2006年10月21日

ある教会音楽家の死

テーマ:事務 その他

 数週間前に、定期的に発行される教会音楽マガジンを牧師からもらって、目を通していた時のこと。

 ある教会音楽家の募集広告が私の目を引いた。大きな枠を使っている。読んでみると、シュトゥットガルトに近いニュルティンゲン教区の、トップの教会音楽家を募集しているとのこと。条件のいい職である。

 それ自体は何の問題もないのだが……私は血の気が引くのを感じた。


 「まさか……」


 私は前任の教会音楽家S氏と面識があった。一度、一緒にお昼を食べたことがある。まだ若い、気さくだが実力もある男性だった。

 去年心臓病で倒れ、仕事を休んでいた話は聞いた。かなり心配していたのだが、今年の初めから少しずつ仕事に復帰したらしい…とも風の便りに聞いていた。

 しかし、この広告である。募集がこの時期に出るのは、どう考えてもおかしかった。病気で静養するからその間の代理を探しているのであれば、そう広告に書いてあるはずであるだが、それもない。病気がひどくなって、職をやめざるを得ない状況になったのか、それとも…?


 その後忙しさにかまけて、調べてみる暇がなかったのだが、やっと今日思い切ってネットで調べてみることにした。

 フルネームがうろ覚えだったので、「ニュルティンゲン」「教区トップの教会音楽家(Bezirkskantor)」で検索をかけ、まず名前を調べ、それから何か情報がないか探した。グーグルに出てきた記事の中に、"trauert"(悲しむ、悔やむ)の単語を見つけたときに、最悪の事態が頭の中をよぎった。

 嫌だ、信じたくない。記事をクリックする指が震えた。ニュルティンゲン教区のホームページが開いた。




 私の時は、あなたの手の中にあります。詩篇31編16節


 シュタット教会は、主によって37歳で故郷へ召された教区トップの教会音楽家S氏のことを悔やみます。


 痛みから開放されて主の顔を見ることが出来るなら、それがただ一つの素晴らしいこととなるでしょう。




 オルガンの側に立って微笑むS氏の写真…




 Nei----------n!! (英語のNo)




 亡くなったのは6月とあった。原因はやはり、心臓病。PCの前で愕然として、しばらく動くことも出来ないまま記事を見つめた。





 どうして…。



 どうして、彼のような実力のある人が、37歳の若さで召されなければならなかったのであろう。


 

 まだいくらでも、良い働きが出来ただろうに…






 神様はやっぱりちょっと不公平だ、と思いつつ、ショックは深かった…。

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2006年10月15日

オルガニスト・デビュー!

テーマ:礼拝内の音楽

 今日は華々しいオルガニスト・デビューの日!!

 …え?もちろん私ではなくて、私の生徒のHちゃんの話ですよ、ハイ。(10月9日のエントリ 参照)


 朝、教会に行ってみたら、すでに建物の前にHちゃんのお母さんと妹さんが。どうやらお母さんの車で到着したところらしい。挨拶を交わして、「今来たところで、Hはもう中に入ったわ」と聞き、私も教会の扉を開けて中へ。

 入り口にはいつものように、会堂管理人と牧師が立っていて、Hちゃんと挨拶をしているところだった。私も挨拶をする。「いよいよだねぇ」と牧師に言われて、ちょっと緊張気味の表情のHちゃん。牧師に励まされつつ、2階席のオルガンのところへ。「練習してもいい?」と聞くので、もちろんOKを出す。

 一回通して弾き終えたら、下から「すごくきれいに聴こえるよ~」と牧師の声が。この間髪を入れずフォローする辺りが、我らがD牧師の上手さなのだ。Hちゃんはちょっとホッとした顔になって、「大丈夫そうな気がする」と小声で言った。本人が大丈夫そうと思えるなら何より!もう一度だけ弾いて、私と交代。

 礼拝開始まで、それほど時間があるわけではない。私はいつものように讃美歌に目を通したり、今日の詩篇のページにしおりを挟んだりと準備をしていたら、あっという間に10時。礼拝開始の鐘が鳴り始める。


 礼拝の方はごくごく普通どおりだった。今回のHちゃんの出番である聖餐式は、説教の後に行われる。説教が終わり、その説教の内容を受けて礼拝参加者が讃美歌を歌った後、いよいよ聖餐の典礼に入った。

 Hちゃんがオルガンのところに来て、「私の番?」と目で聞いている。「ちょっと待って」と合図をする。Hちゃんの曲の前に、聖餐式の定番のEG220番"Herr, du wollest uns bereiten"(主よ、私たちに用意してください)が歌われるからだ。それを弾き終わってからHちゃんと交代なのだが、Hちゃんの方が私よりもオルガンの椅子を前にして弾く必要があるので、二人がかりでまず音がしないように椅子を持ち上げて、前にずらす。それからHちゃんが椅子に座った。

 聖餐に関する聖書の箇所が朗読され、牧師が聖餐への招きを行ったところで、Hちゃんに"Meine Hoffnung und meine Freude"(わが希望、わが喜び)を弾き始めるよう合図する。最初の3回ほど様子を見ていたが、意外にちゃんと落ち着いて弾いている。よかった、大丈夫そう…(^^)と安心して、私もオルガンを離れて階段を下り、最後のグループに加わって祭壇のところに行き、聖餐を受けた。

 前に出てみてわかったのが、オルガンのところで聞こえているよりもはるかにたくさんの人が、この"Meine Hoffnung und meine Freude"をオルガンに合わせて口ずさんでいる…ということだ。無論、聖餐の最中だから、大きな声で歌う人はいない。でも、生産の順番待ちをしていたり、もう終わって席に戻っている人達が、意外とちゃんと歌っているので驚いた。


 聖餐が終わって2階席に戻ったところで、Hちゃんに弾き終えるよう合図した。Hちゃんも頷いて、弾き終えようとした…時に悲劇が起こった。さあ終わろうと思ったとたん、最後の1フレーズを残してHちゃんの指が止まってしまったのである。

 あわてたHちゃんは、とにかく最後まで弾き終えようとして、その1フレーズは歌のメロディーだけを弾いた。こうして、何だかしまりのない終わり方になってしまったのはちょっとかわいそうだった。青ざめるHちゃんに「大丈夫、大したミスじゃない」と囁いて、オルガンの椅子をずらし、さっと交代する。その間に「感謝の詩篇」の交読が始まった。その後牧師の祈りと主の祈りが来たところで、また1曲讃美歌が入るからもたもたしていられない。Hちゃんのショックはわかるが、フォローは後だ。


 その後は特に何事もなく、礼拝を終えた。Hちゃんがショックな顔でやってくる。「あんなところで止まるなんて…でも急にわからなくなったの…」とHちゃん。「いや、大したミスじゃないよ。それより私が合図したから、あせったんじゃないかと心配したんだけど」と私が言ったら、「ううん、そうじゃない。合図してもらったから、ああ終わりなんだなと思って、終わろうとしたら急に…」とHちゃん、思い返しつつ述懐。「ほら、何かいつもと違うことを考えたら、突然指が動かなくなるなんて、本番の時はよくあるんだよ。それが起こったんでしょう?」とフォローしようと必死な私。

 そこへ牧師もやってきて「よく弾けてたよー」とHちゃんに。「最後が…」と言いかけるHちゃんを遮って牧師曰く、「あそこで止まったならもう一度弾き始めなければ良かったのに」と。まあ正論ですが…パニックな時にそんな冷静な判断が出来るわけもない…と思いませんか、D牧師?(苦笑)←大体、何があってもメロディーだけでいいから最後まで弾けって言ったの私だし_ _;

 「いやぁ、僕が最初に説教したときのことを思い出すよ。『汗をかく』ということは、実際汗をかくことでしか学べない、ってことわざもあるけれど、その通りなんだよねぇ」と牧師。へ~、面白い表現があるんだなぁ、と感心してしまった。「だから弾いて慣れることだよ。この次また弾いてね」と牧師に言われ、Hちゃん、「今度は間違えないで弾きたいです!」と。D牧師、ニコニコしながら頷き、握手してオルガンの側を離れていった。

 「もう絶対、絶対、絶対、こういう間違いはしないようにします!」と強調するHちゃんに、私も「わかった」とニコニコしながら頷き、「本当に大したミスじゃなかったんだから。また今度弾いてよね」と言っておいた。「絶対、絶対、絶対」なんて力むと、また指が動かなくなるものなんだから、もうちょっと気楽に構えてくれないと困るのだが、まだ大きなショックを感じている今のHちゃんには無理な注文というものであろう^^; でも、絶対にしない、という心構え自体はとても良いと思う。Hちゃんは、どちらかというと自分に厳しいタイプなのかもしれない。


 教会の扉の前で、いつものごとく礼拝出席者がまだおしゃべりをしていたので、それとなく感想を聞いてみよう…と思って寄っていったら、「ねえ、どうしてオルガンが鳴っているのにあなたが聖餐に下におりてこられたの?自動演奏機能でもついてるの?」と先にみんなに聞かれてしまう。^^; 「いやいや、ここのオルガンそんなに進んでませんって(笑) 私の生徒が弾いたんですよ」と私。「へぇ~。上手だったよねぇ」とみんな。批判的な声は聞かれなかったので良かった。次のレッスンの時にはHちゃんに、みんなが褒めてたって報告してあげなくては(^^)

 とりあえず、まずまずのデビューだったと言えると思う。(多分本人だけはそう思ってないけれど^^;)この調子で、礼拝の中で弾ける部分を増やしていって、慣れてもらえるといいなぁ…と思ったのであった。

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2006年10月09日

オルガニストの失敗談(^^;)

テーマ:オルガン・即興

 私のオルガンの生徒Hちゃんが、次の日曜日、礼拝デビューする。といっても、実は彼女はまだテゼ共同体の讃美歌"Meine Hoffnung und meine Freude"(我が希望、我が喜び)の1曲しか弾けない。でも、この曲はホイマーデン教会で聖餐中に歌う、もしくはBGMとして弾く讃美歌であることから、今度の聖餐式つき礼拝でここだけ弾いてもらうことにしたのである。無論、私はその間にちゃっかり聖餐を受けるつもりでいる。(普段は弾いているせいで、受けられないもので^^;)


 それで、今日はその本番前最後のレッスンだったのだが、よく弾けているのにHちゃんは不安で不安で仕方がないらしい。「間違ったらどうしたらいいの?」「途中でわからなくなったときは?」といろいろ質問してくる。しまいに「初めて礼拝で弾いた時、失敗した?」と聞くもので、私は早速失敗談を披露してしまった。


 「うん、礼拝の最後のアーメン三唱の位置を間違えて、早く入れちゃった。」


 それを聞いた彼女は「えええ~@_@」と目を丸くしている。そりゃそうだよね、これは典礼上の大きなミスだ。本来なら祝祷の後で弾かなくてはならないアーメン三唱を、その一歩手前の「亡くなった方の報告と祈り」のところで入れてしまったのである。当時のW牧師がフォローしてくれたが、礼拝順序のわかっている出席者全員にわかってしまう、恐るべきミスだったのだ。

 もう2度と仕事が来ないんじゃないかと思ったのだが、そんなことはなく、初めて礼拝で弾いたのだからと納得してくれたらしい。その数ヵ月後、私はこの教会のオルガニストになった。その後はそういうミスはしなかったとはいえ、よく任せてくれたものだ…(汗)


 話を聞いたHちゃんはそれでもまだ不安そうなので、同僚がやらかした、アーメン三唱がらみの究極の失敗談まで披露。

 学生時代の友人の話なのだが、金管アンサンブルつきの礼拝でのこと。その日は、後奏を金管アンサンブルが担当することになっていた。友人は、私と同じくアーメン三唱の位置を間違えたのだが、どうやら説教の後のとりなしの祈りの言葉を祝祷の言葉と勘違いしたらしく、とんでもなく早い場所で入れてしまった。

 金管アンサンブルはすぐに反応し、後奏を演奏し始めた。こうして、この日の礼拝は「主の祈り」と「祝祷」抜きで終わってしまったのである。(注:「主の祈り」と「祝祷」は、礼拝には欠かせない非常に重要な部分。)


 Hちゃん、ひたすら爆笑。ちなみにHちゃんは去年堅信礼を受けた子だから、礼拝の順番やどこが大切か、礼拝の各部分の意味等、きちんと頭に入っている。だからこの両方の失敗談のとんでもなさがわかるのだ。

 「アハハ、でもそれはホントに申し訳ないミスでしたね~。」

 「うん。…というわけで」と私。

 「私も同僚も、それでもちゃんと教会音楽家になってるんだから、間違えたって大丈夫だよ。」


 それにしても、今日のレッスンはほとんど失敗談の披露だけで終わってしまったんだが…(汗) 少しは緊張が解けたかな?

 さて、次の日曜日に何が起こるやら…。上手くいくといいなぁ(^^)

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2006年10月08日

収穫感謝祭の礼拝~シュテックフェルト編

テーマ:礼拝内の音楽

 本来の収穫感謝祭の日から1週間遅れて、今度はシュテックフェルトの教会での収穫感謝祭礼拝。合唱団の出番であるが、オルガン奏楽も私が行うことになっている。

ErntedankSteck06
 シュテックフェルト教会の礼拝は10時45分から。合唱団には、1時間前の9時45分に招集をかけてあった。さらに30分早い9時15分過ぎに教会に着いたら、先週ホイマーデン教会で嗅いだ匂い…野菜や果物の入り混じった匂いが。会堂の真ん中に、見事な捧げ物いっぱいの祭壇がすでに築かれていた。


 2階席のオルガンの前に座って後奏や讃美歌のストップを決めていたら、会堂内で話し声が。振り向いてみると、牧師ともう一人、教会員らしき人が電子ピアノを運んで祭壇の脇に設置しようとしているところだった。

 "Guten Morgen!!"(おはよう!)と元気のいい牧師の声。「ピアノ、こんな角度で置いていい?」と聞かれて、しばし考え込む私。…というか、ピアノ弾くのは1曲だけだし、どこに置いても実はあまり影響ないんですけれど…^^; 結局、せっかく私に聞いてくれたのに、適当に「それでいいです~」なんて答えてしまう。

 なんだか落ち着いてオルガンを練習していられなくなったので、下へ降りていって牧師と打ち合わせ。どの曲をオルガンで伴奏し、どれをピアノで弾くかなど、細かいことを話す。そうこうしているうちに、合唱団員たちも到着し始めた。

 3分の2ぐらい集まったところで、発声練習開始。発声練習の最中に、遅れてきた人が加わる。本番前の発声練習だから、いつもより念入りに行う。

 それから礼拝と同じ順序で、曲を一通り歌う。今回に限っては、難しい曲もないのであまり問題がない。何せ、夏休み後にこの礼拝まで3回しか練習がなかったので、無難な曲を選んであったのである。

 唯一の心配は、合唱団が礼拝出席者の讃美歌を伴奏する曲が2曲あることだ。オルガン伴奏をするのと同じように、讃美歌のメロディーに合唱で和音をつけるのである。逆に言うと合唱団は礼拝出席者と違う音を歌うことになるわけで、礼拝出席者がそれによって混乱しないか心配。1曲はリコーダーにメロディーを吹いてもらうことにしたが、さてどうなることやら…。


 ホイマーデン教会同様、ファミリー礼拝。子どもたちがたくさん、前の方に座っている。会堂は後ろまで人でいっぱいになった。

 礼拝開始の鐘が鳴り終わり、合唱団の"Wach auf, mein Herz, und singe"(目覚めよ、私の心、そして歌え)で礼拝開始。有名なコラールに、J.S.バッハが和声付けをしたものである。「簡単なバッハ(の曲)は存在しない」と同業者の間ではよく言うが、コラールの和声付け一つとってみても、バッハの曲は確かに簡単ではない。この曲を3回の練習で本番にかけることが出来るのは、とりもなおさずこの合唱団にそれだけの実力があるという証拠でもある。

 牧師の挨拶があって、最初の讃美歌はEG515の"Laudato si"(ほむべきかな)。アッシジの聖フランチェスコが書いた「太陽の歌」を讃美歌にしたものである。子ども礼拝でこの曲をずっと練習していたので、みんなで歌いたいという牧師の希望で、合唱団が伴奏部分を練習したのだが、さて…?出席者の方を向いて、振り始める。

 リコーダーにメロディーを吹いてもらったおかげか、みんな一応戸惑いながらも歌い始めてくれたようだ。いったん軌道に乗ると、さすが練習していた子どもたち、張り切って元気に歌ってくれる。適当なところで合唱の方に向き直り、伴奏部分を指揮。この曲はとてもよく出来たア・カペラ編曲で、バスとテノールがまるでコントラバスパートのように"dum, dum"とベース音を交互に歌うようになっているのだ。1番から6番まで歌うと本当に長いのだが、何とか無事終了。

 詩篇36篇を出席者全員で朗読し、グロリア・パトリは祭壇の横のピアノで伴奏。次の讃美歌はEG510の"Freuet euch der schönen Erde"(美しい地を喜ぼう)である。1番を合唱団、2番を出席者全員…というように5番まで歌い、最後にもう一度1番を全員で歌った。これも合唱が伴奏をしたわけだが、ソプラノパートが讃美歌のメロディーと同じなので、混乱もなくみんな歌っていた。

 その後で果物・野菜・パン・水等を手に持って、子どもたちが2人1組で順番に祭壇に上がり、自分が手に持っているものについて、感謝とその理由を一言ずつ話した。「水は本当にありがたいです、私たちの命を守ってくれるから」といった感じにである。「りんごは本当にありがたいです、だって美味しいから」(笑)という小さい子から、堅信礼準備コースの大きな子まで、みんなが一つずつ感謝の理由を披露してくれた。

 そして新しい讃美歌"Singt mit uns unterm Regenbogen"(私たちと一緒に虹の下で歌おう)。この讃美歌は知らない出席者が多いだろうということで、合唱団と子どもたちはあらかじめ練習してあった。私がピアノで伴奏し、リコーダーがメロディーを吹いてくれた。知らない人もつられて(?)ちゃんと歌えたようである。


 牧師の説教は、「契約の虹」の話だった。創世記の、ノアの方舟の物語の終わりの部分に出てくる虹のことである。大洪水の後、神がノアとその子孫に対して、「もう2度と大洪水によって生き物を滅ぼすことはしない」という契約を結び、「生めよ、増えよ、地に満ちよ」とノアを祝福する。その契約のしるしとして置かれたのが「虹」なのである。

 今日は祭壇の後ろの壁に、大きな虹が飾られている。神が生き物を守ってくださるしるし、そして祝福してくださるしるし。私たちは虹のもとで安心して歩んでよいのだ。そして、契約を結んでくださった神に感謝しよう、そういう説教の主旨であった。

 「契約の虹」の聖書箇所のことは、私も半分忘れかけていたのでハッとさせられた。そう、聖書は虹にそんな意味を持たせて描き出しているのだ。聖書の昔も、現代も変わらず、雨上がりの空に現れる「虹」。それが神の変わらぬ契約、そして祝福のしるしだなんて、こんなに絵画的で美しいものがあるだろうか。


 考えに耽るまもなく、説教の後の讃美歌はEG395"Vertraut den neuen Wegen"(新しい道に信頼しよう)。これは有名な讃美歌だし、合唱団が伴奏部分を歌って、他の礼拝出席者が讃美歌のメロディーでも大丈夫、と思っていたのだが…。

 一応牧師がちゃんとアナウンスしてくれて、私も出席者の方を向いて振り始めた…にも関わらず、誰も歌ってくれない…_ _; 合唱団の歌う伴奏部分に圧倒されたのか、みんなし~んとしてしまっている。

 どうしよう…と思ったら、突然マイクを通して美声(!)が。牧師が祭壇のマイクの前で、讃美歌のメロディーを歌い始めたのである。それを聴いてようやく、出席者もメロディーを歌い始めた。(ちなみに牧師も合唱団のメンバーで、パートはテノール。よく通る声の持ち主だ。)

 牧師のとっさの機転に助けられたものの、やっぱり合唱団がメロディーと違うのを歌うと難しいんだなぁ…と思いながら、私はオルガンのある2階席へと急ぐ。祭壇の横に子どもたちが出てきて何かやっていたのだが、残念ながら移動中だったので見ることが出来なかった。それが終わったあと、堅信礼準備コースの子どもたちがとりなしの祈りを読み上げ、その合間にオルガン伴奏でキリエ唱を歌う。今日歌ったキリエ唱は、東方教会で使われているキリエ唱だった。

 最後に祝福を願う讃美歌EG170"Komm, Herr, segne uns"(主よ、来て祝福してください)を歌い、祝祷とアーメン唱、そして後奏で礼拝終了。後奏には、パッヘルベルのフーガハ長調を弾いた。


 後片付けを終えて下に降りていったら、数人の合唱団員と礼拝出席者がまだ残って話をしていた。合唱団が歌ったこと自体はとても評判が良かったのだが、「やっぱり合唱団が讃美歌のメロディーを歌わない時は、なにかもう少し工夫しないと、礼拝出席者には難しいみたいね」と私が言うと、みんなも頷いていた。出席者の側からも「前で声の大きい人たちに違うことを歌われると、メロディー歌う自信がなくなっちゃうんだよ」という声が。合唱団の一部にメロディーを歌わせるか、何かしないとこの手の曲は使えないなぁ、と牧師とも話しつつ、教会を後にしたのだった。


 余談だが…

 「お父さん、どうして空には虹が出るの?」

 「あの虹はね、神様が私たちを守ってくれるっていう、祝福のしるしなんだよ。」

 古代イスラエルの家庭では、こんな会話が交わされていたのだろうなぁと思うと、なんだかほんのりする。何とも言えず素敵な答えではないだろうか。子どもたちの素朴な疑問に、こういう風に答えられることこそが本物の「豊かさ」なのかもしれないな…とふと思ったのであった。

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2006年10月01日

収穫感謝祭~ホイマーデン編

テーマ:オルガン・即興

 ドイツの正式な収穫感謝祭の日は、10月の第一日曜日。ホイマーデン教会では、その日にきっちり収穫感謝祭礼拝を行う。

ErntedankHeu06

 前日に野菜や果物、パンなどを持ち寄り、鋤や鍬、リヤカーなどを使って、祭壇を収穫のイメージに飾り付ける。会堂の中は、野菜や果物の匂いでいっぱい。こうして祭壇に捧げられたたくさんのものは全て、礼拝の後で福祉施設に寄付される。毎年繰り返される行事の一つだ。


 普段は、小さい子どもたちは日本でいう「教会学校」(ドイツ語で"Kinderkirche"(子ども教会)、通称Kiki)で、大人とは別に礼拝を行うのだが、今日はファミリー礼拝なので、たくさんの子どもたちがやってきた。

 ファミリー礼拝の時の牧師の説教というのもなかなか興味深い。というのも、子どもたちのファンタジーを刺激するような、とてもわかりやすい例えを織り込んで、大切なことを伝えようとするからである。今日の牧師の話は、「お天気は自分の思うようにならない」という話だった。子どもなら誰でも、外で遊びたい日に雨が降る悲しみは経験しているだろうから、この話はものすごく身近に感じそうである。

 「作物を作っている農夫たちにも、お天気は思うようにならない。だから、一度お天気を思うようにしてみたいと神様にお願いして、OKをもらったのだけど、1年たっても思うように作物が出来なかった」のだそうで。

 「神様、お日様も雨も、必要な時に必要なだけ与えたのに、どうして作物が出来なかったんでしょう?」とたずねる農夫。

 神様曰く、「風はちゃんと吹かせた?」

 農夫:「…忘れてました_ _;」

 それで、農夫はやっぱり神様がお天気を操作してくれる方がいい、と気づいて、神様に改めてお願いしたという話だった。

 自分の力では思うようにならないものがある、そしてそれにも関わらず、自分に必要なものが与えられていることを感謝すること。こういう価値観を子どもたちに伝えることの重要さを思う。

 目の前にある、この野菜や果物は決して作った人の努力だけで出来たものではない…ということを見落としているのは、私たち大人も一緒だ。また、食卓に上った野菜や果物を買えること自体がそもそも、当たり前のことではないということをつい忘れがちなのである。日本語の「いただきます」はそういう意味でとてもいい言葉だけれど、「いただきます」の背景にあるものは、近年どんどんないがしろにされていっているような気がする。


 さて、ファミリー礼拝の後は12時からお昼ご飯なわけだが、その前に私はもう一仕事、11時からのマティネーである。9月18日のエントリ に書いたようにパッヘルベル没後300年なので、今回のプログラムは全曲パッヘルベルだ。

 トッカータヘ長調で派手に始める。パッヘルベルはトッカータをかなりの数書いているが、どうも私にはしっくり来ないものが多くて、このヘ長調が一番まとめやすい感じだ。他の同業者さんたちはそんな風に思わないのだろうか?(笑)

 派手にやった後は、雰囲気が一転してシャコンヌへ短調。このヘ短調のシャコンヌは、パッヘルベルの作品の中でも私が最も好きなものである。10分以上かかるが、長さを感じさせない名曲だと思う。特別に好きな曲だと気持ちも入って、とても弾きやすかった。

 その後に、コラール前奏曲を3曲。"Allein zu dir, Herr Jesu Christ"(主イエスキリストよ、あなたにのみ)、"Meine Seele erhebt den Herren"(私の魂は主をあがめ)、"Allein Gott in der Höh sei Ehr"(いと高き神にのみ栄光あれ)。一見、時期はずれに見えるものも入っているが、一応「救いを待ち望む」→「神への感謝」→「神をたたえる」という順番に並んでいる。この短いコンサートの中で「救いと感謝」の過程をなぞったわけだが、コンサートや礼拝の中にコラール(もしくは讃美歌)を使う時、それ自体意味のあるものとして組み込むことは本当に大切なことだと私は思っている。無論、この辺は私の専門でもあるから、譲れないということもあるが。

 静かなコラール前奏曲から、"Allein Gott in der Höh sei Ehr"で派手に盛り上がったところで、変奏つきアリエッタヘ長調という、静かな曲に戻る。これも長いが、ほんのりしていてきれいな曲だ。

 そして最後にフーガヘ長調。このフーガは、私が結構よく礼拝で使う曲でもある。J.S.バッハほど複雑な対位法を使ってはいないが、きれいに書けている曲だと思う。パッヘルベルのフーガは他にもいろいろあって、礼拝でも使いやすい曲が多い。


 プログラム自体は結構好評だったようだ。コラール前奏曲より、シャコンヌやアリエッタの方がみんな気に入ってくれたので、これはちょっと意外だった。まぁ、私自身気に入って選んだ曲であるから、それが伝わったのかもしれない。そして、文句なしにフーガは好評だった。傾向として、ドイツ人はフーガが好きなようだ。計算されつくした厳格な対位法が、やっぱり彼らの気質に合っているのかもしれない。


 昼食はシュヴァーベン郷土料理の「レンズ豆の煮物とシュペッツレ」。無論ソーセージつきで、今回は堅信礼の準備コースを受けている子どもたちが、牧師と一緒に作ったものである。普段は牧師夫人が料理の音頭を取るのだが、たまたま彼女がやむをえない用事で留守だったため、牧師本人が生まれて初めてレンズ豆を煮たらしいのだが(爆、牧師業も大変だ^^;)、とても美味しく出来ていた。牧師もさぞかしホッとしたことであろう(笑)

 全体的にとてもよい雰囲気になった、収穫感謝祭の1日だった。

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