松原スポーツ公園の森林鉄道復元軌道に始まったこの日の調査は、大鹿淵、自然湖と次第に奥地へと探査を進めます。


 王滝川に沿って遡上を続け、王滝トンネルを抜けてしばらく行くと、不意に空が開け、平地が広がる場所に出ます。中国南北朝の詩人陶淵明は「桃花源記」の中で、渓流を遡上しているうちに道に迷った漁師が狭い谷間の道に分け入ると、突然目の前が開け、広々とした土地にたどり着いたと、「桃源郷」について記していますが、どことなくそれに似た雰囲気があります。ここが、「木曽最奥の集落」と呼ばれる「滝越」地区。


 「桃源郷」に似ているのもそのはず。この滝越地区には、落人伝説が残っているそうです。いつの時代かは定かではありませんが、落武者の一団が飛騨から鞍掛峠を越えてこの地区に落ち延び、住み着いたとか。その首領の名は「三浦太夫」。かつて、この集落ではすべての家が「三浦」姓を名乗っていたとのこと。確かに、今でもほとんどの家が「三浦」さんです。


 それはさておき、滝越に来た主たる目的は、そば処「水交園」の一角に保存されているという、かつて王滝森林鉄道で活躍した客車「やまばと号」の調査。集落に入ってほどなく「水交園」と書かれた木造平屋の建物が見えてきます。

木曽路名水探検隊のブログ-水交園


 目指す「やまばと号」は敷地の外れに置かれ、雨露をしのぐ屋根がかけられていました。客車2両にはディーゼル機関車も連結されています。そのほかにも、ディーゼル機関車がもう1台、その後ろには材木積載用の運材台車。そして関西電力に所属していた除雪車もあります。木曽路名水探検隊のブログ-保存車両  木曽路名水探検隊のブログ-除雪車


 保存車両の傍らに村によって建てられた案内板によれば、昭和34年4月、王滝小・中学校の滝越分校が本校に統合されたことから、児童・生徒は通学列車「やまばと号」により、12㎞の道のりを約1時間かけて通学することになります。時速12㎞とは、ずいぶんゆっくり運転したものですが、もともと木材運搬用の軌道を人を乗せて走るのですから、安全運転に徹したのでしょう。木曽路名水探検隊のブログ-案内板


 客車の定員は32人。車内をのぞくと、板がむき出しの背板に緑色のビニールがかけられたシート。小中学生用の通学列車だったこともあり、座席はいくぶん小ぶりに造られています。朝夕に、子どもたちの楽しげな話し声が車内に響き渡っていたことでしょう。

木曽路名水探検隊のブログ-やまばと号  木曽路名水探検隊のブログ-やまばと号内部


 集落の子どもたちの通学の足を支えていた森林鉄道ですが、モータリゼーションの波には勝てず、遂に昭和50年5月をもって廃止。「やまばと号」も惜しまれつつ16年の歴史を閉じたのでした。(aki
木曽路名水探検隊のブログ-ディーゼル機関車