2005年10月24日

ついにオルガンを習い始め…

テーマ:オルガン・即興

 (10月23日 の続き)

 そんなこんなで、10年前にいきなりオルガニストになってしまい、見よう見まねで必死で礼拝の仕事をこなしていた私なのだが、その翌年1996年の夏にシュトゥットガルト音大のピアノ科を無事卒業した。日本でリサイタルをやったり、将来の可能性を探ったりするために6週間一時帰国し、再びドイツに戻ってきた9月、「あっ、そうか、大学を終えてようやく時間が出来た今、オルガンをちょっと習うチャンスかも」と思うようになった。何せ足鍵盤など全く使えなかったし、いつまでも教会のみんなに迷惑をかけてばかりいないで、もう少しマシに仕事が出来るようになりたいと常々思っていたのだ。

 そんなある日、街でおそろしく久しぶりに、知り合いの日本人オルガニストSK氏にばったり会った。私がドイツに来たばかりの時にずいぶんお世話になった人なのだが、当時は教会音楽の勉強を終えて、シュトゥットガルト郊外で実習をやっていたのだった。お茶飲みついでにオルガンを習いたい話をしたら、実習先の教会まで来てくれるならレッスンしてあげるよ、と意外にも2つ返事でOKしてくれた。

 それで喜び勇んでレッスンに通い始めたのだが……はっきりいって、気が遠くなった。


 とりあえず、足鍵盤を練習してクリア。

 それから、手鍵盤を練習してクリア。


 でも、手と足を両方一緒に弾くことが出来ない。(汗)


 特に、ピアノでいつも一番低音を担当する役目にあった左手が、その役目を足鍵盤に取られてしまって、今は真ん中を担当しなくてはいけないのだ、ということを理解してくれない。左手と足のパートは、両方へ音記号で書いてあるから余計脳内で混乱するのである。

 小さい頃からやっていたピアノと違い、この歳から新しい楽器を始めるのだから、一筋縄ではいかないだろうと思ってはいたが…_ _; 私がオルガンを習い始めたと知った周りのオルガニストの知人たちが口を揃えて、「ピアノが弾けるって、でもあとで絶対得よ~~~」と言ってくれたのだが、そんなことを言われても足鍵盤と一緒に弾こうとすると手も全く動かないわけだから、何が得なんだか全く理解できない。この頃の私は本当に練習しても練習しても思うように出来なくて、完全に気が遠くなっていた。

 まあ、でも、専門家になろうとしていたわけでもなし、そういう意味では当時は気が楽だったのかもしれない。SK氏はかなり専門的なことまで突っ込んでレッスンしてくれたのだけど、私としてはちょっとでも弾けるようになれば、それで満足だったのだから。ピアノ教師の仕事をしながら、こんな調子でオルガンを習う日々が結局1年ちょっと続いた。


 しかし、その状況を変化させる決断を、私がうっかり(?)下す時が来た。ピアノ科の卒業後、プライベートでピアノ教師の仕事をしながらも、自分の音楽家としての実力に限界を感じ、「この先どうしよう…」ということを真面目に悩んでいた私だったのだが、紆余曲折の末、「教会音楽を勉強したい」という希望を持つようになったのである。

 そこに至った理由はいろいろあるのだが、いくつか重要なものをあげると、1つは自分の中の、音楽の土台の部分が非常に薄っぺらだと感じていて、それを補う総合的な勉強がしたかった、ということ。小さい頃からピアノしかやってこなかったし、他の楽器に興味も持たなかったことが、ある意味大きく裏目に出ていたのである。もう1つは音楽の道の厳しさをつくづく感じていて、ただ「音楽が好き」というだけではこの道に留まるのは無理だと感じるようになっていたこと。自分の信仰と音楽という、2つの大切なものを関連付けることによって、自分が音楽の道に留まる理由を堅固なものにしたいという思いがあったのである。そして、教会音楽を勉強すれば好きなオルガンもまだずっと続けられるし、また神学の基礎も勉強できるという、一石二鳥的な考えも頭の中にあった。

 ただ、年齢も年齢だったため、決断をするにあたって非常に躊躇したことは確かだ。当時、プライベートのピアノの先生としての仕事も軌道に乗っていて、20数人も生徒がいたからそれだけで十分食べていけた。そしてピアニストとしてもそれなりの活動はしていたのだから、新しいことだらけでこの先どういう成長を遂げるか全くわからない教会音楽の勉強を始めるより、ピアニストとして生きていった方が確実なのではないか、という思いもあったのである。実際、親しかった周りの人たちは、まさにそういう理由で私の進路変更を思いとどまらせようとした。

 決断できないでいるうちに、私は風邪をこじらせて熱を出してひっくり返ってしまい、しばらく仕事も休んで家にいる間に、じっくり考えてみた。どんなに考えてみても、「音楽家としてこのままではダメなんだ、何かしなくてはならない」という思いは変わらなかった。そして、とうとう覚悟を決めて、エスリンゲン教会音楽大学宛に「教会音楽を勉強してみたいんですが、チャンスはあるでしょうか」と手紙を書いたのである。1997年の12月末のことだった。


 1月に入って、エスリンゲン教会音楽大学の学長から直々に返事が届いた。「教会音楽の勉強に興味を持たれたとのこと、嬉しく思います。しかし、まずは教区で行われている教会音楽Cコースに入試の準備を兼ねて参加することをお勧めします。」と書かれてあり、そのCコースを担当している、シュトゥットガルト中央教区の教会音楽家のトップの連絡先が載っていた。
 Cコースというのは、教会音楽を本業としてではなく、副業としてやりたい人のための養成コースである。このコースを終えるとCランクの教会音楽家資格がもらえて、お給料がちょっとだけ高くなる。このCコース修了生の中でも優秀な人が、その後大学で教会音楽を勉強し、Bランク・Aランクの資格を取ってプロになるのが、いわばドイツでは普通の「教会音楽家への道」であるから、エスリンゲン教会音楽大学の学長は至ってまともなやり方を勧めてくれたことになる。

 そこで、手紙に載っていた連絡先に早速電話してみた。「ああ、エスリンゲンの学長から話は聞いているよ。Cコースは9月スタートなんだけれども、入試のことを考えているのであれば、まずオルガンのレッスンだけCコースの枠内で始めたらいいと思う。僕はCコースの生徒は取らないんだけど、僕のアシスタントとして教えている教会音楽家T氏を紹介するから、電話してみて。話はしておくから。」と言われ、電話番号をもらった。

 数日おいて、T氏に電話。「うん、話は聞いてる。今しばらく時間がないんだけれども、2月の最後の週からでよければ、2週間に1回のペースでレッスンするよ」と言われ、最初のレッスンの日を決めた。こうして私はCコースに入ることとなったのである。


                                    (Cコースから教会音楽大学へ、の話に続く)



 ※ オルガンアカデミーの記事、やっと2日目の分のアップ完了。ただいま3日目の分を執筆中ですので、よろしく。

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2005年10月23日

ホイマーデン教会勤続10周年!

テーマ:オルガン・即興

 いつも通り礼拝のお仕事。でも、ちょっと私だけは特別な気分でいたと思う。というのも、1995年の10月22日にホイマーデン教会のオルガニストになった私にとっては、勤続10周年の記念すべき日曜日だったからだ。

 だからといって何か特別なことをしたわけではない。今日はゲストの牧師が説教者だったこともあって、いつもと同じく即興したり讃美歌の伴奏したり、と普通にお仕事しただけ。でもそれをやりながら、いろいろとこの10年間のことを思い出していた。

 せっかくなので、もともとピアニストだった私がオルガンを弾くようになり、そして教会音楽を勉強するようになった経緯、そしていつも側にいてそれを支えてくれたホイマーデン教会との関わりについて、これから何回かに分けて書いていきたいと思う。「事実は小説より奇なり」というが、私の場合、本当にありえないほど「奇」なので驚かれること請け合いである(笑)


Alt-Heumaden ←私の仕事場、500年の歴史を持つホイマーデン教会。


 ドイツに来て教会やオルガン科の学生と関わるようになり、パイプオルガンという楽器の存在に初めて気づいて、猛烈な憧れを持つようになった私なのだが(それについては現在執筆中のオルガンアカデミー・3日目の記事にのちのちアップ予定)、何せ私は単なる(?)ピアノ科の学生であったし、今から新しい楽器を始めるなんて絶対に遅すぎると思っていた。そうやって悶々と憧れの目でオルガンを眺めていた私に、ちょっとだけオルガンに近づく機会が与えられた。きっかけは、シュトゥットガルト音大大学院に留学してきた日本人オルガニストKさんと知り合ったことである。

 パイプオルガンという楽器は、基本的に一人では弾けない楽器だ。ややこしい曲を弾くようになればなるほど、譜めくりやストップかえをするアシスタントが必要になる。普通はオルガニスト同士がお互いにやるのだが、私が猛烈な憧れの目でオルガンを眺めていたことを知ってか知らずか、ドイツに来たばかりのKさんはたまたま知り合ったピアノ弾きの私をよくアシスタントとして使ってくれた。というか、私はオルガンのことをぜんぜん知らなかったのだから、早い話がいろいろなことを教えてくれながら、アシスタントとして育ててくれたのである。いろいろ失敗もしたが、私はオルガンの側にいられるのが嬉しくて、喜んでアシスタントをやっていた。今でもコンサートオルガニストのアシスタントを務めたりするが、このときの経験がものすごく生きていることはいうまでもない。


 そんなこんなで自分はオルガンを弾かない「アシスタント専門」の期間が、Kさんの留学中の3年間ずっと続いた。その間にKさんは、ホイマーデン教会のオルガニストも引き受けてやっていた。

 そして大学院を卒業後、帰国することに決めたKさんは、ホイマーデン教会オルガニストの後任を探していたのだが見つからなかった。ここで何とKさんは、「ピアノが弾けるんだから讃美歌の伴奏ぐらい出来るだろう」という言っちゃ悪いが非常に無責任な発想に至り、私に白羽の矢を立てたのである。

 私ははっきり言って卒倒しそうなほど驚いた。どんな形であれ、憧れのオルガンが弾けるのは正直言ってものすごく嬉しかったのだが、礼拝のオルガン弾きというのはお遊びではなくて、れっきとしたお仕事である。オルガンを弾いたことのない人間がいきなりお給料をもらう身分になる、なんて話をそう軽々しく引き受けるわけにはいかない。

 でも、思い立ったらそうしないと気がすまないため、強引にコトを押し進める性格のKさんは「誰も他にいないんだから」と私を説得し、「本当に他に誰もいなくて困っているのであれば」という条件付きで承諾させ、帰国前に2回ほど、自分がいなくて弾けない時の代役を私にさせたりした。探さなければ、他に誰も見つかるはずがないのであって、結局Kさんは私の手の中に教会の鍵を残して帰国し、私がKさんの後任として初めて礼拝を弾いたのが、1995年の10月22日だったのである。


 今までオルガン科大学院の学生がオルガニストをしていたのだから、単なるピアノ弾きの私がオルガニストになった時はまさしく「雲泥の差」で、聴いている側にも大変なものだったであろう。よく教会員の方々が我慢して迎えてくださったものだと思う。おまけに、慣れない私はありとあらゆるミスをやらかした。アーメン唱の位置は間違えたり入れそこなったりするわ、讃美歌を何回弾くかを間違えたり、おまけに讃美歌の繰り返しを間違えるなどという、音楽家生命に関わりそうな大間違いまでやってのけた。本当に毎回クビになるんじゃないかとびくびくしていたものだ。

 その何回目かの大間違いの時に、私はものすごくしょげて、牧師のところに謝りに行った。讃美歌の繰り返しを間違えたがために、歌っているみんなと合わなくなって、もう一度最初から歌いなおしになってしまった時だった。現在のD牧師の前任、W牧師だったのだが、その時にこんなことを言われたのを今でも覚えている。


 「あのね、礼拝が思うようにいかなくて、何か途中で(ハプニングが)起こるというのは、礼拝が生きているという証拠なんだ。最初から最後まで思うようにいく礼拝は、いいように見えるけれど、死んでしまっていることが多い。いいんだよ、僕たちはおかげであの素敵な讃美歌をもう一度歌うことが出来たんだから。」


 何という暖かいフォローであろうか。涙がこぼれそうになった。

 もし、W牧師があの時、この暖かいフォローをしてくれなかったら、私はその後の度重なるミスにしょげ返って、自分でオルガニストをやめてしまっていたかもしれない。今までずっと続けてこれたのは、ひとえにこの牧師の言葉に代表されるような、教会の方々の暖かい支えがあったからである。そして彼らは、言葉では滅多に自分たちの信仰を語らないにも関わらず、結果的にはその暖かい支えを通して「信仰とは何か」を私に教えてくれた。どんなに感謝の言葉を連ねても表現できないほどに、私は自分をオルガニストとして、そしてクリスチャンとして育ててくれたホイマーデン教会の方々に心から感謝している。


                                    (オルガンを習い始める話につづく)

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2005年10月22日

バースデーパーティー

テーマ:事務 その他

 ホイマーデン教会の役員のトップである、H氏とその夫人が2人仲良く70歳の誕生日を迎えられた。今日はそのパーティーである。

 教会の集会所でお茶会を始める前に、教会で音楽のひとときを持ちたいということで、私も14時30分に呼ばれていた。他に、シュトゥットガルトを拠点として活動するロータス弦楽四重奏団(日本人女性4人の弦楽四重奏団)が演奏するとのこと。ロータス弦楽四重奏団も結構シュトゥットガルト在住歴が長くて、私も以前の第2ヴァイオリンの人を直接知っていたのだが、この人が帰国してしまったのでその後はあまり接触する機会がなかった。演奏を聴くのは本当に久しぶりである。H夫妻の60歳の誕生日のときにもこの弦楽四重奏団に弾いてもらって、その時の演奏がよかったのでまたお願いしたのだそうだ。余談だが、かくいう私は5年前、夫妻の65歳の誕生日の時にオルガンとピアノのソロを弾かせていただいている。


 14時15分ぐらいに教会に着いたらまだ誰も来ていなかったので、指慣らしをしていたらH氏がひとりでやってきた。おめでとうのご挨拶。午前中から来ているお客さんたちと教会の近くのレストランで昼食をとっているのだが、デザートがまだ出てこないので始まるのが遅くなりそうだと知らせに来てくれたのだった。なんか5年前もそんなことがあったような気がする…と思いながら、こっそりバースデーカードを書いたりしながら待っていた。

 結局、何だかんだで15時近くなってお客さんがレストランから移動してきた。弦楽四重奏団も準備万端とのことで、まずH氏が簡単に挨拶をされたあと、私がオルガンのソロで始める。数日前の電話で「どんな曲がいいですか?」と聞いたら、「お祝いにふさわしいような派手な曲」というお返事だったので、メンデルスゾーンの本当にド派手な曲を弾いてしまった。それから、H氏が感謝の詩篇36篇を朗読され、讃美歌EG331"Grosser Gott, wir loben dich"(大いなる神よ、私たちはあなたをほめたたえます)をみんなで歌った。H氏は電話では「誰か歌ってくれるかなぁ。ともかく伴奏をお願い。」と言っていたのだが、何のことはない、普段の礼拝以上にみんなきちんと大きな声で歌っていた。カトリック・プロテスタント共通の有名な讃美歌だし、教会関係者も多いのだから、そもそも心配要らなかったと思うのだけど(笑)。

 讃美歌が終わってから、ロータス弦楽四重奏団のメンバーが入ってきて、シューベルトの弦楽四重奏曲を1曲演奏してくれた。よく考えたら、弦楽四重奏曲自体を聴くのが本当に久しぶりだと気づいた。ずいぶん室内楽の世界から遠ざかっていたなと改めて思わされた。


 演奏が終わった後は、集会所でお茶会。H夫人にも改めておめでとうのご挨拶。日本語で話が出来るようにとの配慮で、ロータス弦楽四重奏団のメンバーの隣に私の席が。ケーキがふんだんに用意されていて、取りに行くまでもなくH夫妻の息子さんが持って来てくれた。

 私の隣はチェロのSさんで、いつからシュトゥットガルトにいるのかとか、コンサート活動の話などをいろいろした。94年からシュトゥットガルト音大の、メロス弦楽四重奏団の元で勉強したとのことなので、96年シュトゥットガルト音大(ピアノ科)卒業の私とは在学期間が重なっている…のだが、それにしては大学で見かけた覚えがないなぁ(苦笑)まぁ、シュトゥットガルト音大は規模が大きいし、東洋人留学生もかなりたくさんいるから、あまり気に留めていなかっただけかもしれない。昔の第2ヴァイオリンの人を知っていた、という話をしたら、喜んでその後の消息を教えてくれた。

 この後他の合わせがあるとかで、弦楽四重奏団のメンバーは早く引き上げてしまったのだが、それにしてもいろいろお話できてよかったと思う。


 さて、このパーティーには懐かしい顔がちらほら。ホイマーデン教会の前牧師夫妻を始めとして、遠くに引っ越してしまった教会員が顔を出しているのである。それで、出し物の合い間にご挨拶。前牧師夫妻には「私がここのオルガニストを始めてから、ちょうど10年になるんですよ」と話をしたら「おお、もうそんなになる?」と驚いていた。おまけに現牧師をつかまえてそのことを言いふらしてくれてしまった。(間違ってお祝いされたりしたら恥ずかしいから、内緒にしてたのになぁ^^;)

 今は老人ホームに入っていて、今日は特別の外出許可をもらってやってきた、元教会役員のB氏にもご挨拶。といっても、B氏は私のことを忘れていたようだ(汗)前回会った時にはまだはっきり覚えていてくれたのに、やはり歳をとったんだなぁ、と思った。もう自分では車の運転は出来ず、今回は娘さんの車に乗せてもらって来たとのこと。このB氏は、州教会からヨハネス・ブレンツ・メダルを授与されたほど、教会内で大きな働きをされた方である。

 ヨハネス・ブレンツ・メダルといえば、同じく授与されたP氏も来ていた。長いこと金管アンサンブルの指導や、会計として教会を支えてきた人である。まだホイマーデンに住んでいるのだが、近頃健康状態がとても悪く、滅多に顔を出すことが出来ない。挨拶をして近況を尋ねたら、火曜日からまた入院だという。何といっていいのかわからなくて、「入院で状態が良くなりますように、お祈りしてます」というのが私の精一杯だった。この日もやはり具合いが良くなくて、早めに引き上げていた。


 パーティーの出し物は、主にH夫妻の親戚の方々が用意されていた。替え歌や自作の詩の朗読(この辺はよくある出し物である)に加えて、クイズがあった。全部のクイズに答えて、更にその答えの中の文字を組み合わせて正解の単語を当てるもので、当たったらバースデープレゼントがもらえるとのこと。クイズの内容は、「T(息子)が××年にやってのけたものは何でしょう?」「○○年の家族旅行で△△した時に、パパはなんと言ったでしょう?」みたいな、家族クイズが多くて面白かったと同時に、家族の絆が感じられてほのぼのした気持ちになった。

 ちなみに賞品は夫婦で1週間の「服役」。なぜ「服役」なのかというと、元刑務所の跡地にある別荘を1週間予約したんだそうである(爆)H氏は引退前まで裁判官だったので、多くの人を服役させた報い、H夫人はその巻き添えだそうだ。ユーモアたっぷりのプレゼントに大笑いさせられた。


 こんな素敵なパーティーだったが、やはりいつか教会員は引き上げて、家族水入らずにしてあげないといけない。私も適当なところを見計らっておいとましようとしたら、H氏が「あなたに演奏のお礼を払うのは、余計なことでしょうか?」と言ってきた。

 …あああ、困った。いかにもシュヴァーベン人っぽいおそろしく遠まわしの表現だ。どっちみちお礼を払ってくれるつもりで言っているのだが、こういう言い方をして来られたらなんて答えるのが礼儀なのかわからない。「いや、今日の演奏は出し物の一つですから、お礼なんて…」ととっさに答えたら、H氏いわく「でも、もらって嫌ということはないですね」とお礼を差し出す。結局ありがたく頂いたのだが、う~ん、話の流れとしてホントにこれで良かったのかな?やはり外国語は難しい、と改めて思う。

 ともかく、一緒に70歳のお誕生日を祝わせてもらえて本当に嬉しかったパーティーだった。まだまだ元気なH夫妻が、ずっと元気で長生きしてくださるようお祈りしつつ。

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2005年10月20日

う~ん、利き足かぁ…。

テーマ:事務 その他

朝起きて、ベッドから3歩歩いてびっくり。何が起こったかって…


左膝の関節が痛い(涙)


え~?何かしたっけ?と昨日を振り返ってみるが、やっぱりオルガンの練習以外は何もしてないわけで…


さては、何か間違った身体の使い方をしているな_ _;


 練習のし過ぎで腱鞘炎になったとかいう話を、熱心さの象徴のように美化している人をときどき見かけるが、これは大きな誤解である。はっきり言って筋肉痛以外の痛みは、身体の使い方が間違っているだけなのだ。それを熱心さと取り違え、痛いままにしておいて取り返しがつかなくなり、演奏家生命を絶たれてしまった音楽家は山ほどいる。たまたま該当する人がこのブログを読んでいたら、即座に練習をやめて脱力と身体の使い方を一から勉強しなおすようお勧めしたい。私自身はアレキサンダー・テクニックで脱力を勉強したが、他にもいろいろな習得方法があるらしいから、自分に合うのを探してみるといいと思う。


 すっかり脱線してしまったが、そんなわけで痛い足のまま出勤。ピアノのレッスンをして、リコーダーアンサンブルに顔を出して、それからまたオルガン練習に教会へ。

 今、譜読みしているのがイギリス・ロマン派の作曲家、エルガーのト長調のオルガンソナタ1楽章で、ちゃんと弾ければ相当かっこいい曲なのだが、なかなか一筋縄ではいかない。その合い間の息抜きに、マンハイム地区の現教会音楽家トップ、ミヒェル氏の「ジャズ前奏曲」なんてものを練習したりしている。譜読みの段階では身体のことを考える余裕がなくて、変な使い方をしてるんだろうなぁ、と思いつつ弾いていて、はたと気づいた。


初見で足鍵盤を弾くとき、左足ばっかり使ってる_ _;


 道理で左膝だけ痛くなるわけだ…(苦笑)


 利き足の判定にもいろいろな説があるのだが、いろいろ試してみた結果、たぶん左利きだろうと前から思っていた。何だか、それを再確認させられた気分である。

 ちなみに、利き目も左である。そして、本来は手も左利きだった可能性が高い。小さい頃から、何でも左手に持つ子どもだったので、心配した両親がいちいち右手に持ち替えさせた結果、物心ついたときには右利きになっていたのである。もっとも、それでも左手が他の子より強かったので、ピアノでは少し得をしたらしい。


 それはともかく…どう考えても左足だけで弾いていれば、角度から考えてもものすごい負担がかかるわけで…


ちゃんと右足も使って弾きなさいっっ!


というお話でした(苦笑)

 どっちにしてもまだ左膝は痛いので要注意。イテテ。

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2005年10月09日

音楽は正直_ _;

テーマ:礼拝内の音楽

 今日は問題のJ牧師担当の礼拝であった。(9月15日のエントリ 参照)

 1週間前にすでに礼拝順序をもらっていたのだが、実は今回は釈然としない思いで礼拝に臨むこととなってしまった。

 というのはホイマーデン教会には、今年役員会で長い時間をかけて決議した新しい礼拝順序がある。5月18日のエントリ を参照していただくとわかるのだが、簡単に言えば説教の後で黙想の時間をとるために、讃美歌の番号をアナウンスしないで長めのオルガン即興で始めること、そして礼拝の最後、祝祷の前に"Friedensstrophe"(直訳すると「平和の節」、平和を祈る讃美歌の1節)を歌うことが新しく採用されたのだ。この"Friedensstrophe"も、どの讃美歌にするかきちんと役員会で決議されている。

 今回、J牧師は説教の後の番号アナウンスをすることのみならず、わざわざ「長いオルガン即興は不要」と注釈までつけてきた。「黙想の時間をとりたい」という礼拝出席者の希望と、それを受けた役員会の決議を見事に無視した形になったわけである。更に、これはいつものことなのだが、"Friedensstrophe"も普段とは違う讃美歌を選んできたのだ。

 もし役員会が典礼学的に見ておかしなことを決議しているのであれば、礼拝のやり方に非常にこだわりを持っているJ牧師がそれを無視するのはやむを得ないことである、と私は思う。例えば、J牧師は交読詩篇の時、ヴュルテンベルク州教会の讃美歌に印刷されているのと違う切り方で交読するのだが、これは典礼学的に見ればそっちの方が正しいので当然だろうし、それは役員や礼拝出席者もある程度理解している。しかし、黙想や"Friedensstrophe"に関してはそうではない。むしろきちんと考え抜かれた決議だし、礼拝出席者の希望も反映しているのに、それを元州役員とはいえ、ゲストの説教者でしかないJ牧師が無視するのはいかがなものなのだろうか。

 そんなことを考えていたら、まずいことにその「釈然としない気分」が見事に音楽に出てしまった。何だかまったく気乗りしない即興をちんたらやってしまい、多分それは礼拝出席者にも伝わったのだろうと思う。礼拝後、役員のトップの人に"Wie geht's?"「調子はどう?」と聞かれてしまった。礼拝後に、そんなこと滅多に聞かれたことないのに…_ _;

 音楽で嘘をつくのは、言葉で嘘をつくよりよほど難しい。まして、即興なんてその人間の地がモロに出るから、ごまかしがきかないのも本当である。でも仕事なんだから、礼拝出席者にバレてしまうようなじゃいけないんだよなぁ、と反省させられたのであった_ _;

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