この休養林は、木曽ヒノキを中心とした天然林であり、その歴史は、豊臣秀吉の直轄領とされた1590年まで遡る。
以降、日本各地の城、神社仏閣等の用材として用いられてきたが、江戸城の大改修や名古屋城の造営により、木曽の山林が大々的に伐採され、衰退することとなる。
これを案じた尾張藩は、1665年(寛文5年)に大改革を断行。
残された美林地区を留山(とめやま)とし、木曽五木として知られる木々に停止木(ちょうじぼく)の指定を設けるなど、森林の保護育成を進める。
この制度の厳しさは、「ヒノキ1本首ひとつ」と言われるほどで、現在の赤沢の木々は、この頃芽を出したものが多いと言われている。(樹齢300年以上である。)
1889年(明治22年)からは皇室の御料林として管理されてきたが、1947年(昭和22年)、林政統一により国有林に編入。
以降も良材を出荷し続けてきたが、外材輸入による林業の不振のため、全国初の自然休養林として、新たな役割を担うこととなる。
そして、1982年(昭和57年)、林野庁などによって「森林浴」が提唱され、その発祥地である赤沢自然休養林が俄然、脚光を浴びることになるのだ。(続く)(momo)