成功っていう言葉は
人によって捉え方が異なる。

私が考える成功者とは

自分が情熱を傾けるべきものを知っていて
日々成長しながら結果をだし
周りの人に感謝と敬意を忘れず
大好きな人に囲まれて幸せを感じ生きている人。

なんだか長いんだけれど

経済的な充実
精神的な充実
を両方手に入れていることが大切。

自分も
自分に関わっている人も
幸せに生きている。

じゃあ
そのためにはまず何をするべきなのか?

私は
ずっとそんなことを考えてこの一年過ごしてきた。

そして
だした答えは

信念を持つこと。

ただお金持ちになりたいんじゃなくて
ただ幸せになりたいんじゃなくて
ただ結婚したいんじゃなくて
ただ綺麗になりたいんじゃなくて

なぜそうなりたいか

という人生の指針を持つことが
始めの第一歩だと思う。

第一歩はとーっても大事。

大きさの問題ではなく
質の問題で。

土台って何事も大切じゃない?

剣道だって
素振りが一流じゃない人は
試合でも一流ではない。

どんな選手であっても
毎日素振りはする。

でもその一本一本の質が違う。

時間にして0.1秒の世界。
その一瞬にその人の信念がつまっている。

土台をしっかり積み上げられた人は
次の一手も正しく積み上げられる。

だから
自分の人生のテーマでもある
信念について
深く深く考えてみてほしい。

今、生きている命を
どのように歴史に刻んでいくのか。

どうように次の世代に影響を与えるのか。

大げさに感じずに
真剣に考えてみてほしい。

私たちが今まで経験してきたことには
意味がある。

失敗だらけだとしても
不満だらけだとしても

その経験を活かしてできることが
絶対ある。

それを見つけることが第一歩。

小さくてもいい。

情熱をこめて
人生をかけて
小さな小さな一歩を踏み出してほしい。

ある世界的に有名なモデルの話を
聞いたことがある。

その人は
絶景の美女。

スタイルも抜群。

そのおかげで確実に
キャリアを積み上げていた。

私生活でも
美人だから得することの方が多い。

スピード違反をしても
警察はチケットをきらなかったそう。

でも
彼女は言った。

心の中に平安がない。
人生に幸せを見つけられないって。

だから信念は大切。

富や名声を得るのには
人一倍の努力があったのかもしれない。

なのに
その先にあるものが幸せでないのなら
なんのための努力だろう。

一度きりの人生
後悔はしたくない。

何も特別な才能はいらない。

自分自身と深く深く向き合うこと

だたそれだけ。

今のこの瞬間から
考えてみませんか?

もしその勇気をもったなら
きっと未来のあなたは幸せを手にしているにちがいない。

幸せいっぱいに笑っているあなたがいる。

コロンブスが幸福であったのは
彼がアメリカを発見した時ではなく
それを発見しつつあった時である。
幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって
断じて発見にあるのではない。

F.M.ドストエフスキー

今日もここまで読んでくれて本当にありがとう。
愚痴を言う人って
どんな顔してますか?

笑顔で愚痴を言っている人なんていない。

いたら逆にこわい。

いつも愚痴を言ってばっかりの人と
話していて

あぁ今日も一日頑張ろうって思いますか?

そうなんです。

愚痴は百害あって一利なし。

一利なし。

一利もありません。

でも  
嫌なことだってわかってるんだけど
人間関係にひびが入るのも嫌だし
その場の空気にあわせてしまう

ってこともある。

私は以前そうだった。

自らはそんな話はしないけれど
嫌われるのが
こわくて
話をあわせていた。

ある時
気付いた。

嫌われてもいいって。

愚痴を言う人とのつきあいって
そんなに大切かな

って疑問がでてきた。

そういうネガティブな言葉を使っているとき
聞く人は嫌な気持ちになる。

でももっと近くで聞いていて
嫌な気持ちになっている人がいる。

それは

私自身。

自分が発した言葉は
常に聞こえている。

そのときに感じる罪悪感
人への嫉妬や妬み

付随してネガティブな感情も
セットでやってくる。

それをすべて受け入れないといけない。

自分自身がかわいそうじゃない?

もっと自分のこと大切にしてあげようって
強く決心した。

それから
私の人間関係はがらっと変わった。

離れていく人もいたから
最初はつらかったけれど

今となってみれば
あのとき決心してよかったって
心から思える。

言葉は人をつくる。

言葉は重みのあるもの。

一度発したら取り消しなんてできない。

だったら
素敵な言葉を使って
自分の心を喜ばせてあげましょ。

今日もここまで読んでくれて本当にありがとう。

今日は思考のお話。

インドにこんなお話がある。

6
人の盲目と象」


6
人の盲目の男たちいた。

彼らは象を触って、

それが何かをを話し合っていた。


1
人は「体」を触って「壁のようだ」と言た。

1人は「鼻」を触って「大ミミズのようだ」と言た。

1人は「耳」を触って「うちわのようだ」と言った

1人は「足」を触って「木の幹のようだ」と言った

1人は「牙」を触って「槍のようだ」と言った

1人は「」を触って「ロープのようだ」と言った

そして、彼らは言い争いを始めた。

それぞれが自分の意見を譲らず言い張るだけだった。


というお話。


このお話から学ぶことは多い。


全体像を知っている私たちは

彼らを愚かだと思ってしまう。


彼らはそれぞれ正しいところもあるけど

またどれもが間違えている。


けれども

私たちも彼らのようになることが多々ある。


私たちが何か知識を得ると

物事にラベルをつけてしまいがち。


そして

目の前のことに囚われてしまうと

他の選択肢が消えてしまう。


あるのに見えない状態になってしまう。


私が転職をしたときにこのことを痛感した。


営業の世界での常識が

教育の世界では非常識だった。


だからとても苦労したし

最初はなかなか受け入れることができなかった。


自分が正しいと思ってきたことを

変えていくには勇気がいる。


謙虚な姿勢を常にもって

素直に受け入れること


ほかにもいいアイディアがあるかもしれない

と日々求めること


このことを忘れてはいけないし

そういう姿勢を持っている人は

成長のスピードが驚くほど速い。


そして

盲目の男たちに対して

全てが見えている人も存在する。


それが師というものだと思う。


師は私たちが見えていない全体像が

すでに見えている人。


信頼できる師にであえたら

人生が変わることもある。


出会いには意味があるけれど

その意味に気付けるかは自分しだい。


そういう感度を持って

日々を過ごしていきましょ。


心を開いて
Yes」って言ってごらん。

すべてを肯定してみると答えがみつかるもんだよ。

ジョン・レノン

ここまで読んでくれて本当にありがとう。