体育館に入れないため、途中サービスエリアで昼食休憩したり、会場に着いても30分近くバスで待機でした。  野球と違い、バレーボールの試合は1時間弱です。  終了すると次の学校に応援席を明け渡し、バスにとんぼ返りでした。  この日は2回戦で、1回戦は前日。  女子バレー部やチアのダンス部の生徒たちは、これを2日続けたようで、お疲れさまでした。  そんなわけで、スポーツ観戦漬けの正月でしたが、ホテル営業もプレーボール。  1月は毎年苦戦。もちろん今年も大変ですが、1年よろしくお願いします。  (随時、更新します)    

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プロフィール

ボス清

性別:
男性
誕生日:
1966年8月11日
血液型:
A型
お住まいの地域:
静岡県

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