『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】


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 エスティマは早々とドームに引き返し始めていた。誰かと連絡をとっている感じではなかったので、最初から落ち合う時間と場所は決まっていたのだろう。まあ、そんなことはどうだっていいが。
 質問が続くのかと思っていたが、馬渡はそれ以上何も訊いてこなかった。
 話すことがなくなると車内に残ったのは気まずい沈黙だけだった。おかげで消されたと思っていたヒップホップが、実は囁きほどに小さくなっていただけだったことが分かったが、これもまたどうでもいいことだった。
 エスティマは通路をかなりぐるぐると回っていき、駐車場の上の階層で停まった。腕組みをして目を閉じていた馬渡は小さく身じろぎして、おもむろに鈍い鉄色に光る手錠を取り出した。
「とっくに架けられてるわよ」
「脚にだよ。君は逃げ足がとても速いと聞いている。残念ながら我々の面子には俊足のランナーが欠けていてね。レディの扱いとしては甚だ不本意だが、ハンデのようなものだと思ってくれたまえ」
 人質を放り出して逃げるつもりなどないが、言っても無駄だろうから抵抗はしなかった。不本意云々はまったく信用する気にならなかった。
 馬渡はスライドドアをゆっくり滑らせると、軽く周囲を伺ってから車を降りた。前の二人も続いて降りて、回ってきたハルが横抱きにして歩けないアタシを降ろした。アタシとてお姫様抱っこにまったく憧れがない訳ではないが、主に体格の関係でしてもらったことはない。初めてのそれがこんな状況で相手がこいつなのはそれこそ不本意だった。
 待ち合わせの相手はまだ現れていなかった。馬渡は小声で悪態をついた。
「パク、すまないが、私の荷物をマンションまで運んでおいてくれないか?」
「着替えですか?」
 運転していた大男が答えた。
「そんなところだ。私物を公用車に載せっ放しというわけにもいかんからな」
「分かりました」
 馬渡は少し離れたところに停まっている白いセダンに歩いて行った。大男もその後に着いて行く。仇名ではなく韓国か北朝鮮の苗字の”朴”だろう。大陸系の顔は何となく日本人と見分けがつくものだが、朴の場合は見た目もイントネーションもまったくの日本人だった。
 その場に残されたハルはじっとりした視線をアタシに向けたが、さっきと違って手を伸ばそうともしなかった。忙しなく携帯電話のディスプレイに視線を落としている。
「今、何時?」
「一〇時五十八分」
「あっそ」
 アタシが拉致されたのが午後一時を回る少し前だった筈だから、かれこれ一〇時間以上が経過していることになる。
 下腹をそっと押さえた。位置座標を伝えるメールは三〇分毎に発信される。薄いプラスチックのケースの感触はあるが、GPSが機能しているのならこの期に及んでも何の動きもないのはおかしかった。
 不測の何かが起こったと考えるべきなのだろうか。
 人質に手を触れるなという馬渡の言いつけを守った結果かどうかは分からないが、服を脱がされた形跡はなかった。発信機は見つかってはいない筈だ。そうなると考えられるのは故障ということになる。
 脳裏に甦ったのは地下街の女子トイレの光景だった。あの時、ハルはアタシの下腹にスタンガンを押しつけ続けた。場所的に直撃ではなかったが至近距離で高電圧の放電が続いたのだ。精密機械が影響を受けた可能性は充分にあった。
「おい、それがどうした?」
「えっ?」
 声は何とか裏返らずに済んだ。
「時間がどうかしたのかって訊いてんだよ」
「どうもしないわ。あんたたちが何にも食べさせてくれないから、お腹が空いただけ」
「口寂しいんだったら、俺のモノでもしゃぶらせてやろうか?」
「食いちぎられたい?」
 下品な冗談に付き合うような気分ではなかった。ただでさえ細い命綱に切れ目が入り、とんでもない速さで広がろうとしているのだ。
 一刻も早く逃げ出す算段をするべきだった。しかし、その手立てがまったく思いつかなかった。アタシにできるのは湧き上がる不安と恐怖を隣のクチビルデブに悟られないようにすることだけだった。 
 遠くでキュッとタイヤが鳴る音がした。
 忙しなくアクセルを開けては曲がる度にタイヤを鳴らすのを繰り返しながら、野太いエンジン音が徐々に近づいてくる。運転が下手なのか、せっかちな性格が運転に表れているのかはよく分からない。多分、両方だろう。
 一際大きくエンジンを吠えさせながら、角ばった旧型のクラウンが角を曲がって顔を出した。運転席に座っているのは見たことのない男だった。
「……ん?」
 ハルが訝しそうな声を出した。
「どうかしたの?」
「いや、何でもねえ」
 駐車スペースの線をまたいで乱暴に停まったクラウンから痩せた男が降りてきた。
 理科室の骨格標本を連想させる骨ばった細面に銀縁の眼鏡。髪型はきっちりと七・三の横分けに撫でつけられている。真夏の夜だというのにダークグレイのスーツのボタンをしっかり留めて、細い腕にはあまりそぐわない大振りな腕時計の位置をずいぶん気にしていた。そう言えば馬渡もベージュのジャケットを羽織っているが、それは降りてきた男とは違う理由だ。ワルサー・PPKを収めたショルダーホルスターを隠すにはそうするしかない。
「これはこれは、井芹課長」
 戻ってきた馬渡が言った。これまでと打って変わってけれん味のある口調だった。警官らしく敬礼までしてみせたが、それすらどこか芝居がかっている。
 井芹と呼ばれた男はアタシに苦々しそうな一瞥をくれると、馬渡に険しい眼差しを向けた。
「馬渡警視。どういうつもりだ?」
「……どういうつもりと仰いますと?」
「こんな時刻に警視監を呼び出すなんて、非常識にも程があると言っているんだ」
「それは申し訳ありません。警視監が私を呼び出されるのはいつもこれくらいの時刻なので、その方がちょうど良いのかと思っていました」
「……馬渡警視」
 井芹の声に怒気がにじんだ。
 名前だけは知っていたが顔を見るのは初めてだった。井芹幸弘、県警警備部外事課長。外事課が何をする部署なのかはさっぱりだが、この男が本来の職務の他に新庄圭祐とその父親、新庄健史に仕える番頭なのは知っている。
「ところで課長。我らが御大は?」
「警視監がこんなところにお出でになる訳がなかろう。一体、何を考えている?」
「いえ、我々を悩ませてきたこちらのお嬢さんをようやく御招待できましたのでね。警視監もお会いになりたいのではと思いまして」
「馬鹿なことを」
 井芹は吐き捨てるように言い放った。怒りと苛立ちを隠そうともしない。しかし、井芹の表情と二人の短いやり取りからは別のものも読み取ることができた。
 怖れ、だ。
 おかしな話だった。アタシは葉子や和津実の殺害を指示したのも、アタシや由真を拉致するように命じたのも新庄圭祐自身か、あるいは井芹幸弘だと思っていた。しかし、どうやらそうではないらしい。アタシをここへ連れてきたのも、ひょっとしたらこれまでの出来事の大半も馬渡の独断だったのかもしれない。
「それはそうと馬渡警視、例のモノは?」
 馬渡は口元に薄い笑みを浮かべると、ジャケットの内ポケットから白い封筒のようなものを取り出した。
「これのことですか?」
「勿体ぶるな。間違いはないんだろうな?」
「確かめてみますか?」
 馬渡は病原体の検体をつまむような手つきでDVDを引っ張り出した。白い表面には大きな字で”2”と記されている。夕べ、大名で鶴崎大吾を病院送りにして手に入れたものだ。今なら実行犯が目の前の二人の大男だと確信を持って言える。
 井芹は疎ましそうな視線を白いプラスチックのディスクに向けた。
「私の車にはナビもプレイヤーもついていない。君の車もそうだろう。そこのワンボックスで再生できるかね?」
「残念ながら、そんなものを付けるとこいつらが仕事をしなくなるので。それに課長、今どきのナビはハードディスクですよ」
 隣でハルが追従の笑みを浮かべた。浴びせられるライトで濃い陰影のついた顔は横目に見てもかなり気持ち悪かった。朴がどんな表情なのかはアタシの位置からは見えなかった。
「……まあ、いい。馬渡警視、それを渡したまえ」
「どうなさるおつもりです?」
「決まっているだろう。内容を確認し次第、速やかに廃棄だ」
「だったら、私がその手間を省いて差し上げますよ」
 行ったとほぼ同時にパキンという音がした。訝しそうに眉根を寄せていた井芹の顔が、次の瞬間、驚きと怒りに歪んだ。
「馬渡ッ!!」
「そんな顔しなさんな。それとも何です、俺の言うことが信用できないと?」
「誰がそんなことを言った。しかし、これじゃ――」
「再生は出来ませんな。いいじゃないですか、再生されては困る代物なんですから」
 口調は元のものに戻っていた。
 しかし、一瞬だけ垣間見せた凶暴な素顔こそが馬渡敬三の本性だった。このうらぶれた中年男は奴らの飼い犬には違いないが、決して従順なジャーマン・シェパードではない。いつ、飼い主に牙をむいてもおかしくない狂犬なのだ。
 
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