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2005-05-31 23:51:26
テーマ:映画

ビッグ・ヒット

タイトル: ビッグ・ヒット

塞込むような問題を投げかけられると、時とタイミングが良くないと自分の健康まで害しかねない。
たかが映画と侮っていると、とんでもないところにまで追い込まれてしまうから油断もできない。
「ジョニーは戦場に行った」なんて見る時期を選ばないと困る。
考え込んでしまうような本もタイミングが大事だ。
誰が見ても問題がないという娯楽というのは、必要だ。
映画が芸術と言われて久しいが、実際一番人気が有るのは、娯楽映画、アクションだとか、ラブコメだとか、冒険モノだったり。
娯楽映画は、いつでも見ようと思えば問題ないし、塞ぎ込む事はない。
いつでも見られて、良くも悪くも記憶に残らない、そんな映画の感想なんて、面白いか、つまらないかのどちらかだけ。
面白いというときの感想はとっても簡潔。
見ても何も残らない感想だったりする。


そんな、面白いけど何も残らないであろう映画は「ビッグ・ヒット
主人公は、ストレスで意が悪くて胃薬を常用する殺し屋、今日も派手に立ち回ってはみたものの、口八丁の仲間に丸め込まれて、手柄は地味。
そんな仲間と一緒にオペラを歌いながら切腹をしようとする日系企業の社長令嬢を誘拐して身代金のボーナスをゲットしようとするが、日系企業の社長令嬢のゴッドファーザーは、なんと自分のところのボス、たちまちヤバイことになる。


アクションは物凄く派手、バンジージャンプをしながら銃撃をしてみたり、カンフーまでする。
どうでもいいところに脱力モノの描写があり、それが妙におかしかった。
左手が恋人と言うボキーム・ウッドバインは、かなりバカなキャラクター、レンタルビデオ店のお得意さんとして額まで飾られている。
主人公の彼女は、ユダヤ人だけど、あまりにもキツイ性格なので、浮気をしていたりして。
主人公は殺し屋のクセに妙に気が弱いし、マジメだというのだから、かなり不思議なキャラクター、死体を処分していても、妙に後ろ暗くもないし、やばそうな感じもしない。


結構不思議な設定であるにも関わらず、これが残らないのだから、娯楽というのは不思議。
ヒロインのチャイナ・チャウは結構カワイイのでお好みです。

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2005-05-30 23:54:38
テーマ:映画

CASSHERN

タイトル: CASSHERN

自分の夢を実現するのには、何をしたら良いのだろう?

佐川急便で5年働いて、元手を作り会社を興す ということであれば立身出世として、人々の尊敬を集めるだろう。

それでなくても、高校の自分から初めた音楽活動(通称バンドというところか)でプロフェッショナルになり、武道館でコンサートでも行えば、これまた尊敬を集めるだろう。

ところが、親の七光りというのは、全く尊敬されない。

長島一茂しかり、木村一八しかり、林家こぶ平 etc...

既にしかれていたコースを迂回せずに来た者は、余程の実力が伴っていないと悲惨である。

似たようなものに、タレントの副業というのがある、言われるのはアートに関するところだろうか、これまた、余程のものでないと裸の王様である。


片岡鶴太郎の絵画しかり、桑田圭祐の映画 etc...


どちらの場合も、見ているほうに少なからず嫉妬みたいな感情があるんだろう、それが普段以上にシビアに見させてくれる要因だったりするわけだ。

さて、通常の七光り、アートの副業と、普通はいずれかの要素だけでも、シビアに見られると言うのに、どちらの要素もあった上に、一部の人の憧憬を奪ったと見られたものがあった。


それは「CASSHERN」である。

30代後半の人には非常に懐かしいアニメーション「新造人間キャシャーン」という作品がある。
「たった一つの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体、鉄の悪魔を叩いて砕く、キャシャーンがやらねば誰がやる」というナレーションは、あまりにも有名だ。
主人子が親の贖罪のために、ロボット?サイボーグ?となり、父の作ったロボットの反乱とただ一人で戦う物語だ。
今見ても、カッコイイと思わず思ったものだが、その実写化となれば期待と不安が同時にやってくるのは仕方ないところだろう。
大体、なぜ キャシャーンなのか?知名度で言えば「科学忍者隊ガッチャマン」だろうし、アメコミ的で、一話完結で話を作りやすい「破裏拳ポリマー」という選択もあるだろう。
そこをキャシャーン、好きだからと言うほかないのだろう。
そう監督の紀里谷和明は、ウタダの旦那という理由以外で、この企画が実現出来たか謎だ。
ハッキリ言うと、つまらない映画だ、しかも長い。
デビルマンよりは、役者に力が入っているせいか、主人公の芝居以外は見られる。
特に敵役のブライキングボスはかなりの熱演だろう。
ビジュアルもデビルマンよりは、見られるところのあるものだ。


とは言っても、最低レベルには違いがない。
個人的にダメな所は、


1)セリフで心情からテーマから状況説明から話してしまうが、説明が無いのでまったく意味不明な箇所は置き去りのまま、「2001年 宇宙の旅」にでも挑戦したいのであろうか?


2)アクションシーンが、白痴的に分かりにくい、タメがまったくない。


3)アクションシーンにまったくカタルシスがない。


4)ちゃんと描かれないと心情的になれないであろうシーンがMTVみたいな演出


5)とにかく説教くさい


見ていてイライラする要素がてんこ盛りである、一つくらい良いところがあったところで、リカバリーできやしない。
特に嫌いなのは自分の好きなものを使って自分のアートだと言いたげな、自己満足なところ。
キャシャーンの一番大事な要素が欠落しているんだけど、それでもオマージュになるんですかい?

DVDもいきなり3枚組みのアルティメット・エディションのみというあたりも、自分の理解者にのみ と考えているように思える。


メッセージがあるのも良く分かる、全部セリフで説明するから。
そんなのは小学生の作文レベルだよ。

戦争がいけないとか、人体実験はいけないとか、生命の倫理とか、そんな事は説明しなくても映像で訴えてくれよ、少なくとも写真家なんだろ?監督は。
写真にセリフは無いはずだからね。


最後に話の収集がつかなくなるからと言ってイデオン発動篇になるのも禁止です。

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2005-05-29 23:30:28
テーマ:映画

幻の湖

タイトル: 幻の湖

「なんで僕の事を分かってくれないんだよ!」
「どうして僕を理解してくれないんだ!」
自分の内面世界に重きを置く人には、自分と外界の軋轢に悩む事が多いんだろうな。
そんな私も少なからずあるんで、他人事とは言えない。
そもそも blog にしたって、有る意味 訓練という部分があるくらい。
創作に関わる人は、自分の内面世界を大事にする人が多いという。
自分の行き方に100% 満足する人は、創作なんて出来るわけがないか、それほど大したものが出来るはずもない。
もちろん、そんな人はいないとは思いますが。
自分の満たされないもの、内面をフィルターをかけて外に投影する事、それが創作につながるんだろうな。
外に出てきたものが、必ず受け入れられるわけではないというのも、必然。
いつかは理解して欲しいって思う、そんな気持ちがどんな創作にもあるような気がする。


さて、撮影中のスタッフの誰もが理解できなかった、映画「幻の湖」を見る。
ソープランド、スペースシャトル、マラソン、CIA、犬、戦国時代、これを一緒にして映画にした。
一緒に並べられることが出来ない要素を視聴率100%番組のコントのように、混ぜた結果、原作、脚本、監督の橋本忍氏以外の人間には理解が容易ではないシロモノに仕上がったという。
見ていても、分かる部分は分かるが、全体として意味はサッパリ不明。

購入したDVD を3回ほど見ていても、意図は読めない。

そんなものかと思えば、それでも良いかもしれない。
あまりの意味不明さを楽しむのも一興。

そういえば、この映画「東宝50周年記念」の大作だったそうな。
まさしく、これは黒歴史だな

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2005-05-28 23:56:17
テーマ:映画

スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー

タイトル: スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー プレミアム・エディション
タイトル: スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー 初回限定スペシャル・プライス版

懐かしいというのは、かなり幅のあるもののはずなのだが、実際は見た事もない人間も
懐かしいというものがある。
アルフォンス・ミュシャのポスター、実際に街角でリアルタイムに見た人は少ないはずだが、不思議と誰もが懐かしがる要素が有る。
ホーロウ看板、仁丹 etc 、他にも色々とあるとは思う。
何故、あまり見た事がない人も懐かしいと思うんだろう?
私は、さすがにリアルタイムで見たことはないが、しかし、何故か不思議な郷愁を覚える。
社会が、歴史が進んでいくと、文化を共有している要素が増えていくのだろうか?


見たことはないが、何故か懐かしい、そんな「スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー」を見た。
悪の科学者と対決する、大空の勇者、一言で言えばそんな感じだ。
この映画で素晴らしいのは、徹頭徹尾ビジュアルがレトロであるところ、巨大ロボットのレトロなデザイン(スーパーマンに出てきたようなロボット)、ロケットの描写、空中要塞。
多分、製作者の好きなものが映画になっていると言う事なのだろう。
「失われた地平線」のシャングリラだって出てくる、怪物も出てくる。
懐かしい映画の要素も多いんだろう。(スターウォーズもあるけど)
昔のパルプマガジンというものは、こんなものなんだろうな。
キルビルに比べて刺激は少ないが、これもオタクの夢の結晶だろう。


もっとも、ジャケットのように空中要塞は、山ほど出てきません。
昔の東宝東和を思い出すようなジャケットも懐かしい。
懐かしいだけで映画を作れるんだね。

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2005-05-27 13:08:33
テーマ:映画

まぼろしの市街戦

タイトル: まぼろしの市街戦

「喜劇とは物語の完成された形」とはジョイスの名言。
物語とその効果の意味を考えると、喜劇というのは最も高度な技巧を必要とするものには間違いがないように思う。
喜劇は、本来ストレートに出てくる問題をオブラートに包む方法としても最上のものだとも思う。
「自虐ネタ」「差別ネタ」「人種ネタ」「病気ネタ」「不具ネタ」etc これらをストレートに話せば、どんな時でも角が立つ。
これを喜劇というベールに隠せば見る側も見られる側も、抵抗感が少なくなる。
しかし、これは何故だろう?
笑いという感情は思考停止のスイッチなのだろうか?
それは否である!否であると信じたい。風刺とは現実社会を切り取った鏡、そしてそれを笑いながらも、現実へ向かうべきなのだと信じたい。
それ故にテレビで繰り返される、人畜無害なものと、自分より弱い人間を貶めることで笑いを誘うものを全て否定したい。


さて、そんなことを考えたのは、「まぼろしの市街戦」を見たから。
ドイツ軍が残した時限爆弾の噂で町の住民は全て逃げた後に、連合軍のハト係が爆弾を解体に向かう、しかし、その町には精神病院があり、そこの患者が住民がいないことを幸いに思い思いに自分のやりたいことを始めてXXゴッコを始める。そこへ、おりしもドイツ軍もやってきて大騒ぎとなる という話。

私は、この映画がとても好きだ。
面白いし、ヒロインの綱渡りの少女も綺麗だ、狂人とは言われるもののどこかシニカルな精神病院の患者たち、不思議なセリフ。
ドタバタでありながら、それでいてテーマがあり、それは今でも変わらない普遍的なもの。
戦争では、本当の狂人はだれなのか?
そんなことを声高に訴えず、笑いを織り込みながら進む物語。
いつしか、映画も終わる、そんなことを寂しくも思う。
ラスト、ハト係の彼は、自分の居場所を見つける。


狂気というものに、ある種憧れていた時期がある。
彼方に行く事であらゆるしがらみから開放される、そんなことを思いだした。

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2005-05-26 23:52:21
テーマ:映画

デビルマン

タイトル: デビルマン

探偵フィリップ・マーロウ・シリーズで知られる作家レイモンド・チャンドラーは、ハリウッド映画の脚本の仕事もしていた。
彼は、ハリウッド映画が原作をいかにムチャクチャにして破壊してしまうことをよく知っていた。
有名なところではダシル・ハメットの「マルタの鷹」はジョン・ヒューストン映画化は3度目、それ以前はコメディになっている。
チャンドラーは、そんなハリウッドを嫌っていた故に自分の原作を脚色する事はしなかった。
自分で自作をいじる事がイヤだったのかもしれない。
脚本家にしても、自分の脚本が削られることを嫌がるものだったりする。
原作者が、映像化された作品を「自分の作品ではない」というのも、削られたものが何であれ、その時点で自分の物ではないと言う事なのだろう。
自分の作品が見るも無残になっていくことを見る事に耐えられるのは、「商売さ!」と割り切れる漢(おとこ)だけだ。
私はそんな漢(おとこ)を久々に見た。
その漢(おとこ)は、永井豪
その漢(おとこ)が出演していた映画が「デビルマン」だった。


この映画は、誰もが言うように心・技・体 を全て揃えたダメ映画だ。それはハッキリ断言できる。

演技が出来る俳優はどこですか?と言い切れるくらい痛いキャストがまずある。
まともな演技をしていたのは、ススムちゃんのお母さん役、洞口依子さんだけ、主演はどうしようもないし、宇崎夫婦もセリフがたどたどしく、ベテラン本田博太郎さんは、コメディにしか見えない。
KONISHIKI は、ノーメークでデーモン役で単なる手抜き、ボブ・サップのニュースキャスター、説得力ゼロ。
全編、とにかく熱の冷めて行く芝居だ。


次に全く繋がらないストーリー、原作はからして、かなりタイトなもので、無駄なエピソードを削る事は難しい。
それをいとも簡単に削ったおかげで、白痴的に意味不明なストーリー、原作のセリフは有りながら、それはまったく機能していない。
それでいながら、オリジナルは追加されているのだから、恐れ入る。
これで原作のテーマが機能するのか?否である。
この映画は、明らかに1エピソードを映像化すらだけでも良かったはず、真っ当に考えたら尺も予算も足りないことは明白なのに。
見積もりという基本的なことが出来ていないことが想像されるところだ。


恐ろしく安っぽいロケーション、この映画で出てくる場面は、牧村家、亀戸サンストリート、学校の3箇所だけ、外の世界は完璧なまでに亀戸サンストリートだけ!恐ろしく安いロケーションだ。
実家の近所なだけに、他の商店街も含めて見た事有る場所ばかり、世界で起きることはボブ・サップのニュースで知らされると言う、まったく信用出来ないメディアの情報だけ。


ビジュアル・エフェクト、これも怪しげだ、不動明が取り付かれるデーモンのビジュアルが、まるで錬金術の本に出てきたような精子のような姿、違う意味で鳥肌が出た。
原作のビジュアルは、画力の不足を補ってあまりあるくらいの悪夢みたいなものがデーモンだった。画で言えば多賀新先生の版画のようだったものだ。
しかし...


さて個人的にはこの映画、今まで見た「シベリア超特急」「プラン9・フロム・アウタースペース」「死霊の盆踊り」なんかと比べても遜色がない
つまり、初めから「違う意味」で期待していると安心して見られる映画ってことになる。
実際、Z級の最低レベルの映画とは思ったが、色々な意味で退屈しない、これは凄いことだ。
エド・ウッドみたいに完璧な素人であれば、有り得る事だろうが、これはプロの仕事なのだから、これほどまでにツッコミどころが満載になることを誰が想像しえたであろうか。
凄すぎる、これは確実にカルトになる。


DVD のコピー


「超人気コミックの完全映像化!」=>「超人気コミックの不完全映像化」


にしないと誠実な商売とは言えないだろう。


もっとも、この映画は試写で上映を止めるべきだったかもしれない。
この映画が劇場に出てしまうだけでも日本の映画(会社)のダメさ加減が良く分かる。
下妻物語のような快作も出るのだが....


最低と最高は、どちらも似ている、それはどちらも観客に強烈な感情を起こさせるからに他ならない。
そのベクトルが、どちらに傾くかで、それだけだ。


監督の那須博之さんは、これを最後に急死、リベンジはもう無い。

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2005-05-25 23:40:47
テーマ:映画

バタフライ・エフェクト

今までにないストーリーという映画を見てみるものの、昔見たものばかりと言うのはどういうことだろう?
今度こそは「サプライズ」があるかと思ったが、今回もなし。
だからと言って、問題が有るわけでも無いし、面白くないわけでもない。
むしろ、面白いと思う。
でも....でもだ、いつぞや見たものの物から大幅に離れてはいない。
いや、むしろ昔見たものとそれほど変わらないとも思う。
通な人でも無い限り、いまさらカビの生えるくらい古いモノクロテレビのドラマを見たいと思う人は少ないかもしれない。
進化の過程の一つ考えるべきか?
今、出ているあらゆるパターンの統合型を登場したあとにこそ、真に新しいものが出て来るということか?


そんなこんなで、久々に劇場で見たのは「バタフライ・エフェクト」
まぁ、単純な話、「あのとき、こうしていれば....」という後悔が沢山ある主人公が、それを実行し、その影響は拡散され、常に新たな後悔を生む。
最悪の結果が常に用意されている所に、面白いと思う。
見る前に、「ほろ苦いハッピーエンド」という言葉で、あまりにも容易に結末が想像出来てしまったのが、わが身の不幸と言うべきか、それとも今まで見た映画、小説、テレビがいかに優れていたか。
ロッド・サーリングに慣れ親しんだ身には、この話、少し長いよという気もする。
ただ、主人公、あまりにも身勝手な男で有る事はよくわかる故に、主人公を助け又は心配していた
ムショ仲間や、ルームメイトのヘビーな彼が結局どうなったのか?実ははそれが一番気になる。
ルームメイトの彼に関しては、別の未来が待っているとは思うが...


エゴを捨てた時に、初めて平和が訪れるとは。
因果応報という合理主義には相容れないものがこの映画には満ちている。
ハリウッド映画で想像もつかない非常に仏教思想にも似た映画だった。


「北京の蝶が、NYの嵐」か。
こんな言葉も久々に思い出した。

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2005-05-24 23:02:03
テーマ:映画

ハピネス

タイトル: ハピネス

人間少なからず、後ろめたい事の一つや二つはあるものだ、程度の差こそあれ。
だから、正々堂々としている人間に勝手な妄想が入る。
例を挙げると「サザエさん」あれはエラク去勢された人物の集まりに見える。
藤子 F 不二男 が鬼籍に入って以来、説教くさくなった「ドラえもん」もどこか好きになれない。
田沼意次より、松平定信が好かれたという話は聞かないしな。
綺麗は汚い、汚いは綺麗」という言葉もあるしな。
しかし、清廉潔白をなぜか求めてしまうのも事実、これが業の深さよ。
おおよそ、人間と言うのは業の深い生き物だ。
自分の幸せは必ずしも他人の幸福には繋がらない、それでも自分の幸福をある程度満たしてからでないと他人の幸福には考えが及ばないことよ。
金持ちの寄付なんてのは分かりやすい例。
年収300万の人間が、寄付を50万するというのはあまりない、意味がありそうな気もするが助かる人間にも資本の原理が働くので貢献度は寄付であれば金額だ。
貢献度、そんなものが欲しくて寄付するような人間がいるのかは知らんが。


さて、登場人物の誰もが幸福を求めてやまない「ハピネス」を見た。
イタズラ電話の常習犯は、アパートの隣人に声をかけて仲良くなりたいが出来ないので、行き場の無い衝動をイタ電に使う。
3姉妹の3女は30過ぎて結婚してない女性は、作曲家を夢見ているが中身はスカスカ、浅黒い男性をフッタことで自分を憐れむ救いの無い性格だ。
次女は、売れっ子の作家だが、書いている文章の内容をスカスカであることを見抜かれることを恐がっている。本物の体験をしたいと望み、レイプされたいと思っている。
長女はセラピストの奥さんで子供もいて一見幸せそうだが、セラピストの旦那はペドロで自分の息子にまで欲情していることを隠している。
ダメ人間カタログ的なコメディで、見ているほうは、その情けなさと業の深さを笑うという趣向。
かなり大人向けだ。
セラピストのお父さんのエピソードが一番面白く、一番興味深い。
お父さんの性癖は普通では満足できないが、満足する事はイコール犯罪だ、それ故に自分がセラピーに行っている始末。
奥さんは愛しているが、それだけでは充足されない。


映画は極端だけど、現実は、こんなアンバランスのところが少なからずあるんじゃないかと思う。
誰もが幸せになりたがっている、でも...
く~っ、世の中ままならない、自分の業も深さも思い知らせてくれる...

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2005-05-23 01:33:11
テーマ:映画

僕の彼女を紹介します

タイトル: 僕の彼女を紹介します 特別版 〈初回限定生産〉

昔、コントで100%の視聴率を取れるテレビ番組というのがあった。
内容は、受けている要素を全てぶち込むということで、突然、人が殺されたり、犬が出てきたり、マラソン始めたり、子供が泣いたりと間髪入れずに無茶な場面が次々と展開するもの。
話の整合性は?そんなものは、犬にでも食わせておけ、どうでもいい、視聴率が大事なのだ。
20年前くらいコントだから、受ける要素も変わっているんだろうが、きっと大して変わっていないのだろうと思う。
このコントの興味深いところは、分析によってなされた要素で有るという点。
20年前のコントは正真正銘、笑いそのものだったが、21世紀の今、周りをみれば恐ろしい事に、現実になっている。
優れた未来予測と言えなくもない。
「アルマゲドン」「パールハーバー」etc...現実に出てきた映画、そういえばドラマも同じ物があるな「サード・ウォッチ」とか。(日本のドラマでも「東京湾景」みたいなものもあるな。)
これらは「作品」と呼ばれることにどれだけ抵抗があるかで、これらの愛の有り無しが図れる気がする。
もちろん、これらは、「プラン9・フロム・アウター・スペース」よりはビジネスでは成功しているだろう、きっと「必殺処刑コップ」よりも売れているでしょう。
だから、ビジネスとして正しい事だけは数字で証明できるだろう。
だけど...だけど...だけど...


そんなことを思い出す映画「僕の彼女を紹介します
分かりやすい言葉でいえば、キルト、パッチワーク、どこかで見たようなシチュエーション又はシーンが畳み掛けるように続く。
見ているうちに、これが何の映画だったかを忘れるくらい、色んな要素を盛ってある状態。
見ているうちに別の映画になるってことはいくらでもあったけど、感動できるものなんて無かったよ。
笑うしかないもんなぁ。
驚くことに「○○○ト」のラストシーンまんま同じシーンまである。
パロディでもなければ、オマージュとも違う、パクリというのも憚れる。
感動する人が見た人の 80% だったらしいけど、私は明らかに、残りのオーディエンスになりそう。

そして見終わったところで驚き、これを見て感動をしてしまうかと。
言ってみれば「マジンガーZの足と、ガンダムの腕、鉄人28号の頭とイデオンの胴体」のおもちゃを見たようなもの、思い出全て壊してくれた様な気さえする。
「リカちゃんの手足と、バービーの胴体、キティちゃんの頭」でも同じ。
気持ちが悪いだけだよ、これは。
この映画を作った人、特にシナリオを考えた人はブルースの「タメとツッコミ」という部分を知ってほしいなぁ。
絶妙な「タメとツッコミ」がエモーショナルにするってことを。
この映画「ツッコミ」だけなのだったから。


感動できる要素がいっぱい有れば、さらに言うなら感動という記号さえあれば、人は感動するのか?
一次関数みたいな感性でいいのか?


そんなことを思った春の午後、もう夏が近い、夢も終わりが近いか。

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2005-05-22 20:03:00
テーマ:映画

キルビル

タイトル: キル・ビル Vol.1
タイトル: キル・ビル Vol.2

blog なんて、単なる自己満足に過ぎない、言ってみれば ギリシャ神話のオナンの行為 というやつ。
打ち込む場所が会社か、学校か、自宅か、インターネットカフェか、友人の家か、愛人のマンションという区別があろうが、打ち込んでいる作業は自分でしかないわけで。
虚しいか?そんなことはない、時間が経てば自分のことも客観的に見られる、己をわずかばかり反射する鏡くらいにはなるだろうことも少しは期待してみた。
誰よりも自分を知らないのが自分と言う状況は、当たり前のように受け入れている現在に少しでも反抗出来たらもっといい。
所詮、そんなものだ、人に見せられるものではない。
だけど見せているのは何故だろう、理由が分からない、もう少し自分が分かれば見えるかもしれない。


映画と言うのは、ブラッカイマーやドン・シンプソンみたいな人間からは完全にドライなものかもしれないが、造っている人間には結構、自己満足の部分があるように思う。
タランティーノの映画なんて、最たる物かもしれない。


そんなこんなで「キルビル」を通して見る。
まぁ、Vol.1 と Vol.2 ではまるで違う映画と言うのが、不思議。
同じ映画を二つに切って公開したとは聞いているんだけど。
まぁ、前半と後半でまるで違う映画になるものは、いくらでもあるから、そんなものかも。
それにしても、好きな物を散りばめた、お子様ランチならぬ、ナード・ランチだなぁ・
元ネタのリンクを見ると70年代くらい映画のオンパレード、昔の映画って激しかったなぁと思う。
「修羅雪姫」の過激さは、衝撃的だったな。
ストレートに面白いって言っていいのか悩むけど、忘れにくい映画だとは思う。
それにしてもこれほどの自己満足が人に見られることに抵抗ってあるんでしょうか?
羞恥プレイみたいなものなのでしょうか?
ともあれ、この映画はとても突き抜けていて、たぶんタランティーノは楽しそう。

やっぱり、楽しそうに作っているだけでも、大事なことだよな。

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