巴が淵と並び、木曽義仲公の伝説で有名なお寺が徳音寺です。<地図

木曽路名水探検隊のブログ-徳音寺

 徳音寺は、1168年(仁安3年)、木曽義仲公が母小枝御前(さえごぜん)を弔うために建立したお寺。

 境内の墓所には、義仲公を中心として、右側には母小枝御前と今井四郎兼平、左側には巴御前と樋口次郎兼光等一族が眠っています。

 また、徳音寺には、木曽七福神 毘沙門天の霊場があり、中部四十九薬師二十二番札所としても知られています。

 山門は犬山城主が寄進建立したといわれ、攣(つ)られた鐘楼は「徳音寺の晩鐘」として木曽八景の一つに数えられています。

木曽路名水探検隊のブログ-徳音寺山門

 この山門の手前にあるのが白蛇の清水です。

<白蛇の清水>
木曽路名水探検隊のブログ-白蛇の清水

 この清水、水源は朝日山中のどこかわからないそうですが、中興第三世覚門大和尚が「白蛇の遊ぶ泉」の霊夢を見られたことから、その場に寺籍を定め、隠し水路により本堂の裏に引かれたものとか。

 本堂の脇にも、このようにせせらぎがありました。どうやらここから引いているようです。

木曽路名水探検隊のブログ-境内のせせらぎ

 この清水は、夏冷たく冬あたたかで、美味、霊験あらたかな霊水であるため、このように振舞われ、「白蛇の清水」として親しまれてきました。

 飲んでみたところ、味は無味無臭です。

 いやいや、霊験あらたかな水なんだから、味しない、なんて言ったら罰が当たるかな?

 先に触れた犬山城主 成瀬公もこよなく愛用したといい、ここには、成瀬公の真筆による歌碑も残っています。

 「山深く心も清き滝つせや すめる寺井の法の玉水」

 このお寺、向かって左側のお堂には木曽義仲公の像(木曽檜寄木造り等身大)が安置されており、境内には巴御前の像が建てられているなど、木曽義仲公の伝説に触れるには、格好の場所といえるでしょう。

<巴御前像>
木曽路名水探検隊のブログ-巴御前像

 この日は、年配の女性がお一人でリュックを背負って訪ねられていました。(momo)


<徳音寺と木曽義仲>

 武蔵の国で誕生した駒王丸は、二歳の秋からこの地で育てられ、仁安3年の春に元服した後、名を改めて木曽次郎義仲と呼ばれました。

 その秋、母小枝御前が病没したため、義仲公は養父中原兼遠と相談、寺を建立し母を弔い、源家再興の祈願所としました。その際、この寺は、地名に因み柏原寺と呼ばれます。

 兼遠は義仲を養育した人物で、巴御前・樋口兼光・今井兼平の三子に義仲の挙兵を助けさせます。

 平家追討の令旨をうけて挙兵した義仲は、京都へ上り征夷大将軍に任ぜられましたが、元暦元年(1184)、粟津ヶ原で討死、後に大夫坊覚明が亡骸を木曽に帰し、柏原寺の母の墓と並べ義仲公を弔いました。

 公の法号により柏原寺の名は徳音寺と改められ、以後800年、義仲の霊はここに眠り続けています。