定点より上へ行く情熱

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深夜にやってるいるドラマで

登場人物達が心理テストをやっていた


これは

登場人物の個性が分かり面白く

昔のトレンディードラマでは度々見たものだ



「あなたは嵐の夜、車を飛ばしている。あなたの助けを求めている人が3人いるが

車は2人乗り。ひとりしか救えない。だったら3人のうち、誰を救うか」


「ひとりは病気の子供。ひとりは親友。ひとりは好きな人」



あまり面白くない心理テストだ


どれが正解なのかも分からないし

これで性格を分析するにはあまりに選択肢が少ない




それを言うなら

私が20年以上前に見たドラマで

主人公達が繰り広げた心理テストの方が

余程信憑性があると思う




「世界の終わりが来て、あなたは船で逃げ出すことに決めた。

たったひとつだけ動物を乗せることが許されるなら、あなたは何を選ぶ?」


「馬と孔雀と虎と羊」



私はこれを友から言われた時「虎」と答えた


世界の終わり、なのだ

どこに行っても終わりは、終わり

自分だけ生き残っても仕方ない

だったら、自分を食べて生き残り

命を繋ぐ本能へ託したい


だけど

「虎」と答える者の一番大切にしているものは

「プライド」なのだそうだ


「馬」は「仕事」

「孔雀」は「金」

「羊」は「愛」だとか



なるほど

これには頷ける



「馬」と答えた人の

「どこに行っても使える。乗れるし、困ったら食べてしまえば良い」という意見は

まさに合理的で、現代社会人そのものだ


「孔雀」と答えた人の

「だって派手で良いじゃない。豪華だし」は

まさしく煌びやかなものへの憧れを感じる


「羊」と答えた人達は皆

「暖かそうだから」と答えた

まさに「愛」を求めているのかも知れない



ドラマの中では主人公の女性は「羊」を選び

愛する相手はそれを選ばなかったが

彼女のことを想っている男性が同じく「羊」を選んだことで

切なく展開する



だけど

私は思う



世界の終わりだと言うのに

唯一選ぶのが「羊」などという男性に

誰が付いて行こうなどと思うものか


ラム肉、食うのか?

それで腹が膨れるのか?


世界の終わり、なんだよ??


ここは掟破り


「全てを連れていく」


そう言う男にこそ任せるべきなんじゃないのかね?




描かかれた範囲の中にしか方法を見出せない人と

決められているのにも関わらず

その外にまで強引に思考範囲を広げる人がいる


最も

社会人としては、決められた範囲内で実力を発揮することを求められる


だけど

時折その破天荒さが、常識や決まりをひっくり返し

人の心を動かすことも、ある



祭りの音楽に何故か体が疼くように

壮大な景色を見るとテンションが上がるように

恋をすると走り出してしまうように



理性では及ばない行動に出る時

それは発揮されるように思う



「だから?」

「何で?」

など

言っている暇は、ない


心が動くから

体が動く



私は正直言えば

常にこんな人でありたいと思っている



常にこんな人だったなら

きっと、世間から変人扱いされていると思うのだが


今の私も、それとさして変わらない



熱くて「ウザイ」と思う人も多いだろうが


この言葉が「沁みる」と言ってくれる人もいる





有難いことだ




そんな人がひとりでもいるなら



続ける価値は、ある

















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新学期や就職シーズンが過ぎて

皆様新しい環境にもそれぞれ慣れて来た御様子。。


私みたいに長年社会人やってる者には

ただ繰り返す「季節」でしかないのですが


色んな立場や年齢の方とお話しする機会がありますと

大体今頃出てくるのが

「環境に馴染めないお悩み」


何方か「冴子さんはいじめられたことがないから分からないのでは?」と

仰った方がいらしたので書きますけれど


皆、私を鋼鉄か何かで出来ている女だとでも思っているのかしら?


私は小学2年生まで酷いいじめられっ子でした


学校では一言も喋れず、出席の返事まで出来ない有様で

それが原因で標的にされ

教室の中で服を脱がされたり、物を捨てられたりは日常茶飯事


私は決して泣きませんでしたので、それが更に癪に障ったのか

暴力や暴言も酷いものでした


私はそのことを母に言いませんでしたが

恐らく母は気付いていたのでしょう「やられたら、やり返せ」と言いました


やり返す、なんて

出来る筈がありません

私は自分も「子供」でありながら、「子供」がとても怖かったのです


この先、6年になるまでこれが続いて

もしかしたら中学も・・・

そんなことを考えると、消えてなくなりたい気持ちでした



きっかけは

3年生の時に出来た友達でした


彼女は転校生で、2年生までの私を知らなかった

3年生になってもいじめてくる子はいましたが

彼女は別に私を庇ってくれた訳ではありません

それよりも「くだらない」というように眺め

「何で、抵抗しないの?」と肩をすくめました


彼女の関心事は、いつも教室の中にはなく

放課後をいつも待ち望んでいました


そして放課後になると、母親が夜中まで帰らない孤独な私を連れ出し

楽しそうに新宿の街へ引っ張り出したのです


9歳で、私の世界は一端終わり

次には突拍子もなく広い世界へ開けたのです


大人達があくせく働き

お姉さんは服を脱いで金を稼いでいる

男達は強そうな人には媚び、弱そうな人に怒鳴り散らす

路地の角にある交番のお巡りさんも

私が知り合った大人達は見て見ぬフリ

強そうな男性の上には、これまた強そうだけれど

私には目尻を下げる優しいおじさまがいて

彼女がおそらく今まで可愛がられていたように

私も随分と可愛がって貰えた



私がクラスでいじめらたきっかけは

私が何も喋らないから、だったけれど

そこでも同じように喋れない私に

大人達は「無口な女は賢い証拠」「嬢ちゃんはきっと良い女になる」

そしてしまいには「まぁ、喋りたくなけりゃ別にいいさ」と笑いながら

優しく放っておいてくれた



助けてくれた訳じゃ、ない

彼女も、そこで出会った大人達も



だけど

皆が普通に出来ることも

皆が簡単に考え及ぶようなことも

実行するのが難しい人もいるのだと


そこにいる人達は許容してくれたように思う


ただ喋る、だけでも

自分の意見を言うことも

嫌だ、と首を振ることさえ

出来ない人間が

いても良いじゃないかと



また

そんなことに構ってなどいられないくらい

世の中は広く、色んな出来事が起こって

いずれは自分も大人になるのなら


あの教室が全てでは、ない

そう思えた



そう思ったら早かった


私は教室でもペラペラと喋り出し

あっという間に大勢の友達が出来た


入学してから何も喋らず

殆ど謎の存在だった私に

皆が興味津々で色んなことを聞いたり

家に来たがったりした


180度変わった日常だったけれど

私は大して嬉しいとは思わなかった


見下したのです

クラスにいる人達を

途端に態度を変え、私にへつらうようなあの人達を



だから

私の知っている大人達を見習って

「お礼参り」を決め込んだのです


入学してから2年の間に私をいじめた者

ひとりひとりを訪ねて、喧嘩して回った

謝るまで、やめない


突然豹変した私に女教師は驚いて

休み時間になると私を探し回った


中でも一番悪質だった体格の良い男の子のクラスへ乗り込んだ時には

もう私の後ろには私を面白がって応援する女の子達がゾロゾロと付いて来て

調子に乗った私は、そのジャイアンみたいな子の後頭部をガラス窓に打ち付けた


流血騒ぎのお祭り騒ぎ

言ってみれば傷害罪です


これには教師も母親を呼び出し怒り心頭


だけど私の母は言ったのです

「うちの子がいじめられている時、誰がそんなに怒ってくれましたか?」

「私はやられたら、やり返せと教えた。彼女が悪い訳ではない」



職員会議だとかクラス会議だとか

色んな事が行われ

私の行いは確かに良くはなかったが

それまでの経緯を告げる子も多くいて

結局頭に包帯を巻いた男の子とその親が

私の家へ詫びに来た


母はその子へは怒らず

「うちの子の友達になってあげて」と言ったが

私は「死んでも忘れない」と彼を泣かせた



受けた痛みは忘れないモンだ

彼も多分そうだろう

それを忘れなければ

もう別の子が悲しむこともない



喧嘩両成敗



痛いのは、誰だって同じ





元々

私の気が強かったのもあるのでしょう


負けず嫌いで、思い立ったら諦めない

何も喋らないからと言って

心が大人しいということでは、ない



私が皆さんにいつも書く

「視点を変えてみれば、楽になれるかもしれませんよ」

「世の中はあなたが思っているよりずっと広い」

「こっちへ、出て来ませんか?」


それには

こんな経緯があって書いています




いじめられる恐怖も、孤独も

どうにもならない憤りも


分かっています



だけど

結局

自分のことですから


自分が変わらない限り

解決することではないのです



私が抜け出したのは

努力したからじゃ、ない


気付いたから


理解したから


考え方が変わったからです



きっかけが欲しいなら

いくらでも




だけど

勇気は必要です


向上する気のない者

変化を受け入れない者に

追い風は絶対に吹かない



道が長いなら


そこ、より

もっと奥まで進んでみたいと思いませんか?


もっと高みなら

景色はさぞ良いでしょう


進めないのは何故ですか?

その足を縛るのは

あなた自身ではありませんか?



知らないことへの喜びを

知ることへの渇望を

手を伸ばす貪欲を


どうか


否定しないで




新しい環境は

新しいあなたを開花させる可能性に溢れてる



今までしなかったことをして

皆を驚かせては如何かな?


そんな人生の小さな事件

ひとつやふたつ

起こしたってパチは当たらない


誰にも見せなかったあなたを見せて

あの人を振り向かせてはどうかしら?


考え方ひとつで

世の中は色を変える



振り返るばかりでは

夢を見る目が衰えてしまうよ



一度きりの人生じゃないか


思うようにやっても良い





ケセラ・セラ


肩の力を抜いて



なるようになるものだよ















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誰に教わらずとも、分かる



いや

本当は

今まで知り合った人達に

教えて頂いたこと





「いいよ、いいよ」と言う相手の瞳が陰ること

本当は「良い」とは思ってはいないが

私に気を使って、そう言っている



喧嘩の後「大嫌い」と言った後輩が

上目遣いで私を見るのは「大好き」の裏返し



ありがとう



「そりゃ、そうですよね」と言った職場の人間が

本心では私を馬鹿にしてること



「会いたかった」と言った男の嘘



「いいの。大丈夫よ」と言った

お客様の優しさ



「いつもセンスの良いものを有難う」

これは兄さんの優しさ、だ



「それ凄く素敵!どこで買ったの?」

そんなに興味ないクセに



「センス良いですよねぇ。私も真似したいなぁ」

ホントはそんなこと思ってないクセに





人は本心でない気持ちを幾つも口にする


だけど

本心はしっかり漏れている



私はそれを掴み取る能力に長けている



笑っていても

同意していても

その本心は、手に取るように分かる





何故これが皆さんお分かりにならないのかと

疑問に思うことがしばしばある


明らかに下に見ているコメントに

嬉しそうにコメ返ししている方や


明らかに無駄なのに

その応援に心ときめかせたりしている



やってる方も悪質だが

受けてる方も何ともおめでたい




あなたのことを言っているのでは、ない

知らずに済むなら、平穏だから




だけど



「もう逢わない方がいい」と言った男の眉間に



「別に好きじゃない」と言った男の耳たぶに


そうじゃない意思を見る時




どっちも大変、と

私は思う




ハッキリ物を言わないのが

我が国の美徳


曖昧で濁し

それが奥ゆかしく、慎ましい



全てをハッキリさせたなら

誤解はなくなり、簡潔なのに

と思う一方



この曖昧さが何とも色っぽく

好きだったりする

この日本人気質!!




いやよ、いやよも好きのうち


「すみません」がOKだったりNGだったり






そういう曖昧な世の中を私達は生きている





傷付きながら


学びながら


教えながら





そして

感じて
















受け取って

本心を言わない私のメッセージ


















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またホラー観に行っちゃった

うちゅうきょうだい抜いたんですってね


さだこスリーデー


日本のホラーはいかんよ

ドラキュラや、魔女なんかよりずっとリアルなんだからね!


どんだけ怖いのかと

失禁覚悟で行ったけど

・・・そうでもなかった


怖がらせようというより

驚かせよう、としている感じで


「わっ!ビックリした!!」とは思うけど


ジャパニーズホラーって、それじゃダメでしょ?


こう、もっと心理的にドロドロとしていて

粘着質な感じが怖いじゃない?


どう考えて、どんなこと思って

どうしてそんなんになっちゃったのか

そこにはどんだけ執念があって、虚しさがあって

どんだけ怨んでるんだって、ところが

一番の醍醐味だと思うんだけどなぁ


バーンっと出て、ばぁ~って怖い顔して

画面から手に二ョーって!!


彼女の悲しみ、無念が伝わらない



私はファーストカット

井戸の底から空を見上げる彼女視点に

心底世の中を睨んだってのに

あのセンチメンタル、返してくれ




しかも

あの形体が納得いかないんだよなぁ


あれ、もう人じゃないモンね!!


あの最初に観た時の

あのTVから出て来た時の

あの動き

あの衝撃といったらっ!!





生前、とても酷い目にあって

彼女はつまり「怨み」を残している訳なんだけど


私はあまり根気のない人間なので

多分、酷い事をされて死んでも

対して怨まず納得しちゃうような気がする

「ま、いっか」って


「私もそれなりに酷い事やってきたしね」って



そこで

「怨み」について考えて見た




人に初めて殺意を感じたのは学生の頃だ


私程やんちゃではない可愛い友人が

よりによって私の身代わりに拉致られた

深夜走り回って探しても彼女はいない

「助けて」と電話を聞いただけ


翌朝見付かった彼女の体には

生涯消えない傷が残った


この時の「怒り」といったら

「憤怒」と言うべきか「怨み」と言うべきか


漫画のように自分の頭から湯気が出るような

血が沸騰するような

何とも言えない感情に自分の理性は到底追い付かず

若さのせいもあったのだと思うが

誰も私を止められなかった


末代まで呪ってやる


そんな感じだ



そう。

私は刺し違えて

しかも呪う覚悟で乗り込んだ




考えれば

私は私の大切にしているものを傷付けられると

この上なくキレる


自分の痛みは我慢出来るのに


人の痛みを「見る」ことに耐えられないからだ

全てを感じることは出来ないから

全てを背負ってやることも

謝罪してなかったことにも出来ないから


いたたまれなくなることの

別のベクトルなのかも知れない



だとしたら

何て偽善でしょう



格好悪いったらありゃしない




だけど私も大人になりました



普段

そんなに人を怨むことなんて、ない


嫌な奴だなぁ、と思ったり

いなくなればいいのに、なんて考えても

別に呪ってやろうなんて思わない


傷付けられたなら、傷付けられた分噛み付いてやるだけ

別に殺そうなんて思わない


暴力なんて使わなくったって

相手を貶める方法のいくつか持ってます


私の体と心に付いた傷の数程度には



それよか私を怨む男にいつ後ろから刺されやしないかと

ま。それはそれでお楽しみですけれど



そっか

日常にはない「怨み」だから映画になってるのか・・・





いいや


毎日ニュースで流れてるじゃない

最近よく

小学生の登校班とかに車が突っ込む事故


まだ6歳や7歳の子供が

何の為か分からない死を迎えている


ああいう時なんだろう


人が本気で「呪ってやりたい」と思うのは


怨んでいるのは多分、本人じゃない


その親御さんだ


大切に産み育てた

そこで得られる幸福と

未来に対する期待

何より大切にしていたものを奪われた悲しみがあれば

怨んで当然


仇討制度施行すべき



ほら

やっぱり人は大切なものを傷付けられると怒るもの




ああ、そうか



私はさだこが自分を憐れんでいるように見えるのが納得いかないのだ



もしもそこに

蔑にされたしずこへの想いもあるなら・・・と

どこかで期待していたのだ



あの映画に母子の愛が描かれていたなら


もっと深く面白くなると思うんだけど、なぁ


















あっちら声優さんのニコ生を聞いてきた


おかえり、新田先生


もう、あれから10年も経つんだね・・・



そりゃ、こっちも歳を取る訳だ

(同い年だから彼もね!!)






以前私が書いた「私信」の記事に

今更ながら色んな方面からお返事が来る


ここにコメントしないとは

我が友はシャイな人が多いらしい


お忙しいアクティブな人と言うべきか?



誰かが言ってたな


魅力的な人ほど、忙しくしていると




深夜に電話が鳴るのは珍しくないが

ディスプレイに示された文字は実に珍しかった



以前スタバで働き

女性から相当モテ

なのにあっちら声優さんが好きなどと言い

私の小説が好きだから一度お会いしたいなどと言ってくれた

可愛いお嬢さんだ



その頃

私には同じように言ってくれる子がいて

「だったらまとめてお会いしましょう」と

都心のホテルで待ち合わせをした



方やフリフリピンクの出で立ちで可愛らしい子と

男装ルックでスタイリッシュな彼女

真逆の女の子が私の前に・・・


どちらも大歓迎

私は二人が大好きになった


イベントと言えば、いつも3人一緒

そんなバランス



スタイリッシュな彼女が

「女性が好きかも」と私に打ち明けてからは


もうひとりの可愛い子

彼女を狙っているのかとずっと思っていた



だけど彼女は彼女なりに

その世界の扉を叩き、自力で相手を選んだ



私達のバランスは崩れたが

幸せを願う気持ちに嘘は、ない


私はフリフリの可愛い彼女とイベントを共にし

スタイリッシュな彼女のことをよく話題にした



幸せなら、それでいい




しばらく疎通になっていた彼女から電話が来て


「実は冴子さんを狙ってたのに」

なんて言われた



いや、今が幸せなら

それは良い報告だ、有難う




そこで

思った





私は時々、女性に告白される



初めは高校生の時だ


「手を繋いで欲しいの」と言うから

手を繋いだ


下校の時だ


「肩を抱いてみて」と言うから

肩を抱いた


「言い難いんだけど・・・キス・・・してみて」と言われて


「え?」と思わず手を放した


「やっぱり気持ち悪い?」と聞かれたので

「気持ち悪くはないけど、何?」と聞いた


「好きなの」と彼女は言った

ウン、私も好きだよ


だけど、私と彼女のそれは

意味が違っていたみたいだ






社会人になって

派遣された横須賀の工場で

やたら面倒見の良いひとつ年上の女性は


週末になるといつも私を誘ってきた

自分の家へ


女の子同士だもの

何も疑わず応じ

薦められるまま酒を飲み、彼女の手料理に舌鼓を打った


うっかりうとうとしていた私のわき腹から

手を滑り込ませたのは彼女

咄嗟に飛び起き拒否すれば

「お願い、一度で良いから!」と彼女は懇願した


私は突き放し、部屋を飛び出たが

後々後悔して彼女に謝った


想ってくれて有難いが

私は女性には全く興味はない

ごめんなさい、と


そしたら

帰って来た答えがこれだ


「知らないからそんなことが言えるんだよ」


これは昔兄さんが

「やってみなけりゃ分からないじゃないの!!」と

言われたのと似てる





今になって考える



高校生の時のあの彼女は


今思えば、いつも私ばかりを見ていた


あの後、彼女は地元のダンスインストラクターになったが


それも去年辞めたと風の便りで聞いた




横須賀の彼女は

普通の男性と恋をして実らせ

結婚して、母になった


それを地元TVで見て私は

隠せるモンなんだなぁ・・・と

女の本性を見た気がした






男性が男性を愛するのは

理解出来ていると、自分では思っている



だけど

女性が女性を愛するのって

自己満足多くないですか?

我儘、人に掛ける負担

多くないですか?






色んな不具合

色んな不都合

苦しい事、多くないですか?


男性同士の愛より

女性同士の愛の方が


苦しい気がするのはなぜかしら?