江戸時代、茶の湯の宗徧流不蔵庵龍渓宗匠が見出した名水、「猿庫の泉」。天竜川に溶け込んだ泉のわずかな味を手掛かりに十里の道のりを踏み越え、ようやく源流に辿り着いた宗匠は、仲間の茶人たちとその場で汲んだ湧き水で茶を点てて楽しんだそうです。



 また、文化文政のころには、飯田藩主堀公も城内に数奇屋を建て、毎朝、泉まで家臣に馬を駆けさせ、汲んで来させた泉の水で茶を点てたという故事も残っているとか。これほど茶の湯に適した泉なら、藩主ならずとも一服味わってみたいというのが人情ですが、何と、地元猿庫の泉保存会が現地で野点を開催しているとのこと。5月から10月までの毎週日曜日と祝日の午前10時から午後3時まで、500円で味わうことができるそうです。



 ところで、数奇屋まで建てて茶を嗜んだ殿様、時代から察するに飯田藩堀家第11代の堀親寚(ちかしげ)公と思われます。親寚公は堀家随一の名君と称され、老中にまで上り詰めます。天保の改革で有名な水野忠邦の片腕と言われ、諸大名から「堀の八方にらみ」と恐れられた人物でしたが、水野の失脚とともにその職を追われ、減封されてしまいます。



 それはさておき、この泉、茶の湯以外でも味わうことができます。その1つが銘酒で、その名も「純米吟醸 猿庫の泉」。地元で唯一の蔵元、喜久水酒造が醸造するもので、原料の美山錦を60%精白し、この泉で醸しています。以前、飯田に住んでいたころ、瑠璃色のおしゃれな形をした瓶に詰められて涼しげに輝いていた様が印象に強く残っているのですが、今のラインナップを見ると、オーソドックスな瓶に収まっているので、あるいは私の勘違いだったかもしれません。



 左党だけではなく、甘党にも見逃せない逸品が、「猿庫の水まんじゅう」です。信州の小京都と言われる飯田には和洋のお菓子屋が数多くありますが、その中の1軒、「赤門や」で製造販売されています。こしあんを葛で固めた水まんじゅうに青楓をあしらい、冷たい猿庫の泉をかけていただく、見るからに涼やかな和菓子です。ゴールデンウィークから秋の彼岸ごろまで楽しめるそうです。



 逆に、甘党だけでなく、左党も一度は味わってみたいのが、和菓子処双松庵唯七の「喜久水 酒まんじゅう」。大吟醸酒を濾した後の酒糟を純米吟醸酒「猿庫の泉」で溶いて作った生地、十勝産の小豆を国産の氷砂糖で炊き上げた餡に、隠し味として加えられた伊豆大島の自然海塩。錚々たるキャストに思わず涎が…。



 先進地を視察して感じたのは、名水を保存するだけでなく、ビジネスにも巧く利用しているということ。名水をただそのまま味わうだけでなく、巧みに嗜好品に取り込んで別の角度から味わっていただく相乗効果で名水の名をさらに高め、地域の振興にも一役買う。ビジネスモデルとして使えるのでは…、とも思いますが、「なに、商魂逞しい」と憎々しく思われる手合いもあるでしょうか。



 さて、飯田にはもう1か所、「平成の名水百選」に選ばれた名水もあります。旧南信濃村の遠山郷にある「観音霊水」がそれ。何とこの名水、全国的にも珍しい『硬水』なのだそうです。カルシウム、マグネシウム、炭酸水素を多く含むとのこと。いったい、どんな味がするのでしょうか。機会があれば、探検隊として一度探検してみたいものです。(aki