国道19号を南下し、伊奈川橋の手前を脇道に逸れ、IHIターボの工場を過ぎてなおも進むと、左手に木組みの舞台と堂舎が見えてきます。これが、momoさんが紹介してくれた「岩出観音 」。


 観音堂の下の道をさらに進むと、道路脇に見事な橋台の跡が。その形から吊り橋のそれと推測されますが、対になるはずの対岸の橋台は樹木に覆い隠されてしまったのか全く見えません。

木曽路名水探検隊のブログ-伊奈川・尼橋1


 これまでの探検で何度も橋台の跡を目撃し、「もしや林鉄の遺構では」と色めく隊員たちでしたが、橋台には橋の名前や建立の日を示す銘板などの手掛かりが一切残されていません。謎を残しながらもとにかく先を急ぐことにしました。

木曽路名水探検隊のブログ-伊奈川・尼橋2


 とある集落に差し掛かったときのこと。車道の脇の一段高い道に橋台がそびえ、そこから対岸に向かって吊り橋が伸びているではありませんか。桁板はほとんど朽ちて落ち、橋桁の手前には厩舎まで建てられています。どうやら、かなり以前に放棄されたようですが、こちらの橋はまだメインケーブルが残っています。

木曽路名水探検隊のブログ-伊奈川・田光橋1


 「この橋ももしや...」と期待が高まる隊員たち。しかし、下流で見かけた橋台よりは規模が小さいことだけは分かりましたが、こちらの橋にもそれ以上の手掛かりは何もありませんでした。

木曽路名水探検隊のブログ-伊奈川・田光橋2


 後日、地元の大桑村役場に問い合わせてみたところ、下流の大きい方の橋は「尼橋」、上流の小さい方は「田光橋」だと分かりました。いずれも、地域住民が対岸との往来に使っていた橋だそうですが、近くに車が通れる新しい橋ができたことから、廃棄されたのだそうです。


 ところで、「尼橋」の方には悲しい言い伝えが残っています。


 昔、この辺りの里に「おりと」という名の女性が、10歳になる娘と一緒に農業をして生計を立てていた。

 ある日のこと、おりとは娘を伴って田の肥料にする柴を取りに川向こうの山へ出掛けた。おりとは柴を背負い、娘にも少しの柴の束を背負わせて川に架かる丸木橋を渡り始めた。

 橋の半ばまで差し掛かったときのこと。おりとはどうしても後ろの娘が気になり、つい振り返ってしまった。その拍子に、おりとの背負った柴の荷が娘に当たり、娘は川に転落。川の流れに飲まれ、娘の姿はあっという間に下流に消えてしまった。助けを呼びながら娘の後を追いかけ、やっとのことで娘を川からすくい上げたものの、娘の命を救うことはできなかった。

 夫に先立たれ、今度は我が子を不注意から死なせてしまったおりとの悲しみは一通りではなく、ほどなく髪を下ろし、橋のたもとに庵を結び、永く夫と子の冥福を祈ったという。

 それ以来、この橋は「尼橋」と呼ばれるようになった。


 悲しい逸話です。娘のことが気にかかるあまり、自分の荷が娘に当たることも忘れて振り返ってしまった親心。その親心が仇となってしまったというお話ですが、誰もこの母親を責めることはできません。現代でも何気ない日常生活の中にも危険は潜在しています。気をつけたいものですね。(aki