2009年01月27日

歌い手、勢揃い!!

テーマ:事務 その他
 今日はシュトゥットガルトの教会音楽家たちが企画する、年に一度の歌い手コンテスト(?)があったので行ってみた。
 教会では大きなコンサートはもちろん、ちょっとした音楽礼拝の場面でも、歌のソリストが必要になることが多々ある。歌い手の方も心得ていて、仕事をもらうために教会音楽家のところへ「声を聴いてください」としょっちゅう電話をかけてくる。そこで、年に1回みんな集まって、まとめてやってしまおうという企画らしい。
 立場上、シュトゥットガルトの辺境オルガニストの私には当然その手の情報は直接来ない。私もソリストの情報を欲しがっていると知って、オルガンの先生が誘ってくれたのだ。「(案内をもらってないのに)行って、一緒に聴いて大丈夫なんですか?」と念のため先生に聞いたら、「別に構わないと思うんだけど。何かいわれたら僕が何とかするからおいでよ」と言ってくれたので、ちょっとホッとして出かけたのだった。(……教会音楽家の世界も、結構人間関係がややこしいので怖いのだ_ _;)

 行ってみたら、会場にはもう何人かの教会音楽家が来ていたが、知らない顔ばかり。歌い手は別室を控え室にしているようである。入り口のところでちょっとキョロキョロしていたら、私の教会のあるデーガロッホ地域のトップの教会音楽家S女史や、シュトゥットガルト中央地域での仕事を受け持っているP女史等、知った顔が少しずつ現れてホッとする。本当はこういうとき、堂々と部屋にいる全員に自己紹介して回れるぐらい度胸があるといいのだが、なにせ今日は「招かれざる客」だという意識があるものだから、どうしてもおどおどしてしまう。S女史も企画側として一瞬「あら?どうして彼女がいるのかしら」みたいな顔をしていたし。(でも聞かないところが大人なのかも…?^^;)
 M氏という古参の教会音楽家が現れ、新顔を認めて挨拶してくれて、そこで初めて先生の名前を出したら「ああ、そう」の一言で終わってしまった。そうこうしているうちに、例によって例のごとくギリギリでうちの先生も現れた。挨拶するや否や、着席の号令がかかる。座る時に、隣や前後になった人と簡単に握手と名前で挨拶。集まっている教会音楽家は12~13人といったところである。

 今日はシュトゥットガルトのトップの教会音楽家、H氏が病欠だそうで、代わりに午前中はS女史、午後はツッフェンハウゼン地域のトップの教会音楽家K氏が進行係をするとのこと。11時から15時までと先生に聞いていて、まさか4時間ぶっ続け?そんなに歌い手がいるの?と思っていたのだが、進行表をもらったら見事10分刻みで全部埋まっている。おそろしー!!
 アルトのMさんからスタートし、3人アルトが続き、その後ソプラノ登場。それから2人キャンセルになったらしく、進行表にあるのとは別の名前の人が歌った。どうやら最初から歌うのは24人と枠が決まっていて、誰かがキャンセルするとウェイティング・リストに名前の載っている人が飛び入りできるシステムになっているらしい。逆に言えば、それだけ応募者がたくさんいるということなのだろう。
 音大を出ている歌い手であれば、みんなそれなりの声は持っている。だが、10分の枠で、自分の持てる力を出し切る…というのは大変なことだと思う。自分の長所をアピールできる曲を選ぶのはもちろんだが、コンディションもその10分のために整えておかねばならない。音大の試験や就職試験で問われるその「厳しさ」を、今回初めて審査員の側になって改めて強く感じた。次から次へと歌を聴いていると、残酷なほどその差がわかるのである。
 今回は一般の就職試験やコンテストとは違い、就職が決まるわけでも、点数がついて一番が選ばれるわけでもない。聴いている教会音楽家のうち、誰かの目に留まれば、何かの機会に電話がかかってくる…という形で結果が表れる。すぐ結果が出ない分余計に厳しいかもしれないが、これだけの人数がいれば1人が買ってくれなくても、他の誰かの目に止まるチャンスはあるわけだ。実際、「こういう声はシュッツやる時には欲しいけれど、ブラームスではちょっと…」とかいうこともあるわけで、私も含めた教会音楽家側は、聴きながら熱心にそういう内容のメモを取っているのである。
 例えば私が取ったメモの例を、ソプラノで挙げてみると…
 「明るく軽い声だが、ビブラートかかりすぎ、表情があまりない。」
 「明るく表情豊か。高音も安定しているが、高くなると鋭い声になる。」
 「力強いがくもった声。音程のとぶ箇所が不安定。高音が上がりきらない時あり。」
 「コロラトゥーラ。中音域も良く出る。ドラマチック系の力強さは持たないが、安定した透明な声。」 

 1時間半たったころ、トイレ休憩に一旦外へ出た。休憩はタイムテーブルに入っていないから、各自適当にトイレタイムを取らざるを得ない。で、トイレから出たところで知った顔を発見。去年先輩のアシスタントをした時、ソロを歌っていたバリトンの歌手で、教会音楽家兼シュトゥットガルト・オペラの合唱団員であるBさんだ。進行表を見て「もしや?」と思っていたが、案の定であった。歌う順番待ちをしているのである。
 「あれっ?僕、あなたを知ってるよね?」というので、ちょっと立ち話。先輩から「Bくんは報酬に関係なく、時間が空いていればいつでも来てくれるよ」と聞いていたので、いざという時のために「シュトゥットガルトに合唱団を持っていて、たまにソリストを必要としている」という話もちらっとしておいた。実際若いけれど非常にいい声の持ち主だし、一緒に仕事をしやすそうな好青年でもあるので(笑)
 Bさんと話していたら、外から扉を開けて知った顔がまた登場…!ハイデルベルク時代の学生仲間、Aくんである。「お久しぶり~!こんなところで何してんの?」ってAくんよ、そりゃないだろう。私が歌手じゃないことぐらい知ってるだろ?(爆) ちなみにAくんは卒業後1年間実習生をやり、その後産休代理でシュトゥットガルトに教会音楽家の職を見つけた。産休を取っていた教会音楽家が半分仕事に復帰し、相変わらず残りの半分の仕事をしている、というところまで知っていたが、同じシュトゥットガルトに住んでいるのに全く会う機会がなく、ご無沙汰していたのである。
 というわけで、Bさんに"Viel Erfolg!"(成功を祈ります!)と声をかけ、Aくんと一緒に会場に戻った。この間7分ぐらいだったらしく、聴き逃すかも?と思っていたソプラノの歌手の、最後の1曲を聴くことが出来て良かった。次がBさんの番で、安定した力強い低音でのびのびと歌っていた。大したものである。

 お昼頃、進行係がK氏に交代したのだが、K氏は会場に入ってくるなり一言、「窓開けて休憩にしない?」 …どうも余程空気が悪かったらしい。みんなも頷いて、ちょっとだけ休憩を取ることになった。
 さて、実は私、大変不義理なことをK氏にしてしまっていた。2年前まで私はツッフェンハウゼン地域に住んでおり、トップのK氏とも交流があったのだが、引越しのバタバタで行き先も告げないまま、ツッフェンハウゼン地域から突然姿を消した形になってしまっていたのである。その後、パソコントラブルでメールアドレスを消失したこともあって、完璧に連絡しないままになっていた。もっともこれは言い訳にすぎなく、K氏のメールアドレスなんてインターネット検索で出てくるのだから、その気になればすぐわかるのである。ここで会ったが百年目!?というか、ここで会ったからには平謝りして関係回復を図るべし。
 というわけで、早速K氏のところへ行って平謝りしたのだが、幸いにして「うん、でも今日ここで会えてよかった。新しい住所教えて。」とすぐに言ってくれた。私もK氏にお願いして、メールアドレスを書いてもらい、無事連絡先交換完了。怒ってなくてよかった…(少なくとも表面上は)。
 音楽家として活動するには、こういう繋がりを持っておくのはかなり大切なのだ。それをサボっていたのは、やはり私の「不徳のいたすところ」である。学生時代はそんなことどうでもいいと思っていたが、残念ながらこの世の中はやはり人脈で動いているのだ…ということをつくづく感じさせられるこの頃である。

 休憩時間中、Aくんともちょっと話をしてみたら、産休を取っていた教会音楽家はすでに4分の3復帰しており、彼は残りの4分の1の仕事をしているとのことだった。それで家族を養うのは大変なんじゃ…?と思ったら、シュトゥットガルトの全く別の教会で職をゲットし、今は両方の仕事をしているのだそうだ。彼は元々、シュトゥットガルトのトップの教会音楽家H氏の弟子だということもあって、上手くやっているようで一安心である。
 今回審査(?)に来ている主だった教会音楽家は、歌い手の連絡先や履歴を手元に持っていた。先生も持っていたので見せてもらって、気に入った歌手の連絡先のメモを取ろうとしたら、先生曰く「あ、それメモとらなくていいよ。後で全部メールで送ってあげるから」とのこと。至れり尽くせりで、ありがたいことであるm(_ _)m
 そうこうしているうちに約10分遅れで後半が始まった。最初がバリトンだったが、音程が不安定なところがあり、B氏との差が出てしまって残念な出来だった。
 結局、ソプラノ11人、アルト8人、テノール3人、バリトン2人。そのうち、私が何かの時にソリストを頼みたいな、と思ったのがソプラノ4人、アルト3人、テノール2人、バリトン1人。難点はあるが場合によっては…というのがソプラノ2人、アルト3人、テノール1人、バリトン1人、という結果であった。ま、でも問題は「お金」だよね…_ _;

 終わったあと、私はすぐに仕事に行かねばならなかったので、うちの先生とK氏に手短に挨拶。Aくんにも挨拶をしようとしたら「僕も今出る」というので、一緒に会場を後にした。
 Aくんが「君の教会は、大きなコンサートをやるだけのお金あるの?」と聞くので、「ないよ」と身も蓋もない即答をする私。「ただ、例えば去年、モーツァルトとハイドンのプログラムで、ソプラノのソリスト1人呼んでコンサートやったんだよね。その程度なら何とか出来るって感じ。」と言ったら、Aくん「ふーん」と一言。Aくんが新たに持った教会が、経済的に厳しいであろうことは想像がつくので、彼も悩んでいるのかもしれないな…と思う。
 活動をするためのお金のやりくり、人脈を作ること、等々… 教会音楽家の腕が、音楽でない部分で試されるというのも残酷な話だ。高い理想を持って教会音楽家を目指す人には申し訳ないが、いくら実力があっても、うまく動き回れないと音楽する場を持つことすら出来ないのが現実である。厳しいよなぁ~_ _;

 いずれにせよ、今日はいろいろな意味で有意義な日だった。自分の声を聴いてもらおうとする、積極的な歌い手の姿勢にも少なからず刺激された。今日聴いた歌い手に仕事をお願いする日が来るのかどうかはわからないが、この先コンサートの計画をする時に、必ず役に立つだろうと思う。









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2009年01月25日

礼拝日誌:公現後第3主日(洗礼式)

テーマ:礼拝内の音楽
 今日は、ホイマーデン地域のプロテスタント教会2つとカトリック教会が合同礼拝をする日。うちではなく、お隣のプロテスタント教会でやるため、私自身は仕事は休み…のはずだった。
 1月に入ってすぐ、D牧師いわく「本当はあなたは休みのはずだったのに、その日の11時半に洗礼式入れちゃった。弾いてくれる?」
 ……よりによって入れるなよ、その日に_ _;

 というわけで、せっかくだからお隣の教会の10時の礼拝にも出席して、礼拝のハシゴをすることにした。オルガンの前に座らずに礼拝に参加する機会は貴重である^^;
 オルガンはお隣のプロテスタント教会合唱団の指揮者で、シュトゥットガルト郊外のエスリンゲンのカトリック教会で教会音楽家をしているM氏が担当。もちろん合唱団も出番、そしてうちの教会から金管アンサンブルも出動していた。
 金管アンサンブルが前奏を吹いたため、M氏のオルガンは讃美歌の時しか聴けなかったのだが、讃美歌の前奏などの即興はさすがカトリックの教会音楽家と思えるような、短いけれど工夫を凝らしたもので、聴いていて勉強になった。あと、M氏はオルガンで合唱団を伴奏しながら指揮を振っていた…^^; やってできないことはないとはいえ、さすが器用なものである。合唱団は、メンデルスゾーンのあまり難しくないコラールを2曲披露。今回は合唱にも何人かうちの教会やカトリック教会から助っ人が加わっていた。
 説教はカトリックのG神父が担当。「信仰を頭ではなく、心で理解しない者は行いが伴わない。神の愛を心に刻み込み、行っていく信仰者にならねばならない」という主旨で、頷ける良い説教であったと思う。
 この日は聖餐式つき。とはいえ、カトリックの聖体拝領とプロテスタントの聖餐式を一緒にやることは、カトリック側から許可されていない。そこで、まずはG神父が聖体拝領を行い、その後でD牧師とお隣の教会のS牧師が聖餐式を行った。普段オルガンを弾いているので参加できない私も、喜んで参加。聖餐を受けることができたのは本当に久しぶりの気がする。
 聖餐式が終わってまもなく、うちの教会の会堂管理人のDさんがひょっこり私のところへやってきて、「今(礼拝を)抜けて聖餐式の準備に行くけれど、来る?」というので、途中ではあったが抜けてご一緒した。お隣の教会とうちの教会は歩いて15分ぐらいの距離なのだが、Dさんは車で来ていたのだ。そしてなんと、D牧師も礼拝を抜けて同乗。おかげさまで11時10分には自分達の教会に到着していた。

洗礼式の典礼は次の通り。

前奏 J.S.Bach: Liebster Jesu, wir sind hier BWV731
挨拶
説教 「子ども達を私のところに来させなさい」
讃美歌 EG503 8+13+14 Ich selber kann und mag nicht ruhn
聖書朗読 洗礼に関する箇所
洗礼
讃美歌 EG(Württemberg)581 1-6 Segne dieses Kind
祈り・主の祈り
讃美歌 EG321 1+2 Nun danket alle Gott
祝祷
後奏 Paul Horn: Fuge Es-Dur

♪ メモ ♪
2家族一緒の幼児洗礼式。個人的に、幼児洗礼のときは赤ちゃんをびっくりさせないように静かな前奏を弾くのが好みである。BWV731はメリスマのコラール前奏曲で、長くなくてちょうどいい感じなので、ときどき洗礼式の前奏に使っている。

説教の聖書箇所は、イエスのところにやってきた子ども達を弟子達が追い払おうとしたところ、イエスに「子ども達を私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」と叱られるという箇所。この箇所を聞くと、いつも幼児洗礼の是非の議論を思い出す。「本人が自覚的な信仰を持たなければ意味がない」という幼児洗礼否定派の意見は一見もっともに見えるのだが、「信仰を持つ」という人間側の行いを基準に考えている、という大きな落とし穴がある。これは、信仰を神の一方的な恵みとする(特にパウロ書簡に見られる)考え方とは、実は相容れない。それに、親に信仰があるなら尚更、「この子を祝福して下さい」とイエスのもとへ連れて来るのは、むしろ自然の成り行きなのではないか?とも思う。幼児洗礼を否定することは、イエスのところにやって来る子ども達を追い払うことになるのではないか、と私はどうしても思ってしまうのだが…。

今日は説教の後に讃美歌のアナウンスがあったので、説教内容と関連する即興演奏はやらずに済んで楽であった。
洗礼後に歌ったWürttemberg版581番の讃美歌はとてもいい歌詞で私も好きなのだが、何回弾いたかわからなくなりそうなのが怖い曲だ。伴奏を変えたり、音色を変えたりして何とか数えるのだが、今日は4番辺りで「今3番だっけ?4番だっけ?」と考える羽目となり、大焦りであった。普段はそういう場合、歌詞を聴き取ることでなんとかするのだが、洗礼式オンリーの時は出席人数も礼拝より少ないし、よく聴こえなくて焦りまくってしまった…。まぁ、結局間違えずにはすんだけれど。

後奏のPaul Hornのフーガは、一言で言うなら「良く出来た偽バロックフーガ」といった感じ^^; 1922年生まれの人が書いたとは思えないほどしっかりバロック風である。Hornはヴュルテンベルクで活躍した教会音楽家で、オルガン曲だけではなく、合唱曲も書いている。音楽学の博士号も取っており、Carus出版社から出ている一連の楽譜の編集・編曲に携わっていることでも有名だ。彼の作曲にはオリジナリティはあまり感じられないのだが、「聴衆にどんなものが喜ばれるか」「教会音楽の現場でどんなものが必要とされているか」は非常に良くわかっていた人だと私は評価している。








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2009年01月23日

オルガンシューズ

テーマ:オルガン・即興
 朝からどんよりした、嫌な天気。私の血圧も一向に上がってこないので、仕事に出かけるのが一仕事(!)という感じ。
 仕事が終わったらオルガンの練習をしようと思って、いつものかばんの他に巾着袋に入れたオルガンシューズを提げて出かけ……



 どこかに忘れてきてしまった_| ̄|○



 ピアノの生徒の家に行くのに、電車→バス→電車と乗り継いで、降りた後で手に持っていないことに気づいたのである_ _;
 不注意が服着て歩いているような、忘れ物が特技の私だから、かばんの他に物を持ち歩く時は要注意なのだけど…それにしても商売道具を忘れるなんて。モノが特殊な靴だけに、落し物センターに届きそうな気もするが、失くした今日が金曜日だから、取りに行けるのは早くて月曜日だし、出てくる保証はない。
 出張レッスンの道すがら、くよくよ考えもしたのだが、最後のレッスンが終わる頃には頭が切り替わっていた。



 この際、セカンドシューズを作ろう♪



 何せ、よその教会で弾く時にうっかり靴を忘れて行ったりする上、持ち歩くとこの通りどこかに忘れる可能性が高い私。メインのホイマーデン教会に置いておく靴と、家にもう一足持っていた方がいいと思っていたものの、緊急を要していないせいもあってなかなか腰が上がらなかった。今がセカンドシューズを作る絶好のチャンスである。
 …というわけで、仕事の後街に繰り出すことに。私の懐具合に合う靴屋さんとなると、やはりDeichmann かな…ということで、店に直行。

 これだけオルガン人口の多いドイツなのに、専用の「オルガンシューズ」という製品はない。日本はオルガン人口が少ないにもかかわらず、銀座ヨシノヤ なんかがちゃんと専用シューズを作っているのに…。厚手のソックスを履いて弾く人もいれば、ダンスシューズを代用する人あり、革底の靴を買って使う人あり、とドイツのオルガニストの足元は多種多様である。オルガンシューズを商品化して、一儲けを企む輩はこの国にはいなかったのだろうか?ある意味、非常に不思議ではある^^;
 そんなわけで、Deichmannで私が買うのは何のことはない普通の靴で、その靴に後で手を加えてもらうことになる。だが、「普通の靴」といっても、いくつかの条件がある。

 1.自分の足に合った靴。紐靴が望ましいが、足にぴったり合っていて脱げて来ないなら大丈夫。
 2.少しかかとのある方が弾きやすいが、高すぎてもダメ。また、かかとでも鍵盤を弾くため、ピンヒール系は×。
 3.つま先は近頃流行(?)の先の尖ったのは×。角ばっているのは程度による。
 4.靴底のはりかえが可能であること。
 5.色は出来るだけ黒。

 普通に自分の足に合った靴を探すのだって難しいのに、近頃の流行のせいもあって、オルガンシューズとしての全ての条件を満たした靴はなかなか見つからない。Deichmannではちょうど靴の半額セールをやっていたのだが、そのコーナーの靴は一瞥しただけで全滅とわかった。仕方ないので値引きなしの普通のコーナーへ。
 まずは一足、とてもいい型の紐靴を見つけた。足にもぴったりなのだが、色がヘンな感じの茶色である。これで黒なら即買いなのに…。仕事で黒いスーツを着ることが多いため、この茶色では合わない。
 他のコーナーで、かかとがあって底をはりかえられそうな黒い靴を片っ端から試してみる。私の足のサイズはドイツの37と38の中間ぐらい(日本の24.0~24.5cm)。ドイツでは普通のサイズなので、それだけはありがたい。
 途中で、普段用にとても履き心地のいい靴を見つけてしまった。かかとがないのでオルガンには向かないのだが、普段履きも買い換えようと思っていたので先に決めてしまう。それにしてもオルガン用の方がなかなか見つからない。形が良くてもかかとがなかったり、かかとがあっても底のはりかえの出来ないタイプだったり、形もかかともバッチリなのに足に合わなかったり…_ _;
さいちゃんの教会音楽な日々-Orgelschuhe1
 最終的にこの靴に決めたのだが、選ぶのに結局1時間以上もかかってしまった。紐靴ではないが、足にはぴったりで脱げてはこないので大丈夫だろうと判断したのだ。適度にかかともあり、つま先も丸い普通の形で、条件は全て満たしている。値段も39,90ユーロで、そこまでお高いものではない。
 さて、もう夜7時半になっていたので、買った靴を持って大急ぎで駅前のMISTER MINIT へ。日本にもあるからご存知かと思うが、靴やかばんの修理、合鍵作りなどを専門にしている店だ。
 扉を開けたら、いかにも職人気質なおじさんが後片付けをしているのが目に入った。8時閉店なのだ。買ったばかりの靴を取り出して、台の上に並べる。
 「こんばんは。あの、特別なお願いがあるんですけど」
 ほう、という顔でこちらを見るおじさん。「この靴の底を、かかとも全て革にはりかえて欲しいんです。」
 「ふむ、それは出来るけど、何に使うの?」
 「私オルガン弾きなんですけど、足鍵盤を弾くのに底の滑りやすい靴が必要なんですよ。」
 「なるほど。でも、革は明るい色なのに、黒い靴の底には合わないんじゃない?」
 「(おじさん妙におしゃれだなーと思いつつ)それは仕方ないですよ^^;」
 「わかった。こことここ(指で指しながら)に革をはるのね。いつ引き取りに来る?明日?」
 「明日までに出来ます?」
 「うん、午後には引き取れるようにしておくよ。それと、35ユーロほどかかるけどいい?」
 「もちろんです。」
 合計約75ユーロ。銀座ヨシノヤのオルガンシューズが約2万6千円だそうだから、大変安上がり。^^;
 あとはおじさんの腕前を拝見させていただくとしよう。

 …というわけで、思いがけずセカンドシューズを作る羽目となってしまったわけだが、確かオルガンシューズを作るのは6年ぶりなので良しとしようと思う。これで、なくなった方の靴も無事出てきてくれれば万々歳なのだが…。










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2009年01月19日

ブログ復帰宣言!?

テーマ:季節のご挨拶
  明けました。おめでとうございました。


 …と、新年早々ブログの更新がこんな調子では、先が思いやられるのですが、まだどなたかここを覗いてくださっているでしょうか^^;

 遅ればせながら、新年の抱負(!?)はブログをもっと頻繁に更新すること!
 というわけで、やる気を出すためにも、復帰宣言などしてみたいと思います。

 今年は、「礼拝日誌」なるものをつけてみようかと…。
 礼拝で弾いた曲(場合によっては振った曲)や、即興のネタなどを記録しようというわけです。ブログに公開するということで、手抜きも出来なくなって、真面目に仕事をするようになるので一石二鳥かな、と(爆)
 多分マニアックな記事にはなると思いますが、更新は頻繁になるかと思います^^;

 元旦まで遡って記事を書きますので、過去記事もぜひご覧下さいね!!


 ☆アップ予定記事☆ (アップしたものから順に、リンクを貼ります。)
 1月 1日 新年礼拝
 1月 4日 降誕後第2主日
 1月 6日 公現日
 1月 9日 ミュンヘンフィルの定演
 1月11日 公現後第1主日
 1月18日 公現後第2主日










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2009年01月18日

礼拝日誌:公現後第2主日

テーマ:礼拝内の音楽
ホイマーデン教会にてオルガン奏楽。説教はいつも通りD牧師だが、先週別の教会でした説教をそのまま使ったようである^^; おかげで讃美歌はすでに1週間前に出ていた。

教会暦による本日の礼拝テーマ:「喜びのマイスター」



前奏  EG165によるバロック風トリオ(即興演奏)
讃美歌 EG165 1+2 Gott ist gegenwärtig
挨拶と今週の聖書の言葉 ヨハネ福音書1章17節
詩篇交読 63篇 +Ehr sei dem Vater (ドイツ語版Gloria patri)
祈り・黙祷
聖書朗読 ホセア書2章20-22節
讃美歌 EG(Württemberg)665 1-4 Gelobt sei deine Treu
説教 「カナの婚礼」
讃美歌 EG70 1, 4, 5 Wie schön leuchtet der Morgenstern
祈り・主の祈り
讃美歌 EG576 Meine Hoffnung und meine Freude (2回)
報告
讃美歌 EG66, 9 Jesus ist kommen
祝祷
後奏 Franz Anton Maichelbeck: Fuge C-Dur



♪ メモ ♪
前奏: EG165のメロディーはわりと単純である。どうしようか迷ったのだが、こういうときこそトリオ即興を
    練習しようと思い立った。讃美歌も早く出ていたので、水曜日にはもう即興のアイディアが出来
    上がっていて、あとは技術的に練習するだけだったのだが…紆余曲折があって、木~土は一度も
    オルガンの前に座れず…_ _; それでも挑戦したところ、くり返しの前のカデンツを2回とも上手く
    処理できなかった。でも、出席者には好評で、「アイディアが気に入った」という感想をもらった。
    構造のはっきりわかる、理路整然とした即興演奏をすると、ちゃんと聴いている人にもその良さが
    伝わるんだなぁ、と思った。

説教: 有名な「カナの婚礼」の箇所をD牧師がどう説教するか、わくわくしながら聞いてしまった(笑)
    ワインというのは古来からイスラエルでは「愛」の象徴であったとのこと。つまり、「カナの婚礼」の
    危機は「結婚を祝うパーティーの最中に、愛がなくなる」という危機だったことを暗に示している
    のだそうである。ここで重要なことは、イエスが水をワインに変えたことである。何もないところへ
    天からワインを降らせたのではなく、「すでにあったものを良質のワインに変えた」のだ。
     ワインという「愛」は天からは降ってこない。すでにあるものを「愛」に変えて、周囲の人に喜び
    を与える、そういう生き方こそが世の光としての生き方なのだ、というD牧師の説教には、毎度の
    ことながら一本とられた気分だった。
     というわけで、この説教を受けてのEG70への即興演奏は「変える」をキーワードにやってみた。
    EG70のメロディーにぴったり合う対旋律を作り、それを耳に残るよう何度か提示したあと、EG70
    と同時に聴かせることで「対旋律をEG70に変えた」つもりだったのだが…意図はあまり通じな
    かったであろうと思われる(苦笑) あー、難し~~。

後奏: ほとんど初見で、またマイナーなものを弾いてしまった_ _; Franz Anton Maichelbeckは1702年
    生まれ、1750年没で、フライブルクのミュンスターのオルガニストだった人だ。今日弾いたハ長調
    のフーガは、正直言ってあまり上手くは書けていない(ぉぃ^^;)が、構造が単純でほとんどの部分
    が3声なので、初見の練習にはちょうどいいといったところである。…って、後奏を初見の練習に
    使うとは、フトドキなオルガニストだな…我ながら_ _; と(一応これでも)反省中。














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