2005-10-31 21:21:08

裸足の1500マイル

テーマ:映画

生まれて、ごめんなさい。

とは、太宰治の「人間失格」だけど、自分の存在を否定するのが他人では、こうはならないだろう。

自分の何らかの生の意味があるって考えたいものだ。

だから私は、人種差別を許せない。

どんなに「レッテル」を貼ったところで、それは常に全てを説明できることにはならない。


「裸足の1500マイル」である。

オーストラリアでの先住民アボリジニの隔離政策によって、混血児が隔離施設に送られて、そこから徒歩で

母親の元にたどり着くまでを描いた実話の映画である。

この映画で、白人はこの隔離政策にいささかの疑問も抱いていないのが、かなりの衝撃である。

しかもこの政策は1970年まであったという、ほんの30年前だ。

アボリジニの混血児が何を問題だと言うのだろう。

確かにアボリジニが所得が低いというのもあるかもしれない、しかし、それは余所者であるイギリス入植者が持ち込んだ概念だ。

そもそも、金銭の概念なんてないのだから。

アボリジニだから所得が低いとしたら、アボリジニであることを問題にすべきではないのだ。

自分の生まれやDNAを変えられるほど人間は器用ではないのだから。

アボリジニでも所得が得られるように政を行うべきなんだ。

アボリジニをこの世から消しても、また新たな差別が作られるだろう、きっと、部落差別のように。

差別の対象をなくすことでは差別のない世界は来ない、差別をしない世界を造るのが必要なんだ。


アボリジニが悪いとは思わんし、別に白人が良いとも悪いとも思わない。

しかし、白人文明が世界各地で歪みを生んだ元凶であることは否定できない。

文明が必ずしも「善」ではないが、その差を人間の差として見てしまう性がある。


いい服着ても、いい車に乗っても、旨いモノを喰っても、別に偉くはないんだよ。


ふと、昔に購入して読み終わっていない「アボリジニ神話」の本を思い出した。

バイアーメがいたら、こんな世界ではなかったのに。

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2005-10-25 12:35:35

真夜中の弥次さん喜多さん

テーマ:映画

ゲイ差別って実は近代の話。

古代ローマでは当たり前だし、古代ギリシャでは、友のために戦い勇敢だとされてきた。

日本でも男色は当たり前のこととして扱われてきたし、徳川家光が男色にはまり過ぎたから大奥を

作ったと言う逸話もある。

ゲイの差別と言うのは、元々無かったということ。

しかし、キリスト教的価値観が一般化したせいかどうかは判らないけれど、ゲイは差別される対象に

近代ではなっていたし、今でもなっているようだ。

あの有名な雑誌「薔薇族」の価格設定も、逃げるように購入するためだと聞いている。

オスカー・ワイルドはゲイをカミング・アウトしてエライ目にあった。

アラン・チューリングはゲイ故に苦悩して自殺。

とてもではないけど、個性だとか、嗜好が違うと言う問題ではなかった。

そんな世の中も変わったと言うべきか、単に道化になっている又はされているのか、

レイザーラモンHGのような芸人さんが、テレビで腰をクネクネさせているのを見られるように

なったわけです。

そんな風潮の象徴なんでしょうかね、これは。


真夜中の弥次さん喜多さん

まぁ、ゲイの映画というか、バカ映画というべきなのでしょう。

ヤク中で現実と虚構の間がわかんなくなった喜多さんをつれて、ゲイのパートナーである、弥次さんが

一緒に「リアル」を求めてお伊勢参りに出かけると言うもの。

楽しいですよ、もちろん。

竹内力 の兄貴は、例によって例のごとくなカオルちゃん状態ですし、話がどこに行くかはわからない。

リアルを求めてというだけに、全体的な視点は喜多さんなので、映画自体が半分くらいトリップしてます。

まぁ、見ている間は、いつ「これは映画だ」なんていうかと思っていたけど、最初から「映画です」って行っていますので、少し安心かもしれない。

でも、完璧に弾けないのは完璧な狂気がないからだろう。

こんなオチすら無くても問題なさそうな映画に落としどころを持ってくるあたりが、

マジメに生きている人がつくったトリップ・ムービーの限界なのかもしれない。


アンダルシアの犬」を見習って、オチだとか、予定調和なんてものをすっぱり捨ててくれると

うれしかったかもね。

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2005-10-24 12:58:33

ホワイトバンド:趣旨説明不足で購入者から批判

テーマ:日記

世界的な貧困根絶キャンペーンに合わせて国内で300万個販売された腕輪「ホワイトバンド」に対し、購入者から批判が出ている。「売り上げの一部は貧困をなくすための活動資金となる」との触れ込みだったが、食料などを送るわけではなく、細かな使途も決まっていないため。事務局は「ホワイトバンドは『貧困をなくす政策をみんなで選択する』意思表示が狙い。分かりにくかったかもしれない」と説明し、店頭で、募金活動ではないことを強調する表示を始めた。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051024k0000e040020000c.html


毎度ながら、私の涙を返してくれみたいな話だ。

私が見たのは7月か8月くらいで、本屋に並んでいたのを見た。

その時から、どこにも募金のことは書いていなかった。

「プロバガンダ?」と軽く思ったが、どうやら似たようなものだったみたいだ。


大体、募金するならユニセフの方でも良いと思うんだが、どうだろう?

こちらは、実績もあるしな。

「XX基金」とか「XX災害義援金」と使い道も選べるし。

http://www.unicef.or.jp/

日本ユニセフ協会


なんで、どこの馬の骨ともわからない団体に寄付するんだ?

ちょっと前に、募金詐欺の話があったばかりだろうに。

それに、募金をファッションとして扱うのもどうなんだろうな。

ファッションの方が額が上がることは24時間テレビが教えてくれているけど、なんだかねぇって気もする。

結果さえ良ければ、それで善しだが。


つくづくそこの浅い話だ。

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2005-10-22 21:21:07

ファイター リングの戦火

テーマ:映画

ナショナリズム、それは全てのスポーツに現れる。
神と悪魔の代理戦争を信じている人間もいるようだから、スポーツが国家間の代理戦争の
色彩を帯びるのは容易に理解出来るのかもしれない。
オリンピックがナショナリズムに塗りつぶされているのは、昔も今も同じようだ。
モスクワのボイコット、ベルリン・オリッピックの例を見るまでもなく。
もちろん、オリンピックだけではない。

だから、私はオリンピックのアナウンサーが嫌いだ「日本ガンバレ!」なんて言うんだから。

最低限、選手の名前を呼ぶべきだ。


ファイター リングの戦火
史上に名高いボクシングの対戦を第2次大戦を交えて描いたテレビ・ムービー。
だから、あんまり映画評論家が語ることはない類ではないかもしれない。
対戦相手は、ジョー・ルイスとマックス・シュメリングだ。
ジョー・ルイス、偉大なチャンピオンとして知られ、同時に晩年の不遇の人生でも知られている。
マックス・シュメリングはドイツ人である、ドイツで唯一の世界チャンピオンでもある。
この二人が、いかに国家間の問題に使用されたかを知る分かりやすい見本である。
マックスはナチスの宣伝に使われた「最も優秀なのはアーリア人である」という。
かたや。ジョー・ルイスも「自由と正義のアメリカ代表」として利用された。
二人の対戦は2回。
最初はマックスが勝利した。
2度目は、ジョー・ルイスが勝利した。
いずれにせよ、二人は戦火が目前に迫っていた1930年代後半に国家間の代表して見られたのが悲劇ではあった。
マックス・シュメリング当人はナチスとは何も関係なく信奉者でもなかっただけに余計に感じる。
リングを降りた二人は、かなり友好的だったことも加えておくと。


戦後の二人は、かなり違う。
ジョー・ルイスは税金の未払いのせいでどん底に落とされる。
戦敗国のマックスは農場で暮らしていたが、コカ・コーラの宣伝に担ぎ出されかなり裕福ではあったようだ。
ジョー・ルイスは、自由と正義のシンボルとして扱われながら不遇で、ナチスのシンボルとして扱われたマックスが成功を収めている。
戦後に二人は会ったという。
友好的だったという。
もはや、リングを降りた二人に「国家」という看板はなかったのだ。

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2005-10-19 13:01:53

ホネツギマン

テーマ:映画

健全な肉体に健全な精神ってのは、幻想だった。


幻想って言うよりも願望って部分もあるんだけど、実際、大した違いは無いだろう、現実は。


個人的な印象だけど、昔から体格の大きい人間は、性格も大柄な人が多かった。
これに「一人っ子」「御曹司」なんてものがついた日には、そらぁもぅ大変です。
人を見下ろすことと、見下げることを同時に行っているために、我慢ならない状態です。

どちらかといえばイジメっ子になるタイプです。
だから、昔から体育の教諭が唱える健全な云々は、疑問だった。
やはり、信じなくて正解。


どうも健康であるからといって、別に精神はやはり関係ないのでした。


そんなことをコーラと一緒に喉に流してしまいそうな映画が「ホネツギマン


昼は整体師、夜は覆面レスラーとして、日夜戦っている主人公、昔はイジメられっ子。
しかし、一発奮起をしてレスリングで鍛えていじめっ子に反撃。
さて、反撃は見事に成功したものの、相手の骨を軽く折ってしまったために、父親にこっぴどく
しかられ、「私の後を継ぎ、お前は将来、薬剤師になるのだ!」と強く言われたが、
レスリングでついでに反抗心も鍛えたのか「俺は絶対レスラーになる!」と反抗し、
体を鍛え、ついでに、これまた親に反抗し、整体師としての技術も磨き、今に至っている。
彼は、今回で引退するつもりだった、奥さんの出産が近いからだ。
これを機に疎遠になっている自分の両親とも関係修復なされるのだったが、
地域制覇を目論む、悪の薬局チェーン店が、父親の薬局を狙ってきたのだった。


こんなストーリーで、レイチェル・リー・クックが出ていたのが不思議、無名だったのかしらん?
ついでに、イーサン・コーエン(だったよな?)が脚本でクレジットに出ていて、一応
ネーム・バリューの大きいところもある。
トロマだと言われても驚かないような映画ではあるんだけど。


さて、主人公が正義のヒーロー「ホネツギマン」として活躍というわけではないところがミソ、
主人公は茫然自失で暴れるだけ、しかもかなりナチュラルに。
性質の悪そうな関節技ばかりかけるので、食らった方は複雑骨折が確実だろう。
ところどころで不思議な自己主張「背骨の歪みが精神を歪める」と、これまた茫然自失で
訴える。謎だ。


悪の薬局チェーン、日本だとマツモトキヨシにでもなるんだろうか。
こいつらも、変、片方は中途半端に太った中途半端なエルビスのコスプレ野郎で、もう一人は、背骨の歪みで
足がおかしい障害者。
テレビでは流せそうにないメンツだ。


最後のハイライトが、カーチェイスなのだが、車椅子とフォークリフトというのは、なかなか脱力感
タップリ。


これ、劇場で見た人、どのくらいいるんだろう?

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2005-10-09 23:14:26

イット・ケイム・フロム・アウタースペース

テーマ:映画

その昔、キューブリックが「2001年 宇宙の旅」で宇宙人の見た目をどうすれば良いのかと悩んだという話をふと思い出した。
あの映画に出てくるというよりは、存在が暗示される宇宙人は、神々しくそして神秘的な存在と思えるような描き方だった。
それこそ、ヤーウェや約束の土地に連れて行く救世主とも言えるかもしれない、シナリオを考えれば。


しかし、ビジュアルはさっぱりない。
そう宇宙人として画面に出てくるものはないのです。
かつて、誰も想像し得ない神のような知性を持った存在を描こうと考えたとき、
「誰も想像し得ないのだから、それは描けない」という結論に達し、あのように暗示のような描写になったと聞く。
多分、どれだけ凝ったビジュアルを用意したところで単なる怪物にしかならないのであろうから、あの映画での選択は間違っていなかったのだろう。
人間は自分が見たモノの延長でしかものを判断できないし、それでしか想像をできないってことだ。
それは仕方の無いことだ。
まったく、想像を超えたものは違和感でしかありえないんだから。
これが差別の根源にもあるんだろうということは容易に想像できる。


何も先入観無しで考えるってことの難しい。


この映画はレイ・ブラッドベリの「何かが道をやって来る」の映画化である。
この映画が出てくる宇宙人は、見た目はチープな作りもあってか、ストレートに醜悪な一つ目の霧のような見た目である。
声も無く、これが近づいて来たら恐くて逃げ出してしまうかもしれない。
しかし、この宇宙人は自分らの宇宙船を直したいだけで、誰にも危害を与えるつもりは無かった。
高い知性を持ったこの宇宙人は、非常に平和的である。
だが、人間は宇宙人の姿を見て悲鳴を上げ、恐がり、時として攻撃さえされる。
友好的でさえあった宇宙人も仕方なく、宇宙船を直して地球を離れていく。


ここで宇宙人と人間の間にあった問題は「見た目」だけだ。
しかし、これが決定的だった。


人は見た目ではない とか、人は収入じゃないとか、 人は学歴ではないとか、 人は人種ではないとか言っている人が非常に多いが本当に、そう考えているのか甚だ疑問だ。


勘繰りやすい性格かもしれないけど、人は自分のことを正しく理解出来ているとは限らない以上、いつもどこかで冷めた観方をする。


これだけ化粧品が売れていて、ダイエットサプリメントが売れていて、美容整形で財を作れるのが現実だ。


差別というものが消えるのは遠そうだ、残念ながら。

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2005-10-05 12:19:52

自慢をするストーカー被害者

テーマ:日記

昨日、何気にテレビでみていた番組で「私がかつて出会ったストーカー」という

ちょっと面白そうなものがあった。


最初、コメンテーターに、バブルガム・コーンとマルシアがいるんだけど、これが意味不明ではあったけど。


ストーカーもまぁパターンがあるようで似たようなパターンばかりではあるんだけど、妙に「違う」と感じたのはこれ、


ある合コンで出会った男性、東大のよくわからんが、理系あたりで首席で卒業らしいんだけど、自分の栄光がそこで終わっている男性に絡まれた女性。


ことあるごとに「僕は東大卒業だから」とか「僕はとっても価値のある人間だから」とか終始自慢で、しかも卒業した大学のことを未だに引き摺っている学歴は高いが「負け犬」と呼ぶにふさわしい男性に付きまとわれた女性。

この男性は、証言どおりなら十分おかしいことは納得できるけど、納得できないのは被害者と名乗る女性

の方だった。

女性は、自力でストーカーを撃退したというのだが、その方法が「実は私はハーバード大卒業」で卒業証書を見せるというもの。

 コーンがすかさず「これって単なる自慢じゃん」と言ったけど、まったくその通りだ。

だって、卒業証書を出さなくても明らかに撃退する方法はいくらでもあるだろう、

質問を出して「こんなことも知らないの、東大生だったのに」とかいうプライドを攻撃する方法だとか。


昔の彼がトラウマになっているというからDVかと思っていたら、学歴で仲がうまくいかないとか、

そらあ、どう考えても女性が学歴をひけらかさないまでも、端々に滲ませる様な振る舞いがあったことは

想像にかたくない。


再現ドラマの中で、社費で海外留学の話が出てくるけど、ストーカーとまるっきり関係ないし、これは、どう贔屓目に見ても自慢そのもの。

こんなことを再現するような投書かインタビューかする時点で、鼻持ちなら無い女性であると客観的に思う。


インタビューで「人間、学歴ではないんですけど」と言っているが、あんたが学歴を気にしているんだろと思うわ。

冷静に考えてみれば、昔の話でストーカーの話を思い出すと学歴自慢が強調されるというあたりも学歴を気にしていることの裏返しかと。

相手を凹ませるのに、明らかな負け犬に対して唯一の拠り所を壊す手段を選ぶあたりも、人間が出来ているとは思えんな。


コーンの発言に対してマリシアが「ストーカーだから何でもいいのよ」と言っているが、理屈で相手をわからせるということをするなら手段は選ぶ必要はあるよな。

結論

学歴を気にするのは女々しい女女々しい男 だな。

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2005-10-04 23:10:49

青春って、何だろうね

テーマ:映画

青春で連想するもんて何だろうね。


個人的には、子供の全能観というか、高くなった鼻っ柱折られるってイメージがある。


だから、フェラーリだとか、ポルシェだとかが出てきているのはサラリーマンみたなものは

ナンカ違うんですよ。


何でも出来るような気持ちをぶち壊されて、「出来ることしか出来ないんだ」っていうことが

出てきているようなもんが自分のイメージですね。


そんなイメージの映画っていうと


真夜中のカーボーイ


でしょうかねぇ。


貧乏くさい話ではあるんですが。

自分の限界が知るのは必要だよ、自分の限界が分かれば超えるために必要なことを考えられるからね。

何の根拠も無く、自分の限界を知らないのとは違うよ、きっと。


甘い思い出がまるでない自分の学生時代が良く分かる趣味ではあるなぁ。

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