1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2009年07月19日

礼拝日誌:三位一体後第6主日

テーマ:礼拝内の音楽
 ホイマーデン教会でオルガン奏楽。説教は前任のW牧師で、牧師夫人も久々に顔を見せた。長いこと一緒に礼拝をしていた私にとっても懐かしい顔ぶれである。
 礼拝自体はごく普通に行われる…はずだったのだが、行ってみたら金管アンサンブルの連中が集結しているではないか。金管アンサンブルの連中って、昨日何かのお祝いで集会所を借りて、夜中まで騒いでなかったっけ?(笑)

 金管アンサンブルの指揮者曰く、

 「いやー、昨日の夜中の2時半に、やっぱりW牧師が来るなら礼拝で吹かないでどうする!って話になってさぁ…。」


 さすが、呑み助の金管はやることが違う。


 特に今の指揮者になってからなのだが、うちの金管アンサンブルの連中はえらく行き当たりばったりで物事を決める傾向にある。礼拝で吹くのは決まっているが、当日まで曲が決まっていないとかざらにあるし、この連中には計画性というものをまるで期待できないわけだが、今回はとうとう行き当たりばったりで本番吹くことにしたわけだ(爆)


 私 「あ~ら、よかったわね~、あなた達のことよく知ってる私が今日奏楽で。本当は代役が弾くはずだったのよむかっ


 これは本当で、私はこの日別の教会で合唱団の指揮をし、ホイマーデン教会では後輩のRさんがわざわざハイデルベルクから来て代役を弾いてくれるはずだったのだ。1週間半前になって合唱団の予定がキャンセルになり、私もRさんをハイデルベルクからわざわざ呼びつけるのは忍びないので、自分で弾くことにしたのである。合唱団の予定がキャンセルになっていなかったら、後輩はいきなりうちの金管連中の酔っ払い決断で大迷惑を被ることになっていたわけだあせる嫌味の一つも言っておかねばなるまい。

 まぁ、とりあえず金管登場で私の仕事は減った。そのことには素直に感謝しておこう(爆) 


 さて、三位一体の日から数えて6番目の日曜日、教会暦による礼拝のテーマは「洗礼による人生」。

前奏  金管アンサンブル:EG504によるコラール前奏曲
讃美歌 EG665(Württemberg) 1-4 Gelobt sei deine Treu
挨拶と今週の聖書の言葉 イザヤ書43章1節
詩篇交読 73篇 +Ehr sei dem Vater (ドイツ語版Gloria patri)
祈り・黙祷
金管アンサンブルによる音楽演奏:EG300のコラール
聖書朗読 ヨハネによる福音書10章14-16節と27-30節
讃美歌 EG200 1-6 Ich bin getauft auf deinen Namen
説教 マタイによる福音書28章16-20節の聖書講釈
讃美歌 EG210 1-5 Du hast mich, Herr, zu dir gerufen
とりなしの祈り
主の祈り
讃美歌 EG406, 1+2 Bei dir, Jesu, will ich bleiben
報告
讃美歌 EG576(Württemberg) Meine Hoffnung und meine Freude
祝祷
後奏 オルガン:EG576による即興演奏


♪ メモ ♪
 結局金管アンサンブルと仲良く(?)仕事を分け合って、前奏→金管&後奏→オルガン、それから讃美歌は2曲(EG200とEG406)金管が担当…と思ったら、礼拝開始直前にアンサンブルの指揮者曰く、「EG200は1-6節で長いから、3節分ぐらいオルガンで弾いてよ」 …へーい汗
 というわけで、EG200は前奏と1・5・6節を金管が吹き、間の2~4節を私が伴奏。
 後奏はどうしようか迷ったのだが、最後の讃美歌が576番になることは普段まずないので、576を使って即興。ってここのところ即興ばっかりだな…_ _;
 EG210はうちの教会では歌ったことのない讃美歌だったので、1回メロディーをわかるように弾いてから伴奏。一応ちゃんと歌えてはいた模様。

 今日の聖書箇所は弟子達がガリラヤの山(山は聖書では神との特別な出会いの場である)に登り、イエスと出会うシーンである。W牧師の説教は、聖書箇所に即してきちんと講釈したという感じだったので、本文に含まれているテーマ全部に少しずつ触れたものとなった。D牧師とはタイプが違うが、いい説教であったと思う。以下は要旨。
 - 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。(18節)」:古代教会は「イエス・キリストは主(キュリオス)である」と告白し、使徒信条には「イエスは神の右に座し…」という箇所がある。イエスが神に全権を委任された存在である、というのは我々の信仰の中心である。
 しかし、イエスが天と地との全権を委任された存在であるならなぜ、この世の中には悲惨な出来事が絶えないのか。一体神はどこにいるのかと疑うことがあるし、自分にはとうていそれを理解できないが、唯一何らかの説明が出来るとするならば、人間には「悪を行う自由」が神によって与えられており、そのことが多くの「理解困難な問題」を引き起こす、ということ。その不条理な世界の中にあって、我々キリスト者は命が神によって与えられたものであると確信し、理解するのが困難な出来事にも何かしらの意味があると信じている。イエスが本来の意味での全権を持っているのならば、何者もその信仰から我々をひき離すことは出来ない。
 - 「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。(19節)」:宣教とは、信仰を他の人に伝えることであるが、その信仰の基本とは「イエスキリストによって、すべての創造主である神との共同体が築かれたということ」であり、その神との共同体が全ての人にとって有益であると思うから、宣教するのである。決して信仰の押し付けであったり、不安がらせるような脅しであったりしてはならず、あくまで「招待」であるべきだ。
 - 「父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい(19~20節)」:洗礼とは信仰によって得られるご褒美ではなく、招命であり、新しい人生の始まりである。洗礼を受けたあとで、イエスの言葉に「自分の出来る範囲で」従う、イエスの弟子としての人生が始まる。我々はあくまでも弟子なので、完全にイエスの言葉どおりには出来ないし、他人から攻撃されたり、他のクリスチャンをみてがっかりしたりするだろう。それでも、イエスの言葉に従う人生を歩もうとすることによって、人生に落ち着きがもたらされるのだ。
 - 最後に、来週から夏休みがスタートで、多くの人が飛行機に乗って休暇に行くだろうが、相次ぐ飛行機事故に不安を感じている人も多いであろう。信仰は我々にとって、事故や苦しみ、死に遭遇しないという保証には一切ならない。しかし我々には、神の守りを願うことが許されている。そのことを忘れずに、出発して欲しい。






AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2009年06月13日

困った男もいたもので…

テーマ:礼拝内の音楽
 6月28日(日)に、アマチュアオーケストラと一緒にヘンデルのオルガン協奏曲を演奏するため、只今練習中なのだが…


 実はヘンデルというのは、大変困った男なのである。


 なんでなんで?とお思いになるかもしれないが、何とこの男、オルガンが全部ソロで弾く第2楽章を


 Organo (Adagio e Fuga) ad libitum.


 と一言書いて済ませてしまったのだ。日本語に訳すと


 オルガン (アダージョとフーガ) アドリブで。





 アドリブ~~~~??一体何を考えているのだ!?!?


 というわけで、前回のオルガンレッスンの時に持って行って、My師匠に聞いてみたところ





 「つまりだな…


 ヘンデルは 怠け者 だったもんで


 楽譜書くのがめんどくさかったんだよ。



 だから、即興して済ませたのさ。」







( ゚д゚)



 …な…


 怠け者ぉ~~~?



さいちゃんの教会音楽な日々-haendel-stamp


 認定されちゃったよ、ヘンデル。






 ←つまり、この怠け者のせいで、後代の演奏家はここでアダージョとフーガを即興しないといけない羽目になった、と。
 
和風素材の篆刻素材AOI 様から、スタンプ枠お借りいたしましたm(_ _)m






 ヘンデルよ…


 せめて最初だけでも書いといてくれたら…(>_<)


 テーマも何もないところから、フーガを即興するって難しいよぉ。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。




 といいつつ実は、誰か他の人が作った第2楽章の楽譜を指揮者からもらったのだけど…ヘンデルのスタイルを真似ているようで、あちらこちら不出来なもので、あまり納得がいかないのである(苦笑)
 CDも2種類聞いてみたが、ヘンデルの他の曲から調性の合うのを引っ張り出して弾いている模様。



 さぁて、どうしたもんだか…





 真剣に悩み中。















AD
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2009年05月17日

礼拝日誌:復活後第5主日

テーマ:礼拝内の音楽
 ホイマーデン教会でオルガン奏楽。説教はゲストのM説教師。
 ヴュルテンベルク州教会特有の制度なのか、他のドイツの州教会にもあるのかわからないが、牧師の他に「説教師」と呼ばれる人達が礼拝を行うことがある。一般信徒で職業も他に持っているのだが、説教師養成コースで神学を学び、説教礼拝を行える資格を持った人たちである。
 M説教師とはもう何度か一緒に礼拝をしているが、明るく知的な女性説教師である。彼女の方も私のことをよく覚えている…というのも、一番初めにホイマーデン教会で礼拝をしたとき、讃美歌の連絡が事前に私のところに届かなかったというアクシデントがあったのだ。(これはM説教師のせいではなく、うちの教会の事務のせい>_<)仕方ないので、私は初見で奏楽をしたのだが、それを聴いて彼女は(初見でできるということに)びっくりしたらしい^^;
 もっともそのアクシデント以来、しっかり土曜日に「讃美歌届いてますか?」と電話を下さるようになったのだが、昨日も電話を下さった。今回は讃美歌を1曲入れ忘れたとのことで、

 「とりなしの祈りの合間に、EG(Württemberg)573番のマニフィカートを入れたいのだけれど…」

 讃美歌も600曲以上あれば知らないのや歌ったことのないのが出てくるわけで、この讃美歌はうちの教会ではまだ歌ったことがなかった。しかし、テゼ共同体の讃美歌と知り、「歌ったことないですけれど、やってみましょう。ただし、1回練習代わりに歌ってからとりなしの祈りを始めましょう」と応じた。テゼ共同体の讃美歌は、繰り返し聴けば覚えられるような素朴なメロディーの典礼歌がほとんどである。だから、何回か歌っているうちにみんな歌えるようになると踏んだのだ。
 それに、余程讃美歌に詳しく、積極的に新しい讃美歌を入れる牧師でない限り、礼拝で歌われる讃美歌というのはいつも牧師のレパートリーに入っている数十曲の讃美歌に絞られてしまうものなのだ。だから、ゲストの説教師や牧師が(我々にとって)新しい讃美歌を持ち込んでくれることは、むしろ大歓迎だと私は思っている。どうやってそれを導入するかは、牧師や説教師ではなくて、むしろ我々の仕事である。


 さて、復活祭(イースター)から数えて5番目の日曜日は、Rogate(「祈れ」もしくは「願え」)という名で知られている。教会暦による礼拝のテーマは「祈る教会」。


前奏  Philip Wolfrum: EG449によるコラール前奏曲
讃美歌 EG449 1-4 Die güldene Sonne voll Freud und Wonne
挨拶と今週の聖書の言葉 詩篇66篇20節
詩篇交読 18篇 +Ehr sei dem Vater (ドイツ語版Gloria patri)
祈り・黙祷
聖書朗読 テモテへの第1の手紙2章1-6a節
讃美歌 EG182 1-4 Suchet zuerst Gottes Reich in dieser Welt
説教 「父に願う」
讃美歌 EG328 1, 3-6 Dir, dir, o Höchster will ich singen
とりなしの祈り EG573(Württemberg) Kanon I
主の祈り
讃美歌 EG369, 7 Sing, bet und geh auf Gottes Wegen
報告
讃美歌 EG112, 6 Ich hang und bleib auch hangen
祝祷
後奏 EG112による即興演奏


♪ メモ ♪
前奏: 即興するの面倒だな~と思いつつ、コラール前奏曲集をめくっていたら、Philip Wolfrumのコラール
    前奏曲を見つけ、さほど難しくない曲だったので弾くことにした。Wolfrumは1854年生まれ、1919年没
    の作曲家でオルガニスト。ハイデルベルクで神学生相手に教会音楽を教え始め、それを牧師も
    含めた神学者相手の教会音楽教育に発展させた人物だ。(実はその教会音楽教育が更に発展
    して出来たのが、私の母校ハイデルベルク教会音楽大学である。)
      母校にゆかりのある作曲家ということで喜んで弾いたのだが、大して長くもないコラール前奏曲
    なのに、あちこちのパートにコラールのメロディーがちりばめられており、典型的ドイツ風だが
    よく書けているなぁと思った。また今度機会があったら、彼のコラール前奏曲に挑戦してみたい
    ものだ。

讃美歌182番: この讃美歌、日本語のワーシップ系讃美歌でも有名な「神の国と神の義を」なのだが、
         間違って一回多く弾いてしまった(爆) 途中で「ハッ、今何番だっけ?」と思ってみんなが
         歌っている歌詞を聴こうとしたのだが、時すでに遅しでリフレインの箇所に入っていたの
         だ_ _; で、その回が終わってもM説教師の姿が説教壇になかったので、「あ、そーか。
         じゃあ今から4番なんだ」と思って、しゃーしゃーと5回目を弾いてしまったというわけ^^;
           で、後で聞いてみたら、出席者の皆様も「あ、そーか。5番も歌うんだ」と思って、みんな
         しっかり歌ってしまったんだそうな(笑)M説教師は、自分が説教壇に上がるのが遅れた
         から、私がフォローのためもう1節付け足したんだと思ったとのことで、丸く収まり、めで
         たしめでたし。(なのかっ!?

説教: 聖書箇所はヨハネによる福音書16章23節後半~28節。もうすぐ弟子達のもとを去らねばなら
    ないイエスの言葉が綴られている。「(天の)父は願うものを与えてくださる」こと、それは「(天の)
    父があなた方を愛しているからだ」ということ、そして与えられたものによって「あなた方が喜びで
    満たされる」のが重要なのだということを、聖書に即して語ってくれた。内容に異議はないし、
    大切なところをきちんと押さえていたとは思うのだが、複数のポイントを同じぐらい強調して
    しまったため、一つ一つのポイントの印象が薄くなってしまい、結果的に「えーとそれで、何が
    一番大切なんだっけ?」という感じになってしまった。実のある内容を語っているだけに、こういう
    説教はちょっと残念である。

後奏: なんかこう、礼拝の雰囲気に合う曲が見つからず、こういう時は即興に限る!と腹を括り、
    EG112を使っての即興をしてしまった。まずはメロディーをひっくり返して重ねていき、最後に
    元のメロディー出現…みたいな形で即興していったのだが、派手に元気よく礼拝終了!!と
    いうノリになってしまった(笑)やれやれ。










AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2009年01月25日

礼拝日誌:公現後第3主日(洗礼式)

テーマ:礼拝内の音楽
 今日は、ホイマーデン地域のプロテスタント教会2つとカトリック教会が合同礼拝をする日。うちではなく、お隣のプロテスタント教会でやるため、私自身は仕事は休み…のはずだった。
 1月に入ってすぐ、D牧師いわく「本当はあなたは休みのはずだったのに、その日の11時半に洗礼式入れちゃった。弾いてくれる?」
 ……よりによって入れるなよ、その日に_ _;

 というわけで、せっかくだからお隣の教会の10時の礼拝にも出席して、礼拝のハシゴをすることにした。オルガンの前に座らずに礼拝に参加する機会は貴重である^^;
 オルガンはお隣のプロテスタント教会合唱団の指揮者で、シュトゥットガルト郊外のエスリンゲンのカトリック教会で教会音楽家をしているM氏が担当。もちろん合唱団も出番、そしてうちの教会から金管アンサンブルも出動していた。
 金管アンサンブルが前奏を吹いたため、M氏のオルガンは讃美歌の時しか聴けなかったのだが、讃美歌の前奏などの即興はさすがカトリックの教会音楽家と思えるような、短いけれど工夫を凝らしたもので、聴いていて勉強になった。あと、M氏はオルガンで合唱団を伴奏しながら指揮を振っていた…^^; やってできないことはないとはいえ、さすが器用なものである。合唱団は、メンデルスゾーンのあまり難しくないコラールを2曲披露。今回は合唱にも何人かうちの教会やカトリック教会から助っ人が加わっていた。
 説教はカトリックのG神父が担当。「信仰を頭ではなく、心で理解しない者は行いが伴わない。神の愛を心に刻み込み、行っていく信仰者にならねばならない」という主旨で、頷ける良い説教であったと思う。
 この日は聖餐式つき。とはいえ、カトリックの聖体拝領とプロテスタントの聖餐式を一緒にやることは、カトリック側から許可されていない。そこで、まずはG神父が聖体拝領を行い、その後でD牧師とお隣の教会のS牧師が聖餐式を行った。普段オルガンを弾いているので参加できない私も、喜んで参加。聖餐を受けることができたのは本当に久しぶりの気がする。
 聖餐式が終わってまもなく、うちの教会の会堂管理人のDさんがひょっこり私のところへやってきて、「今(礼拝を)抜けて聖餐式の準備に行くけれど、来る?」というので、途中ではあったが抜けてご一緒した。お隣の教会とうちの教会は歩いて15分ぐらいの距離なのだが、Dさんは車で来ていたのだ。そしてなんと、D牧師も礼拝を抜けて同乗。おかげさまで11時10分には自分達の教会に到着していた。

洗礼式の典礼は次の通り。

前奏 J.S.Bach: Liebster Jesu, wir sind hier BWV731
挨拶
説教 「子ども達を私のところに来させなさい」
讃美歌 EG503 8+13+14 Ich selber kann und mag nicht ruhn
聖書朗読 洗礼に関する箇所
洗礼
讃美歌 EG(Württemberg)581 1-6 Segne dieses Kind
祈り・主の祈り
讃美歌 EG321 1+2 Nun danket alle Gott
祝祷
後奏 Paul Horn: Fuge Es-Dur

♪ メモ ♪
2家族一緒の幼児洗礼式。個人的に、幼児洗礼のときは赤ちゃんをびっくりさせないように静かな前奏を弾くのが好みである。BWV731はメリスマのコラール前奏曲で、長くなくてちょうどいい感じなので、ときどき洗礼式の前奏に使っている。

説教の聖書箇所は、イエスのところにやってきた子ども達を弟子達が追い払おうとしたところ、イエスに「子ども達を私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」と叱られるという箇所。この箇所を聞くと、いつも幼児洗礼の是非の議論を思い出す。「本人が自覚的な信仰を持たなければ意味がない」という幼児洗礼否定派の意見は一見もっともに見えるのだが、「信仰を持つ」という人間側の行いを基準に考えている、という大きな落とし穴がある。これは、信仰を神の一方的な恵みとする(特にパウロ書簡に見られる)考え方とは、実は相容れない。それに、親に信仰があるなら尚更、「この子を祝福して下さい」とイエスのもとへ連れて来るのは、むしろ自然の成り行きなのではないか?とも思う。幼児洗礼を否定することは、イエスのところにやって来る子ども達を追い払うことになるのではないか、と私はどうしても思ってしまうのだが…。

今日は説教の後に讃美歌のアナウンスがあったので、説教内容と関連する即興演奏はやらずに済んで楽であった。
洗礼後に歌ったWürttemberg版581番の讃美歌はとてもいい歌詞で私も好きなのだが、何回弾いたかわからなくなりそうなのが怖い曲だ。伴奏を変えたり、音色を変えたりして何とか数えるのだが、今日は4番辺りで「今3番だっけ?4番だっけ?」と考える羽目となり、大焦りであった。普段はそういう場合、歌詞を聴き取ることでなんとかするのだが、洗礼式オンリーの時は出席人数も礼拝より少ないし、よく聴こえなくて焦りまくってしまった…。まぁ、結局間違えずにはすんだけれど。

後奏のPaul Hornのフーガは、一言で言うなら「良く出来た偽バロックフーガ」といった感じ^^; 1922年生まれの人が書いたとは思えないほどしっかりバロック風である。Hornはヴュルテンベルクで活躍した教会音楽家で、オルガン曲だけではなく、合唱曲も書いている。音楽学の博士号も取っており、Carus出版社から出ている一連の楽譜の編集・編曲に携わっていることでも有名だ。彼の作曲にはオリジナリティはあまり感じられないのだが、「聴衆にどんなものが喜ばれるか」「教会音楽の現場でどんなものが必要とされているか」は非常に良くわかっていた人だと私は評価している。








いいね!した人  |  コメント(5)  |  リブログ(0)
2009年01月18日

礼拝日誌:公現後第2主日

テーマ:礼拝内の音楽
ホイマーデン教会にてオルガン奏楽。説教はいつも通りD牧師だが、先週別の教会でした説教をそのまま使ったようである^^; おかげで讃美歌はすでに1週間前に出ていた。

教会暦による本日の礼拝テーマ:「喜びのマイスター」



前奏  EG165によるバロック風トリオ(即興演奏)
讃美歌 EG165 1+2 Gott ist gegenwärtig
挨拶と今週の聖書の言葉 ヨハネ福音書1章17節
詩篇交読 63篇 +Ehr sei dem Vater (ドイツ語版Gloria patri)
祈り・黙祷
聖書朗読 ホセア書2章20-22節
讃美歌 EG(Württemberg)665 1-4 Gelobt sei deine Treu
説教 「カナの婚礼」
讃美歌 EG70 1, 4, 5 Wie schön leuchtet der Morgenstern
祈り・主の祈り
讃美歌 EG576 Meine Hoffnung und meine Freude (2回)
報告
讃美歌 EG66, 9 Jesus ist kommen
祝祷
後奏 Franz Anton Maichelbeck: Fuge C-Dur



♪ メモ ♪
前奏: EG165のメロディーはわりと単純である。どうしようか迷ったのだが、こういうときこそトリオ即興を
    練習しようと思い立った。讃美歌も早く出ていたので、水曜日にはもう即興のアイディアが出来
    上がっていて、あとは技術的に練習するだけだったのだが…紆余曲折があって、木~土は一度も
    オルガンの前に座れず…_ _; それでも挑戦したところ、くり返しの前のカデンツを2回とも上手く
    処理できなかった。でも、出席者には好評で、「アイディアが気に入った」という感想をもらった。
    構造のはっきりわかる、理路整然とした即興演奏をすると、ちゃんと聴いている人にもその良さが
    伝わるんだなぁ、と思った。

説教: 有名な「カナの婚礼」の箇所をD牧師がどう説教するか、わくわくしながら聞いてしまった(笑)
    ワインというのは古来からイスラエルでは「愛」の象徴であったとのこと。つまり、「カナの婚礼」の
    危機は「結婚を祝うパーティーの最中に、愛がなくなる」という危機だったことを暗に示している
    のだそうである。ここで重要なことは、イエスが水をワインに変えたことである。何もないところへ
    天からワインを降らせたのではなく、「すでにあったものを良質のワインに変えた」のだ。
     ワインという「愛」は天からは降ってこない。すでにあるものを「愛」に変えて、周囲の人に喜び
    を与える、そういう生き方こそが世の光としての生き方なのだ、というD牧師の説教には、毎度の
    ことながら一本とられた気分だった。
     というわけで、この説教を受けてのEG70への即興演奏は「変える」をキーワードにやってみた。
    EG70のメロディーにぴったり合う対旋律を作り、それを耳に残るよう何度か提示したあと、EG70
    と同時に聴かせることで「対旋律をEG70に変えた」つもりだったのだが…意図はあまり通じな
    かったであろうと思われる(苦笑) あー、難し~~。

後奏: ほとんど初見で、またマイナーなものを弾いてしまった_ _; Franz Anton Maichelbeckは1702年
    生まれ、1750年没で、フライブルクのミュンスターのオルガニストだった人だ。今日弾いたハ長調
    のフーガは、正直言ってあまり上手くは書けていない(ぉぃ^^;)が、構造が単純でほとんどの部分
    が3声なので、初見の練習にはちょうどいいといったところである。…って、後奏を初見の練習に
    使うとは、フトドキなオルガニストだな…我ながら_ _; と(一応これでも)反省中。














いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。