同じ事実を与えられていても、
観測者が変わればまったく違うものになる。
理由は様々。
同じ仕事を与えられる。
ある人はやりがいのある仕事だ、と言う。
別の人は簡単な仕事だ、と言う。
それは経験の差が理由かもしれない。
同じ本を読む。
ある人はただの別れの物語だ、と言う。
ある人は聖書をモチーフにした斬新な作品だ、と言う。
それは知識の差が理由かもしれない。
こんなことは良くある。
もっと違う理由かもしれない。
うみねこのなく頃にの原作をやっていて、
一つの明確な答えを教えてくれた。
同じ情報が与えられているのに、まったく異なる見解を持つ人たち。
その違いは「愛があるかどうか」。
相手に愛を感じるかどうかで、ものの見方はまったく違う。
「好きなやつが貧しい人に施しをすれば、尊敬出来るでしょ?
でも、嫌いなやつが施しなんて始めたら、売名行為だとか、バラ撒き政治だとか非難轟轟さ。
何をしてもしなくても、愛があれば感謝し、愛がなければ非難する。
どんな事実が与えられても、
信じるか信じないかは、愛があるかないかで決められる。」
確かに!て思ってしまったよね。
愛があるかないかで、自分の中で真相はすでに決まっている。
相手に対して愛があるかどうか、
なければ最初から批判的な目になるか、客観的事実だけをすくいとって行くかのどちらか。
物事は異なる立ち位置から見ないと、立体的な像が見えてこない。
つまり、
「愛がなければ真実は視えない」