自分のブログの紹介に、ユニークな、と書き連ねる人たちの気持ちがよくわからない。
自分で自分のことをユニークだなんて、見ているこっちが恥ずかしくなる。
絶望的な誤読のオンパレートの末に着地した文章を読むと赤面してしまう。
まるで裸の王様のようだ。
フリチンで、しかも皮も剥けていない。
自分が知りうる知識や情報を、相手は知らないという前提で論ずる厚顔無恥さはなんなのだろう。
自分が知ってることぐらい相手だって知っているだろう、とまず考える方が先ではないのか。
論理過程において、それぐらい相手も考えているだろうという読みのない発言ほどうすら寒いものはない。
まるでブレスのない歌のようであり、自らを頭蓋骨に閉じ込めているようでもある。
論破されそうになると論点をずらしたり、相手が誤解していたことにしたり、相手の意見をミスリードする人がいる。
そんなことを言ってるのではありませんという。相手が誤読していれば、本当にそんなことは言っていない。
だが言ってることまで言ってなかったことにして、言っていなかったことまで言っていたことにしてしまうのは何なのだろう。
そのクセ自分は、人が言っていなかったことを言ったことにしてしまう。
馬鹿だ。
絶望的に馬鹿だ。
これでは議論になりようもない。
自分を利口と思う馬鹿ほど自尊心が強い。
自分の意見は真っ当だ。反論の余地などない。
だから自分の意見に納得できない奴は、意見が理解できない馬鹿か、誤読するほどの馬鹿か、ただのいちゃもんつけだとしてしまう。
反論ではないのに反論だと思ってしまう知能の脆弱性も問題だ。
あなたの意見には概ね賛成だが、この部分が間違っているのではないか、という指摘に対しても過剰に反応してしまう。
いわばパラメータの値を指摘するだけのものであるのに、勝手に1か0かに置き換えて反論とみなしてしまう。
まるでヒステリー状態のように。
人の意見に納得し、受け入られるだけの論理性、柔軟性がない者との間に、議論の余地などあるはずがない。
そうなれば、その者の意見などにどれだけの意味があるのだろう。
聞く耳を持たない者に口を出す資格はあるのだろうか。
なのに自分は世間の諸問題に対し、ブログという形で意見し、一石を投じたつもりになっている。
ブロガーは、まるで裸の王様のようだ。
フリチンで、しかも皮も剥けておらず、短小で、カリも小さい。
自分もブロガーたる僕は、パンツを脱いで確かめてみる。