古本屋のうたた寝

思い返すことなど


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 わたしどもの店の名前は青森のりんごと中国の作家、林語堂(リン・ユータン)を掛け合わせた名前だ。林語堂という新たな古書店を開いたのは平成元年三月八日だった。もう二十年になる。
 その前はまるめろ文庫という名前で古本屋をやっていた。定価の半額で売る、いまのブックオフスタイルの誰でも簡単にできる古本屋のやり方だった。古書に対する知識がいらないからシロウトでもできた。
 そうした店を二年くらいやっていたころ、親父の小学校時代の同級生で、Nさんというじいさんが、事業で失敗して家を差し押さえられ、書庫の本を出すことになった。N家といえば、青森でも戦前は財閥で、幾多の事業の外に浅虫温泉に別荘も持っていた。その別荘に広い書庫があり、魚良文庫という名の三万冊もの善本がひっそりと眠っていたのだ。
 大方の和本や貴重な文献は東京の古書店の大手が来て、ごっそりと持っていった。
 わたしは、その持ち運ぶ前のずらりと並んだ高価な本をまだ古本屋をやり始めて二年そこそこの駆け出しだから、ただ呆然と眺めているだけであった。
 次に呼ばれて行ったときは、半分の本がすでに東京に買われて、本棚はすかすかになっていた。それでも、残り物にも大変な本があり、Nさんは、この書庫の本棚もつけてやるから、みんな持っていってくれという。そのために、わたしはまるめろ文庫の支店一店を目の不自由な友人に譲り、その代金で別のところに貸店舗を借りて、新たな古書専門店をやることになった。名前は何にしようかと、いろいろと考えた。果物シリーズでゆこうと、青森名物の北国の果物、まるめろの次はりんごだと、その名前を口にしながら、Nさんの蔵書の中にあった林語堂の『生活の発見』という本を読んで、これだと思った。この本が、わたしの中では常に一位を保つ。その人生論の中に、面白い言葉遊びが書かれていた。

 現実ー夢=動物
 現実+夢=理想
 現実+ユーモア=保守
 夢ーユーモア=狂信
 夢+ユーモア=幻想
 現実+夢+ユーモア=叡智

 これが気に入って、それを本の価格を書くスリップの裏に印刷している。
 林語堂の名前はわたしはそれまでは知らなかった。それで、その頃読めるあらゆる本を探したが、『北京好日』という歴史小説と、いくつかのエッセイがあるだけで、そんなに翻訳はされていないのを知った。
 以前、日本の翻訳家協会の会長をされていた佐藤亮一氏が林語堂と親しく、戦後に何度かお会いして、共に写真に納まっていたりしているが、その翻訳家の佐藤亮一氏が弘前市の出身で、わたしと近いのでより親しみを持った。林語堂の本を戦後、翻訳して日本に改めて紹介したのが佐藤氏であった。
 最近は、いろんな人が翻訳して出版しているから、かなりの作品を読むことができる。
 林語堂はハーバード大学やライプチヒ大学などに学び、北京大学の教授も勤めた中国の知識人で作家であったが、戦後しばらくはニューヨークで暮らしたのち、台湾に渡り、晩年はそこですごした。戦時中にはノーベル文学賞の候補にも上ったことがあるほど世界には知られているが、日本ではいまいち読める著書がその割りに少なかった。
 林語堂はリベラリストで、ユーモリストだ。義和団事件から日中戦争までの歴史を背景に近代中国の揺れ動く姿を家族の愛を見据えて書き綴った長編が多いが、それはどれも洒落ている。中国という東洋的な舞台に近代化された西洋を持ってくる。そこに西と東の織り成す新しい感覚が生まれてくる。
 『マダムD』という単行本は、中国伝奇小説を二十編、林語堂が手を加えて収集したものだ。聊斎志異や笑話、秘話を見事に幻想的な短編にしている。
 『精神と機械』では、クリスチャンだったが、後に離反した林語堂が中華思想を取り上げ、西洋と中国との違いを列挙している。儒教と仏教、西洋哲学から現代文明を料理しているのだが、『西域の叛乱』という戦争の悲惨な背景の中にも、香港へ逃れゆく家族を描いた『自由のまちへ』の中でも、文明批判をしている。中国の西洋化をもろ手を挙げて迎えているのではないところが見える。ずっぷりと体制派というのでもないが、『ソビエト革命と人間性』の中では、半世紀も前にソ連の崩壊を予言していたりする。マルクス主義哲学を深く研究して、それが現実の国家では実現不能であるとし、国家の敵は民衆となり、民衆の敵はやがて国家になると言及している。
 『支那のユーモア』では読んで噴出すことしばしば。林語堂の知性は、実は中国人の諧謔の中にあったのは周知のことで、ユーモアはヒューマンに通じることを認識させられた。
 中国では、いままで一部の小説にしても随想にしても反共と体制批判ということで、林語堂は教科書にも載ることがなかったが、林語堂の提唱するような自由な国になりつつあるいま、本国でも林語堂は復活しつつあると聞いた。

 今月の末に、五日間だけだが、わたしは台湾に行って、この林語堂が晩年に住んだ家と記念館を訪問し、林語堂の墓参りをしようと、計画を立てている。もっと早く行くべきであった。台北の住居は公開されていて、いろいろと店で使える写真なども撮ってこようと思う。
 ついでに台北の古本屋さんも訪問する。うちで取引のある店で、この正月にわざわざ年賀状をいただいた。旧正月に入るといろいろと休む店もあるらしいので、その前に行かなければと二月の初めまでの日程を入れた。
 島を列車でぐるりと一周しようと、また古本屋のおやじのバックパッカーの旅が始まる。
 何かと縁がありそうだから、墓参りもできるのならしてみたい。勝手に名前を店名で使わせてもらって、何の報告もないでは叱られそうだ。

 先日、大手の取次からファックスが来た。林語堂書店様とある。中身は売上スリップの新刊本の客注本が絶版でないという返事だった。
 何か間違っている。うちは新刊書店ではない。古本屋だ。そこでもはたと思い出した。全国でこの林語堂の看板をつけている店はうち以外にもうひとつある。それはネットで調べて知っていた。岡山にある本屋さんが同じ林語堂を使っていた。それで、ファックスをそちらの新刊書店さんに転送してやった。
 そこの社長さんも林語堂の本を読んで感銘したのだろうか。一度お会いして話してみたいものだ。
 いま、また改めて林語堂の著書を読んでみると、政治に寄りかからない自由主義者としての林語堂の顔が見えてくる。時代で蘇る作家もまたいるのだ。




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