2007年03月18日

実はイースター前も忙しい^^;

テーマ:事務 その他

 ブログの更新おサボリも長くなってきたので、この辺で言い訳でもしておこうかと…(爆)

 なんだかんだ言って、イースター前にあたる3月は毎年、結構忙しい。今年も例外にもれず、バタバタしているのである。


 教会暦ではクリスマスと同じくらい、いや実は意味合いでいえばクリスマスよりもはるかに重要なお祭りがイースター、つまりキリストの復活を祝う「復活祭」である。

 復活祭の日は「春分の日」から数えて、最初の満月の次の日曜日と決められている。それゆえ、月の満ち欠けによって毎年日付が変わる。今年の復活祭は4月8日。



 というわけで…私の3月~復活祭の教会関係の本番日程をここに公開。


 3月 2日(金)   ホイマーデン教会・世界祈祷日(リコーダー・オルガン奏楽)

 3月 4日(日)   ホイマーデン教会・幼児洗礼つき礼拝(オルガン奏楽)

 3月 4日(日)   ホイマーデン教会・マティネー(オルガンソロの30分コンサート)

 3月11日(日)   ホイマーデン教会・幼児洗礼および表彰つき礼拝(オルガン奏楽)

 3月11日(日)   ホイマーデン教会・バラードの夕べ(ピアノソロ)

 3月12日(月)   オストフィルダー墓地・お葬式(オルガン奏楽)

 3月17日(土)   ホイマーデン教会・堅信礼クラスの子ども2人の洗礼式(オルガン奏楽)

 3月18日(日)   ホイマーデン教会・堅信礼礼拝(オルガン奏楽) ←今日これが終わったところ

 3月19日(月)   ホイマーデン教会・堅信礼を受けた子たちのための聖餐式礼拝(オルガン奏楽)

 3月20日(火)   ホイマーデン教会・金婚式(オルガン奏楽)  ←日程間違えてました。(5月だって^^;)

 3月25日(日)   ホイマーデン教会・堅信礼50周年・60周年等を迎える方々の記念礼拝(オルガン奏楽)

 3月25日(日)   ホイマーデン教会・ポーランド出身のドイツ人の礼拝(ピアノ奏楽)

 3月30日(金)   ホイマーデン・お隣の教会にて、教会で働く人の集い(リコーダー)

 4月 1日(日)   シュテックフェルト教会・ヴィエルヌのミサ曲上演(合唱指揮)※ゲネプロは3月31日(土)

 4月 2日(月)~4日(水)  ホイマーデン教会・受難週の祈祷会(オルガン奏楽)

 4月 4日(水)   シュトゥットガルト空港復活祭礼拝(合唱指揮・キーボード奏楽)

 4月 5日(木)   ホイマーデン教会・最後の晩餐にちなんだ聖餐式つき礼拝(オルガン奏楽)

 4月 6日(金)   ホイマーデン教会・受難の聖金曜日の礼拝(オルガン奏楽)

 4月 8日(日)   ホイマーデン教会・復活祭第一祝日礼拝(オルガン奏楽)

 4月 9日(月)   ホイマーデン教会・復活祭第二祝日礼拝(オルガン奏楽)



 ……というわけで、これからがまだまだ大変そうだけど……(汗)


 頑張ります&暇を見つけたら過去日記もアップします!(苦笑)

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2007年03月17日

忘れられない洗礼式の言葉

テーマ:礼拝内の音楽

 夕方にホイマーデン教会で洗礼式があって、私も出動。

 なぜ土曜日の夕方に?と思われるかもしれないが、実は明日が堅信礼礼拝だからである。幼児洗礼を受けた13~17歳の子たちが1年間、教会の牧師の下でキリスト教と信仰について学び、信仰告白をして祝福を受けるのが「堅信礼」であるが、近頃は幼児洗礼を受けていないで、堅信礼準備コースに参加する子も増えてきた。何もわからない幼児のうちに親の信仰で洗礼を受けさせるのは宗教の自由に反する、子どもが大きくなってから自分で選ぶべきだと考える親が増えてきたためである。

 教会側としては、洗礼を受けていない子が準備コースに来ても無論喜んで受け入れるのだが、この子たちがいざ信仰を持って堅信礼を受ける…ということになると、まず洗礼式をしなくてはならない。教会によっては堅信礼礼拝の中で洗礼式もやるらしいのだが、堅信礼礼拝はとにかくそれだけで大きな礼拝になるもので、洗礼式もやったらおそろしく長くなってしまう。だからホイマーデン教会では、前日の土曜日に堅信礼準備コースの子たちの洗礼式をやることが多い。

 今年も2名の受洗希望者が出て、土曜日に洗礼式という運びになったわけだが、今回はたまたま洗礼を受ける一人の子のお父さんが、私の音楽つながりの知り合いだった。お父さんも多少オルガンが弾けるので、「自分で弾きます?」ときいてみたのだが、「うーん、僕、最近練習する暇がないから、息子のためによろしくお願いします」とわざわざ頼みに来たので、もちろん喜んで引き受けた。


 さて、洗礼式自体は全く特別な礼拝ではなく、前奏を弾いて、洗礼の前と後に讃美歌を2曲歌って、最後に後奏を弾いて終わりだったのだが(あえて言うなら、どの讃美歌を歌うかが礼拝開始10分前に決まった、というのが特別だったかも!?もちろん私は初見^^;)、礼拝内でのメッセージが本当に重みのある言葉であった。


 実は、神の前で洗礼を受ける資格があるかないかを、人間に判断できるはずはないのだとD牧師は言う。それなのになぜ、我々キリスト者は洗礼を授けるのか。それはあなたの存在そのものを神が喜んでいる、と我々が信じているからだ。何の条件も付けず、ただあなたが「そこにいる」ということが我々にとって大切であり、そこに神も共にいると我々の信仰が語っているからなのである。

 あなたはそこにいるだけで、他の人にとっての「命の水」なのだ。だから我々は水で洗礼を授ける。そして、あなたがそこにいる限り、神はあなたの側にいる。たとえ教会から足が遠のこうとも、これからの人生の中で思うようにいかないことがあったとしても、神のことを忘れる時があったとしても、神は一生変わらずずっとあなたの側にいて、あなたを導いているのだ。洗礼とは、それを覚えて、繰り返し思い出させてくれるために行う、一生に一回限りの儀式である…という主旨のメッセージだった。


 とても福音主義的ではあるが、まさしく「アーメン」(その通り)だと思った。我々の信仰の原点とは、まさにそこにあるのではないだろうか?

 ルターは「神の前で義と認められるのは信仰のみである」という、いわゆる「信仰義認」と呼ばれる教えをローマ人への手紙から見い出した。これはプロテスタントの基本と思われているのではないかと思うが、同じルターが実は「神から与えられた恵みとしての信仰」と、「信仰するという行い」を区別して考えていたということはあまり知られていない。「神の前で義と認められるのは、神から与えられた信仰のみであって、『信仰する』という人間側の行いや努力ではない」とルターは考えていたし、ドイツの福音主義教会もそこに依って立っている。神からの「無条件の受け入れ」が語られる理由は、そこにあるのだ。


 「ただあなたが『そこにいる』ということが我々にとって大切であり、そこに神も共にいる。」


 この信仰に立つことが出来たときに、人の生き方が大きく変えられることは間違いない。何だか、もう一度信仰の原点に立ち返らされたような気持ちがした。

 今日洗礼を受けた2人が、この大切なことを一生覚えていてくれたらいいなと思う。私自身も受洗の時に言った言葉、「神の助けによって決意します」(Ja, mit Gottes Hilfe.)を聞きながら、深くそう願ったのだった。

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